001.ふたつだけの望み
――こんなにうつくしい青が、この世界に存在するのかと驚いたのです。
「う、み」
教えてもらったばかりの固有名詞を自分の唇から発すると、体の内側から生まれた熱が、一気に全身へと伝わっていき、指先まで熱くなるのが分かりました。
うみ。
海。
わたくしを釘付けにする、青。
ひとつの青だけではなくて、無数の青が広がる、一枚の大きな絵画。
「大きな水たまりと言えば伝わりますでしょうか。ただ、ふつうの水たまりではありません。しょっぱい水たまりです。そこにはたくさんの、人間とはまったく見た目の違う生き物たちが暮らしているのです。人間の世界とは、まったく違う世界が広がっているのです」
幼い子どもであるわたくしにも丁寧な説明をしてくださるのは、世界じゅうを渡り歩きながら珍しいものを売買しているという商人でした。
あごひげをたくわえ頭に黄土色の布をぐるぐるに巻きつけている様は、初めこそ見慣れずにおそろしく感じました。
ですが彼の穏やかな話し方に、わたくしはいつの間にか、彼の見てきたものを教えてもらいたいと思うようになっていたのです。
「雪で閉ざされたこのユークレース公国からは、遥か遥か遠いところにございます。実際にその目でご覧になられるのは難しいと存じます。ゆえに、こちらの絵画で、想像を膨らませていただければと」
わたくしが君主であるところの父君に、自らの希望を伝えたのは二回のみ。
一回はこのとき、商人から海なるものの絵画を購入してほしいというものでした。
そして、二回目は。
「でしたらわたくしを、海の見える地まで追放なさってくださいませ。そして親子の縁を切るとおっしゃってくださいましたら、このアネット、お父さまのことを永遠に愛しつづけますわ」
爵位の低かったお母さまが亡くなられたとき、でした。