【私の日常】 act2 miya
著者:N高等学校『文芸とライトノベル作家の会』所属 miya
西暦1579年、とある小さな王国の話。
ロシャン・リーヴス、三十一歳。彼は王族デラスフォード家に仕える執事である。
「お嬢様はこの国で一番偉い女王なのです。その自覚をもって生活していただかなくては、国民に示しがつきません」
十二年前、当時執事見習いだったロシャンは、生まれて間もないデラスフォード家長女・エリーの『世話係兼教育係兼護衛』に任ぜられた。見習いの立場であったにもかかわらず「第一王女の執事」という大役を任された彼は、その若さからは想像もつかないほど、執事として完成されていたのだ。
「ふん。私は女王になりたいと思ってなったわけじゃないわ。生まれた先がたまたまここだっただけ。私はもっと普通の生活をしたいの」
十二年前、毎日のように夜泣きをし、使用人たちを悩ませたエリー。そんな彼女も今や、一国を統べる女王となった。ご立派になられたものだ、とロシャンは感涙する。
とはいえ、まだ十二歳。言動や振る舞いなど、年相応に幼さが残る部分もある。今も昔も変わらない、お嬢様の我儘を諌めるのもまた、私の使命だ。ロシャンは襟を正して、改めてエリーに言い聞かせる。
「お嬢様は国民にとっての光であり憧れなのです。憧れの女王であり続けるのも、お嬢様のお役目なのですよ」
「私はそんなの望んでないわ」エリーはぷいと顔を背けて言う。「憧れの存在より、憧れの存在を追いたいの!」
「憧れている方がいらっしゃるのですか?」
ロシャンの何気ない一言が、エリーを凍りつかせた。
……やってしまった。私はバカだ。憧れている存在がいる、そのことは今まで誰にも話していなかったというのに。
どうしよう、どうすればいいの。現状を切り抜ける術を必死に探るが、焦りで頭が上手く回らない。ましてや、妙案など閃くはずもなかった。
「……居るわよ」
エリーは観念する。そっと心に秘めてきた憧れを、はじめて人に打ち明けた。
「そりゃ、生きていれば憧れの存在ができてもおかしくないでしょう?」
顔を背けたままエリーは言う。発せられた小さな声は、気恥ずかしさに震えている。彼女の胸中を察したロシャンは早々に話を終わらせ、話題を変えることにした。
「そうですね、確かにその通りです。ではその人を追うのですか?」
「そうよ。私はその人を追い続けるわ」
開き直ったエリーはロシャンの方を向き、宣言する。いつまでももじもじしないの、私。ばれたことには変わりないんだから、今更恥ずかしがってもしかたないわ。
「逃げるのをやめようとしたら、権力を使ってでも逃げてもらうんだから」
お嬢様、世間ではそれを職権乱用と呼ぶのですよ。突っ込みを入れたい気持ちをおさえ、ロシャンは一つ、単純な疑問を投げかける。
「お嬢様が憧れる方はなにかから逃げているのですか?」
「べ、別に逃げてる人じゃないわよ。ただ追いつけない存在でいてほしいだけ」
「そうなのですか。ただ、権力を使うのは女王としてふさわしくないかと」
あくまでエリーに仕える執事として、ロシャンは彼女に意見した。「今の時間だってもっとお淑やかに、女性らしく振舞って頂かないと」
「もう、またそうやって私を女王にしようとするんだから! 人前に出るときはちゃんと女王になってるんだし、今くらい休ませてくれてもいいじゃない! あんまり女王女王って強要するならクビにするわよ!」
途端にエリーはむくれた顔をして、駄々をこねるようにまくし立てた。
「私はお嬢様の『お世話係兼教育係兼護衛』です。産まれたときからお嬢様のそばにいた私を、そう簡単に解雇してよろしいのですか?」
息巻くエリーを、ロシャンは表情一つ変えずに諌める。彼女に仕えて十二年、このやり取りも何度目か。すっかり手馴れたものである。
「……ふん」暫くの沈黙の後、劣勢を悟ったエリーは捨て台詞代わりに鼻を鳴らした。「今はクビにしないであげるけど、いつかクビにしてやるんだから。それまでに次の『お世話係兼教育係兼護衛』を育てておくことね」
「かしこまりました。では私の人工知能を搭載したロボットをつくらせます」
「あー……もういいわ。私から離れる気がないことは充分わかったわよ。ロボットをつくらせるのはやめときなさい」
エリーの目に、昏い諦観の翳りが落ちる。「どうせ、完璧なロボットはつくれないわ」
