012.朝
洗い物まで済ませてから、流石にイオライトさまには座っていただくことにしました。
わたくしはそのままキッチンでお湯を沸かします。
ポットやネルと共に、食器棚からアイボリー色のマグカップを二つ取り出します。
二人分のホットコーヒーを淹れると、たちまち室内はコーヒーの豊かな香りに満たされました。
「どうぞ。お砂糖やミルクがご入用でしたらおっしゃってください」
イオライトさまはすっかりくつろいでいます。
「ありがとう。ブラックで問題ない」
そんなイオライトさまは、コーヒーをひと口飲んだ後、息を吹きかけて冷まそうとしはじめます。
アイスコーヒーにすればよかったでしょうか。
「しかし、数百年ぶりに地上へ来たが、実に面白い一日だった!」
空と海の瞳が輝きを増します。まるで、本物の風景を見ているよう。
ダイニングテーブルの向かいにわたくしも座りました。
まろやかな酸味のコーヒーは、香りを嗅ぐだけでも落ち着きます。
「わたくしにとっては目まぐるしい一日でした」
視線が合うと、イオライトさまはやはり笑顔を向けてきます。
魔石商会では助けられた部分もあります。
少しも悪気のない表情にすっかり毒気は抜けてしまいました。
ただ、楽しく過ごすことはできましたとはまだ言わないでおくことにしましょう。
「明日は何をする予定だ?」
「朝は魔石を拾いに行きます。それから、そうですね……」
ここでの暮らしにきちんとした計画はありません。
無理のない範囲で、穏やかに暮らす。
それさえ守れたら何でもよかったのですから。
「紹介したい方々がいますので、食堂で昼食をとりましょうか」
「私を将来の夫として……!?」
「違います」
子どものように頬を少し膨らませた後、何事もなかったかのようにイオライトさまは両手を叩きました。
「ではそろそろ、私は宣言通り水槽に入ろう」
「!!??」
たちまちイオライトさまの姿は消え、テーブルの上の丸い水槽にはタツノオトシゴが現れました。
青い斑点のある、手のひらサイズのタツノオトシゴがこちらを見ています。
わたくしはテーブルに両手を置き、身をかがめて水槽を覗き込みました。
「じ、自由自在、なのですね……?」
『そうだ。私は水竜王だからな!』
しかも会話ができるとは。
質問の答えとしてはいささか適切ではないような気もしますが、ほんとうにイオライトさまは水竜王なのですね。
最後の最後まで、驚かされてばかりの一日です……。
*
*
*
館の二階は、わたくしの居室です。
カーテン越しに入ってくる眩しい光に目を細めながら、タオルケットを頭から被り直しました。
寝返りを一回打つとタオルケットに深く潜りこみます。
大人になっても朝が弱くなかなか起きられないのです。起きる時間の寝具のやわらかさというのは、格別です。
もう少し眠っていようと思考が傾きかけたところで、昨日の出来事を思い出しました。
わたくしが昨日、出逢った御方のことを。
「……イオライトさま!」
勢いよく上体を起こします。
タオルケットの角を持ち丁寧に畳むとベッドの隅に置きました。
朝の支度を一通り済ませて、寝間着のワンピースから着替えるのは藤色の膝丈ワンピース。
襟だけ白いところがお気に入りです。
そして、なんとか髪型を整えて階下へ降りました。
明るいダイニングに大きな人影。
イオライトさまは人型になっていました。
昨日のことは夢でなかったと再認識させられます。
「おはよう、アネット」
「おはようございます、……!」
振り向いたイオライトさまと視線を合わせることができず、わたくしは目線を床に落としました。
昨日とはまた違う衣服を身に着けているのですが、事もあろうに肌の露出が多いのです。
オリーブ色の丸首のプルオーバーは半袖。丈は上半身の半分ほど。
肌に密着した下着のような黒色は見えますが、筋肉質の腕と腹の部分が露わになっているのです。
床から少し視線を上に戻します。
両腕にはやはりたくさん腕輪がはまっていました。
ズボンは白で、街歩きをしたときと同じような、ゆったりとしながらも足首部分がしまっているもの。
「目のやり場に困ります」
精いっぱいの勇気を振り絞って訴えました。
「何故?」
「理由を問われましても」
男性の体は見慣れていないから、と言っても理解してもらえないでしょうか。
だとしたら、見なければいいのです。
わたくしは自分に言い聞かせることにしました。
イオライトさまを相手に、動揺しないことなんてないのですから。
「それでは、海岸へ参りましょうか」
「ああ。どんな魔石が拾えるか楽しみだ!」