031.ジェノベーゼ
「はいっ、お待たせ! 本日のおすすめ、ジェノベーゼだよっ!」
はつらつとしたトリンさんの声と共に、テーブルの上にはジェノベーゼパスタが置かれました。
ライトイエローの楕円形の器のなか、小エビ入りのパスタからは湯気が昇っています。
その頂点にはフレッシュなバジルが一枚。
湯気だけで濃厚なソースの香りが堪能できます。
「ありがとうございます、トリンさん」
「色は鮮やかな緑だが、ガーリックの豊かな香りがするな」
同じものを頼んだイオライトさまも瞳を輝かせました。
本日のお昼は陽気亭にて。
店の裏庭で育てているというバジルによる特製ジェノバソースをすすめられ、わたくしたちはパスタを頼んだのでした。
「美味しそうなジェノベーゼに乾杯」
「乾杯」
イオライトさまの向かいでわたくしも炭酸水のグラスを掲げます。
まずはパスタをひと口。
鼻を抜けていく香りは、当然ながらバジルだけではありません。
チーズの豊かな風味や、オリーブオイルの芳醇さが絶妙に絡み合っています。
もちもちの手打ちパスタとの相性は抜群です。
ジェノバソースの材料は、バジル。
松の実。
ガーリック。
パルミジャーノ・レッジャーノ。
塩。
そして、オリーブオイル。
「とても美味しいですね。奥に感じるガーリックも、きつすぎずちょうどいいです」
「食感も滑らかじゃないのが面白い。そしてこのソースとエビもまた、合うのだな」
「そうですね。販売していたら購入して帰りたいくらいです」
さらに、テーブルの上にはバジルを使った料理がもう一品。
鮮やかなカプレーゼです。
スライスされたトマトは眩しい赤色。
モッツァレラチーズは煌めく純白。
そして、大きくて張りのあるバジルの、緑色。
長方形の白い皿に行儀よく並んで、エキストラバージンオリーブオイルと塩がかかっています。
しっかりと冷えている素材は、シンプルだからこそそれぞれの味が引き立っています。
「似たような素材で異なる味わい。実に贅沢だ」
モッツァレラチーズはすっきりとしながらもミルキーで、パルミジャーノ・レッジャーノとは違った良さがあります。
同じチーズでも風味や食感が異なり、奥深さを感じます。
「少し前のブルーチーズとくるみのはちみつピザも美味しかった。陽気亭の提供するチーズはセンスがいい」
満足げにイオライトさまが炭酸水のグラスを傾けました。
「どう? 美味しいでしょ」
「トリンさん」
隣のテーブルに皿を運んでいたトリンさんが近寄ってきました。
「はい。とても美味しいです」
「ジェノバソースはピネル特製だよっ!」
「痛い、トリン」
トリンさんが、同じく通りかかったピネルさんの背中を勢いよく叩きました。
ピネルさんが、その力強さによろめきます。ピネルさんの両手が空いていてよかったです。
「ごめんごめん! ごゆっくりどうぞ!」
笑いながらトリンさんは厨房へと歩いて行きました。
ところが、ピネルさんは立ち止まり、じっとイオライトさまを見下ろしてきました。
基本的に無表情のピネルさんに見つめられて、イオライトさまは少したじろいでいるように映ります。
「な、なんだ? どうした?」
「誕生祭の話、聞きました。商業組合の青年部が実行部隊なので、宜しくお願いします」
「あ、あぁ。宜しく頼む」
淡々と話すピネルさん。
どうやらイオライトさまの誕生祭に向けて、話はどんどん進んでいるようです。
「しかし、このジェノバソースはとても美味しいな。定番にしたらいいのに」
「……考えておきます」
イオライトさまが微笑みかけても、ピネルさんはそっけない反応です。
ピネルさんにとっては普段通りなのですが、イオライトさまはまだ慣れていないようでした。
去って行くピネルさんの背中を見ながら首を傾げました。
「定番化は難しいのだろうか」
「いえ、もしかしたら実現するかもしれませんよ」
*
*
*
「午後は何をする?」
「そうですね。梅酒の梅をいよいよ取り出してジャムにしましょうか」
風のない、からっとした暑さの帰り道。
館に近づくにつれて、誰かが立っているのが見えました。
「……!」
ひとりはソベリル。
もうひとりは、……。
一気に血の気が引くのが判りました。
暑いパライバには似合わない濃紺のスーツを着ている男性。
よく見知った、その横顔は。
「お父、さま」
足が固まったかのように急に動けなくなります。
イオライトさまがわたしに視線を向けたような気が、しました。




