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032.融雪




 気温は高いというのに、ダイニングルームは冷え切った緊張に包まれていました。


 お父さまの向かいにわたし。

 わたしの隣に、イオライトさま。

 そして、ソベリルはお父さまの後ろに立っています。


 テーブルを挟んではいますが、お父さまの向かいに座るというのはいつ以来でしょうか。

 いいえ、もしかしたら物心ついてから初めてかもしれません。


 膝の上に置いた両手はわずかに震えています。

 下唇を軽く噛んで、唾を飲み込みます。

 ゆっくりと顔を上げてお父さまと向き合いました。


 わたくしと同じ瑠璃色の瞳。

 かつて、形もよく似ていると言われたものです。

 後ろへ撫でつけた黒髪には白が混じるようになっていました。


「久しぶりだな、アネット。急に訪ねてすまなかった」

「……いえ」


 するとお父さまはイオライトさまに体を向けて、座ったまま深く頭を下げました。


「お初にお目にかかります。私はユークレース公国公主、リオドール・ユークレースと申します」

「公主……!?」


 イオライトさまがわたくしに顔を向けます。空と海の瞳は驚きに包まれていました。

 ……ついに、このときが来てしまいました。

 できれば明かしたくなかった、わたくしの故郷での立場。


「イオライトさま、黙っていて申し訳ございませんでした。わたくしの姓は、ユークレース。わたくしは、ユークレース公国第五公女、アネット・ユークレースです」


 もう二度と名乗ることはないだろうと思っていました。

 それがよりにもよって、イオライトさまに名乗ることになってしまうとは。

 ですが、イオライトさまは、最初以上に驚くことはありませんでした。


「いや、(むし)ろ合点がいった。アネットの所作は、一般人の()()とは違っていたからな」


 所作、が何を指すのかは分かりませんが、イオライトさまは納得したように頷きます。

 それからイオライトさまは再びお父さまへ視線を移しました。


「水竜王イオライトだ。アネットにはよくしてもらっている」

「お噂はかねがね。実は本日は、そのことでお話に参りました」

「お父さま?!」


 当たってほしくない予感が胸を刺し、反射的に立ち上がってしまいました。

 勢いよく椅子が後ろへ倒れます。


「わざわざパライバまでお越しになられたのは、イオライトさまが目的ですか?」


 心臓が早鐘を打っているようでした。

 しかし、そうでなければ説明がつかないのです。

 かつて。

 末娘であるわたくしがお父さまにお会いできるのは、年に数回、片手で数えられるほどでした。

 そんなお父さまが公国の外に出てまで、わたくしに会いにくるだなんて……。


「イオライトさまに何かをお求めになられるようでしたらおやめください」


 じっとお父さまを見つめます。

 全身に走るのは、痛みを伴う緊張。鋭く突き刺さるのは、見ないふりをしていた絶望。


 どうして。

 イオライトさまの前で、このような。


「……」


 沈黙を破ったのは手首に触れた熱でした。

 わたくしの右手首を掴んだのです、イオライトさまが。


「アネット。お父上の表情を見て、言葉を発したか?」


 穏やかな、諭すような声色。


「……え、」


 恐る恐るお父さまを見下ろします。

 視線が合ったのは、もしかしたら初めてのことかもしれません。

 よく似ていると言われてきた瑠璃色の瞳は、揺らいでいました。

 白髪の混じりだした眉尻は、下がっていました。

 信じられませんでした。

 お父さまが、こんな表情をされるなんて。


「そんな風に思われていたのだとしたら」


 先に視線を逸らしたのはお父さまでした。

 声は、震えていました。


「私の接し方に問題があったのだろう」


 イオライトさまがゆっくりとわたくしから手を離します。

 そして倒れていた椅子を元に戻してくれました。

 わたくしは。

 まるで力が抜けてしまったように、椅子に座り直しました。


 視線の合わないまま、お父さまが続けます。


「アネットのことを想わない日は一日たりともなかった。ふがいないと笑ってくれ。私は、お前に嫌われることをずっと恐れて生きてきた」

「まさか……」


「嘘ではございません」


 沈黙を守っていたソベリルが、お父さまの後ろで厳かに口を開きました。


「一夫多妻制の公国において、最後に妻として迎えたのがお母上様であることはご存じでございましょう。公主様はお母上様のことを心から愛しておいででした。だからこそ、アネット様のことは壊れ物を扱うかのように接してこられたのです」


 『愛して』。

 その言葉に、頬を一筋の雫が伝っていくのが感触で分かりました。


 補足するようにお父さまが続けます。


「ソベリルだけではない。パライバには連絡役を何人か置かせてもらっている」

「……!?」

「驚いたよ、アネットが水竜王様に見初められたという話を受けたときは。だからこそ私は自分で会いに来なければならなかった」


 再び、お父さまはイオライトさまへ頭を下げました。

 顔を上げたときには揺らぎや震えは消えて、真っ直ぐに向き合います。


「恥を晒してしまい申し訳ございません。ですが、水竜王様。娘のことを宜しくお願いいたします。どうか、幸せにしてやってください」

 

 

 

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