立派な首絞め紐
ワイシャツの第一ボタンを閉めネクタイを結ぶのは、大人が如何に窮屈かを物語るようで辟易していた。
中学以降、集会や式典の度に身だしなみを整えた姿で参加するようにとしつこく言われるようになった。私は出っ張りだした喉仏を抑え付けるような第一ボタンの拘束がどうにも嫌で、緩く結んだネクタイで覆い隠すようにしてボタンを閉めずに誤魔化したのを覚えている。首が短く太く、ふっくらした輪郭の丸顔である私にとっては、襟付きのワイシャツというだけでも窮屈なのだ。大人になった今でも、襟付きのシャツを毛嫌いし、バンドカラーやノーカラーのシャツばかりを好んで着ている。
窮屈というものをとにかく毛嫌いする性格と丸く肥えたシルエットは、生き方にもそのまま反映されたようで私は今、ワイシャツもネクタイも必要としない自由なフリーター。先日には遂に25歳になった。
そろそろ大人にならなければいけないんじゃないかと日々すれ違うスーツ姿の人々を見て焦燥や使命感に駆られてリクルートスーツを手に取るが、やはり第一ボタンとネクタイの窮屈さに抗えず、縛りのない自由なアルバイト生活に甘んじてしまう。貯金も将来性もまるでない有様で、日々の小さな不自由や窮屈をどうしても看過出来ない己の幼稚さをどうにか矯正出来ないものかと眠れぬ夜にぼんやりと考えるが、浮かんでくるのは失敗と不安のビジョンばかりで、結局何事も成さないまま日々を浪費してしまっている。
そんな私に先日、田舎の祖父から贈り物が届いた。丸めた紙袋から伝票を剥がして開封してみると中身は長細く黒い箱。嫌な予感を感じつつ蓋を開けると、入っていたのは高級そうなネクタイだった。
上品な艶のある藍色のネクタイには私の名が彫られた銀のピンがついていて祖父からであろう小さな手紙が挟まれていた。その内容はこうだ。
「知宏君、誕生日おめでとう。もう25歳、立派な大人の年齢です。自分探しも程々にして、そろそろ落ち着いてくれる事を願ってます。このネクタイはきっと良く似合う筈だから、これを結んで仕事をする知宏君を見せてください。期待しています」
鋭く整った大人の字で書かれた手紙を読みながら、私はこれが祖父からの最後通告のように思えて恐怖を覚えた。以前から帰省の度にしつこく嫌味を言われてはいたが、いよいよここまで直接的なメッセージを発して来たのだから、我慢の限界というヤツなのだろう。
蓋を閉めて紙袋に戻しクローゼットの奥へ押し込むと同時に大きなため息が出た。とりあえずは、感謝の手紙を書かねばなるまい。手っ取り早いのは電話だが、直接の会話はまたぞろこの手のお説教を長々と繰り広げられるのがオチなので、ここは一筆と心ばかりの品でも添えて返事を寄越すのが妥当な所だろう。そう思い、近くのコンビニで適当な便箋とタバコを買って部屋に戻り、一服を終えてから筆を執った。
「ネクタイありがとう。心配ばかりかけてしまい、本当にごめんなさい。25歳を迎えて、僕も焦りを感じているので、今年から本格的に就活を始めるつもりです。その時には、じいじがくれたこのネクタイを結んで、精一杯頑張りますので、応援してください」
便箋に筆を走らせてみると、おあつらえ向きの嘘八百は脳裏にポンポンと浮かんでくるのだが、それを綴る己の字の汚さから溢れ出る稚気を感じて思わず絶望的な自己嫌悪に陥った。25歳にもなって、こんなその場凌ぎの嘘を祖父に対して吐こうとしている情けなさも相まって、いっそのこと貰ったネクタイで首を括ろうかと考えてしまう。
ドアノブ、ハンガーラック、カーテンレール。部屋を見渡しながら首を括るのに良さそうな場所の目星をほとんど無意識につけている自分に気付いて、ハッと我に帰る。
改めて考えると、死と天秤にかける程に社会人になるのを忌避しているのは何故なのだろう。
幼い頃は父が毎朝、スーツを着て家を出る姿を見て、
「こんな退屈そうな大人にはなりたくないな」などと思っていたのを覚えている。
中学時分は思春期特有の浅薄な厭世観から、
「どうすればスーツなんか着なくて済む大人になれるだろうか?」
などと考えて、自分のありもしない才能や可能性にばかり思いを馳せていた。
高校に上がる頃には自分には何の能力もないのだとそろそろ気付き始めて、中学時代の見積もりが如何に甘かったかを思い知らされ、いつの間にかホワイトカラーは絶望的になっている事実に打ちのめされていた。
