彼女の瞳に映るモノ
桜並木の先に、少女が立っている。
私が待ち合わせ場所へ到着したことに気づくと、彼女は振り返り、眩しいばかりの笑顔を浮かべて、私を呼んだ。
あたし、希望の大学に受かりました。
だから、あの時の約束、守ってくれますか?
先生、大好きです。
もう先生と生徒とか関係ない。ちゃんとあたしのこと、見てくれますか?
...
そうして現在に至る。
私はようやく教員採用試験を突破し、塾講師から教師へ転向を果たした。
塾講師時代の私の生徒は、私の恋人になり、私のアパートに訪れるようになった。
慣れない仕事から疲れて帰ると、夕食を作って彼女が待っていた。今はそういう光景が不思議ではなくなってきていた。まだ付き合い始めてからそんなに経っていないのに、自然と馴染むこの光景に、彼女の人好きの良さの賜物かと、彼女が愛おしくなる。
しかし、社会に揉まれた私は、そんなこと素直に言えなくて。
「ていうか、そんな頻繁にウチにきて、帰りも遅くなってるだろうし、あんたのご両親は何も言ってこないの?」
…帰ってから開口一番にそんなことを言ってしまった。
しかし彼女は特に気を悪くした様子もなく、鍋に火をかけ直しながら応える。
「言ってこないですねえ。でも親には受験の時にお世話になった先生に会ってるってちゃんと説明してますよっ
それで何も言わないと言うことは、ウチの親が先生のことを信頼してるってことです。
安心してくださいっ!」
…私はあんたの親に会ったことがないのだが。
「安心して任されてるのは嬉しいけど、なんて放任な…。」
やっぱり、一度ちゃんとご挨拶した方が…そう話を繋げようとした時、
「先生はいま実家でてますけど、先生のお家もだいぶ放任そうですね。」
「な、なに?突然」
「…だって」
指先が絡められる。
「私がこうして合鍵を作って入り浸っても、貴方は全然拒否しないから。」
私の方が年上なのに、彼女の方が余裕で、私がドギマギしてしまう。
「それがなんで…っ?!」
「ふふ。それは先生が考えてくださいっ」
にっこり、と彼女が笑う。
「あと、先生が照れてるからつっけんどんなこと言っちゃうって、私は知ってますからねっ。
先生は気にしてますけど、昔から先生はそうでしたよ?だからモーマンタイ!です!」
頬を赤らめ、絶対に語尾にハートマークがついている声色で、彼女はそう言った。
...
そんなに昔から私はつっけんどんなのだろうか。
最近になって、よりつっけんどんになったと言うことはないのだろうか。
それは、私を取り巻く今の環境に対する、言い訳に過ぎないのだろうか。
でも彼女には絶対に言えない。
だって…
「あら。睦美じゃない」
「た、たたたた、谷崎!…先生!
なまえ!なまえなまえなーまーえ!!!」
「ああ、ごめんごめん。田中先生、どうかしたの?」
「いーえっ別に。か、考え事をしていて」
"彼女"の微笑みには到底及ばない及第点以下の笑顔を向けて、私はするりと谷崎の横をすり抜ける。
谷崎先生、もとい、谷崎麗子。
彼女は、私が大学時代に付き合っていた、恋人、だった…。
…
(ちゃんとこれから書きます)
新任で、年配の教師に絡まれたりと波瀾万丈な教師生活。
しかし突然セクハラがなくなったり(その日は美咲にキスされる)、生徒間の問題が解決されたり(美咲は主人公をいたわろうとするが触れることなく、やめてしまう)不自然なことがおきる。
仕事のことは学生である彼女には話したくない。頼れる大人でありたい主人公は元恋人の谷崎と食事に行く。
レストランから出るとそこには彼女がいて…
ちくりと一言言われたもののそんな怒った様子で無かったのは幸いだった。
後日、谷崎から保健室に呼び出された主人公は、谷崎が前にいた学校で彼女に会ったことがあると言う話と、彼女についての話を聞く。
それは主人公にとって衝撃的な話だったが、次の日から谷崎は学校に来れなくなってしまった。
骨折とのことだった。
主人公はいままで曖昧にしてきた、彼女の親に挨拶をしにいこうとする。
そこには自分の娘に興味のない両親がいて、主人公はまた衝撃の事実を知るのだった。
その後主人公の彼女の出会い回想が入り、
桜が散った並木通りで、主人公は彼女と会う、そこで彼女が語ったこととは。
…
先生に嫌がらせしてきた野郎を再起不能にさせたのは私です。
電車であいつに近づいて、体を擦り寄せたら触ってきたから、ちょろいものでした。
むしろどうして、今の今までのうのうとしてこれたんでしょうか?
