009.質問
またもや騒動になってしまうと困るので、遠回りをして館へ帰ることにしました。
緩やかな坂道の両脇には木々が生い茂っていて、風で僅かに揺れています。葉でできた日陰を歩けば、そこまで暑さを感じません。
イオライトさまも当然のようについてきます。
この件に関して会話が成立しないことは理解したので、拒否することは諦めました。
すべては水竜王さまの気まぐれです。
人間の寿命より遥かに長い時間を生きているイオライトさまにとって、人間への求婚などほんの戯れにすぎないでしょう。
だとしたら、心ゆくまでお付き合いするのが、人間としての務めだと判断したのです。
こういうのを何というのでしたっけ……人身御供?
「アネット? 渋い表情になっているが、体調でも悪いのか?」
「いえ、何でもございません」
隣を歩いていたイオライトさまは、わたくしが突然無言になったことが気になったようです。
「晩ご飯のことを考えておりました。アイスクリームも食べましたし、軽めにしておきましょうか」
「問題ない。アネットの料理なら、きっとどんな量でも平らげてしまう」
――それはそれで困るのですが。
そう言いかけて、臨時収入があったことを思い出しました。
過去の報酬に関しても判る範囲でお支払いいただけるとのお話でしたから、当面、イオライトさまの食費について心配は要らないでしょう。
必要最低限の暮らしはできていますが、あくまでも最低限の範囲内、なのです。
あくまでも、慎ましく。
それがわたくしのモットーです。
「ところで、イオライトさまの好きな食べ物は何ですか?」
するとイオライトさまの笑顔の明度が一段と上がりました。
「初めて私に興味を持ってくれたな! とても嬉しいぞ」
「いえ、食事係としては最大限の努力をすべきですから」
「食事係!? 未来の妻に、係などといって一方的に仕事をさせるつもりはない。私も手伝う」
鼻息荒く張り切られても、こちらとしては生返事しかできません。
「話を戻そう。私に好き嫌いはない。以上だ」
「最も難しい回答ですね」
何でもいい、というのが最も難しいのです。
ただ今までの様子からすると、間違ってはいないのかもしれません。
「では問うが、アネットは何が好きだ?」
「わたくし、ですか?」
高く昇った陽が沈みはじめて、そよ風のにおいが変わってきました。
館が見えてきたというのに足を止めてしまいます。
「思いつきません。と言いますか、あまり考えたことがありませんでした」
イオライトさまも立ち止まって、向き合う形になります。
言葉を選ぶのに時間がかかります。
ここまでの人生で自らの希望を問われたことはありませんでした。
だから、積極的に考えたことがなかったのです。
わたくしよりも背の高いイオライトさま。
見上げると、空と海の瞳はわたくしの回答を静かに待ってくれていました。
「どんな素材を使って、どのような味にするかを考えることは好きです。食事はその延長線上にあるものでした」
「料理は好きなんだな」
「はい。料理をいかに手際よく行うかは、わたくしの日々の挑戦でもあります」
あるもので献立を組み立てる。
効率のいい作業の順番を考える。
完成形に向かって試行錯誤する作業は、嫌いではないのです。
「たしかに、昼食の手際の良さは素晴らしかった。そして、美味しかった……」
「ありがとうございます。故郷と違ってここは食材も豊富なので、新しいものに挑戦するのも楽しかったりします」
「そうか。ならば、好きな食べ物に関しては、これから見つけていけばいいな。お互いに」
歯を見せて笑うイオライトさま。
つられて、わたくしも笑みが浮かんでしまいました。
「では、帰ったら地下の冷蔵室をお見せいたしますね。保存食や野菜はそちらで管理しています」
「保存食?」
「故郷では基本的に生の食材がなく、食べる習慣もほぼありませんでした。魚や肉は油漬け、果物は砂糖漬けが一般的なのです。それから、野菜だと酢漬けですね。保存食づくりはわたくしの趣味のようなものになっているのです」
「興味深い。是非とも、お願いしたい」
わたくしたちは再び歩き出しました。