013.大衆食堂
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港の男はおおざっぱ
港の女は肝っ玉
酒が入れば歌いだす
今日も朝から酒が美味い
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目的地へ近づくにつれて、軽快な歌声が耳に届くようになります。
ただし音程もリズムもめちゃくちゃです。
パライバに住んで一年ほど経ちますが、一度も同じ歌として聞いたことがありません。
さらに、お肉の焼ける香ばしい匂いや、甘いお酒の匂いも漂ってきました。
「見えてきました。あちらが今日の目的地です」
「食堂か?」
灰色の平屋には、道に面した壁がありません。
道路まではみ出すようにして席が作られているのです。
オープンテラスといえば聞こえがいいですが、要するに野外席です。
「はい。陽気亭という名前の、大衆食堂です」
パライバの中心から少し外れた海の近くにある大衆食堂。
今日も明るい時間からお酒を飲むひとたちで賑わっています。
「いらっしゃいませー! あ! ちょっと、アネット!!」
きびきびと動いていた女性店員が、わたくしの接近に気づいて声を上げました。
襟付きの白シャツと黒いスキニーパンツ。カフェエプロンも、黒色です。
「はいっ、お待ちっ!」
手にしていた大皿を勢いよくテーブルに置くと、手をエプロンで拭きながらわたくしたちに近づいてきます。
明るめの茶髪はお団子のようにまとめて頭の上。
よく陽に灼けた肌に、濃いピンク色の瞳が映えます。
「聞いたわよアネット。って、ももも、もしかしてそちらの御方が……!?」
「水竜王イオライトだ。アネットの将来の」
「水竜王さまです。イオライトさま、こちらはトリンさん。この大衆食堂の、店主のお嬢さんです」
トリンさんはわたくしがパライバにやってきて、最初に友人となってくださった方です。
同い年ではあるものの、世話焼きのトリンさんにとっては、友人のようで妹のようだとよく言われますが。
「失礼しました。あたしはトリンといいます」
トリンさんがエプロンの裾をつまんで膝を曲げ、優雅に挨拶してみせます。
「お目にかかれて光栄です、水竜王様」
「イオライトと呼んでくれ。私は『気さくな竜王』だから、遠慮はいらない」
「では、イオライトさま。アネットをよろしくお願いします。ちょっと世間知らずなところはありますが、真面目ないい子ですよ」
「トリンさん!?」
「変な虫がつかないようにあたしがきちんと囲ってきましたのでご安心ください」
トリンさんが腰に両手を当て、胸を張ります。
突然、なんてことを言い出すのでしょう。
「あぁ……。昨日のことは、パライバ中の知るところとなっているのですね……?」
「頭が頭痛で痛い、みたいな顔してるけど大丈夫?」
「まったく大丈夫ではありませんが、一晩経って諦めの境地に達しました」
大きなピンク色の瞳が、さらに見開かれます。
「ひ、一晩!?」
「違いますよ、イオライトさまは水槽のなかで過ごされていましたからね!?」
「水槽?」
「トリン。仕事して」
そこへ、トリンさんと同じ顔をした男性が現れました。
髪の色も瞳の色も同じですが、髪の毛は短く刈っていますし、目つきは鋭いです。
「ピネルさん。すみません、わたくしが引き留めてしまったんです」
「アネットは悪くないよ。席、空いてるから。座って」
淡々と話しかけてきます。
トリンさんとは真逆の愛想のなさ。
しかし、わたくしは彼が、常に周りを気遣っていることを知っています。
「双子のきょうだいか?」
「はい。こちらはピネルさんです。トリンさんの弟です」
じっとピネルさんがイオライトさまを見上げました。
体格のいい男性が多いパライバですが、ピネルさんは細身で、トリンさんと並ぶと輪郭もそっくりです。
「水竜王イオライト様、ですか。はじめまして。うちは大味だからお口に合うか分かりませんが、よろしくお願いします」
「これだけ賑わっているということはそれなりに理由があるのだろう。楽しみだ」
「……どうも」
トリンさんとピネルさんは仕事に戻り、わたくしたちは野外席の隅に案内されました。
「ここは毎日仕入れた食材でメニューが変わります。何を選んでも美味しいですよ」
「ふむ」
今日のメニューと書かれた一枚の紙。
それを眺めていたイオライトさまは、ふと顔を上げて店内を見渡しました。
どうやら、ふたりがきびきびと働いているのを眺めているようです。
「アネットにはすばらしい友人たちがいるのだな」
「そうですね。何も知らないわたくしに、ここでの生活を教えてくださったのが、トリンさんたちでした」
パライバは港町とはいえ治安がいい方なのだそうです。
それでもトリンさんたちが、世間知らずのわたくしへ危険が及ばないように行動してくれることがありました。
だからこそ、イオライトさまには真っ先に会ってほしかったのです。
「いい店だ。ここは港で働く者たちの憩いの場だな」
イオライトさまが、さらに興味深そうにしています。
ふと、樽でお酒を注文している集団に顔を向けました。
「男たちの上腕にタトゥーが彫られている。船乗りたちか」
「はい。所属の船と、愛する者のモチーフだと教えてもらいました」
わたくしも同じ方向へ視線を遣ります。
たとえ海で命を落としても、体が誰のものか判るように。
タトゥーは彼らのアイデンティティーなのだそうです。
「昔から変わらない習慣だ。人間は変われども、か。なんだか安心するな」
懐かしそうに目を細めるイオライトさま。
そこへトリンさんがやってきました。
「注文はお決まりですかっ?! 今日のおすすめは、甘辛く味付けした揚げ海老ですよ!!」