第2話 楓琉
「ご苦労様」
楓琉の目の前には先ほどまで動いていた傀儡の残骸があった。
無事に試験に合格したのである。
楓琉は激しい動きでまだ回復しきっていない体を支えるのに必死だった。
「術の一つ二つくらい使えるようになったら任務を与える」
この世界において術とは、唯一幻妖に対抗できる手段だ。
術にはそれぞれ属性があり誰もが使えるものではない。
普段から修行を積み重ねて自分のものとなる能力なのだ。
「だからお前はここ、退魔院本部にて修行を命ずる」
退魔院。
それは事態に備えて高火力兵器の開発、退魔師の訓練などを行う対幻妖機関である。
各地に支部があり、かなり大規模な機関である。
「返事は?」
「は、はい!」
つくづく思うが、この人は近づき難い雰囲気をまとっている人のようだ。
「そういえば自己紹介がまだだった」
切れ長の闇色の目を光らせ、少し面倒臭そうな口調で告げられる。
「俺は月影。種族は八岐大蛇。この退魔院の司令官だ」
八岐大蛇——八つの頭と八つの尾を持つ大蛇だと聞いたことがある。
要するに一つの胴体に八つの蛇がついているものだろう。
失礼極まりないが月影も幻獣の姿になればそれなりに化け物のような容姿をしているのかと楓琉は思う。
もしかしてこの人は幻妖なのかとそんな考えが頭をかすめたが、人を見た目だけで判断してはいけないとよく兄に言われていたことを思い出す。
そのとき一瞬だけ月影が空を見つめて顔を引きつらせた。
「明日の辰時《朝八時》にここに来い。鍵を渡すから宿舎で休んでろ」
やけに早口になった月影に楓琉は訝しみながら宿舎の鍵らしきものを受け取ると少し乱暴に外へ追い出された。
楓琉はしばらく思考停止状態になりようやく正気に戻ったときには退魔院の大きな扉は固く閉ざされていた。
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「俺は月影。種族は八岐大蛇。この退魔院の司令官だ」
そのとき一匹の金龍がまっすぐ飛んでくるのが見えて月影は思わず顔をしかめてしまった。
そしてさっさと楓琉に宿舎の鍵を渡すと半ば強制的に退魔院の外へ追い出した。
「蒼牙......来たのか」
瞬く間に近づいた金龍こと蒼牙が長い体をうねらせ、人の姿に変化すると夥しい金の砂子がきらきらと舞い落ちる。
それは床に落ちる前に消え、儚き桜の花びらのようだった。
まあ月影にとっては掃除の必要がないので楽なだけに過ぎないが。
「随分弱そうな鳳凰だったな、見た目は綺麗だが」
「弱いよ、異常なくらいに」
「なぜ退魔師として認めた?」
蒼牙は二つの色の違う瞳を細めて胡散臭い笑みを浮かべた。
月影はこの笑顔が嫌いだ。
心の底まで見透かされているような感じがして気持ち悪い。
自分よりもさらに蛇の要素を感じる。
「......気になったから」
「そうか」
半分嘘で半分事実である。
世にも珍しい白色の鳳凰を退魔師として認め、観察しようと思ったのだ。
それに彼の心の中は何か不可思議なものが埋まっている。
言葉にできない悲しみや固く結ばれた絆など。
様々感情が入り混じったその心は探りがいがありそうだ。
代々受け継ぐ邪神としての感だが。
蒼牙の華やかな刺繍が施された袍服に下がった房飾りや佩玉がじゃらじゃらと音を立てる。
派手な衣服の着こなしにその美麗な容貌や能力から蒼牙は非の打ち所のない人物と言われている。
実際、月影も能力に関しては尊敬している部分もある。
能力に関してはだが。
「......触るな」
背中の方から痺れるような感覚があったと思うと先ほどまで月影の目の前にいた金龍の姿が消えている。
どうやら月影の後ろに回ったようだ。
月影の背中の蛇の胴体をそっと指先でなぞっている。
「別に良くないか? 意思は違うのだろう?」
「触りがあるんだよ!」
「痛っ!?」
容赦なしに蛇の牙で咬みついてやった。
ちなみに毒は入れてない。
死ぬことはないので大丈夫だろう。
権威性のある奴だが神秘的で意地悪。
一角の国の宰相がこんな性格でも大丈夫なのだろうか。
懲りない金龍がもう一度月影に接近しようとしてきたそのとき。
目の前を青く大きな影が横切った。
「はい、お二方そこまでです」
気づけば先ほどまで存在を忘れていた傀儡師——藍天が鳳凰に負けぬ青く大きな翼を広げて月影と蒼牙を制していた。
「司令は無闇に他人に咬みつかないように。閣下も悪戯はほどほどにしてください」
幼い子どもを宥めているような言い方で少々気に食わないがいい部下を持ったものだ。
藍天の言葉で正気を取り戻したのか、蒼牙は咳払いをすると本題を話し始めた。
「最近、後宮に入ったある女官の噂を知っているか?」
「知らない」
第一退魔院は男性部員が多い。
そんな女の花園での噂を流しても広がるのか怪しいし、何よりも月影は女には興味がない。
「その女官は鳳凰なのに黒い羽を持っているらしい」
「......なんだって?」
烏さえも白銀色をしているこの世界で黒い羽を持つ者はいないはずだ。
一つ心当たりがあるとすれば——。
この世界の神話上の存在とされる〝黒鳳凰〟。
だがこの国の人々は皆この神話を本気にしていない。
おしゃべり好き、噂好きな極楽鳥たちが勝手に流したお伽話だろうと言われている。
「で? 俺に何して欲しいの」
蒼牙が口にすることには大抵理由がある。
幼い頃から生活を共にしていた月影にとってそれを見分けるのは簡単なことだ。
月影がそう言うと蒼牙は顔に貼り付けた笑みをさらに濃くして頷く。
「さっきの弱そうな白い鳳凰について調べてもらいたい。話によるとその白い変わり者と女官は同じ里の出身だそうだ」
蒼牙は同じ里の出身というところをやけに強調してそう言った。
月影は蒼牙の胡散臭い笑みを見つめてふととある思考に思い当たった。
——まさか。
もし月影の考えていることが全て正しかったのなら。
国だけでなく世界、いや宇宙規模の問題となるだろう。
最後に金龍はゆっくりと反芻するように言った。
「彼女の名前は夜蘭という」
これは面倒ごとに巻き込まれたなと月影は悟った。
【用語解説】
・術—唯一幻妖に対抗できる手段。様々な属性があり、誰もが使えるものではない。
・退魔院—事態に備えて高火力兵器の開発、退魔師の訓練などを行う対幻妖機関。各地に支部があり、かなり大規模な機関。
・八岐大蛇—日本神話に登場する伝説の生物。本来は山神または水神である。八つの頭と八本の尾を持った巨大な怪物。
・司令官—ある程度の大きな規模を有する単位の部隊を指揮する指揮官(部隊長、長)に充てられる役職。
・辰時—午前八時。
・房飾り— 木芯を素材の糸で被せた房。
・佩玉—腰帯などの着衣につり下げる玉製の装身具のこと。古代中国で装飾品として愛されていた。
・袍服—日本や中国などで用いられる衣服。