3・許さなくちゃ駄目ですか?
信じられない事にヨアキム令息の味方をするのは一人や二人では無かった。人々はリーアがどれだけ苦労してきたかを知らないし、高位の貴族子息に対するおもねりもあっただろう。
「どんな人間だって間違う時はありますわよ。大切なのはくり返さない事。これだけ反省したヨアキム様なら、むしろこれからは安心かもしれませんよ」
「本当に。私だって若い頃は夫が自由奔放で苦労させられましたけど……。どんと構えていたら最後は私の元に戻ってきましたもの。女は寛容さが大切なのですわ」
リーアに許す事を勧めてくるのは夫に浮気をされ、関係を再構築した夫人達だった。男性陣に至っては眉をひそめているのはごく一部の愛妻家だけで、大半は男性なら一度や二度の気の迷いは仕方ないだろうという許容ムードが漂っている。
「それは……でも……」
「わがままもいい加減にしろ、リーア! 名門であるロイマランタ侯爵家の妻がそんな狭量でやっていけるとでも思っているのか!」
「お、お父様……そう……なのでしょうか……」
ついにはお父様までがヨアキム子息の肩をもち、素直に頷かないリーアこそ意地が悪いかのように言いだした。
「お父様待ってください。目を覚ましてリーア、これまでされてきた事を忘れたの!?」
「レベッカお姉様……。わ、私はどうしたら……」
リーアは優しい。本当に思いやりのあるいい子だ。
その反面、少し自分の判断に不安を持つクセがあり、強い意見を前に戸惑っているようだった。周囲の野次馬達も、なぜせっかく改心しやり直そうとしている恋人達に水を差すのかという非難の目を向けてきた。
「せっかくリーア嬢がいいといっているのに、姉とは言え押しつけがましいわ」
「きっとご自分にまだ決まった婚約者がいないからって、妹の恋路まで邪魔したいのよ! みっともない」
(嫌! 駄目よ! だって……)
リーアはこれまでヨアキム子息を非難することなく黙って耐えていた。だからこれまでにも何度も傷つけられた事をみんな知らないのだ。ヨアキム令息の過剰なまでの嘆きようだけを目にして、リーアの歩み寄りがないのだろうと考えてしまうのは仕方のないことなのかもしれないけれど。
我慢して耐えた方が責められるなんて、やっぱり間違っている!
「ロイマランタ子息。リーアはずっと無実を訴えていましたのに、貴方は一度も信じなかった。たったの一度も! 話すら聞かなかった貴方が、このわずかな時間で一体なにを反省したというの? 言った方は忘れても言われた数々の罵倒は忘れませんわ」
糾弾しながら、迷いが無かったわけではない。
こんな騒ぎを起こして、ただでさえよくない私の評判が下がっているのは間違いない。大勢の前で格上の家門の男性を声高に非難するだなんて、令嬢としては致命的なはしたなさを晒しているだろう。
だけどやっぱり、妹がその優しさで破滅していくであろう未来を傍観する事は出来ず、どうしたって訴えないではいられなかった。
「もし貴方が本当にリーアの事を思っているというのなら、こんな風に周囲を味方につけ、強引に承諾させるやり方をしないで下さい。それに妹がこんなやり方をされたら断れなくなってしまうということが予想できなかったというのなら……やはり、なにもわかってない貴方は妹に相応しくありません!」
会場がシンと静まり返った。
先ほどの男爵家令嬢のエリサ嬢を責めた時とは意味が違う。子爵家令嬢にすぎない私が正面から次期侯爵家嫡男を侮辱したのだから自殺行為も同然だった。
「レベッカ、貴様なんと言うことを!!」
「お父様、止めて!」
お父様が血相を変えて詰め寄り、それに気がついた妹が必死になって引きとめた。
「ヨアキム様、私、貴方の望む通りにしますわ。ですからどうぞ姉を許してさしあげて!」
「リーア!!」
望む通りにすると聞いた途端、ヨアキム令息の顔がぱあっと明るくなった。
「そうか、リーア。やっぱり君も僕を愛してくれていたんだね!」
愛してるなんて一言も言っていないのに、相変わらず自分に都合のいい大馬鹿だ。
「ルスコ子爵も気にしないで下さい。お姉さんが心配になるのも無理はないさ。本当に愛しているのが誰なのか、わからないまま惑わされていた。確かにこんな僕は身を引くべきなのかもしれない……」
地味で貧相な私ががなり立てるよりも、美しいヨアキム令息が悩まし気な吐息と共に髪をかき上げる方がさぞかし聴衆の心に響いただろう。自分の容姿の威力と、下心を呼び起こさせるほどの権力を理解した非常に卑怯な呟きは、私を最高に苛立たせた。
「まあ! そんな事おっしゃらないで下さいな、ヨアキム様」
「そうですよ。リーア様もちょっと驚いてしまっているだけ。つむじ曲がりの行き遅れの言葉など真に受ける必要はありません」
上辺だけの反省を見せかけるヨアキム令息に同情が集まっていく。
(違うのに……違うのに!!)
