053.栗の渋皮煮
それは、とある昼下がりのことでした。
「栗、ですか」
イオライトさまは市長からよく食べ物をいただいてくるのですが、今日もまた重たそうな布袋を手に帰ってきました。
「山向こうで収穫されたものらしい。今年は出来がいいそうだ」
イオライトさまが大きく頷きました。
わたくしは、布袋のなかを覗き込みます。
艶々と光る大粒の栗がたっぷりと詰まっていました。
「そうですね。こんなに大きなものは市場でも見たことがありません。せっかくですし、渋皮煮にしましょうか」
「渋皮煮?」
布袋のなかから栗を一粒取り出します。見た目通り、表面はぷっくりと張っています。
「外側の硬い皮は、鬼皮といいます。鬼皮を剥くと、渋皮という柔らかい皮に包まれた栗の実が出てきます。渋皮を残したまま、栗の実のあく抜きをして、砂糖で丁寧に煮詰めると保存食になります」
「そういえば、地下にもあったな」
「はい。まずはそれを召し上がってみますか?」
地下室から渋皮煮の瓶を持って戻ってくると、ダイニングにはアールグレイの香りが漂っていました。イオライトさまが紅茶を入れてくださっているようです。
瓶の蓋を開けると、たっぷりの砂糖で煮詰まった栗の表面は美しく煌めいていました。
小さな丸皿に栗の渋皮煮を二粒ずつ移します。
「ストレートでいいか?」
細長いグラスにアイスティーを注いで、イオライトさまがテーブルに運びます。
「はい。ありがとうございます」
アイスティーと、栗の渋皮煮。
ささやかですが贅沢なティータイムとなりました。
「どうぞ、召し上がってみてください」
「これは……!」
栗を口にしたイオライトさまが瞳を見開きました。
それから静かに咀嚼します。
デザートフォークを入れると、すっと割れてしまう栗。そのままフォークの腹に載せて口に運びます。
甘いだけではなく、しっとりとしていて、口の中でほろりと崩れます。
単体でケーキやクッキーに負けない味わい深さがあります。
「素材の良さを引き立てる、というのは正にこのことだな」
飲み込んだイオライトさまは、しみじみと呟きました。
「このままでも美味しいですが、刻んでパウンドケーキに入れたり、ペースト状にしてモンブランケーキにしてもいいですよ」
「すばらしい……」
気に入ってもらえたようでうれしく思います。
残りの渋皮煮は、ケーキにアレンジすることにしましょう。
「いただいた栗も渋皮煮にしようと思いますが、このままだと鬼皮が硬くて剥くことができません。一晩水に浸けて、ふやかしてから作業しないといけません」
「手間がかかるのだな」
「はい。中の渋皮を傷つけてしまうと、栗の実を砂糖で煮詰めていくときに煮崩れしやすくなってしまうので、鬼皮は慎重に剥かなければなりませんから」
「ふむ」
緊張することはもうひとつあります。
栗の中に虫が入っていることがあるので、そのときはやはり驚いてしまいます。
流石にイオライトさまはそれくらいで驚かないでしょうが……。
「明日はクライオフェンさんの工房には行かないので、栗の渋皮煮を作る日にしてしまいましょうか」
するとイオライトさまは、わずかに表情をこわばらせました。
「どうかされましたか?」
「いや……」
珍しく言いよどむので、わたくしは首を傾げて次の言葉をゆっくりと待つことにします。
イオライトさまはほんの少しだけ気まずそうに目を伏せて、顔を横に向け、さらに手のひらで顔を覆いました。
「……最近はアネットが岩の工房に通い詰めていたから、なかなかふたりの時間が取れなくて……少しだけ、寂しかった」
「……」
寂しかった、という言葉が、静かに心の底へと落ちました。
わたくしも思わず俯いてしまいます。
反応がないことに慌てたのか、イオライトさまが言葉を続けました。
「もちろん、アネットがやりたいことに向かって進んでいるのはうれしいことだ! そこは揺らいでいないぞ」
「……イオライトさま?」
身を乗り出すようにして訴えるイオライトさまのことを、不意に可愛いと感じてしまったのはどうしてなのでしょうか。
「明日は、のんびりと過ごしましょうね」
「あ、あぁ」
何故だか照れるイオライトさま。
たしかに近頃は工房へ通い詰めていました。ゆっくり、のんびりと生活するという最初の目標を忘れかけていたのは事実です。
明日は初心に返って、静かに過ごすことにしましょう。