「私の気持ちが通じて嬉しい限りです。そう簡単にこの立場を降りるわけにはいかないものなので」
ロシャンの言葉からは心なしか、強く固い意志が感じられた。そのことが、エリーにはうれしかった。しかし、それをそのまま口に出せるほど、素直な性格でもなかった。
「私が本気で嫌がれば立場もクソもないのだけれど?」
「クソというのはおやめください。お嬢様にふさわしくありません」
ロシャンの声色が厳しくなる。エリーの言葉には所々、由緒正しい王室に育ったとは思えないほどの粗暴さが見られた。いったいどこでそんな言葉を覚えたのやら。お嬢様の周りにそのような言葉遣いをする者など、誰一人いなかったというのに。
今まで何度も、こうしてエリーの振る舞いを正してきた。そしてその度に「クビにするわよ」と迫られ、「よろしいのですか?」と諌め、「ふん」と鼻を鳴らされた。
そんなロシャンだからこそ、確信をもって言うことができる。
「そして、お嬢様が私を本気で嫌がることはありませんよ」
「私のなにを知った気でいるのかしら。私は嫌なときは嫌って言う性格よ?」
「ーー憧れの存在。それは私なのでしょう?」
平然とロシャンは言い切った。
揺るぎない確信のもとに放たれた、あまりにも迷いのない言葉。それに気圧されたのか、エリーは数秒の静寂をおいて、ようやく「違うわ」と一言を絞り出した。
「……ロシャン。あなた相当恥ずかしい間違いをしたのだけれど、よくそんな平然とした顔でいられるわね」
「予想が外れてしまったようですね。大変失礼致しました」
言ってロシャンは頭を下げる。
「そんないつもと同じ表情で謝られても謝られた感じがしないのだけれど……」
少し煮え切らないような顔をした後、エリーは壁の時計をちらりと見て言った。「んん、喉が渇いたわ。紅茶を淹れてくれる?」
「お菓子は如何なさいますか?」
「そうね、ロシャンが好きなお菓子をもってきてくれる? 紅茶もお菓子も二人分、ね」
「かしこまりました。少々お待ちくださいませ」
ロシャンは一礼し、退室する。
扉が閉まり、足音が遠ざかっていく。自分以外には誰もいない、それを確かめたエリーは部屋に一人、呟いた。
「なんであんなカマかけたのかしら。私の思考が読まれていたとか……?」
ーー憧れの存在。それは私なのでしょう?
表情一つ変えることなく、彼は言い切った。はじめて会った時から、たったの一度も崩れないポーカーフェイスのままで。
「いやいやいや。ずっと隣で見てるからって、そんなことまで分かるわけがないわ。第一、私はロシャンの思考を読めないんだし」
エリーにしてみれば、彼とは三十年弱の付き合いになる。それだけの時間を共に過ごせば、あるいはーーーー。
そこまで考えて、エリーはぶんぶんと首を振る。秘めたる憧れのその奥まで、彼に知られたくはなかった。
「というか、ロシャンが表情を変えないからわからないのよ。もう少し可愛げのある表情を見せなさいよね!」
あの時のことは、今でも鮮明に思い出せます。
西暦2019年、とある夏の日。恵理子お嬢様とその執事である私は、終業式を終え、自宅に戻るところでした。その最中、私達を乗せた車は事故に巻き込まれてしまった。
車は大破、炎上しました。薄れゆく意識の中で、私はただ、お嬢様をお守りできなかったことを悔いていました。
次に私が目を覚ましたのは、西暦1553年の世界でした。五歳の少年、ロシャン・リーヴスとして、私は生まれ変わっていたのです。
前世の記憶を活かし、私はこの世界でも執事として生きることを選びました。十五の時、この国を統べる王族・デラスフォード家の執事見習いとなった私は、四年の修業を積んだ後、生まれて間もないエリーお嬢様の執事に任ぜられました。
今度こそ、お嬢様をお守りする。強く固い決意を胸に、私は新たな主に仕えていました。だからこそ、五歳の誕生日を迎えられたエリーお嬢様が放った言葉には、心臓が止まるかと思うほど驚きました。
ーー私の名前はエリーじゃないわ、恵理子よ!
そう、恵理子お嬢様もこの世界に生まれ変わっておられたのです。そして、何の因果か私達は、生まれ変わっても主人と従者のままでした。
「お嬢様に振り回されるのも、振り回すのも。私の役目ですから」
この奇跡はきっと、私に告げているのです。執事として、己の使命を果たせと。
ですから、何があろうとも、私がお嬢様をお守りします。今も、昔も、生まれ変わっても。