041.藍色
館までの道は上り坂。焦げるような暑さが続きます。
ですが、雪の結晶を手にしていると何故だか涼しく感じるようでした。
チェーンを通してペンダントにするのもいいかもしれません。
クライオフェンさんに出会えたことを、ありがたく思います。
前方に館が見えてきた頃、前方にイオライトさまが見えてきました。
いつものオリーブ色のプルオーバー。それから膨らみのある白のズボンと濃いオリーブ色の布靴。
左手に白い袋を持っています。
ワンピースのポケットに雪の結晶を隠しました。
腕輪作りは、とっておきの計画なのです。少しでも見つかるような要素があってはいけません。
一方でそんな秘密の計画はわたくしの胸を弾ませ、気づけば小走りでイオライトさまに向かっていました。
「イオライトさま」
「アネット!?」
横に並び見上げると、イオライトさまは驚いたような声を上げました。
「アネットも今帰りだったか」
「はい」
そして、並んで歩き出します。
「ところで、その袋は何でしょう?」
「牡蠣を貰ってきた」
イオライトさまが袋を持ち上げると、貝殻どうしのぶつかる音がしました。
「市長さまからですか? そろそろ何かお礼を用意しないといけませんね……」
ただ、お礼の送り合いになってはいけません。
ちょうどいいものがないか思案していると、イオライトさまは口の端に笑みを浮かべました。
「パライバの特産品を紹介したいという想いもあるようだから、アネットが気を遣わなくても構わないと思うが」
「いえ。わたくしも恩恵に預かっていますから」
「生真面目さはアネットの美点だな」
そしてイオライトさまはわたくしの顔を覗き込んできます。
空と海の色を湛えた瞳。
突然の至近距離に戸惑い、表情を作れません。
「イ、イオライトさま……?」
「何かいいことでもあったのか?」
見つめられたまま尋ねられ、心臓が大きく跳ねるようです。
なんとか視線を逸らして答えます。
「な、何故でしょうか」
「普段よりも機嫌がいいように見える」
それは。
腕輪作りをすることになって。
クライオフェンさんに、弟子入りすることになったからで。
イオライトさまの鋭さに、打ち明けたくなりかけますが、ぐっと堪えます。
「魔石商会で、研磨した魔石を見せていただいたから、でしょうか」
「なるほど」
「実は、商会での水竜王祭企画に参加させていただくことになったのです」
企画への参加というのは、メラルドさんから提案していただいた辻褄合わせです。
上手く嘘をつく秘訣は少しの真実を混ぜることだとメラルドさんが教えてくださったのです。
イオライトさまはきょとんとしてから、空いている手を顎に当てて笑い出しました。
「ん? それは私自身に伝えていい話なのか?」
「はい。わたくしの不在が続いたら、イオライトさまは心配なさるでしょうからと……メラルドさんが」
「たまには気の利く男だな……」
「イオライトさま……?」
思わず苦笑いを浮かべてしまいます。
ほんとうにイオライトさまは、メラルドさんにだけ手厳しい方です。
やがて、館に着きました。
イオライトさまは牡蠣の詰まった袋をキッチンに置きました。
わたくしは両手を洗ってから、ふたり分の炭酸水を用意します。
「ありがとう、アネット」
立ったままイオライトさまが一気に炭酸水を飲み干しました。
「洗濯物を取り込んでこよう」
「はい。お願いします」
自然な流れでイオライトさまが外に出て行きます。
晩ごはんはシンプルに焼き牡蠣にしようかと袋を覗き込むと、磯の香りが海よりも濃く感じられました。
殻が大きめで、身にも期待ができます。
「やはり市長さまに何か御礼をすべきでしょうか……」
大量の牡蠣の一部は、コンフィにしてもよいかもしれません。
牡蠣の下処理には水と塩だけでなく、片栗粉が欠かせません。
汚れをしっかりと落としてくれるだけではなく、臭みやぬめりも取れるのです。
コンフィとはきれいにして水気を取り除いた牡蠣を、低温のオリーブオイルでじっくりと火入れしていく常備菜です。
ガーリック、ハーブ類などを入れて風味をつけることで、オイルそのものも調味料として使うことができます。
パスタなどに使っても絶品です。
肉や魚はオイルですが、果物は砂糖を使ってコンフィにします。
代表的なものといえばオレンジのコンフィでしょうか。
地下室にオレンジのコンフィがあった筈です。
パライバの方々にとって保存食や常備菜は珍しがってもらえるので、手土産には最適でしょう。
それ以外にもいくつか保存食を集めて、市長に渡してもらおうかと考えを巡らせていたときでした。
「すまない、アネット」
戻ってきたイオライトさまの声が沈んでいて、わたくしは慌てて振り返りました。
「どうされましたか?」
イオライトさまの右手、中指から何かが流れていました。
「外に落ちていた陶器の破片を拾おうとしたら指を切ってしまった。手当てできるものを貰えるか」
「……! お待ちください。すぐに消毒と綿を用意します」
背を向けて、棚から清潔な綿を取り出します。
後ろでイオライトさまが残念そうに溜め息を吐き出しました。
「油断していた。何百年ぶりかの怪我だ」
認識できなかったのは、血が赤い色をしていなかったから、でした。
イオライトさまの血は藍色……。
理解していても忘れてしまっていることに、先ほどとは違う意味で動悸がします。
「……」
落ち着くために深呼吸をしてから振り返ります。
近づいていき、イオライトさまの手を取りました。
「失礼いたします」
熱のある大きな手のひら。
指先に小瓶から消毒液を垂らすと、イオライトさまは目を瞑りました。
「水竜王さまだからみるみるうちに自然治癒するものかと思っていました」
「人間の姿のときは、そうでもないのだ」
綿を巻くと、イオライトさまは安心したように瞳を開けました。
それが何故だか子どものようで可愛らしいと感じながらも、水竜王は、水竜王。
決して人間ではないということを、改めて実感するのでした。




