045.夜道
「ピスタチオのアイス、美味しかったですね。限定なのが惜しいです」
「たしかに、あれは初めての味だった。バケツで食べてもいいくらいだった」
「バケツだなんて」
「陽気亭はずるいのだ。美味いものばかりなのに、いつもあるとは限らない」
真剣なイオライトさまに、笑みで返します。
「ふふ。新鮮な食材で調理することを売りにしているそうですから」
陽気亭での食事を堪能したわたくしたちは、夜道を歩いていました。
深い藍色の空には無数の星が瞬いています。
風も涼しく、夜の散歩としては最適な時間帯でしょう。
足元がふわふわとしますが、転ばないように細心の注意を払います。
横を歩くイオライトさまがふっと笑みを零しました。
「ずっと笑っているアネットは、貴重だな」
「そ、そうでしょうか?」
イオライトさまがうんうん、と大きく頷きます。
「あまり感情を表に出さないから、時々心配になるのだ」
「そうでしょうか。わたくしとしてはここ最近、とても楽しく過ごしているのですが」
「何故?」
少し先を歩いてから立ち止まったイオライトさま。
振り返って、わたくしの顔を覗き込んできました。
闇でもはっきりと分かる空と海の瞳は、夜の輝きを湛えています。
褐色の肌。
かすかに揺れる、青みがかった金髪。
すっと通った鼻梁、整った唇。
改めて間近で見る芸術作品のごときかんばせ。
見つめられているという事実に、恥ずかしさがこみ上げてきます。
同時に。
叶うならずっと眺めていたい……そんな感情が生まれてしまったのは。
白ワインのせいだと、信じたいものです。
「アネット?」
無言でかたまっているわたくしに向けて、イオライトさまが手のひらをかざし、上下に振ってきました。
その手のひらの大きさにまで、自らの胸の高鳴りを感じてしまいます。
「す、すみません」
「顔が赤いな。少し酔っているようだ」
「はい。酔っていると、思います」
とても楽しく過ごしている理由は、『好き』ができたからです。
誰かのために何かをつくること。
宝飾職人の仕事。
それから、――。
いちばん大事なことは言葉にしないように、首を横に振ります。
「こんな風に過ごせるなんて、思ってもいませんでした。イオライトさまのおかげです。ありがとうございます」
「……っ」
イオライトさまが視線を逸らして、口元に手を当てました。
夜闇のせいで表情ははっきりとは見えません。
ですが、耳は呟きを拾ってしまいました。
「……可愛い。たまらなく、可愛い」
「!?」
反射的に頬と耳が熱を持ちます。
感謝を述べただけだというのに、イオライトさまは何を仰っているのでしょうか?
わたくしが真っ赤になって何も言えないでいると。
「アネット」
イオライトさまの手がすっとわたくしの髪の毛に触れて、そのまま梳かすようにして指を下ろします。
そして。
束をすくい上げ、唇を寄せたのです。
「私の方こそ、君と出会えたことを感謝する」
「……!」
俯いて、瞳を閉じることしかできませんでした。
髪の毛からイオライトさまの手が離れたことを感触で確認し、ゆっくりと顔を上げます。
イオライトさまの表情はとても穏やかなものに見えました。
「帰ろうか。明日も早いのだろう?」
「は、はい」
頷くのが精一杯なわたくし。
一歩先を歩きはじめるイオライトさま。
その手に触れて、繋ぐことができたら。
……できたら?
いけません。一体、わたくしは何を。
先ほどから気が緩みすぎています。
イオライトさまは水竜王さまなのです。
わたくしはただの人間。
どれだけイオライトさまが好意を向けてくださっていても、長い生のなかの、一時の気まぐれにすぎないのですから。
何度も何度も繰り返し言い聞かせてきたことを、強く飲み込みます。
この距離感が、わたくしたちにとっては最善なのですから……。
「どうした?」
「いえ、何でもありません。帰りましょうか」
不審に思われないよう、表情を整えてから歩きはじめます。
*
*
*
「おはよう。市場で会うのは珍しいね」
「ピネルさん。おはようございます」
早朝の市場で声をかけてきたのはピネルさんです。
今日は丸首の黒いシャツに、緑色のハーフパンツとラフな格好。麻のサンダルを履いています。
「黒も着るんだ。似合ってる」
「恐れ入ります」
白い襟に黒のワンピースを着ているわたくし。
スカートの裾にレースが縫いつけられていて、シンプルながらも気に入っています。
「今日は何を仕入れるんですか?」
「ムール貝。いつもより身が大きい」
「イオライトさまが、メニューが日替わりなのはずるいと仰っていましたよ」
「そこが売りだからね」
いつでも淡々としているピネルさんです。
ところが、何かを思い出したかのように視線を上に逸らしました。
「そういえばアネットに伝えておこうと思って」
「?」




