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033.好物




『娘のことを宜しくお願いいたします』


 一体、どのような報告を受けてそのような結論に至ったのでしょう。

 お父さまから出た言葉だとは、信じられません。

 眉を顰めて、ぽかんと口を開けてしまいましたが、急いで我に返ります。

 否定しなければ。どうやって伝えたら、いいのでしょうか。

 会話の経験がなさすぎて、どのような言葉を選べばいいか分かりません。


 戸惑っていると、イオライトさまが言葉を返しました。


「リオドール殿、それは違う」


 その声には、瞳には。

 いつも通りの力強さが滲んでいます。


「ご息女には、力がある。自分で道を切り開き幸福を手に入れる力が。故に」

「……!?」


 話しかけている先はお父さまでしたが、わたくしにとってはまるで稲妻が落ちたような衝撃が走りました。

 お父さま以上に、イオライトさまの今の言葉が。

 わたくしのことをそのように見ていただなんて。

 過大評価です、と、否定しようとすると、なおもイオライトさまは続けました。


「選ぶのはご息女自身だ」


 イオライトさまがわたくしの方へ顔を向けました。

 空と海の瞳にわたくしの姿が映ります。


「当然、私は選ばれると思っているし、すべてを注ぐが」


 頬が一気に熱くなります。

 恥ずかしさのあまり視線を逸らすしかできませんでした。


 ですが。

 どうして、そこまで……。

 誰にも気づかれないよう、両膝の上できつく拳を握ります。


「……大変失礼いたしました。ただ、私以上に娘のことを見てくださっているようで、私としては安心でございます。流石は水竜王様」

「リオドール殿」


 イオライトさまがお父さまの両手を取り、少し身を屈めて目線の高さを合わせました。


「貴殿こそ遠路はるばるご苦労であった。アネットとは長きにわたる齟齬(そご)があったのかもしれないが、今回の貴殿の行動のおかげで、お互いにとっていい結果がもたらされたのだろう」


 そんなふたりのやり取りを見ていられずに俯いたままのわたくし。

 するとソベリルが近づいてきて、耳元で囁きました。


「アネット様。アネット様のお好きな、ロミアスクッキーがございますよ」

「えっ?」


 顔を上げてソベリルを見ると、目尻に皺を刻み微笑んでいました。

 その手元には見覚えのある正方形の缶がありました。

 子どもの頃、特別な日の楽しみにしていたクッキー缶です。


「公主様が自らご用意されました。よろしければ、皆さまでお茶会などいかがでしょう」

「お父さまが……?」


 差し出された缶を両手で受け取ります。

 淡い銀色の地に、白い雪の結晶が描かれているという懐かしい絵柄。

 懐かしさからか、ほんの少し緊張が和らぐのを感じました。


「アネットの好物だと?」

「好物……」


 不意に出会った頃のイオライトさまとの会話が蘇りました。


『では問うが、アネットは何が好きだ?』

『わたくし、ですか?』

『思いつきません。と言いますか、あまり考えたことがありませんでした』


 缶の蓋を見つめます。


「……そうですね。忘れていましたが、わたくしはロミアスクッキーが好きです」


 クッキー缶をテーブルに置き、席を立ちます。


「ソベリル。ここに座ってください。コーヒーを淹れますね」

「いえ、私は博物館に戻ります。是非、三人だけでお過ごしください」


「そうか。ソベリル殿、また塩を作りに行かせてもらおう」

「お待ちしております、水竜王様。それでは、これで失礼いたします」


 引き留める間もなく、ソベリルは深く頭を下げて部屋を出ていきました。


「……」


 残されたことに若干の気まずさを感じながらも、ふたりに背を向けることでなんとかやり過ごすことに決めます。


『アネットのことを想わない日は一日たりともなかった』


 鼻の奥が痛みます。

 この言葉が事実だというのなら、このぎこちなさが解消される日がいつかやってくるのでしょうか。

 わたくしにはまだ分かりません。


 コーヒーを用意しながら耳を傾けていると、イオライトさまがどうやらわたくしの幼少期の話を聞こうとしているようでした。

 お父さまは答えることができず困っているようでした。

 当然のことでしょう。

 今の今まで、わたくしたちの間に交流なんてほとんどなかったのですから。

 ところが。


「……絵画を、買ってやったことがあります」

「絵画?」

「旅商人の持ってきた絵画でした。海を描いたものだと説明されました。アネットは一目見た途端にたいそう気に入ったそうです。我が国に海は存在しないので、まだ見ぬ外の世界の憧れを膨らませるきっかけとなったのでしょう」

「外の世界への、憧れか」


 イオライトさまの声は凪のように穏やかなものでした。

 コーヒーの香りを感じながら、瞳を閉じます。


 そう。わたくしは、ずっと、憧れていたのです。海に。

 きっかけとなったのは、一枚の絵画でした。

 海を知らないわたくしに、絵画を持ってきた商人はこう説明してくれました。


『そこにはたくさんの、人間とはまったく見た目の違う生き物たちが暮らしているのです。人間の世界とは、まったく違う世界が広がっているのです』


 その言葉通り、わたくしは新しい世界と……イオライトさまと出会ったのだと、改めて感じるのでした。




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