まあそれは置いといて、近くにいる男の人に視線を送って、あいつはホームに引き摺り出されました。
それで、ジ・エンドって感じです。
クラス内のハブの件は、あれは、私がなんとかするまでもなく先生なら解決できると思っていたんですけど…。
あのガキが先生により心酔しそうだったから、私が解決しようと考えました。
イジメグループが万引きしてるところの写真を撮って、おどして…タバコとかお酒くらいなら大した切り札にならなかったと思うんですけど、警察や店の人に見せたら一発で問題になる万引きまでしてくれていて幸いでした。
これは、平和的な解決だったとおもいます。
どちらにせよ先生にご迷惑はかけません。
谷崎さんを骨折させたのは私です。
嫉妬じゃない、です。ええ、決して。
…元、恋人ということは別にいいんです。
今、先生が好きなのは私だって、ちゃんと実感していますから。
ただあの女が、私のこと、先生に話すから…。
私、先生に知られたく無かったんです。
今まで周知の事実で、私には当たり前のことだったのに。
なんでかなあ…。
でも先生は私の家にまできてしまって、あの人たちから私のこと、聞いたんですね。
おおよそどんなことを話されたのか想像はつきますが、今、改めて、私の口から話させてもらえればと思います。
私の話を聞いて、他の誰かが言ったことなんて忘れて、先生が感じたことを、信じてください。
...
私、母親の顔は知りません。どんなことをしていたかとかは、なんとなくわかりますが。父は名家の生まれでしたが、実家からは見捨てられた人でした。
幼い頃、私はそんな父と二人で暮らしていました。
母がいなくなったからか、原因はわかりませんが、父はずっと不安定な人でした。
物心ついた時から、父がこういう状態の時はこういう対応をすれば食事になる。怒られない、そういうことはわかっていました。
子どもというだけで一人では生きていけないものですから、私は意識して父をコントロールしながら過ごしていた記憶があります。
ある時電話がかかってきてから、それからの父のコントロールが、私はできなくなってしまいました。
言えば言うほど事態が悪くなるのです。
あれは、地獄でした。
電話がかかってきてからそんなに日が経っていなかったと思います。
夜、息苦しくて目を覚ますと、父が私の首を絞めていました。
一緒に行こうと涙を流しながら。
すごくすごく苦しかったからか、指先ひとつ、表情ひとつ、動かすことができませんでした。目の前にあったので、ただただ、父の顔を見つめていた。
そうすると父の手が緩んで、あの時…すごく体が熱くなって…。なんであんなことを言ったんでしょう…。
いい加減にしろ。
死ぬならお前一人で勝手に死ね。
確かに私はそう言って、気づくと家から飛び出していました。
冷静になってからきちんと家に戻ったのですが、家に帰ると、父が首を吊って死んでいました。
...
