039.岩
「さぁ、入って入って!」
「お邪魔します……」
港よりも先に足を運んだことがなかったわたくし。
クライオフェンさんの家は、港の先。山側の大きな岩場の陰にありました。
いえ。
正確には、岩と岩の間にありました。
クライオフェンさんが明かりをつけます。
すると、ドーム状の空間そのものが濃淡さまざなグレーの岩で構成されているのが分かりました。壁も天井も、岩でできています。
しっかりと陽ざしが遮られているからか、全く暑くありません。
それどころか涼しいくらいです。
「ここはたくさんの岩が偶然に生み出した空間なんだ。難点があるとしたら、数年に一度、雨漏りするくらいかな」
疑問へ先回りするかのように説明してくれます。
水着姿のままのクライオフェンさん。
同性とはいえ目のやり場に困っているわたくしにようやく気づいてくださったようで、長袖の黒いシャツを勢いよく羽織りました。
座って、と促されて、椅子代わりの岩に腰かけます。
改めて室内を見渡してみました。
クライオフェンさんが背中を向けて立っているのは岩にしか見えないものの、キッチンのような設備。離れた位置にはベッドに見える岩と布の組み合わせ。
岩の壁向かって右側、半分くらいの面積には棚が打ちつけられています。そこには宝飾品の材料らしきものが整然と並べられていました。棚の中央には作業台らしき岩があります。
また、わたくしが座った岩の前にはテーブルとして使われているだろう岩。
見事にすべてが、岩です。
興味深く観察していたら、爽やかなグレープフルーツの香りが漂ってきました。
岩のテーブルの上に、グラスがふたつ置かれます。
「ここまで暑かっただろう」
「ありがとうございます。いただきます」
ここで初めて岩以外の素材、ガラスを目にしました。氷の浮かんだ酸味の強烈なグレープフルーツジュースは、どうやらたった今搾ってくださったもののようです。
「話はあらかたメラルドから聞いてるよ。水竜王様にお供えする腕輪を作りたいんだって?」
「お供え……」
どうやらクライオフェンさんはパライバの事情に明るくなさそうです。
わたくしがイオライトさまと暮らしていることはもはや周知の事実です。かいつまんで補足説明することにしました。
「水竜王・イオライトさまは人間の姿になられて、今はパライバで生活されています。今度の水竜王祭で、直接、お誕生日のお祝いとして差し上げたいと思っています」
「へぇー。そうなんだ」
詳細に興味のなさそうな相槌です。
そういう方もいらっしゃるということに、新鮮な驚きを覚えます。
クライオフェンさんは氷ごとグレープフルーツジュースを飲み干して、氷を噛み砕きました。
「ワタシのことはメラルドから聞いていると思うけれど、まぁ、見てもらった方が早いかな。おいで」
すっと立ち上がり、棚の中央の作業台へと向かうクライオフェンさん。
慌てて追いかけます。
作業台の上にはさまざまな工具が置いてありました。
クライオフェンさんは台に右手を置いて重心を預けます。
「素材はプラチナ、金、銀が基本。たまに金属質の魔物の骨とか……年に数回はミスリルも受けるね」
「魔物の骨も素材になるんですか」
「金属成分があれば加工できる。魔石ほどじゃないけれど属性効果もあるよ。風ならそよ風程度は出る。ミスリルは市場に流通していないから、依頼主は金持ちだったり王族関係が多い。カネの匂いが強いときは断ってる。ワタシは鼻が利くんだ」
魔物の骨と、ミスリル。
魔物の骨の効果も初めて知りましたが、ミスリルというのはおとぎ話にしか存在しないものだと思っていました。
どちらも宝飾品になるとは信じられません。
『かつては人間界には存在しない鉱物を使って生み出していたのだが。これを見た人間が、献上品として似たような意匠のものを神殿に捧げてくれるようになったのだ。そしてどんどん増えて行った』
ふと、イオライトさまの言葉を思い出します。
もしかしたら、それはミスリルだったりするのかもしれない、と思いました。
「試しに今から腕輪を作ってみよう。シンプルに、プラチナにしてみようか」
クライオフェンさんが棚から取り上げたのは、腕輪になりそうな幅と長さの、白金色に光る薄い板でした。
促されて手のひらを出すと、プラチナを載せてくれます。
冷たく硬い質感。
当然ながら手で曲げることはできません。
わたくしが感触を確かめたのを見て、クライオフェンさんは再びプラチナを手に取りました。それから作業台の前に座ります。
「どんな金属でも熱すれば形を変えられるようになる。これはあらかじめプラチナを板状に整えておいたものなんだ。そのやり方はおいおい説明するから、今は置いておいて」
オレンジ色の三白眼に真剣な光が宿ります。
「見ててご覧」
今から何が始まるのか。
わたくしは緊張を上回る期待で、静かに唾を飲み込みました。




