表題なき教科書
ある日の放課後ふと図書室に向かう。
コツンッコツンッ
何気なく響いていたはずの足音がいつもより軽快で甲高かったのには訳がある。
そう。今日は、彼女が図書委員の日なのだ。
読書が特別好きなわけでも本に興味がある訳でもまして勉強熱心な訳でもない俺が図書室に行くなど誰も思うまい。
ガラガラガラガラ…
「あれ?雄…くん…?」
不思議そうに俺の名前を呼ぶ子、俺の図書館に来る唯一の理由である咲間柚月その人だ。
「おっす!」 「どうしたの?先週も来てたっけ?今日も勉強?」 「まあね!俺国立狙ってるから」
嘘である。俺の学力では国立は愚か公立に行くことすらままならない。我ながらよくこんな嘘をいともたやすくついたものだ。
「咲間は今日図書委員なんだ」 「うん。ていっても私別に読書好きではないんだけどね。」
初めてこの図書室で会ってからこの子の声、表情、雰囲気…あと匂いは俺にとって最高の癒しである。
高校三年生の俺たちは部活も終わり受験シーズン真っ只中。その最中こんなふうに委員会の仕事をさせる学校もどうかと思うが俺にとってはありがたい話である。
俺は咲間をギリギリ視認できる席に座りさも勉強しているかのように装った。勉強とは名ばかりでその実漫画や気になった本を読んで時間を潰し気が向いたら帰る。特に佐伯に話しかけるでもなく一緒に帰ろうと声をかける訳でもない。我ながらなんとも情けない話だ。
いつものように席につき漫画を物色しているとふと一冊の本が目に入る。表紙には真っ白な紙に『表題なき教科書』と書いてあるだけ。少年心をくすぐられた俺はつい手にとって読み始めた。目次には各章ごとの数字だけがふってあるだけで作品の題通り表題がない。「理解できん」そう思った俺はすぐさま本をしまおうとした。
「ねえ⁉︎雄くんその本読んだの⁉︎」 「はっ⁉︎」思わず声が出てしまう。
振り返ると満面の笑みで少し頬を赤らめた咲間がこっちを見ている。
「いや意味分からなくて…やめようかと…」そう言いかけた俺に食い気味に
「読もう!きっと面白いって思うよ」
こんな可愛い子に勧められて読むなという方が無理だ。そう思い即快諾した。
視認できる距離に座ったのは俺だとはいえこんなに佐伯の視線を感じることができるとは…なんともいえない優越感に浸りながら本を読み進める。
内容は至って普通の恋愛小説。各章ごとに主人公の異なる短編が描かれておりそれぞれ一話完結。非常に読みやすい。
しかし、読めば読むほど題の意味がわからなくなる。
そして読み進めた先、後書きにこう記されていた。
作品を読んでいただありがとうございます。題名を見て多くのかたが驚愕しさらに目次を見て唖然としたことでしょう。手に取らない人が多くいることも容易に想像できます。そんな作品を最後まで読み進めてくださった皆様には改めてお礼を言わせていただきます。ありがとうございます。
皆さんは恋をしたことがありますか?この世には無数の恋物語が存在し全てに名前があります。でも皆さんは自分の恋に題名なんてつけたことないですよね笑
この作品では読んでいただいた皆さんに各章の“表題“を好きにつけて欲しくてわざと開けています。皆さんの受け取りたいように受け取って好きな感想から好きな題をつけて皆さんだけの“表題“をつけてあげてください。
この作品の中に皆さんの思い当たるものやぐっと来たものあるのではないですか?この中の作品は全て私のそして私の周囲の人たちの実体験です。結末も含めて皆さんの参考、bible、つまり男性は女性の心情に、女性は男性の心情に対する“教科書“にしていただけたらなと思います。
この『表題なき教科書』が皆さんによって命が吹き込まれることを心の中でそっと楽しみにしています。
この文を見て俺にも当てはまるものがあると思った話があった。好きな人をそっと見守るだけでいいと思い続けていた少女が最終的に告白できずに終わるというよくある話で内容も図書室での出会いというなんともお誂え向きの内容だ。
ただこの話の内容と俺の思いは少し違った。この話で少女は思いを告げられずその恋を思い出として胸にひめ別の男性を結婚し幸せの家庭を築いていた。俺にはこの部分が納得いかなかった。そう思いもう一度ページを開こうとしたとき視線を感じた。
「読んだ?」
咲間が嬉しそうな顔でこちらを見ている。
「うん。」
「どれが気になった?」
「えっと…これ…」
「失恋モノかぁ、雄くんは失恋したの?」
「いや…あの…俺はこうはなりたくないなって思って文字通り教科書にしようと思っただけ」
「何それ!面白いね。好きな人いるんだ。」
「いや…ちが…」
勇気を出していった言葉が嘲笑われた。悔しかった俺は勇気を出して
「そっちはどうなんだよ」
馬鹿にする気全開最大限の抵抗をした。
「私はね、ここ!」
そういって彼女が示したのは俺の気になっていた話のひとつ後にあった片思いの少年がその相手の落とし物を拾ったことをきっかけに恋がみのるというこれまたよくある恋愛小説のような話であった。
「なんでこれが気になったの?夢見心地だな。砂糖みたいで胃もたれするくらい甘い話だな。」
やった!俺は精一杯の抵抗をした!彼女は少しでも困るはずと思い彼女の方を見る。
すると彼女は右手に小さな飴玉を持って自慢げに見せながら本を手にとった俺を見た時よりさらに満面の笑みで
「ナイショ!私仕事終わりだから帰るね!」
部活終了のチャイムが鳴り響く校舎、顔を見せ始めた月の方に彼女は走っていった。
彼女が右手に持っていたものが初めて図書室であった時俺が拾い手渡したものだと知るのはこれから少し後の話…
「きっと俺のこの恋にタイトルをつけるなら『飴と月』…ちょっと、臭いかな」