第4話 雑用は修行
朝の少し冷える時間に楓琉は宿舎を飛び出し、退魔院内部にある月影の執務室へやってきた。
「......失礼します。楓琉です」
「入れ」
部屋の扉を軽く叩き話しかけると、凛としてよく通る、抑揚のない声に楓琉は唾を飲んだ。
部屋に入ると昨日楓琉が試験を受けているときにいた青い羽の傀儡師が月影の隣に立っていた。
「今日から修行だな。早速だけど今から用事を申しつけてもいい?」
「用事、ですか?」
用事、という言葉を聞いて楓琉はそれを意外に思った。
「ああ。入ったばかりの退魔師には俺が認めるまで雑用を頼んでいる」
なるほど、と楓琉は思った。
それではこの雑用をこなせるようになれば認められるわけだ。
「こっち来て」
月影は執務机に書類を置いて立ち上がり、部屋から出て行ってしまった。
あの傀儡師も何も言わずについて行く。
楓琉が慌ててついて行ったその先には、退魔院の大きな書庫の前だった。
「お前の仕事はこれ」
「これとは」
「書物の整理」
指差されたのは出しっぱなしになった書物の山や、分類されておらず雑に書棚に詰め込まれた書物。
さすがは退魔院本部。
書物だけでも相当の量がある。
こうなればかなりの時間がかかってしまうだろう。
早く仕事を始めなければ終わらないと早速仕事を始めようとしたとき、月影が首を傾げた。
隣にいる傀儡師も痛ましい表情になっていることを見て、楓琉はその場に凍りつく。
「何をしている」
「えっと、仕事ですけれど......」
「まだ説明は終わっていない」
楓琉は思わず唖然としてしまった。
「失礼しました」
「俺はこれから藍天と共に外出するから、帰って来る前に執務室の書類を分類しておくこと」
「承知しました」
「あと、昼ごろに文が届くようになっている。崑崙城に行って受け取ってこい」
崑崙城、ということは文の主は皇帝やお偉いさんの誰かだろう。
でも今日までにそれらの雑用を終わらせなくてはいけないことを考えるとかなり時間がない。
「あ、紙と墨をきらしていたので補充しておいてくれ。それから......」
部屋にある書物の中には書庫から借りてきたものもあるので、それを返しに行くこと。
部屋にある紙に借りに行く予定の新しい書物を記しておいたので、それをまた借りてくること。
中庭の花や木に水をやっておくこと。
退魔師たちの訓練を記録しておくこと。
「これを全部一人でですか?」
思わず疑問を口にしてしまった。
「当然だ。他に誰がいる」
「他の新入りたちは......?」
「それぞれ、別の雑用についてもらっている」
それを聞いて幻妖のように瞳から光を失った楓琉を見て、今までずっと様子を伺っていた傀儡師こと藍天が慌てて話に割り込んできた。
「ちょっとお待ちを、司令。いくら何でもそれでは楓琉殿が可哀想です」
もう少し量を減らしてゆっくりと教えていった方が、と言いかけた藍天の言葉を月影は鼻で笑った。
「これくらいできないようなら、幻妖退治なんてできっこない」
楓琉は思わずこれと何が幻妖退治に関係あるのか、と突っ込みそうになった。
月影は激しく楓琉を問い詰める。
「できないのなら、今すぐここから出て行け」
「......できないなんて言ってません」
「ならば行動に移せ。身体が壊れないように気をつけて行動しろよ。俺はもう出る」
言うが早いか、月影はさっさと背を向けて歩き出してしまう。
一回心配そうな顔で藍天が振り返ったが、すぐに月影について行った。
こうしている間にも時間は刻一刻と短くなる。
こうなったらもう、意地だった。
まずは、書庫にある書類の整理である。
山積みにされている書物を分類し、書棚がどのようになっているのかざっと確認する。
それから書棚にある雑に入れられた書物を引き抜き、同じように分類する。
だいたい分類し終えたらまとめて書棚に放り込んだ。
次は、執務室の書類である。
書庫へ戻すものは外装が凝っていたのですぐに分かった。
各地の幻妖による被害状況、任務の依頼、丁寧に書かれた幻妖の情報集などさまざまな種類の書類をまとめ、執務机へ並べて置く。
そういえば月影は紙と墨が足りないと言っていたのでそれを倉庫から適当な量を出して、これもまた彼の執務机に置く。
しかしそれだけでは何か言われそうなので楓琉はしばしの思案の後、月影の硯箱を取り出し、墨をすり始めた。
ある程度墨をすり終えたら、また書庫へ走る。
適当な場所へ書物を戻し、月影の机の上に置いてあった紙を見て何冊か書物を引き抜く。
そのとき、月影と藍天が帰ってきた。
この頃にはもう太陽は中天にさしかかりつつあった。
力のない楓琉はもうすでに疲れきり、ぐったりしていた。
「ご苦労様。で、俺への文はどこ」
疲れて息が切れ切れの状態で楓琉は答えた。
「それはまだ、取りに行って、おりません、けど......」
「昼には取りに行くよう言ったはずだけど」
そんな楓琉を見ても月影は顔色一つ変えず、さらには冷たい目で楓琉を睨みつけた。
楓琉はその態度に少し不快を覚えてしまい、つい言い返していまった。
「お言葉ですが」
「いや、もういい。藍天に取りに行かせる。お前は自分のするべきことの順序を考えて行動しろ。少しは頭を使え」
吐き捨てるようにそう言われると、楓琉は一瞬頭が真っ白になったがしばらくして我に返った。
「お、お待ちを! 長官!」
「俺のことは司令と呼べ」
「ならば司令! 少しお時間よろしいでしょうか!? ほんの少しで良いので!」
そう言うと月影は足を止め、こちらを向いた。
「そう、ならついて来て」
ようやく話を聞いてくれるようになったかと少し安心したが、連れてこられたのは退魔院の広大な庭だった。
「退魔院敷地内全ての草を刈れ。終わったら聞いてやる」
楓琉は今度こそ本当の絶望というものを見た。
庭には綺麗な青桐や花々が植えられているが、雑草が自由に伸びきっておりあまり見栄えは良くない。
みんなでやるならそれなりに重労働でもないが、一人でやれというのならかなりきついだろう。
「一月以内に終わればいいな?」
月影はそれだけを言い残し、また出て行ってしまった。