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 部屋いっぱいに充満しているのは、砂糖とバターと、レモンの香り。

 思わずひとりごちてしまいます。


「美味しそうに焼けましたね」


 水竜王祭は一晩中続いていましたが、帰宅したわたくしはいつものようにシャワーを浴び、しっかりと睡眠を取りました。

 目覚めたら軽く朝食を取り、海辺を散歩して魔石を拾ってから帰ってきました。

 そんな日常の延長線上でレモンタルトを焼きあげました。


 雲のような焼きメレンゲで覆われたレモンタルト。

 レモンカードの上にメレンゲをドーム状に絞り、オーブンで焼いてほんのりと色づかせました。


「ただいま」


 濃い目のアイスティーも用意したところで、イオライトさまが館へと戻ってきたようでした。

 キッチンを出て、玄関まで迎えに行きます。


「おかえりなさいませ」

「アネット。睡眠は取れたか?」

「はい。わたくしはいつも通りに過ごしていますので、ご安心ください。イオライトさまこそお疲れになっていませんか」

「私なら問題ない。久しぶりに夜通し踊って酒を飲んだが、この通りだ」


 イオライトさまが胸を張りました。

 わたくしだったら眠たくなって倒れてしまいそうですが、やはり人間とは体の構造が違うようです。


「お腹は空いていらっしゃいますか? ちょうどレモンタルトが仕上がったところなのです。もしも満腹のようでしたら午後のおやつにしましょう」

「レモンタルト! 今すぐ食べたい!」

「それでは切り分けますね」


 子どものような反応が可愛らしくて笑みを漏らすと、イオライトさまはきょとんとした表情になりました。


「憑き物が落ちたようにさっぱりして見える。何かいいことでもあったか?」

「色々と吹っ切れたのかもしれません」

「なるほど?」


 イオライトさまが両手を洗って、グラスにアイスティーを注ぎます。

 ふたり分を用意して席に着きました。


 わたくしは冷えて固まったレモンタルトを切り分けます。

 断面はしっかりと艶のある黄色になっていました。


「前回と見た目が違うな」

「はい。特別ですから。あらためて、お誕生日おめでとうございます」

「! ありがとう、アネット!」


 グラスを掲げて、乾杯します。


 一睡もしていない筈なのにはつらつとしたイオライトさま。

 すぐにフォークを手に取ります。


「早速いただくとしよう」

「はい。ささやかですが、ふたりだけの誕生日会ということで」

「くっ……」


 イオライトさまが目頭を押さえます。

 酔われているように見えるテンションの高さです。


「私はなんという果報者なのだろう。愛しい者が美味しいものを用意して誕生日を祝ってくれるとは」

「イオライトさま……? 恥ずかしいのでおやめくださいませ……?」

「すまない。つい」


 勢いよくフォークをタルトに突き刺し、横に倒してひと口サイズに切り分けます。

 ゆっくりと口に運んだイオライトさまは、目を瞑って咀嚼しました。


「夜通し踊って酒を飲んでいた体に染みる酸味だ。メレンゲもしゅわっと溶ける感覚がいい。とても美味しい」 

「パライバの皆さまも体力がありますよね。わたくしには到底真似できません……」

「真似などしなくていい。きちんと眠って、こうやって美味しいレモンタルトを作ってくれていることが幸福なのだ」

「……イオライトさま」


 わたくしは黒い小箱をテーブルの上に置きます。


「実はもうひとつ誕生日プレゼントがあるのですが、受け取っていただけませんでしょうか」


 するとイオライトさまは天井を見上げ、両手で顔を覆いました。


「ど、どうされましたか」

「……誕生日プレゼントだなんて……嬉しい……嬉しすぎる……」

「もしかして、まだ酔っていらっしゃいますか……?」

「酒は呑んでも、呑まれたことはない」


 ぱっと両手を顔から離して、イオライトさまは小箱に手をかけます。


「開けていいか?」

「勿論です」


 イオライトさまがそっと蓋を取りました。


「!」


 中に納まっているのは、勿論、わたくしの作ったバングルです。


 プラチナの部分には雪の透かし模様。

 両端には純金線で覆輪留めされたふたつのあおい魔石。

 空の色と、海の色。