せめて既婚だったのなら、この憎らしい悪口の半分は無かったのだろうか。無力な自分が悔しくて歯噛みした。
「寛大にも許すと言って下さっているんだ。今すぐヨアキム様に謝れ、レベッカ! 早く!」
「で、でもお父様……」
「早く!!」
その激高はロイマランタ侯爵家の怒りが我が家にまでおよばないように、まるでヨアキム子息に見せつけるように激しく強いものだった。それでも歯を食いしばった私の口から謝罪の言葉が出てくることは無い。
焦れたお父様が大声で怒鳴った。
「お前など、汚らわしい獣の国にでも行ってしまえ! 半分人間のなりそこないの奴等がお似合いだ!」
「汚らわしいとは心外だな」
低い声が響いた。
(え……)
顔を上げるとあの青年が腕組みをし、大騒ぎしている私達を眺めていた。
先ほどのどこか無邪気な様子とはうってかわり、逆らいがたい雰囲気を備えている。声を荒げているわけでもないのに彼の不快感が伝わり訳もわからず萎縮した。
きっとこの場の全員がわけも分からず悪戯を叱られた子供のような気持ちになったに違いない。
「なるほど、思っていた以上に人間の国との認識の溝は深いようだ。人間のなりそこないなどと見下されているようではとても対等な協力関係を築く事はできまい」
「フェイ様、どうかお鎮まりを……!」
彼のそばに控えていた従者が駆け寄る。
従者は目深に風変わりな帽子のようなものを被っているが、その布はよく見ると不自然に膨らみ、まるで長い耳か何かを隠し持っているかのようだった。
「ははっ、彼らが言う汚らわしい獣人とやらが実際はどんなものなのか。きちんと理解しておいた方がお互いの為だと思わないか……!?」
メキメキッ……
生木を割くような音と共に青年の頭部に動物のような角が生え、もともと大きかった体がさらに一回り膨れ上がった。食いしばった歯は人間ではない鋭い牙が生え、鱗の生えた尾がゆるりと弧を描いた。
(じゅ……獣人……!!)
空気が凍りつく。
それまで獣人を悪魔か何かのように言っていた人々は泡を食った。今日のこの場だけでも散々下に見てなじり侮蔑した。その差別的な唾棄すべき言葉を全て、この強大で恐ろしい獣人に全て聞かれてしまっていたのだ。
誰一人息をしていないのではないかと思われた。
「ひっ……化け物だ!!」
誰かの悲鳴で不安が一気に膨れ上がり、はじけ飛んだ!
「殺される! 逃げろ!!」
「いやあああっ!」
「くそ、どけ! 俺が先だ!!」
誰かが叫び、会場は混乱のるつぼと化した。
悲鳴であふれ、我先にと逃げ出そうとする。押し合いへし合いの中であるものは転び、別の誰かがそれを踏んだ。
「リーア! リーア、大丈夫!?」
「お姉様!」
私は人々の流れに逆行しリーアの元に駆け寄った。
人混みの中私達はしっかりと抱き合った。
多くの人が恐慌におちいる中、ふいにやたらとのんびりした声が響いた。
「ちょっとフェイ、困るよ~。獣人の国の代表としてどうしても普段の貴族の様子が見たいっていうから連れてきたのに、これじゃあお忍びにならないじゃない。一応僕にも立場があるんだから、ちょっとは顔を立てて?」
それまで隅の方で静かにしていた別の青年が立ち上がり、気軽な調子で肩を叩いた。聞き覚えのある声に一同の耳目が集まり、彼の正体に気がついた人から驚きの声があがる。
「ク、クリスティアン殿下……!」
魔法だろうか、髪と目の色を変えてはいたが、間違いなくこの国の王太子クリスティアン殿下その人だった。
獣人の国との協定を結ぶ際に率先して先頭に立っていた立役者で、これからの国の発展に獣人との協調路線を強く推し進めている人物でもある。
それまで一刻も早く逃げようと混乱していた会場は不思議などよめきに包まれた。
獣人に対する恐怖はあるが王族であるクリスティアン殿下が留まっている以上、彼を置いて我先に逃げ出すのは貴族生命の終わりを意味している。
「そうは言っても、こうも侮られていては対等な会話など出来るはずもないではないか。獣人を見た事がないから余計に恐れるのだ。むやみやたらに襲い掛かる存在ではないと理解してもらわねば」
面倒くさそうに返すフェイ様に、すでに角も尾も無かった。
(獣人って、耳や角を隠す事が出来たの……!?)
