第1話 隠れ里
〝誰かを守りたい〟
本気でそう思ったことがある。
楓琉は、体が弱かった。
誰よりも美しい純白の翼と七色の階調の羽を持っていても、端正な顔を持っていても体だけは誰よりも弱かった。
「こっちこっち! 早く!」
「あ、ちょっと待ってよぉ」
質素な家が立ち並ぶこの隠れ里で子どもたちは楽しそうに鳴いて遊んでいる。
楓琉より少し年下の子どもたちのようだ。
楓琉はそれに近づいた。
その輪に入りたかったからだ。
だけど途中で何かにつまづいて転んでしまった。
手を伸ばしても、届かない。
いつもそうだった。
「何やってんだ、楓琉! 家で休んでろって言ったじゃないか」
どこからともなく楓琉の兄がやってきた。
楓琉を立たせ、その泥を綺麗に落とす。
気づけば陽も傾き始め、兄は仕事が終わって帰ってきたんだなと思う。
楓琉がまだ子どもたちの方を見ていると兄はそちらに目を向けて指差した。
「あれに入りたいのか?」
兄がそう言うと楓琉は小さく頷いた。
そして兄は何かを我慢したような顔をして少年に優しい目を向けた。
「今日は......我慢しろ。明日街に連れてってやるから」
楓琉は諦めきれずに再び目を子どもたちに向けたが、すぐに歩く兄の後をついていった。
いつもこうだった。
楓琉の兄、楓焔は強かった。
退魔師という特別な職についており、人々を喰らい災害を起こす怪物を次々と倒していった。
一族特有の赤い羽をなびかせながら人々を救う楓焔に楓琉は憧れていた。
楓琉は人々を守ることにも憧れを持っていた。
自分の体がもう少し強かったら、と兄を妬むこともしばしばあった。
質素な家の前に来ると楓焔が足を止めた。
「おい、早く行けよ」
「お、お前が行けって」
楓琉は、ふと家の前でたむろしている影を見つけた。
そこにいるのは三人の少年だ。
今度は楓琉と同じくらいの歳のようで、家の窓を覗き込みながらこそこそ話している。
実はこれは初めて見た光景じゃない。
楓焔は仕方がないように彼らに近づくと咳払いをした。
「あの、そこをどいてくれないか」
三人の少年たちはびくりと体を震わせ、こちらを振り向いた。
そして楓琉と楓焔を認識すると表情を明るくし、前のめりになった。
「楓琉! 楓焔大哥! よかった! 偶然会えるなんて!」
「あの、どうかこの手紙を夜華さんに渡してください!」
「あ、これも!」
彼らはこちらに口を挟む間も与えずに兄の手に沢山の手紙や贈り物を押しつけた。
「それじゃ、よろしく! 失礼しました!」
「あ、ちょ——」
楓焔が何かを言いかけたが三人の少年たちは話を終わらせると走り去っていった。
楓焔は深いため息を吐き、家の中に入っていった。
楓琉はその後を何も言わずについていく。
手紙はきちんと丸めてあって読めなかったが、内容はおおよそ予想がつく。
「あ! おかえり楓琉、楓焔さん!」
家に入るとすぐに幼馴染が笑顔で出迎えてくれた。
さっきの少年たちの目当てでもある幼馴染こと夜華は優しい性格や柔らかな笑みが里の男性に人気だ。
刺繍や編み物などの手芸が得意で笛や琴などの音曲を嗜むも好きだった。
夜華は楓琉とは反対に、漆黒の翼を持っている。
禁忌の色と言われている黒だが楓琉は個人的に好きな色だ。
「ねえ、さっき外で誰かと話してなかった?」
「ああ、お前の客だ。はいこれ」
楓焔はさっき少年たちからもらった手紙や贈り物を夜華に渡した。
贈り物には高価な簪もあるようでなかなか凝ったものだった。
夜華はそれを見ると困ったように笑った。
「今日はお仕事大変だった?」
「まあまあ。いつも通りだな。夜華は?」
「結構進んだよ。ほら見て」
夜華が見せたのは刺繍だった。
純白の絹地に桃色や赤色の牡丹の花が丁寧に刺繍されている。
それはまるで本物と見紛うほどの出来だ。
刺繍が得意な夜華は楓焔が外で働いている間にこうして家で針仕事をしているのだ。
「綺麗にできたな、偉い偉い」
兄が労うように頭を撫でると夜華は嬉しそうに笑った。
いつも見ている彼女だがやはり可愛いと楓琉は思った。
夜華が楓琉の隣に駆け寄ると奥の部屋を指差した。
「そろそろ夕食の準備しようか」
「そうだな」
木の自然な香りが漂う奥の部屋に入る。
楓琉と楓焔は幼馴染に促されて食卓の前に座った。
楓琉はあまり動いていないのでそれほどではないが、楓焔は一日中働きづめだったのでとてもお腹が空いているだろう。
「お匙どうぞ」
「ありがとう」
二人は夜華から匙を受け取った後、手を合わせた。
食卓に並んでいるのは具のないただの粥。
木の椀に注がれたそれが質素に置かれている。
食卓に置かれているのはそれだけで、他には何のおかずもない。
「......すまない」
楓焔が何かを呟いた。
「腹いっぱい食わせてやれなくて」
そして楓焔は顔を上げて悲しそうに、力なく笑った。
楓琉の里は貧しい。
街から離れていることもあり、楓琉の家では両親が亡くなってからさらに貧しくなってしまった。
楓焔がどんなに頑張っても限界はあるのだ。
だから楓琉も頑張らないと思っていた。
だが体が弱かったのだ。
その事実は変わらない。
これまでも、きっとこれからも——。