1 息子よ、よく聞きなさい。
社交界にデビューしたばかりでまだまだ世の中が判っていない息子。
母親としては心配でたまりません。
そこで、彼女が若い頃、見聞きしたある事件について語ってきかせてやることにしたのです。
全四話で完結です。
貴方もいい年頃ですから、お話ししておきましょう。心して聞くように。
これは若い頃、わたくしの友人の身にふりかかったことです。
実名は伏せてお話しますよ。余計な詮索はしないように。
それは、やんごとなきお方のパーティ会場でのことでした。
予兆はあったそうです。
友人が会場のエントランスで婚約者を見つけた時、彼はなんだか落ち着かない様子で、
「準備は万端だ」「堂々と言ってやるんだ」「落ち着け、大丈夫だ」などと、ぶつくさ言っていたとか。
やんごとなきお方が御主催されたパーティは、いつものごとく、そこかしこで見えない火花が散っていました。
この太平な国コストリアでは、社交こそがわたくしたち貴族にとって戦争なのです。
主催者側は何人集めるかで格と栄誉を争う戦場です。
出席者にとっては、好印象と人脈を手に入れる戦場です。
だから、わたくしも社交に励んでおりましたの。
ほら、あるでしょう? なんとなくおしゃべりが途切れ、人々の注意が散漫になる瞬間が。
それはどんなパーティでも、一回は訪れる魔の時です。
大抵の場合なにも起きずにすぐ消え失せるのですが、騒ぎを起こそうという人間にとっては絶好の機会です。
簡単に注目を集めることができますからね。
そして友人の婚約者こそ、騒ぎを引き起こそうと機会をうかがっていた張本人でありました。
彼は、ごく自然な――と見せかけたぎこちない歩き方で会場の中央に進み出ました。
おや、と思った友人は、婚約者がまたなにかやらかそうとしているのでは、と心配し、さりげなく後を――
あ。誤解なさらぬように。
彼がいつもとんでもない騒ぎをおこしてきたわけではありませんのよ?
なんというか、彼はいろいろ考えなしなところがあり、それがしばしば困った事態を引き起こしてきたのです。
一つ一つは些細なこと。
例えば、生牡蠣が好きなあまり、つつしみを忘れて欲望のおもむくままにむさぼろうとしてしまうとか。
社交界デビューしたばかりの初々しいお嬢さんの前で、格好をつけたがるとか。
得たばかりの浅い知識、それも貴族のたしなみとして多くの人が既知のそれを、自慢げに披露しようとするとか。
でも、この戦場では、そういう些細なことで少しずつ評価を落としていくのが、後々響いてしまうのです。
よく覚えておくように。
友人にとって、将来結婚する相手の評価が下がっていく事態は好ましくありません。
何度かこういう事態に遭遇していたので、気づいた時はフォローするよう努めていたと言うわけです。
自分で言うのもなんですが、わたくし頑張っていましたのよ? 先方の御両親から何度も感謝の言葉をかけていただいたくらいですから。
当の婚約者は、いちいちうるさい女だと、わたく――友人のことをいとわしく思うばかりだったそうですが。
おほん。友人の話ですからね。わたくしとしたことが感情移入をしてしまいすぎました。
ああ、話がそれてしまいましたね。
婚約者は会場の中央で立ち止まると、皆の注目を集めようというように両手をあげました。
そして、後をついてきた友人を、びしり、と指さすと、高らかに
「ホワイト伯爵家のヒヤシンスよ。私、ブラック伯爵家のカボチャはお前との婚――」
例の奴です。
『婚約破棄』そしておそらくそれに続くのは『真実の愛をみつけた』です。
かなりまずい組み合わせです。
幸い、台詞はここで停止しました。
婚約者が宙を舞ってからです。
なぜって、友人が婚約者のあごへアッパーをさしあげたから。
アッパーがわかりませんの?
アッパーというのは、格闘技の技のひとつで、正式名称はアッパーカットです。
ぎゅっと固めたコブシで相手の顎を下から撃ち抜くようにパンチする技なのですよ。
こんな感じで脇をきゅっと締めて、なるべく最短距離で――
あ。それは知っているのですか。ならばなぜ不思議な顔を?
貴族の子女がアッパーをつかえるのが不思議?
たしかに使える方は多数派ではないですが、嗜みとして身につけさせている家も多いのですよ。
相手を一瞬のうちにしゃべれなくして、まずい台詞を最後まで言わせずに済みますからね。
怯えた顔をしないの。舞ったといってもせいぜい、床から足が頭一個分くらい離れただけですよ。
盛大に舌をかんで、ぐぇ、という声を漏らした彼を、
「あら、大変! カボチャ様が肉を噛みきろうとして舌を噛んでしまったわ! しゃべってはだめよ! さぁ外へ」
友人は説明的な台詞を言いながら、その口を手で塞ぐと、手早く会場の外へ連れ出しました。
カボチャは、もごもご、もごもごっ、と何か言いたそうでしたが、言わせてはなりません。
貴重なアッパーが無駄になってしまいます。
じたばたするカボチャを誰もいない廊下へ連れ出しました。
誰もいないのは不自然ではありません。
だって、周囲から見ていればわかりますもの。
彼が何かやらかそうとした、それを婚約者が身を挺して止めた。
婚約者に相応しい献身的な態度です。
見て見ぬふりをするのが紳士淑女のたしなみというものですものね。
「素晴らしいアッパーだったわ」
友人が声に振り返ると、挨拶くらいはしたことがあるけれど、それ以上の付き合いのない貴族令嬢が立っておりました。
オレンジ伯爵家のヒマワリ嬢でした。
誤字脱字、稚拙な文章ではございますがお読み頂ければ幸いでございます。
宜しくお願い致します