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034.ロミアス




 コーヒーの豊かな香りが漂ってきました。

 しだいに、心が落ち着いてきます。


「お待たせしました」


 三人分のコーヒーを、静かにテーブルへ置きます。

 お父さまはコーヒーカップに指をかけましたが、飲むのを躊躇うかのように息を吐き出しました。


「お父さま? お砂糖やミルクも用意しましょうか?」

「いや、ブラックで大丈夫だ。まさかアネットの淹れてくれたコーヒーを飲める日が来るなんて思っていなかったから……」


 言葉を詰まらせるお父さまに、わたくしもまた、何も言えなくなります。

 ゆっくりとした動作でお父さまはひと口コーヒーを飲み、美味しい、と呟きました。

 その横から、イオライトさまが話題を変えるように話しかけてきます。


「ありがとう、アネット。それで、ロミアスとはどんなクッキーなのだ?」

「こちらです」


 缶を開けると、甘い香りが飛び出してきました。

 中には行儀よくクッキーが詰まっています。


 ロミアスとはさくさくの丸いバタークッキー。

 まるでロゼットのような見た目をしています。

 だからこそ特別な日に食べるイメージがあるのかもしれません。


 ロゼットリボンは勲章をモチーフにしているとのことですが、まさしくフリルよりはっきりとしたひだのような見た目。

 その中央には、ぱりっとしたアーモンドキャラメルがたっぷりと詰まっています。


「召し上がってみてください」

「うむ。いただこう」


 周囲のクッキーはさっくりと軽い食感で、ほろりと崩れていきます。

 食感とは対照的に、バターの風味は重たく濃厚。

 中央のアーモンドキャラメルはねっとりと硬く、アーモンドの香ばしさが口いっぱいに広がります。


 記憶とまったく変わらない味に思わず綻んでしまいます。

 そう。

 確かにわたくしは、ロミアスが好きでした。


 二枚目に手を伸ばしたお父さま。コーヒーのときと同じようにじっと見つめます。


「……ソベリルから、アネットがこの店のこのクッキーを好んでいたと聞いて驚いた。お前の母親もこのクッキーが好きだった」


 お父さまは、僅かに肩を震わせながら続けます。


「お前に、追放してくれと言われたときは……それほどまでに、親子の縁を切りたいほどに憎まれているのかと悲嘆に暮れていた。今ですらどう接していいかわからない。だが……」

「お父さま。よかったら、お母さまとのお話をお聞かせください。そして少しずつ距離を縮めていけたらと、思います」


 視線が合うと、瑠璃色の瞳に安堵が浮かんでいるように見えました。

 もしかしたらそれは、わたくしがそのまま映っていたのかも……しれません。

 

 


 



「いい香り、です」


 朝市で買ってきたレモンの皮には張りと見事な艶があります。

 何よりも、爽やかな香りを強烈に発していました。


 ロミアスの他にもうひとつ、思い出したことがあります。

 それは、お母さまから教えてもらったお菓子のレシピです。

 普段は料理をしないお母さまでしたが、唯一、自分で作っていたのがレモンタルトでした。


 お父さまはパライバ市長の館で一泊されてから、早朝、公国へと帰られました。

 国境まで見送りには行きましたが、決してうまく会話することはできませんでした。それでも、そのうちレモンタルトを振る舞う機会が訪れるかもしれません。

 練習しておくことに決めたわたくし。

 見送ったその足で朝市に寄って、レモンを買ってきたのです。


 イオライトさまとは朝市で分かれて館に戻ってきました。

 楽しみにしている、と言われています。

 それはそれで緊張しますが……。


「さて、始めましょうか」


 暑いパライバでは、バターを室温に置けばあっという間にやわらかくなります。

 ただし、融けてしまってはいけません。

 やわらかく指で押すと沈みこむぐらいになったら、使い時です。


 まずはタルトの土台を作っていきます。


 大きなボウルへバターを入れて、泡だて器で勢いよくクリーム状にします。

 そこへたっぷりのグラニュー糖を加えて、煌めきがなじんで見えなくなるまでさらに混ぜます。


「あっ、塩を忘れていました」


 味を引き締めるために、塩もひとつまみ加えておきます。

 少量なので、せっかくですしイオライトさまの作ったものを使わせていただきましょう。


 卵を割ったら、卵黄だけボウルに入れます。

 卵黄もしっかりと混ぜてなじませたら、薄力粉と粉ふるいを取り出しました。そのまま入れると確実にダマになってしまうので、粉ふるいを使って高い位置からふるっていきます。


「たしか、ここは練ってはいけない筈……」


 お母さまのことを思い出しながらの作業。

 練ってしまうとタルトの特徴であるさくさく感が失われてしまうと、お母さまは教えてくれました。

 

 泡立て器からへらに持ち替えます。

 ボウルの底に薄力粉が溜まりやすいので、奥から手前に切るように混ぜて手首を返します。

 わずかに粉っぽさが残る程度で切り混ぜは終了。

 ボウルに押さえつけるようにして生地をひとまとめにしたら、そのまま冷蔵庫で寝かせます。

 いったん冷やすことでバターが融けるのを防げますし、生地もゆるんで、伸ばしやすくなるのです。


 わたくしも、いったん休憩することにします。

 バターに触れたものは洗いづらいのでお湯で洗い物を済ませます。

 それから、炭酸水をグラスに注いで椅子に座りました。

 窓からは涼しく心地いい風が入ってきます。

 テーブルの上の丸い水槽には物言わぬ水草だけ。


「……」


 主不在の水槽を見つめます。

 右手を伸ばして、人差し指でそっとガラスに触れました。




7月4日の活動報告にて、

絵師さまに依頼していた表紙画像を公開しております。

作者のイメージ通りなので、

挿絵に抵抗のない方は是非ともご覧くださいませ。

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