少しは獣人というものを知っているつもりだった私でさえ、全く異なる生態にただただ驚くしかない。そして確かにその驚きは獣の国の住人達に対する見下した優越感などまるごと吹き飛ばしてしまっていた。
「随分と誤解を受けているようだが獣人は人間を喰ったりなどしないし、やたらに見境なく暴れるわけでもない。上手く協力しあえれば他の国を凌駕する事が出来るだろう」
フェイ様の言葉に貴族達は顔を見合わせる。
獣人の並外れた力は脅威であると同時に喉から手が出るほど魅力でもあった。それに貴族達の中には彼らの並外れた身体能力でなければ潜りこめない場所にある、貴重な鉱石や宝石の存在も頭をかすめたに違いない。
「これまで獣人の国と手を組んだ国はいなかったが、これから我が国がその歴史を変えるんだ。さらなる発展、繁栄のために皆にも協力して欲しい」
王太子殿下の言葉にちらほらと拍手が交り、やがて会場中に広がっていった。
しかし中にはまだ不安を拭いきれない者もいるのだろう。声高には叫ばずとも苦虫を噛みつぶしたような顔もいくつか見える。その中でも特に、ヨアキム子息は嫌悪感を露骨にしていた。
「殿下! さきほどの姿を見たでしょう! やはりこいつらは獣に近い動物、信用なりません!」
「信用ならない? 果たしてそれはどちらの方だろうな」
「なんだと?! 獣人風情が……!」
フェイ様が愚にもつかない冗談を聞いた様にニヤリが笑うと、ヨアキム子息はビクリと怯えた。怯えながらも反抗する、いや……怯えているからこそ恐怖を誤魔化すために怒り、興奮して自分を奮起させているのだろうか。
そんなヨアキム子息を嘲笑うようにフェイ様は指を指した。
「お前はつい先ほどまで愛だとか目が覚めたなどと言っていたようだが……ならば何故今、誰よりも出口に近いそこにいる?」
「……あ……」
真っ先にこの場を逃げようとした位置で立ちすくむヨアキム令息に、冷え切った視線の数々が降りそそぐ。
リーアが隣にいた私の手をぎゅっと握った。
「ち……違う、僕は……違うんだ……」
「……また……許さなくちゃ駄目ですか? 誰にだって事情はある。言い訳したいことだってあるでしょう。でもその度に傷つけられてきて、辛くて、それでもまだ許さなくちゃ駄目ですか」
「…………」
これまで一度も逆らったことがないであろうリーアの問いかけは、静かだけど消える事のない怒りを含んでいた。
「ロイマランタ侯爵子息。君には心底ガッカリしたよ」
王太子殿下の声は軽蔑を隠そうともしなかった。
「いざというときに婦女子を押しのけて我先に逃げ出そうとする情けなさといい、獣人の国から花嫁候補を探してほしいと依頼された話をベラベラと他人に話す口の軽さ。信用できないというのはお前のような人間を言うのだ」
「そ、それは……っ!」
「追って沙汰を下すから、楽しみにしているといいよ」
「…………っ!」
ヨアキム様はその場にペタリと尻もちをついた。
今度こそ周囲の視線は非難に満ちていて、彼に同情をして支持してしまった人間達ほどその怒りは強いようだった。中には己の言動を恥ずかしく思ったのか顔を俯かせる人もいたけれど、ヨアキム令息に恥をかかされたと逆恨みする人数の方がずっと多そうだ。
人間関係がなによりも大切な社交界において、これだけの人間を敵にまわしてしまったヨアキム子息は、今後何十年にもわたって今日の日に苦しめられるに違いない。
獣人に対しても、ヨアキム子息が先鋒をきって獣人を口汚く罵ったおかげで、同類に見られてはたまらないと思ったのか貴族達はすっかり黙ってしまった。それにまるで知性が低いとでも思われていた獣人が、高位の貴族子息をあっさりとやり込めてしまった事で彼らに対する侮りの気持ちもずいぶんと払拭されたようだった。
