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2・やり直したいだなんて正気ですか?

 幼い頃からいつだってリーアは太陽のような笑顔を向けてくれた。


『レベッカお姉様、大好きよ!』


 何度も繰り返されるその言葉に、どれほど救われてきただろう。

 お金にしか興味がないお父様と若い愛人に夢中になっているお母様の間に、このような天使が誕生したのは永遠に解けることがない生涯の謎だ。


 だけどやがて気がついた。この世の中には人の思いやりや気遣いを当然として受け取り、のうのうとその上にのさばるような人間がいるということを。


 そしてその筆頭こそ、リーアの婚約者ヨアキム侯爵令息だった。



 ◇



 見知らぬ青年の手助けを受け、なんとか好奇の視線に晒されている妹の元に駆けつけることができた。不安で一杯だけど今は彼女を安心させたくて余裕たっぷりに微笑んでみせる。


「リーア! もう大丈夫だからね!」


 私はぐっと顔をあげてヨアキム様とエリサ様を睨みつけた。

 ヨアキム様は私の剣幕に一瞬怯んだものの、すぐに馬鹿にしたような笑いを浮かべた。


「はっ、レベッカか。お前ごときが……」

「ルスコ子爵令嬢」

「え?」


 朗々と喋り出そうとしたその出鼻をくじき、訂正した。


「もしくはルスコ令嬢とお呼び下さい。貴方様は妹と婚約破棄した……まあ正式な取り交わしはこれからだけれど、事実上破棄したと言ってさしつかえないですわよね。なら私の名前を呼ぶのはマナー違反です。今後は私達の事は家名でお呼び下さい、必ず」

「な、なんだと、生意気な!」


 どうしてこんな大勢の前で妹を辱めた男に、生意気などと言われなければならないのだろう。彼が侯爵家嫡男でさえなければビンタの一つでもお見舞いしていたところだ。

 視線だけで不服を訴えるとヨアキム様は気おされたように後ずさった。


「く……わかった、ルスコ令嬢。しかしだな……」

「それからエリサ様。そんなどこにでもある手紙がなんの証拠になるというのです? 筆跡を確かめますからお渡しください。それに妹に虐められたというけれどいつどこで、もっと詳しくお話しくださいませ!」


 リーアの無罪は疑うまでもない。私の目的は彼女の嫌疑をこの場で晴らすこと。

 何故なら少しでも反論が遅れればそれだけ無責任な噂が広がり、憶測を持たれ、たとえ無実が証明されても『上手くごまかしたけど、やっぱり……』なんて言いだす人間が現れるものなのだ。

 妹の未来の為に今この場で、完璧に無実を証明してみなくては!


「さあ、早く。それとも嘘なのですか? 言いがかりだから何もおっしゃらないのですか!?」


 声高に叫ぶ私の台詞にザワリ、と会場が騒めく。

『嘘』、『言いがかり』、『何も言えない』。正確には矢継ぎばやに喋って反論の隙を与えていないだけだが、人々の頭にはなんとなく単語が浸透していく。これまで妹の有罪を疑うことなく悪と断じていた人々に、わずかにでも疑念の種を植えつけることができたら上出来だ。

(私を、打ちひしがれている優しい妹と同じだと思わないでよね!)

 反撃されることなど滅多に経験したことのないヨアキム令息よりも、先に気持ちを立て直したエリサ令嬢がこちらを睨み返してきた。


「言いがかりだなんてとんでもないわ! そ、そうですね。たとえば建国祭の日、急に我が家にやってきて……!」


 ふう。先ほどの下らない『証拠』とやらといい、本当に何も考えていないようだ。まあそうでなければ婚約者のいる貴族子息に言い寄り、あまつさえ婚約者の座を狙ったりするわけがないだろう。

(こんないい加減な人間に、ただ階級が上の貴族が気に入っているというだけで大きな顔をされ、あまつさえ大切な妹を馬鹿にされなくてはいけないなんて本当に不愉快だわ)

