036.腕輪
「これがレモンタルトか! 表面の煌めきが、まるで魔石のようだな」
イオライトさまが快哉を上げます。
子どものように瞳を輝かせるので、こちらまでうれしくなってしまいます。
しっかりと冷えて固まったレモンタルトを切り分け、丸皿に乗せました。
残りは冷蔵庫へ戻しておきます。
「アイスコーヒーかアイスティー、どちらにしましょうか?」
「アイスティーにしよう」
「はい。すぐに用意しますね」
「ありがとう。港で話し込んでいたから、喉が渇いてしまってしかたない」
どうやらイオライトさまは朝市で別れた後、いつも通り港へ行かれていたようです。
熱いお湯と紅茶葉と大きな氷と。
飲み物を準備すれば、早速、お昼前のおやつ時間です。
「どうぞお召し上がりください」
イオライトさまはデザートフォークでタルトの先端を崩し、そのまま口に運びました。
瞳を閉じて静かに味わっているようでしたが、飲み込んで大きく瞳を開きました。
空と海の瞳は明るく輝いています。
「これは……実に美味しい! レモンの爽やかさが強烈だし、タルトはほろほろと崩れる。今まで食べたレモンを使った菓子のなかで、一番美味しい」
二回も美味しいという感想が出ました。
お気に召していただけたようです。これはやはり、誕生日のお祝いにも作るべきでしょう。
「光栄です。では、わたくしも」
酸っぱさよりも甘みがほのかに勝る、爽やかなレモンの良さを最大限に引き出したレモンカード。
口のなかだけではなく、鼻からも爽やかさを感じます。
バターをたっぷりと使っているのに重たさはありません。
タルト生地はあくまでも土台にすぎないので、レモンカードの邪魔をしない配合となっているのです。
記憶通りの味に思わず顔が綻びます。
「ありがとうございます。イオライトさまのおかげで、大切なレシピを思い出せました」
お母さまと作ったレモンタルト。
わたくしの、好きなもの。
予想外の言葉だったようでイオライトさまが目を丸くします。
それから、口角を上げて頷いてくれました。
アイスティーのなかで氷が融けてグラスに当たり、涼しげな音を立てました。
何かに似ているような気がしたとき、不意に、イオライトさまの手元に視線がいきます。
イオライトさまの腕輪。
金色のシンプルなものでも幅が違ったりしています。
宝石か魔石がついているものもあり、いつでも華やかな印象があります。
「そういえば、イオライトさまはいつも腕輪をたくさん着けていますよね」
「ん? あぁ、これのことか」
実際には、腕輪同士がぶつかり合うときの音は氷より低めでした。
「かつては人間界には存在しない鉱物を使って生み出していたのだが。これを見た人間が、献上品として似たような意匠のものを神殿に捧げてくれるようになったのだ。そしてどんどん増えていった」
「人間界には存在しない鉱物……?」
「ああ。そうだ、アネットは、私の神殿を訪れたことはあるか?」
私の神殿、という言い方はなんだか不思議ですが、イオライトさまはれっきとした水竜王なのでした。
「いえ。神殿があるというのは存じていますが、一般の者が立ち入ることはできないと聞いています」
「なるほど。今は、そうなのか」
イオライトさまが顎に右手を遣りました。
顔に疑問符が浮かんでいるように見えて、思わず尋ねてしまいます。
「……イオライトさま……? 人間の姿になってから、神殿に行かれていないのですか……?」
「ここが生活の拠点だからな!」
「えぇと……」
拠点だなんて。堂々と宣言されても、困ります。
わたくしの微妙な反応には触れずイオライトさまは続けました。
「皆、何かあれば直接言ってくるから、神殿に行く必要性を感じていないのだ。しかし、誕生祭の前には顔を出さねばならないな」
確かにそうかもしれません。
気さくな水竜王、というのは事実通りで、市長でさえ直接お話をされているというのですから。
「もしかしたら酒が献上されているかもしれないし」
あまりにも神妙な面持ちで呟くので、吹き出してしまいます。
「酒と装飾品が多いのだ。私は古来から、そういう風に見られてきたのだろうな」
寓話では人間を献上するというのも聞いたことがありますから、それに比べれば華やかな話ではあります。
そこでふと気づきました。
レモンタルトを誕生日のお祝いに作ろうと考えてしましたが、誕生日のプレゼントについて何も考えていなかったということに。
これだけお世話になっているのです。
何も贈らない訳にはいきません。
腕輪ならば間違いなく喜んでもらえそうです。
今度メラルドさんに会ったら、おすすめのお店があるかどうか尋ねてみることにしましょう。
「……アネット? どうした?」
「あっ、すみません。少し考え事をしていました」
首を傾げるイオライトさま。
確かにこのタイミングで考え事は不自然かもしれません。
「イオライトさま。次の魔石商会には、ひとりで行きたいのですが」
「ひとりで?」
「はい。メラルドさんに、ちょっとした相談をしたいので」
「……そうか」
イオライトさまがアイスティーを一気に飲み干しました。
再び、氷が音を立てます。
「分かった。しかし、くれぐれも気をつけるんだぞ」
「イオライトさまは心配性ですね。大丈夫ですよ、メラルドさんはいい人ですから」
「……そうだな。分かった。だが、次の次は共に行くからな」
よほどメラルドさんを警戒しているのでしょうが、心配しすぎです。
あまりにも力強く宣言するので、思わず微笑んでしまいました。
「はい。お願いします」