ふらふらとヨアキム令息がその場を去ると、リーアが感謝の面持ちを向けてきた。
「お姉様! 私のためにありがとうございました!」
「リーア、いいのよ。貴方が無事ならそれで」
「……でも、不謹慎ですが嬉しかったです。いつもは引っ込み思案なお姉様が私のために怒って下さったこと」
良かった。私の可愛い、大切な妹。
やわらかくて温かな抱擁に包まれ、じんわりと緊張がほぐれていく。
そうなってくると徐々に自分のやらかした数々のことが恐ろしくなり、今になってカタカタと足が震えてきた。ついさっきまでは妹の危機だと思って必死だった。だけど実は本来の私は極度のあがりやで小心者なのだ。妹のためでなければあんな大勢の前で大声を張り上げたり、ましてや断罪の意趣返しなどとても無理。
そんなわたしの目の前に、ふいに大きな手が差し出される。
顔を上げると、すぐそばにフェイ様が立っていた。
「こちらの国の令嬢はみな人形のように大人しく静かな方ばかりかと思ったが、お前は違うようだ。その気の強さ、気に入った!」
「へ!? い、いえ……わわ、私はお友達の間でも特に気が弱くて有名で……」
彼は私の言葉を冗談だと思ったのか、声を出して笑った。
(いや……本当なのですけど……!?)
というかこの方絶対に獣の国のやんごとなきお方ですよね。冷静になってきたら怖くなってきた……!
私の震えを感じ取ったのか、妹がさっとフェイ様と私の間に体を滑り込ませた。
「先ほどは本当にありがとうございました。ですが少々、距離が近いのでは?」
うん? リーアにしては気のせいか口調がキツイような?
まるで邪魔者を追い払いたいかのように聞こえないか心配になった。
「お爺様に人間の花嫁を娶るように言われた時はどうしたものかと思ったが……。これほど胆力があるなら我が国に来てもやっていけるだろう」
そう言って何故かこちらに微笑んだ。その瞳に思わず見惚れてしまっていると、妹が私達の間を遮るように立ちはだかる。
「だから! 許可なくお姉様を見ないで下さい! 減ります!」
(いや、減らないよ……!?)
リーアの態度にはらはらしたが、フェイ様は器が大きいらしく全く気にした様子は無かった。
「私はフェイ・ロンシェン。お前の名前は?」
「レ……レベッカ・ルスコと申します」
「レベッカ。いい名前だ」
差し出された手を握るのに戸惑いはなかった。
その気になればこの場にいる人間を八つ裂きできるであろう力を持ちながら、終始人間に悪辣に言われても黙って受け流し、多少乱暴なやり方ながらこの場をおさめてくれた彼は人間よりもよほど紳士に思えたから。
人間と同じ形をしながら、体温だけは少しひんやりとした手を握り返すと、彼は私の目を見て満足気に笑った。
「先ほど見た通り、まだまだ獣人の国とレベッカの人間の国にはまだまだ隔たりがある。それを埋めるためにも、お前の『鱗を渡して』くれないか?」
『鱗を渡す』という言い回しは聞いたことが無かったけれど、妹に関する事以外では気が弱い私は意味を聞き返すのをためらった。おそらく話の前後やフェイ様の気軽な様子から、こちらで言う所の力を貸すとか協力するとか、恐らくそんな意味なのだろう。
「えっと……あ、あの、私に出来ることでしたら……?」
「そうか、良かった!」
そう言ってフェイ様は私を抱きしめた。
(え?)
「お、お姉様になんて破廉恥な! いくら王太子殿下のご友人でも、貴族令嬢に不必要にベタベタするのはマナー違反ですわ!!」
リーアがフェイ様を引き剥がそうと腕を引っ張ったけれど全くの徒労に終わった。
全然まったく、びくともしない。
(……え? ……ええ???)
