058.耳朶を打つ
『塩。雪。どちらも、自然が創り出す透明で美しい結晶だと教えてもらった。雪はまだ見たことがないけれど、塩なら知っている。そうやって結び付けて、連想できるのは楽しいな!』
そんな言葉をクライオフェンさんから聞いた、数日後のことです。
わたくしは岩の工房で、メラルドさんと向かい合っていました。
「こちらがアネット嬢のために用意した魔石です。勿論、アネット嬢が海辺で拾われたものを研磨しております」
岩のテーブルに置かれた、黒い光沢の美しいジュエリーボックス。
整然と並べられているのは絶えず煌めく魔石でした。
透明度の高い青色が濃いものから淡い色までグラデーションをつくっています。
青だけではありません。赤や黄色、緑もあります。
それらすべてが、元々は砂浜に打ち上げられていたものだとは到底信じられない輝きを生み出していました。
「どれもきれいに磨かれていますね。急ぎでやってくださったんですよね? すみません」
「何故謝るのですか? ここは感謝の言葉の方が嬉しいですよ。展示会成功に向けて、頑張らせていただきましたから」
魔石から顔を上げてメラルドさんを見ます。
すると、メラルドさんは碧色の瞳で楽しそうにウインクしてきました。
改めてわたくしは頭を下げました。
「ありがとうございます。精一杯頑張ろうと思います」
「はいはいはいはい。アネットはいちいち真面目すぎる。そこまでにしておきな」
脇からクライオフェンさんが手を叩きました。
ふぅ、とメラルドさんが息を吐いて額に手を当てます。
「クライオフェンさんが自由すぎるんです」
「ははは! バランスが取れてちょうどいいんじゃないか?」
メラルドさんの厭味らしき発言をまったく意に介さないクライオフェンさん。
最初は冷や冷やしましたが、このやり取りにもだいぶ慣れてきました。
「それで、デザイン画は考えてきたかい?」
「はい。すべて創ることは難しいかもしれませんが」
わたくしも岩のテーブルに紙を並べます。
「雪の結晶を中心に、花や、紋様など。透かしを入れないデザインのものもあります」
「いいねぇ、いいねぇ」
クライオフェンさんのテンションがいっそう上がったような気がします。
そして魔石と見比べながら、陽が沈みかけるまでわたくしたちは打ち合わせを続けました。
*
*
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「アネット。迎えに来たぞ、共に帰ろう!」
よく通る声が外から響いてきてわたくしは顔を上げました。
クライオフェンさんがくつくつと笑います。
「過保護だこと。今日はお開きにしようか」
「はい。また明日、お願いします」
岩の工房の外に出ると、イオライトさまが破顔しました。
青みがかった金色の髪が、空の色を受けてふしぎな光を反射しています。
ズボンはいつものオリーブ色、布靴は白。
白い綿麻のノースリーブには紫色の糸で刺繍が施されています。
たくさんの腕輪もまた、髪同様に光を帯びていました。
「すみ……ありがとうございます」
すみませんと言いかけて訂正すると、イオライトさまはぱちぱちと瞬きをしました。それから、ふわっと微笑みます。
「ここは神殿の帰り道だからな」
「そうでしたね」
すっ、とイオライトさまが右手を差し伸べてきました。
わたくしは応じて、手を繋ぎます。
大きくて、硬いのにやわらかくて、熱のあるイオライトさまの手。
まだ慣れませんが、それでも触れるだけで安心するのは確かです。
「最近、神殿に行かれることが増えましたね」
「あぁ。せっかく人間の姿でパライバにいるからには、私も水竜王としての務めをきちんと果たさなければと思ってな」
わざと真面目な口調で語るので、少しだけ笑んでしまいます。
パライバにいてくださるだけで十分な加護を与えてくださっているのに、なんと真摯な方なのでしょう。……だからこその水竜王さまとも言えますが。
やがて、わたくしたちは海辺まで辿り着きました。
日中の熱が失われかけた、涼しい潮風が吹いてきます。
陽が水平線へ沈もうとするときの光というのはふしぎで、まるで海から陸へ向かって一本の光の道が伸びてきているように見えます。
青でも赤でもない、どんな色でもない光です。
「アネット」
名前を呼ばれて見上げると。
屈んだイオライトさまの唇が、わずかにわたくしの唇に触れました。
「……!」
口づけを交わすのは初めてではありませんが、手を繋ぐ以上に慣れません。
一気に耳まで赤く染まったわたくしを見て、イオライトさまが破顔します。
「毎回、初めてのような気持ちにさせられるな」
「……イオライトさま」
思わず顔を逸らしてしまいます。
寄せては返す波の音に混じって、イオライトさまはわたくしの名を囁き、そして。
「好きだ」
耳朶を打ち、心を震わせる言葉。
わたくしにとってそれをくれるのは、イオライトさまなのです。
「こっちを向いてごらん」
すると、再び優しい口づけが降ってくるのでした。




