第3話 夜蘭
秋も深まり、後宮の木々も葉を落とす時期になった。
吹き抜ける風もまた冷たさを増していた。
しかしそんな寒さの中でも後宮の華やかさは変わらない。
皆胸元の大きく開いた儒裙を纏い、髪をきっちり結い上げて首元を露わにしている。
そんな様子を見て夜蘭はつい寒くないのかと突っ込まずにはいられなかった。
しかしここでは夜蘭も同じようにしなければいけなかった。
なにしろ自分は美女だとされているのだ。
絹糸のような髪や満月のように白い肌、そして全身を覆う珍しい黒色の羽。
唯一色のある部位は菫色の瞳と僅かにある鳳凰の七色の羽である。
本当はもう少し羽を伸ばして過ごしたかったが、後宮という息苦しい鳥籠に入れられたのだから仕方ない。
もうすでに慣れている針仕事を終えた後、夜蘭は大量の仕立てた着物を籠に入れて後宮内の建物を移動する。
そして、目的の部屋の前に着くと扉を軽く叩く。
「そこに置いといて」
無愛想に返事をするのは部屋つきの侍女だ。
部屋の主は権力や財力でのし上がった真鴨の豪商の娘だと聞いている。
後宮に入る前はちやほやされて育った世間知らずのお嬢様だったのだろうが、後宮に入って絢爛の花々に気圧されたり自分の真の姿に衝撃を受けたりして引き篭もりになったのだろう。
そんなことするくらいなら早くこの鳥籠から出ていけばいいのにと夜蘭は思う。
引き篭もったって誰も迎えに来てはくれないのだ。
「......ねえ見て、あの子が例の新しい子よ」
そのとき不意に囁き声が聞こえてきた。
「へえ、確かに美人ね」
「でも近づくのは嫌だわ。不吉な色の羽を持ってるもの」
「確かにそうね、不幸になりそう。近寄るのはやめておきましょう」
実のところ夜蘭には友達というものがいなかった。
この黒い羽もそうだが、自分の性格にも問題がある。
誰に対しても素っ気なく一人でいることを好む夜蘭には基本的に友達は必要ないが。
でもたまに集まっておしゃべりをする鳳凰たちを見かけたり、中庭で花や蝶と戯れながら優雅に飛び交う極楽鳥たちを見るとなんとも言えない羨ましさが込み上げてくるときがある。
この世界の人々は皆〝変化〟を自在に操ることができる。
人の姿と、獣の姿、そして鳳凰や龍などの瑞獣だけが本来の巨大な姿とを使い分けることができた。
それぞれ種族によって差があるだろうがこの星の人々は人の姿になると背中に翼、腰に尾が残る。
人の姿になることで獣の姿ではできないことができるようになったのだ。
この後宮では基本的に皆常に人の姿になり、人の姿では翼と尾を隠すことを原則としている。
ただし瑞獣、特に鳳凰は人の姿でも翼と尾を出すことを許されている。
瑞獣特有の巨大な両翼と体より長い尾羽を全て隠すのは困難だからだ。
「......あ」
中庭の隅を歩いているとある人物を見かけた。
男なのに後宮の鳳凰たちより華やかな雰囲気を醸し出している。
言うまでもなく金龍の蒼牙である。
「閣下」
「あ、夜蘭。君から来るなんて珍しいね」
夜蘭が話しかけると蒼牙は胡散臭い笑みを濃くした。
「頼まれていたものが出来上がったのでお届けに参りました」
そう言って夜蘭は籠からいくつかの袍服を取り出して蒼牙に差し出す。
蒼牙はしばらくそれを物珍しそうに眺め、満足そうに頷いた。
「まるで本物のような刺繍......素晴らしい。よし、じゃあ君を針仕事専門の職に就けるよう手配しておこう」
後宮に入ったばかりのとき状況が掴めずに困っていたが、自分の手先が器用なのは知っており針仕事に就けるようお願いしたのだ。
すると何着か作ってみろと言われ今に至る。
妃の服を作ることは普段から暇つぶし程度にやっていたが、袍服を作るのは初めてなので少し時間がかかってしまった。
夜蘭は礼だけ言うとすぐに立ち去ろうとしたが、待てと止められた。
「相変わらず綺麗な尾羽だね。今からゆっくり眺めさせてくれたら嬉しいけど」
「......すみません、所用があるので」
「それは残念」
蒼牙は少しも残念そうな素振りを見せずにそう言った。
国の宰相がこんなことしてもいいのかと疑問に思ってしまうのだが実際この人は大丈夫そうなので気にしない。
それにしてもこの金龍は人の形をしていれば誰でもいいのだろうか。
少々面倒くさい金龍と別れた後、夜蘭は小走りで次の部屋へ向かった。
もう少しで日が暮れるが仕事はたくさんある。
蒼牙に連れてこられてから早くも一月、好きでここにいるわけではないが給金はもらっているのでその分働こうと思う。
このとき夜蘭はまだ知らなかった。
あの金龍によって夜蘭の運命が大きく変わることになると——。
【用語解説】
・儒裙—女性が好んで着る伝統的な中国服装。
・針仕事—布地を裁ったり縫ったりして衣服を作ること。裁縫。
・不吉な色の羽—本当の中国の縁起の悪い色は白だが、この物語では黒。そうしないと物語が狂ってしまうため。
・変化—この世界の人は人の姿と、獣の姿、瑞獣だけが本来の巨大な姿を使い分けることができる。