「レベッカも了承してくれた。彼女はもう私の婚約者だ」
「ええええええええっ!?」
ついに今度は声が出た。
◇
あの舞踏会から数週間が経った。
「リーア、僕が悪かった。許してくれ!」
外から聞こえた声に、窓をのぞくとヨアキム令息が懲りずに今日もやってきていた。
恥をかかされた報復でもしてくるのかと思っていたけれど、意外にも頻繁に訪ねてきてはリーアに許しを乞おうとしてはけんもほろろに追い返されている。最初はそのうちほだされてしまうのではとハラハラしていたけど、これまでの献身が嘘のように断固として拒絶するのだから人はわからないものだ。
エリサ様はあれこれと調べを受けるうちに実家の男爵家のケチな悪行の数々がばれて、爵位をはく奪されてしまった。今思えばなにかしらの危機感をもったエリサ様がヨアキム様に取り入ろうとしたのかもしれないけれど、もちろんこちらが同情する必要は無いだろう。
どこまであてにしていいのかわからないが、王太子殿下も何かあったら相談にのると言って下さっている。
これなら私がいなくなってもきっと大丈夫だろう。
私は今、自分の部屋で獣の国に向かうための荷造りをしている。
リーアは獣の国に向かうことに大反対のあまり自分の部屋に閉じこもっている。心配をかけていることは申し訳なく思うけど、どうせそう長くないうちに追い返されるだろうから許してほしい。
『あー、えっとね、レベッカ嬢。獣人の国の独特の言い回しで『鱗を渡す』っていうのは自分の一部を相手に差し出すというか、まあ早い話が求愛の言葉だよ』
王太子殿下の気まずそうな解説に、私はショックで気絶しそうになった。
フェイ様はその言い回しが通用しない事を知らなかったし、私は私でわからないなら聞き返せばいいところを流してしまった。これが異文化交流の相互無理解というものなのか。
私が断ればまた他の令嬢を探さなければいけないというのに、王太子殿下はなんとか断ってあげると申し出て下さった。
しかし勘違いとはいえ一度は了承してしまったこと。ヨアキム子息に非があったとはいえ、男性に大っぴらに逆らい騒ぎを起こしたような令嬢に二度とまともな縁談がくるはずもないという事実。そしてなにより私自身が行ってみたいと思えたので、イチかバチかで乗る事にした。
(それに、フェイ様はきっと私を誤解しているのだわ)
妹の為だからと火事場の馬鹿力が出ただけで、本当の私は気弱で臆病で、全然恰好悪い。望んでいるような強い人間などではないとわかれば、きっと向こうから婚約破棄をしてくるだろう。
――だから婚約破棄されるまでの期間に獣人や獣人の国の事を調べて、両者の交流の橋渡しをできる人間になってみせるのだ!
これからは獣人の人達と協力するべき場面が増えていくはず。そんな時ちょっとした文化や習慣の違いを理解し、教えられる人間はきっと需要がある。特に交友関係で間違いを犯すわけにはいかない貴族達ならさぞやいいお客さんになってくれるはずだ。
(やりようによっては社交界に影響を持つことだって出来るかもしれないし、そうなれば妹が再び困難に陥っても私の力で助けることが出来るもの!)
ずっと力が欲しいと願っていた。妹を守ってやれるだけの力……正しいと思うことを実行できるだけの力が。
行くと決めた理由は別にもある。
(フェイ様は何もおっしゃらなかったけど、あのタイミングで騒ぎを起こしたのはもしかして……)
とっさに起こった危機的な状況に、ヨアキム令息はすっかり馬脚をあらわした。
意図的なものだったのか偶然だったのか分からないけど、そのお陰で私は妹を守りきることができたのだ。
妹を守りたいという一番の望みを結果的に叶えてくれたのはフェイ様で、その恩義のために向こうから断わってくるまで茶番につきあうのも。それほど悪くないような気がしたのだ。
ますます婚期を逃す?
もともと結婚願望は強くないのでどんとこいだ!
「大丈夫、きっとなにもかも良い方にいくわ」
この時はまだ知らなかった。
フェイ様が獣の国の次期後継者で竜の獣人であることも、数ある獣人達の中でもっとも束縛と独占欲が強く、強烈に伴侶に執着する習性があることも全部。
何も知らず明るい未来だけを思い描いて微笑んだ。
お読みいただきありがとうございました!
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