008.アイスクリーム
足のついた透明なグラスは、縁がフリルのようにウェーブを描いています。
そこに盛られているのは純白のバニラアイスクリーム。黒い点々は、バニラビーンズです。
アイスクリームに刺さっている細長いウエハースは、口直しのためのもの。
それだけならふつうのバニラアイスクリームですが、注文したのは塩バニラ。
表面では散りばめられた透明な塩の結晶が煌めいています。
「冷たくても分かるミルク感の濃厚さ。すっきりとした味わい。そこに、粒が大きめの塩。バニラアイスクリームの甘さを堪能していると時々この塩がしょっぱさをぶつけてくる。しょっぱさというのは、甘さを引き立ててくれるんだな」
イオライトさまが、ひと口食べるごとに頷いています。
大きな手のなかでは細長い銀色のスプーンがまるでおもちゃのようです。
ローライト商会長に見送られて魔石商会を後にしたわたくしたち。
約束通り、アイスクリーム屋を訪れていました。
外観は他と同じく灰色の石造りですが、店内は目が覚めるほど鮮やかな色で埋め尽くされています。
わたくしたちが案内された席は、テーブルが緑色。椅子が黄色と赤色。すべて、原色です。
今日も暑いパライバ。涼を求める人々によって、店内は常に満席です。
話し声はまるで波の音のよう。
窓際の席で風を感じながら、わたくしも塩バニラアイスクリームを口へ運びます。
口のなかですっと溶ける上質な甘さと鼻を抜ける香りに、思わず顔が綻びます。
「甘さとしょっぱさが交互に来ると、永遠に食べられるような気がしますよね」
「分かる……。永遠に食べていたい。そしてまた、このウエハースがちょうどいい」
軽快な音を立ててイオライトさまがウエハースを咀嚼します。
そしてまたアイスクリームに戻りました。
「素材の臭みが全く感じられないのは、素材自体が上質だというのもあると思うが。ほのかに香るバニラビーンズが、少量ながらも豊かさを与えてくれている。これは、最高のバニラアイスクリームだ」
「お気に召していただけてうれしいです」
歩くだけで皮膚に滲んできた汗は、アイスクリームのおかげですっかりと引きました。
しかし、わたくしも同じものを口にしていますが、イオライトさまの食べ進めるスピードは圧倒的です。
というか、既に二杯目なのです。
そもそも外で汗をかいている様子には見えませんでしたし、一気に冷たいものを食べても頭が痛くなることはなさそうで、流石は水竜王さまといったところでしょうか。
「この塩がたまらない。そういえばパライバは塩も作っていたな」
二杯目ももはや残り半分。イオライトさまが感慨深そうに呟いています。
「はい」
パライバという都市は、海に臨み潮風を受けながらも、風に含まれる塩分が他の海岸都市に比べて少ないのだそうです。
故に、漁業だけではなく農業も盛んに行われています。
辺境都市と言われてはいますが食文化はどこよりも発達しています。
それを支えているのが、古くからの塩業という訳なのです。
「昔から塩業はあったと聞いていますが、数百年単位の話なのですね」
「あぁ。パライバという都市の形成が先か、塩業の発生が先か。それくらい昔の話だ」
想像すると気が遠くなりそうです。
もはや歴史の話です。
あらためて、目の前の御方が水竜王だと認識させられます。
「今は塩味のバランスだけではなく、結晶の大きさや、色まで豊富ですよ。それらを集めた塩の博物館は、一日中いても見尽くせません」
「塩の博物館なんていうものがあるのか。今度はそこへ連れて行ってくれないか」
「かしこまりました」
承知しておきながら、自然と次の約束をしてしまったことに気づきます。
そして、それよりも先に確認しなければならないことがあったという事実にも。
「あの、イオライトさま。ほんとうに我が家へお越しになるおつもりですか……?」
「水竜王に二言はない」
「いえ、そういうことではございません。いくら水竜王さまといえど、嫁入り前の身で男性と一緒に暮らすだなんて……」
「私はアネットに結婚を申し込んだのだ。まったく問題ないだろう」
なんという強引な理論展開でしょう。
ところがイオライトさまは、突然何かを思いついたようです。
神妙な面持ちで、顎に手を遣りました。
「なるほど。アネットにとってそこが問題だという訳か」
「?」
「夜の間はタツノオトシゴの姿となり、水槽のなかで眠ることにしよう。それでいいだろう?」
「!」
意図せず顔が熱くなるのが分かりました。
慌てて両手で頬を隠します。
恥ずかしさに言葉を返せないでいると、イオライトさまはそれを肯定と受け取ったようです。
「完全な生活はアネットのご両親にきちんと挨拶をしてからだ」
両親、という単語にわたくしの心に雲がかかりました。
指先が冷えていったのはアイスクリームが原因ではないでしょう。
両手を膝の上に置きます。
「両親の許可は必要ございません。国を出るときに、縁を切ってまいりました」
平静を装いたいのに、どうしても声のトーンが下がってしまいます。
イオライトさまは何かを察してくださったようでした。
「そうか。だったらなおさら、私がアネットの家族になりたいものだ」
「……!」
優し気なまなざし。
見つめられるのが恥ずかしくて、思わず目を逸らしてしまいました。