052.フライ
ランチとディナーの間は、陽気亭も短い休憩を取っています。
テラス席はそのままですが、扉は閉められています。
「お邪魔します」
誰もいない、薄暗い陽気亭に足を踏み入れるのは初めてです。
満席ではない店内には違和感を覚えます。
出迎えてくれたのはトリンさんではなく、双子の弟・ピネルさんでした。
慣れていないと機嫌が悪いのではと不安になる無表情のピネルさん。
すっとわたくしに近づいてきました。
「ごめんね、アネット。トリンが無茶を言ったみたいで」
「いえ。ピネルさん、こちらこそいきなりすみません」
ぎこちなくなっていないか不安になりますが、なんとか笑顔をつくります。
わたくしの戸惑いに気づいているのかいないのか。ピネルさんはカウンター席の椅子を引きました。
「どうぞ」
「ありがとうございます。失礼します」
「カウンターに座るのは久しぶりじゃない?」
「はい、そうですね」
パライバへ来たばかりの頃。
右も左も分からず、いいにおいに誘われて入ったのが陽気亭でした。
「最初、黒い髪って見たことがないから旅人かなって思ったんだ。そしたら注文の仕方が分からないって言うから、別の意味で驚いた」
「ピネルさんが困っていたら、トリンさんが来てくださったんですよね」
家以外で食事を取ったことのなかったわたくしには、注文をするということが分からなかったのです。そう伝えると、ピネルさんは口を開けて固まってしまいました。
遠い昔のようで、まだ一年ほど前の話です。
懐かしさから笑みが零れました。
「お待たせーっ」
トリンさんがカウンターに現れました。オレンジのスライスが飾られたジュースを三人分、カウンターテーブルに置きます。
「なになに? 思い出話?」
「そう。初対面のときのことを思い出してた」
「あー。困っているアネットに、あたしがおすすめセットと称していろんな料理を出したときのこと?」
わたくしは大きく頷きました。
「どれも初めて見る料理ばかりで、美味しくて、感激したのを覚えています」
「今日も感激してもらわなきゃね」
ピネルさんがグラスを掲げました。
トリンさんとわたくしも、それに応じます。
「乾杯」
オレンジジュースは搾りたてのもので、果肉の食感もあります。
奥にレモンの香りも感じて、とても爽やかな飲み物です。
「ということで、これが試作品だよっ」
「フライ、ですか?」
一見すると普通のフライです。ひと口サイズで食べやすそうに見えます。
「食べてみて」
「失礼します」
勢いよく湯気が立っていて、まだまだ熱そうなフライ。
息を吹きかけて冷ましながら、フォークで口へ運びます。
軽い衣からは、ふんわりとチーズの香りが立ちました。
フライは白身魚。
しかし、それだけではありません。
魚の切り身に挟まれていたのは、熱くてとろけるチーズでした。
「……!」
熱さと風味のよさの両方に目を丸くするわたくし。
トリンさんとピネルさんが視線を交わしました。
「どうかな。パン粉にも中身にもチーズたっぷりフライ!」
「外と中で使っているチーズが違うところがポイントだよ」
衣の軽やかさとは対照的に、しっとりとした魚と、濃厚なチーズが豊かな味わいを生み出しています。
しっかりと咀嚼して飲み込みました。
「とても美味しいです。これは人気が出ると思います」
「よかった。常連のアネットがそう言うなら間違いない」
「常連だなんて、そんな。恐れ入ります」
「さぁ、あたしたちも食べよっか」
「そうだね。サラダも適当に作ってくる」
ピネルさんが立ちあがって厨房へと歩いて行きました。
「すみません。しっかりと頂いてしまうかたちになってしまいましたね」
「いいのいいの。最近なかなかゆっくり話す時間もなかったし」
それは、わたくしがクライオフェンさんの元へ通っているからでもあります。
一人前の宝飾作家となるために、少しずつ作業を教えていただき、繰り返しながら覚えているところなのです。
「イオライト様の腕輪。すっごくかっこいいよね。あたしも、いつかアネットにアクセサリーを作ってもらいたいな」
「こちらこそ、そのときはよろしくお願いします」
「うん。あー、あたしももっと頑張らなきゃな」
「十分頑張っていらっしゃいますよ。陽気亭は、トリンさんの願い通り繁盛しています」
「ははっ。そうだね」
そこへピネルさんが戻ってきました。
小さなガラスの器に彩りのいいサラダが盛られています。
「玉ねぎドレッシングにしたよ」
「はーい。ありがとー」
「すみません。わたくしの分まで」
「ついでだよ。食べられるでしょ」
おふたりはお金を受け取ってはくださらないでしょうから、その分、次回は客としてたくさん注文するようにしましょう。
イオライトさまと出逢ってからわたくしの人間関係は広がりましたが、やはり、おふたりといるととても安心するのでした。