そういう施設が家の近くにあることは、知っていたので、私は自分で施設に向かい、最初に会った人に言いました。
父が家の玄関で、首を吊って死んでいます。
…
施設に入ってしばらくは平穏な日々が続きました。私はだいぶ大きくなってから施設に入ったので、他の子にいじめられたりするとか、聞き分けも良かったので施設の人に嫌われるようなこともなかったので。
私の様子が落ち着いていたからか、施設の人とは違う、警察の方だと思うんですけど、私のことを聞きにしました。
またそれからしばらくして、私を引き取りたいと言う人たちが現れたのです。
それは、父の親族でした。
私を引き取る理由は、身内の恥を隠すためでした。
…
施設の人たちも、それから入学した中学の教師も、触らぬ神に祟りなしということで私の事情には触れてきませんでした。
そうしてうやむやになっていきました。
私の身に起きたことが、まるで無かったみたいに。
高校生になって、最初の頃は、私の身を案じてくれる先生もいました。
その時にはもう自分の環境を私は受け入れられるようになったのですが、今更どうでも良くなっていました。
…
こんな境遇なので、確かに私は、どこかおかしいのかも、しれないです。
ーーー彼女の声が震えているのを初めて聴いた。
でも…っ
ーーー彼女が涙を流しているのを、初めて、見た。
でも、先生のことが好きなんです。本当に好きなんですっ!!!
だいすきなんです…っ
だから、これからもずっと傍にいてくれませんか?
それは、彼女が初めて人を求めた日だった。
...
「先生だけ。他の人なんて興味もない。でも先生のことは知りたかったから。
あの時渡したキーホルダー、盗聴器が仕込まれているんです。
だから谷崎さんが先生の元恋人だとか、先生が話してくれなくても、学校での先生のこと、全て私は知っていました。」
「先生は大人で、私はまだ学生だから。だから先生は私に話してくれないんだってそんなことはわかっていました。でも…」
「私は先生からも直接聞きたかった。私が先生を助けたかった。あなたのことで傍観者になんてなりたくなかったから!」
「…ごめん」
彼女の肩が跳ね、その表情が恐怖に引きつれる。
そういうことじゃないんだよ、と彼女が安心できるように、私は微笑んだ。
「これからは、本当に参りそうになった時は美咲に言う。でも根本的な解決は、私がする。」
「それと、これからは美咲のこともちゃんと私に話して。私だって大切な人のことに関して、傍観者になんてなりたくないんだよ。今だって知ろうとすればいつでも知ることができたのに、こんなに遅くなってしまって、すごく後悔してる。
すごく、悲しいよ…」
ごめんね。
私がそういうと、美咲は泣いた。
赤子のような泣き方だった。
私は美咲の肩に手を回して、ぎゅっと抱きしめる。
もっと強く、強く抱きしめていく。
「これからは一緒に解決していこう。ちゃんと美咲のこと、パートナーとして見ていくよ。あの時そう約束したじゃない」
…
桜吹雪が降っていた。
もちろん今は桜の時期ではないので、瞬きをすると、それは私の錯覚であることがわかりました。
私は、あの時桜並木でした告白の返答を、いま目の前で起こっていることのように思い返していたのです。
「合格、本当におめでとう」
穏やかな顔で先生は笑う。
いつもかっこつけてて、にっこりなんて笑わないようにしているの、知っているけど。
先生はかわいい人だって私は知っていた。
そんな先生が朗らかに、自然と出たものを恥じることなく、いつもみたいに誤魔化すことなく笑っている。
「告白も、あ、あ、あ…ありがとう。言わせちゃって、ゴメン。私も、美咲のこと好き」
その時が、今までで一番心が高鳴った瞬間でした。
「大学の時も、塾講師してたから、だからもう成人してる、社会人って認識、持ててなくてっ。美咲から見て私は頼りない大人かもしれないけど…」
どもりながらも、一生懸命気持ちを伝えようとしてくれる先生の姿をみて、より一層心臓の音が大きくなった気がしました。
「ちゃんと美咲のこと、パートナーとして見ていきたい。これから末永く、よろしくお願いします」
ああ。
今自分は幸せなのだと思う。
もちろんこれから苦しいことなんてたくさんあると思うけれど…、
この人と一緒なら大丈夫だと思える。
そういう存在に会えたことが、お互いにそう認識できたことが、今はとっても嬉しい。
だから、何があっても、一緒にいられれば、絶対に大丈夫。
今だけは、そう信じている。
終わり