057.塩と雪
展示会の提案をされた翌日、わたくしはいつものように岩の工房へ足を運びました。
「おはようございます」
ドーム状の、岩でできた空間。
濃淡さまざまなグレーは、どれひとつとして同じ色がなくて訪れる度にふしぎな気分になります。
今日も外の暑さとは対照的に涼し気な岩の工房には、先客がいました。
「やぁ、アネット嬢」
こちらへ振り向いてきた碧色の瞳の持ち主は、メラルドさんです。
艶のある金髪はいつものように後ろへ撫でつけています。
スーツは、ライトブルーのストライプ。
歯を見せて微笑み、右手を軽く挙げてきました。
メラルドさんは、岩のテーブルを挟んでクライオフェンさんと向かい合って座っていました。
「こんにちは、メラルドさん」
テーブルの上にはグラスに盛られたシャーベットは、やわらかなクリーム色をしています。
近頃、シャーベットを作るのに凝っているクライオフェンさん作でしょう。
おふたりに近づいていくと、メラルドさんがわたくしを見上げてきました。
何故だか期待に満ちた眼差しに受け取れます。
「浮かない顔をしていますね。水竜王様と喧嘩でもしましたか?」
「いえ、違います。実は――」
わたくしがユークレース公国の公女であることは伏せ、かいつまんで展示会のことを説明します。
すると聞き終えたメラルドさんは、強く両手を叩きました。
「面白そうですね!」
「メラルドさんはそうおっしゃると思っていました……」
わたくしは苦笑いで返します。
そんなやり取りを眺めていたクライオフェンさんが口を開きました。
「あの博物館からはカネのにおいがしてこないからね!」
三白眼がオレンジ色の強烈な輝きを放ちます。
今日も黒いシャツと水着のみという装い。共に時間を過ごしてきて分かりましたが、どうやらこれがお気に入りの恰好のようです。
「アネットのデビューにはちょうどいいと確信したんだよ」
「デ、デビュー……?」
違和感のある単語に、思わず首を傾げてしまいました。
「まだまだひよっこだけど、ここらでいっちょばーんとお披露目するのも面白いと思ったのさ! ははは!」
「ここらで……いっちょ……? あの、おっしゃっている意味がよく分からないのですが」
畳みかける勢いのクライオフェンさんにたじろいでしまいます。
すると立ち上がったメラルドさんがわたくしの肩に手を置きました。
「諦めた方がいいですよ、アネット嬢」
言葉に反して、何故だかとても楽しそうです。
笑みを浮かべながら首を横に振ってきました。
「残念ながらクライオフェンさんがこういう顔をしているときは誰にも止められません」
「はぁ? 坊やが何言ってるんだい。ワタシはいかなるときだって誰にも止められないさ」
クライオフェンさんが細長いスプーンをくるくると回します。
「いやぁ、楽しくなるね」
「忙しくなる、の間違いでは?」
「黙らっしゃい」
テーブルにはわたくしが試作を重ねてきた雪の結晶の透かしモチーフも置いてありました。
クライオフェンさんが、スプーンをテーブルに置きました。
空いた手でモチーフを手に取り、目の高さに持ち上げ、片目を瞑ります。
「塩。雪。どちらも、自然が創り出す透明で美しい結晶だと教えてもらった。雪はまだ見たことがないけれど、塩なら知っている。そうやって結び付けて、連想できるのは楽しいな!」
光の透ける、雪の結晶。
「パライバの民でも雪を知ることができる」
クライオフェンさんさんの力強い言葉に、胸の奥が静かに熱くなるのが分かりました。
――それはつまり。パライバの方々に、雪を知ってもらえる機会。
黙ったままでいるわたしとは対照的に、盛り上がっているのはメラルドさんです。
「いいですねぇ、いいですねぇ。商会でも大々的に宣伝させていただきますよ」
「坊やには宣伝の前に大事な仕事があるだろう」
「はい?」
「魔石がなければ、はじまらないだろう? アネットの作品は!」
「はっ! 確かに!」
メラルドさんは勢いよく立ち上がり、鞄を掴むと慌てるようにして飛び出して行きました。
「また改めてお邪魔しますーっ!!」
「ははは。忙しいねぇ」
けしかけた張本人は、のんびりとあくびをしました。
「クライオフェンさん……」
「シャーベット、食べるだろ。今日のりんごはさっぱり仕上がってるよ」
いかなるときだって、自分のペースを崩さないのがクライオフェンさんなのでした。