 熱くなりすぎないよう、ゆっくりと深呼吸をする。


 そしてこんな事もあろうかと用意していたメモ帳を懐から取り出した。


「おかしいですね。建国祭の時ならその前後含めて、喧騒を避けて別荘に行っておりましたが?」

「え? そ、それは……」

「疑うようでしたら、お友達も何人か招いてますので証言をとりましょうか。もちろん全員記録しています。そこまでしてこちらの言葉が正しかった時は……」

「か、勘違いしていたわ! その前の週だったような気がするわ」


 慌てず騒がず、ぺらりとページをめくる。


「その日なら私と二人で街に散策にいきましたわ」

「二人で? そ、それなら証明出来ないわよね。貴方は家族なのだから庇っているだけかもしれないじゃない」


 途端に元気になって言い返してきた。


「じゃあどちらが本当のことを言っているのかわからないですわよね? ならやっぱり、ヨアキム様にご判断を……」

「その日はパン屋とケーキ屋と、雑貨店を見に行きました。話しかけた店員の名前も控えておりますから、その方を探させて下さい。それで証明できるはずです」

「はあ? お、お友達ならいざしらず、話しかけた店員の名前なんて……」

「貴方がロイマランタ令息に不用意に近づき始めたころから、ずっと毎日記帳しておりました」


 あまりにもキッパリとした断言にエリサ令嬢の顔が歪む。


「な、なんでそんな事……!」

「なんで、ですか? それはこちらの台詞です。他人の婚約者にちょっかいをかけるような方はそろいも揃って杜撰な罪を捏造し始めるのはどうしてなのかしら。でも似たような事をされる方がいるおかげでこうやって迎え撃つ準備をすることが出来るわけですけど」

「は……な、なんなのアンタ。気持ち悪いなあ!」

「あら、動揺して地がでていますわよ。大丈夫。私、なんの取り柄も無いですが妹を大切に思う気持ちと執念深さだけは人一倍なんです。絶対に絶対に、リーアに濡れ衣なんてきせさせない」


 ずい、と一歩前に出るとエリサ令嬢は怒りとも恐怖ともつかない顔をした。


「そして自分より上位の貴族を陥れようとした貴方が、証言して下さる方が見つかった暁にはどうなるか…おわかりですわね?」

「ひっ……!」


 どうせヨアキム様に泣きつけばどうとでも言いくるめられると思っていたらしいエリサ令嬢が、今にも倒れそうな顔でおろおろとしている。


「本当の事を言っているのなら何一つ恐れる事はない。そうでしょう?」

「そうだよエリサ! 本当の事を言っているのだから恐れる事は無い」

「う……そ、それは……」


 ようやく口を開いたヨアキム様は、逆にエリサ様を追い込んだ。

(あらまあ、まさか本当にエリサ令嬢を信じていたのかしら)

 ……そうなのだ。リーアが慕うヨアキム様は嘘で他人を貶めようとするほど心根が悪い人間なわけでは無い。

 ただちょっと考えが浅く、自分に心地よい言葉をいう人間を信用しすぎるうえに確認が甘く、思い込むと助言の余地が入らない傾向があるだけなのだ。

 まあ、それだけ弱点があれば充分すぎる気もするけど。


「貴方はこれほど大勢の前で妹を侮辱しました。真実がつまびらかになった時、お互いにどんな裁きが下るのかしら」

「ま、待って下さらない? わ、私ちょっと思い違いをしていたのかも……ああ、なんだか眩暈がしますわ」


 エリサ様は顔色を変えて逃げ出した。

 この場を立ち去ったとしてもどうせすぐに手配がかかるというのに、本当に考えが浅い。


「エリサ……!? ど、どういう事だ?」


 未だに現状を理解できていないヨアキム様だけが瞬きをする。

 はあ。この方が未来の侯爵だなんて、本当に頭が痛い。だから現侯爵からリーアにくれぐれも息子を頼むと強く言い渡され、ついでに姉の私まで何かあった時には二人を支えて欲しいと何度も頼まれたというのに……。

(ヨアキム様にとって口うるさい侯爵夫妻が出席しない今日を断罪の日に選んだことが、貴方様自身の首を絞めたのですよ。もし夫妻がこの場にいたのなら、大騒ぎになる前にすぐさまこの場をおさめていたでしょうからね)


「まさか……嘘をついていたのは彼女のほうだったのか? ああ……僕は、何てことを……」


 今更状況に気がついたヨアキム様が打ちひしがれた様子で項垂れる。

 周囲もすでに状況を理解したようで、これまで向けていた白い目を向ける相手をリーアから侯爵子息へと変えている。


(ああ、良かった……。この婚約破棄にリーアの落ち度はないと理解してもらえた。これならおかしな噂がでまわることだってないだろうし、次のお相手だってきっと見つかるわ……!)


