小噺46 土筆と蒲公英
土筆が土から顔を出した頃,辺りは雪解け水が流れていました。
ひやり,でも透き通った水で体を洗うのが,土筆は大好きでした。
このところ,暖かな日が増えてきたせいか,土筆やその仲間たちは,土の中から外に顔を出しています。
ふきのとうは雪をかき分け,太陽を眩しそうに見ています。
蛙は,まだ眠たいのか,片目を閉じたまま,土から顔を出しています。
蛇は長い体を久々に動かすせいか,いつもよりぎこちない動きです。
体を洗いながら,土筆はこの季節とまた出会えたと思うと,嬉しくてたまりません。
山が起きる,という言葉がぴったりな,そんな風景です。
もっとも,土筆は土の中で根を張り,踏ん張っているわけですから,山全体を見たことはありませんが。
この季節,土筆にはもう一つの楽しみがありました。
それは夜,ときに満月の日です。
大きな,そして鮮やかな色の満月を見るのが土筆の楽しみでした。
眠たいのを我慢して,土筆は大きな大きな満月を見ていたのでした。
「あんなにも高いところから,見る景色はきっときっと素敵なんだろうな」
土筆は毎日,決まった範囲しか見れません。時々,やって来る山鳥やタヌキの話に聞き耳を立てては,遠くの世界にあこがれを抱いていました。
「きっと満月は,大きな木も見れるだろうし,カワという水がたくさん流れる音も聞こえるんだろうな」
見たことのない世界を想像しながら,土筆は眠るのでした。
ある日,土筆は見慣れない植物が隣に生えていたことに気付きました。
ギザギザの葉っぱが土筆の体に触れて,くすぐったくて仕方ありません。たまらず声をかけました。
「すいません!葉っぱがくすぐったくて・・・」
「おや,それはすまなかったね」
植物は草をどかしながら,謝りました。
「どかしてくれてありがとうございます。すいませんが,どちら様ですか?」
「私は蒲公英。だいぶ昔,向こうの山から飛んできたんだ」
「え!飛んできたんですか!」
土筆は大興奮です。飛ぶってどんな気持ちだろうか?鶯や駒鳥はよく歌いながら飛ぶけど,やっぱり楽しいのかな?
「そうだよ。飛ぶ,というより風に乗せてもらってここまで来たんだ」
「やっぱり楽しいんですか!?」
「まあね。川や街を上から眺めると,とても気持ちがいいね」
マチってなんだ!
土筆は初めて聞く言葉に大興奮です。
それから土筆と蒲公英は仲良しになりました。
土筆は蒲公英にたくさんのことを教えてもらいました。
街には多くの人間が生活していること。
人間だけでなく犬や猫などもたくさんいること。
川よりももっと大きい海という水がたくさんあること。
蒲公英はふかふかの土でなく,とっても固くて冷たい地面で生まれたこと。
そして,蒲公英は旅をしながら生きているということ。
土筆は,そんな蒲公英が素敵でした。まるで,あの大きな大きな満月に見えるのです。
土筆も蒲公英にいろいろと話しました。
あの穴の中には熊がいて,この前子どもが遊んでいたこと。(危うく踏まれそうになったことも)
あそこのフキノトウは気難しくて,いつも自分の葉っぱをいじって身なりを整えていること。
あの木の上には,最近,山鳩が巣を作っているが,不器用でよく材料の枝を落としてしまうこと。
蒲公英は土筆の話一つひとつをしっかりと聞き,時に笑い,時に感心していました。
「あ!見て!満月だ!」
土筆は満月を見つけて,いつの間にか夜になっていたことに気付きました。
「満月っていいよね!たくさんの世界を見れて!」
そうだね。蒲公英は答えて,でも,どこか悲しそうです。
「どうしたの?蒲公英さん」
「満月は世界を広く見えるけど,よく見えていないんじゃないかな?」
土筆は蒲公英の話がよく分かりませんが,いつもと違う蒲公英が気になり,その日は満月の話はしませんでした。
ある日,蒲公英は真っ白になっていました。
「どうしたの!?蒲公英さん」
「ああ,これか。私はそろそろ旅にでなきゃなんだ」
「どうして?ずっといてよ!」
「ありがとう。でも,ダメなんだ。私は生きるために旅をしなきゃいけないんだ」
土筆は,ボロボロと泣きじゃくっています。
「土筆くん」
蒲公英はあのギザギザの葉っぱで土筆の体をそっとなでます。
「君は前,満月がうらやましいって話したね。旅をしている私もうらやましい,とも話したね」
土筆は泣きながら,蒲公英の顔を見上げます。
「でもね,私は土筆くんの方が何百倍も羨ましいよ。君は君の世界がしっかりとあるじゃないか。あの穴のことも,木のことも,どこからか聞こえてくる音のことも,君は全部知っている。それは私にはないことなんだ。」
土筆を撫でている蒲公英の葉っぱは,次第に力が弱くなってきました。
「私も満月も,いろいろと見てきているけど,実は何も知らないんだ。見てきただけだからね。だから,土筆くんの話を聞いていてとても面白かったし,とても羨ましかったよ。」
土筆をなでていた蒲公英の葉っぱは,そっと地面に落ちます。
「君は,君の世界を大事にしなさい。また,会えたら,たくさん話そうね」
蒲公英さん
と,言おうとしたときゴオと風が吹きました。
強い風で土筆の体を大きく揺れます。揺れている中で,土筆は必死に蒲公英の顔を見ようとしました。
蒲公英はすでの風に乗って,空高くに飛んでいました。
「蒲公英さん!」
土筆は必死に大きな声で叫びます。
しかし,見る見るうちに蒲公英は高く舞い上がり,見えなくなってしまいました。
空を見つめていると,山鳩が枝をぼとっ,ぼとっと落とす音がします。穴からは熊の子どもが転がり出てきました。フキノトウはまた今日も気難しい顔をしています。
土筆は周りを見渡します。普段見慣れた景色,でも,ちょっと特別に見えました。
土筆は泣き顔を雪解け水で洗います。
そして,また周りをよく見渡しました。
次に蒲公英さんに会うことを楽しみに,そして,会った時にたっくさん話をするため,土筆はこの世界で起きることを大事にしようとしたのでした。