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026.痛み





 顔を上げた壮年の男性がすっと背筋を伸ばします。

 三歩ほど歩いて、距離を保ちつつもわたくしたちの前に立ちました。

 背丈はわたくしよりも頭ひとつ高いくらい。

 肌には深く皺が刻まれていて、オールバックに整えた黒髪にも白いものが混じっています。

 優し気な光を湛えた瞳はわたくしと同じ瑠璃色。

 黒いスーツの中に着ている白いシャツは、襟元がフリルになっています。

 

「同郷の者か?」


 イオライトさまがわたくしに尋ねてきました。


「ソベリルといいます。わたくしの世話係をしてくださっていた者です」


 わたくしはソベリルの横に移動して、イオライトさまと向き合う形になります。


 懐かしい整髪料の香り。

 世話係というよりは執事といった方が適切でしょうか。

 しかしどちらにせよ、イオライトさまにはわたくしが公女であることは打ち明けていません。

 というか、話す予定もなかったのです。

 嬉しさ半分、戸惑い半分というのが今の正直な感情でした。


「はい。アネット様のことは生まれる前から存じ上げております」


 ソベリルは両手をお腹に当てて、先ほどよりも深く深く頭を下げました。


「顔を上げてくれ、ソベリル氏。ユークレース公国の者が、何故パライバに?」


 イオライトさまもソベリルに近づいて、右手でソベリルの腕に触れます。

 ソベリルはようやく顔を上げました。 


「本来であればもう少し早く移住してきたかったのですが、仕事の引継ぎに時間がかかってしまいました」

「移住?」


 今度はわたくしが尋ねる番です。


「はい。今月から、この塩の博物館の館長に就任いたしました。」 

「……え?」 


 するとソベリルはわたくしへ耳打ちしてきました。


()()()が会いたがっていますよ」


 その言葉はまるで雷。

 衝撃を受け、心の奥に痛みが生まれた、……ような気がしました。


 ――お父さまが会いたがっているだなんて、ありえません。


 そう口にしたかったものの、イオライトさまがいる手前、なんとか飲み込みます。


 ソベリルはそんな葛藤を察してくれたのか、わたくしの両手をそっと取りました。

 手の甲の皺も、ごつごつとした手触りも、慣れ親しんだものです。

 下唇を噛んで、表情を整えます。

 なんとか口元に笑みを浮かべてみせると、ソベリルもまた安堵したような表情になりました。


「アネット様。塩の博物館では、塩づくり体験もできるんですよ。是非、水竜王様と塩を作っていかれませんか?」







「アネット? 手が止まっているぞ?」

「あっ」


 慌てて目の前の小鍋をかき混ぜます。


 ひとり一台用意された小型のコンロと塩水の入った小鍋とかき混ぜ棒。

 魔石で濃縮された塩水を煮詰めるという塩づくりの体験をさせてもらうことになったのでした。


 部屋を移動した後にソベリルは退席して、今はわたくしたちと一般職員の方のみ。

 体験室は円形に並べられた四脚の椅子の前にコンロが設置されていました。

 イオライトさまのちょうど反対側にわたくしは座っています。


 小鍋をかき混ぜながらも思考は別のところへ飛んでいました。

 これでは焦げてしまったりムラになるかもしれません。

 鍋の中身に集中して、かき混ぜる作業を再開します。


 ソベリルはああやって言いましたが、お父さまにとっては本心ではないかもしれません。

 わざわざパライバへお越しになることはないでしょう。

 だから、わたくしは気にしなくてもいいのです……。


「アネット? また手が止まっているぞ」

「す、すみません」

「集中力が途切れるとは珍しいな」


 イオライトさまの声は穏やかです。

 事情を詳しく聞いてこようとはしない優しさに、助かっていました。

 そして、目の前にいてくださることにも。

 ひとりでソベリルに再会していたら、泣いていたかもしれません。

 

 静かに太い木の棒で小鍋をかき混ぜていくと、徐々に水分が飛んで、白いかたまりが残ってきました。

 しっとりとしていて、やわらかく脆そうにも見えます。


「アネット、見てくれ。光ってきたぞ?」


 向かいに座るイオライトさまが首を傾げました。

 立ち上がって覗き込むと、わたくしの小鍋の中身とはまったくの別物でした。

 白は白なのですが、真珠のように輝いています。


「どうされましたか?」


 職員の方が近づいてきて小鍋を覗き込みました。

 目を丸くして感嘆を漏らします。


「これは……。おそらく、水竜王様のお力が入ったからではないでしょうか」


 イオライトさまとわたくしは顔を見合わせました。


「魔石で色がつくということは、水竜王様のお力ならばそれ以上に強く輝くのも当然かもしれません。きっとすばらしい塩味だと思いますよ」

「そういうことか」

「買い取りたい気持ちもありますが、とても値段はつけられないでしょうね」


 買い取りたいという言葉に熱を込めつつ、職員の方は苦笑いを浮かべました。


「お二人とも、小瓶に詰めてお持ち帰りください。今日という日の記念となりますよう」

 

 

 

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