 ふと辺りを見渡すと、先ほど道をあけてくれたあの青年の顔が見えた。

 最初は少しうっとうしく感じたけれど、彼が手助けしてくれなかったらあのままなし崩し的にリーアが悪者にされていたかもしれない。今は感謝の気持ちで一杯だった。これだけ人が溢れかえり、実の親ですら銭勘定しか考えていない中、彼だけが救いの手を差し伸べてくれたのだ。


 感慨にふけっていると彼と目が合い、まるで健闘を称えるような笑顔を向けられドキリとした。

(あの時はそれどころじゃ無かったけど、落ち着いて見るとすごい美形だわ……)

 やや切れ長の目に、バランスのとれた体躯。長く伸ばしたままの髪は男性としてはあまり見かけないものだけど、彼にはよく似合っていた。

 ヨアキム様がガラス細工の美術品のようだとしたら、青年は凛と生きる野生動物のような強さと生命力に溢れていた。

 目を奪われて観察していると、すぐ近くからいかにも哀れを誘うような声が聞こえ我にかえる。


「ごめんよ、リーア。僕はすっかり目がくらんでいた。なんであんな女を信じてしまったのだろう」


 すっかり気落ちした様子のヨアキム令息が肩を落としてリーアに謝罪している。あんなに威張り散らしていたのが嘘のようだ。

 母性本能が強そうな貴婦人達の何人かが同情したように息をのんでいた。


「どんなに謝っても謝りきれない。なんて愚かだったのだろう……」


 あれほど憎らしいと思っていた私ですら胸が痛みそうになるほど、悲しみに満ちた顔だった。


「でも、君の幸せを祈る事は許してくれるかい?」

「……ヨアキム様……」


 くり返すが、彼は顔だけはいいのだ。

 うつむき涙を浮かべる姿は絵画から抜け出たかのようだ。しかしだからといってこれまでの出来事が消え去るわけではなく、当然リーアも当惑した表情を浮かべている。しかし……。


「まあ、あんなに反省しているようですし今回は……」

「性悪女に騙されていたのだから仕方が無いわよね。正式に婚約破棄までしたわけじゃないのだし、今回だけは大目にみてあげればいいんじゃない?」


(え……?)

 周囲で小さく囁かれる声に、血の気が引いた。

 何を言っているの?

 ついさっきまでのこの男の言動を聞いていたでしょう?

 そもそも貴方達は知らないでしょうが、リーアがぞんざいな扱いに傷つけられたことは一度や二度じゃない。その度涙を拭って我慢しただけなのに、知らない人間達が何故わかったような口をきくのだろう。


「ほら、許すといってあげなさいなリーア令嬢。あんなに反省しているじゃないですか」


 別の誰かがリーアの肩に優しく手をかけた。

 その笑顔は少しのお節介とたくさんの親切心が入り交じっていた。


「ゆ、許す……? でも……」


 リーアは何かを言おうとしたけれど、夫人が名門の伯爵位の家柄であることに気がついて、言葉を発する事ができないようだった。


「だいたい貴方が本当にロイマランタ子息の心を掴んでいればこんな事にはならなかったかもしれないのよ? 自分に悪い所が一つも無かったと、本当に言い切れる?」


 その瞬間まで私が考える『最悪』とは、リーアが濡れ衣を着せられ、汚名をかぶって婚約破棄されること。もっと良くないのはわけのわからない獣人の国へ行かされることだった。

 だけどそうじゃない、本当の最悪は……。


「リーア、もし君が許してくれるのなら、もう一度やり直さないか?」


 あまりに自分に都合のよい言葉に耳を疑った。

(ああ、この人は本当にわかってない……!)

 エリサ令嬢よりも誰よりもやっかいな相手。ヨアキム子息に『ご納得』頂けない限り明るい未来はまだ遠そうだった。

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