049.開花
頭上を見上げると、浮かんでいるのは大小様々の球体。
色とりどりの半透明な球体は、泡のように見えるものの、実は魔石から作られているそうです。だからこそ、決して壊れることがないのだとか。
澄みきった青空との対比がきれいで、眺めているだけでも心が躍るようです。
それはきっと、どこからともなく聞こえてくる楽器の演奏や歌声のせいでもあるのでしょう。
「ごめんね、アネット! ほんとうに、ごめん!」
「いえ。気になさらないでください」
両手を合わせて頭を下げてくるのはトリンさんです。
今日は水竜王祭、当日。
トリンさんから屋台に誘われていたわたくし。待ち合わせ場所に到着すると、トリンさんだけではなくピネルさんも立っていました。
そしてトリンさんからは、開口一番、謝罪が飛び出してきたのです。
理由は――こっそりと花嫁のヴェールを作っていたこと、でした。
「あたしたちも浮かれちゃって、よかれと思って強引に進めちゃったから」
「楽しくなってくると周りが見えなくなるのはトリンの悪いところだよ」
トリンさんの隣でピネルさんが溜め息を吐き出します。
わたくしは苦笑いで返します。
結果として自らの気持ちを認めるきっかけにはなったのですから、よかったのかもしれません。
……とは、まだトリンさんには言えませんが。
「でも、いつか。いつでも使えるように、アネットが持ってて!」
トリンさんは手に持っていた白い袋を両手で差し出してきました。
半ば押しつけられるようにして受け取ると、袋のなかには白い箱が入っているのが見えました。
「これはもしかして……」
「もしかしなくても、ヴェール。ということでアネット、あたしたちは行くから」
「え? 屋台を回るのではなかったのですか?」
「こんな日にアネットを連れまわしちゃイオライト様に申し訳が立たないから! 待ち合わせはこれを渡す口実! ほら、行くよ」
トリンさんはすたすたと歩いて行ってしまいます。
呆けているわたくしの顔をピネルさんが覗き込んできます。
「ほんとうによかったの?」
「……ピネルさん。たくさん気遣ってくださって、ありがとうございます。わたくしはもう大丈夫です」
「それならいいけれど。僕はアネットのことが好きだから、イオライト様に嫌気が差したらいつでもおいで」
「え!?」
今、ピネルさんは何と仰ったのでしょう?
あまりにも唐突な告白に理解が追いつきません。
驚きのあまり口をぽかんと開けたままのわたくしに向かって、ピネルさんは無表情のまま片目を瞑りました。
「まだ返事は要らないし、気は遣わなくていいから。僕が勝手に想っているだけだし」
「ピネル、何してるのー! 店に戻るよっ」
遠くからトリンさんが叫んでいます。
ピネルさんは両肩をすくめてみせました。
「じゃあ、またね。店で待ってる」
「は、は、はい」
「待って、トリン」
ピネルさんがトリンさんを追いかけていきます。
……何ということでしょう。
ピネルさんもウインクをするのですね。いえ、そうではなくて。
気づいていなかったとはいえ、申し訳ないことをしてしまいました……。
取り残される形となったわたくし。
首を左右に振って、深呼吸をします。
袋を持ったままではありますが、屋台を散策することにしました。
今日のわたくしは、トリンさんと選んだ麦わら帽子を被っています。
空色と海色がグラデーションになっているワンピースは一目惚れして購入しました。
白い襟がレースで縁取られているところもお気に入りです。
靴は歩きやすいよう、白の布靴を履いてきていました。
お肉や魚の焼ける香り。砂糖やバターの濃厚な香り。
食欲を刺激するさまざまな香りに目移りしつつも、買うことに決めたのはフルーツ串です。
一本の串に、いちご、マスカット、梨が刺さっています。
新鮮で瑞々しい果物は酸味と甘みも抜群で、ジュースのように水分補給もできます。
歩いていて気づいたのですが、半透明の球体はちょうどいい日よけになっています。
祭りのときだけではなくいつも浮いていていいのに、と密かに思います。
楽器の演奏がひときわ大きく聞こえてきました。
やがて辿り着いたのはパライバでいちばん大きな広場でした。
手拍子、口笛、まとまっていないものの楽しそうな歌声。
中心で舞い踊っているのはやはりイオライトさまです。
人々も飛び入り参加で思い思いのダンスを楽しんでいるようでした。
活気に溢れる辺境都市パライバのあるべき姿です。
わたくしも気づけば手拍子に加わっていました。
イオライトさまは前回と同じように、透けている布を両手に持って舞っていました。
軽やかなステップ。
優雅なターン。
たくさんの腕輪は、イオライトさまの動きに合わせて眩い輝きを放ちます。
普段よりも濃いオリーブ色のプルオーバーはおへその見えるデザインのもので、裾に金色の刺繍が施されています。
ズボンも今日はオリーブ色。布靴は白で、糸が金色のものです。
見惚れてしまう、目の逸らせない美しさ。
体の奥から滲むようにこみ上げてくるのは、一体何なのでしょう。
認めざるをえません。
開花していくのはわたくしの想い、なのだと――。
自己紹介されたときのことを、思い出します。
『他はそうでもないけど、私は『気さくな竜王』という立ち位置でスフェーン王国の建国以来やってきている。是非とも、名前で呼んでくれたまえ』
他は存じませんが、イオライトさまは気さくな竜王さまだと感じます。
そして、まるで人間のように喜怒哀楽の豊かな御方。
水竜王さまだから、ではなく。 イオライトさまだから、惹かれていったのでしょう。
ふっ、とイオライトさまがこちらを見て顔を綻ばせました。
どうやらわたくしがいることに気づいたようでした。
以前は逃げ出してしまいましたが、今日は手を振り返して応えます。
するとイオライトさまの唇が動きました。
――好・き・だ。
「!」
瞬間的に頬が沸騰したように熱くなります。
なんとかはにかんでみせたのは、わたくしなりの精一杯の表現、です。
それでも気恥ずかしくて、右手で顔を覆ってしまいました。
人々もわたくしの存在に気づいたようで、楽し気に囃し立ててきます。
もしかしたら、ここで公開プロポーズが起きたのかもしれません。
止めていただいてよかったと、胸をなでおろします。実行されていたら注目されたことの恥ずかしさで倒れていたかもしれません。
そんな宴は夜更けまで続くとのことでしたが、わたくしは一礼して、途中で館へと戻りました。
何故ならば、やらなければならないことがあるからです。