 イオライトさまのために作った、わたくしにとっては初めての宝飾品です。


 まるで呼吸を忘れたかのようにイオライトさまの動きが止まります。

 それから、ゆっくりとバングルを手に取り、宙に翳しました。


「美しい……」


 イオライトさまが瞬きを繰り返します。


「僭越ながら、わたくしが作りました」

「なんだって?」


 流石のイオライトさまも予想外だったようで、驚いているように見えます。

 ようやく報告することができます。


「少し前にやりたいことがあると申しましたが、宝飾職人の方に弟子入りしたのです」

「もしかして、岩の前で会った者か?」


 クライオフェンさんのことでしょう。

 はい、と答えてから。

 深呼吸をして、気持ちを整え、まっすぐにイオライトさまを見つめます。


「わたくしは、魔石作家になりたいと思います」

「……そうか」


 イオライトさまが目を細め、口元に穏やかな笑みを浮かべます。


「応援しているぞ。アネットなら、大丈夫だ」

「ありがとうございます」


 イオライトさまに応援されると、上手くいくような気がしてくるからふしぎです。

 そして、イオライトさまは左腕にバングルをはめました。確かめるように、何度も何度も頷きます。


「いい着け心地だ。魔石の色もなじみがいい。それに、なんといっても透かし模様が繊細で美しい。ありがとう、アネット」

「喜んでいただけて光栄です。この透かし模様は、雪という自然現象から生み出される結晶なのです。ご存じですか?」

「話に聞いたことはある。そうか、これはアネットの模様なのだな……」


 断言されるとそれはそれで気恥ずかしいものがありますが、頷きます。


「まるでずっと前から身に着けていたような気分がしてくるし、いつでもアネットが傍にいてくれるような感覚になる」


 どうやら、心から喜んでもらえたようです。

 一仕事を終えた気持ちです。

 わたくしもレモンタルトにようやく手をつけます。酸味と甘みに心が和らいでいくような気がしました。


「好きなものも分かった。やりたいこともできた。行きたいところはあるか?」


 アイスティーとレモンタルトを交互に口にしながらイオライトさまが尋ねてきます。


「そうですね。塩の博物館へはまた行ってみたいです。それから、いつか機会があればイオライトさまの神殿へも連れて行ってください。中は無理だとしても、外観を見てみたいです」

「当然だ。私が許可するのだから、他の者に禁止することはできない」


 イオライトさまが神妙な面持ちで両腕を組みます。

 それから、はめたばかりの腕輪を掲げました。


「私は保存食のレパートリーを増やしたいし、ユークレース公国へも行ってみたい。それから、アネットの故郷を見てみたい」

「わたくしたち、やりたいことも行きたいところも、たくさんできましたね」

「そうだな」


 顔を見合わせて、どちらからともなく微笑みを浮かべます。

 するとイオライトさまが左腕を伸ばしてわたくしの頬に触れました。


「アネット。もう一度、問うてもいいか?」

「? 何をでしょうか」 


 空と海の瞳が、真剣にわたくしを見つめてきます。

 滲み出る、溢れ出る色気に息を呑みます。


「……どうか私と結婚してくれないか」

「!」


 二回目の求婚。

 頬だけではなく耳まで沸騰したかのように熱を持ちます。


 ……。

 さて、どう答える、べきでしょう?

 一生懸命、かつ、慎重に言葉を探します。


「ま」

「ま?」

「……前向きに、検討したいと、思います」

「回答が変わったな! 一歩前進だ!」


 快哉を上げるイオライトさま。


 とはいえ。

 最終的に、断れる気も、しないのですが。


 花嫁のヴェールを持っていることは、今はまだ、秘密にしておきましょう。











【第一部 完】




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[良い点] は~~~~(・∀・) 収まるところに収まりましたね…… このひとつ前の告白シーンも良かったですが、個人的に第一部の作中一番丁寧に描かれていたと感じたあの食べ物が最後に出てきたところに「そ…
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