そして高校を出るとすぐにフリーターになり目的もなく日々を浪費するだけの生活が始まった。バイト先では決して手を抜いている訳ではないのに、愚鈍で無能なスタッフとして忌避されるようになり、家に帰ると先行き未定の怠惰な息子として叱責を受ける日々。
学生時代も勉強も運動も出来ない落ちこぼれでクラスの一軍の日常を彩る娯楽として消費される毎日だったが、大人になっても冴える瞬間が無い。私は次第に精神を病んで行くようになった。
そして昨年の事である。いつも通りバイト先の勤務に向かうべく電車に乗っていると、耳に嵌めていたBluetoothイヤホンがバッテリー切れを警告した後、そのまま沈黙した。さっきまで聞いていた音楽が止まり、イヤホンと耳の間を縫うように小さく周囲の話し声や電車の走行音が漏れ聞こえてくるようになると、すぐ側の座席から50代半ばのスーツ姿の男性二人の会話が脳裏に届いた。
「ウチの息子なんかもうダメ。せっかく高いお金を払って大学に行かせたのに、就職先が合わないからって一年足らずで辞めちゃって今はバイト。男なのに堪え性がないからなぁ」
「ウチんとこの甥っ子なんか、中学で不登校になったきりでさぁ、23になるのにニートしてるから救いようないな」
会話の内容が仄見えた所で意識をすぐに逸らそうと、車窓から見える景色や昨晩に見たバラエティ番組のトークなどを考えるように努めたが、一度会話の内容がわかってしまうと、聞こえてくる音声が次々に脳内で意味を持ち、私の心に深く突き刺さるように入り込んでくる。気がつくと私は目的地の二駅前で逃げるように下車してホームでしばらく呆然としていた。
ADHD、軽度の躁鬱病。そう精神科で告げられた時、私は妙に合点が行った。
授業中に問いを投げられると脳内が真っ白になって何も考えられなかったこと、段取りや順序を決めることが出来ずに思いつきで行動してしまうこと、注文を取る際に隣のレジでの会話が脳内に入り込んで来て全く集中が出来ないこと、その他の多くの挫折と失敗の体験がこの時ようやく一つの線で繋がり、私の中で巨大な図を成すように理解出来た。
私が思うに、そもそも私という人間はその成り立ちや在り方からして社会人として落第しているのではないだろうか。私が死と天秤に掛けてまで社会への順応を拒んでいるのは、私の存在そのものが社会という枠組みから逸脱した歪んだ形をしているからではないだろうか。
レールから外れた、などと言う表現があるが、そもそも私がレールに乗れていた時期など初めから無かったのではないだろうか。レールという表現を用いて例えるのならば、私という車両に備わった車輪。その規格は、そもそも敷かれているレールに適合しない歪んだモノなのではないかと思う。
幼少時分でそれが発覚しなかったのは、レール上の走行にも、コントロールにもまだ複雑さや速度が要求されない段階だったからなのではと考えると合点が行くし、中学高校と次第に高度になるにつれ周囲と決定的な齟齬が生じ始めるのは必然だったとしか思えない。
規格の合わないパーツに精神が悲鳴を上げているのを、大人になるまでのごくありふれた幼稚な煩悶として私自身も見過ごして来たからこその今日までの無為な日々があるのだと感じざるを得ない。
私が大人とはを他人から説かれ、己を責めて忌み嫌い、社会へ順応するのだと息巻けば息巻くほど、精神が軋むような痛みを訴えるのは、それがまるで、生来備わった車輪をレールの規格に合わせようと無理矢理に歪める、精神の外科手術のような行いだからなのだ。
便箋に並んだ歪んだ文字列を見るにつけ、私がすべき事は本当に遮二無二努力して社会に合わせて変化する事なのか疑わしくなる。クローゼットの奥へと押し込んだ立派な首絞め紐を結び、歪みを誤魔化しながら生きて行く事なのかと。
翌日、私は僅かな貯蓄を全て引き出して、薄く小さなノートパソコンを購入した。
幼い頃から、屁理屈をこねたりホラ話をさも真実かのように語るのが得意だった。それだけは唯一、人より秀でた私の特徴だった。だから、まずはそこから模索してみようと思う。何もせずとも歳は取るのだから、単なる不適合者ではなく嘘八百で生き抜く不適合者を目指して。
自室のクローゼットには立派な首絞め紐が押し込まれているが、それを使うにはまだ随分早い。