5
それから少しの間。
少年と少女は時間を忘れて語り合っていた。
人が来れば物陰に隠れ、また居なくなっては物陰から出て。
二人でそんなやり取りをしていると、自分たちのしていることがなんだかとてもおかしいことに感じられて、お互いに打ち解けてくる。
少年が自分からあまりしゃべらないから、だろうか。
少女が何かに気が付いたように笑うと、手を合わせた。
「そういえば、一つ聞いてもいいですか?」
「うん、いいよ」
「あの、どうして、こんな場所に来たんですか?」
「え……僕が、ここに来た理由?」
「はい。どうしてかな、って思いまして」
「……どうして、かな。本当は、怖くて怖くてしようがなかったはずなのだけど……。きみを見たら、ついここまで来ちゃって」
「私を見て、ですか?」
「え、あ……うん」
「そ、そんなこと言われてしまうと……」
少女が、照れたように顔をそむけて少年から目をそらした。
初めて見る異性のそんな仕草に、少年はなにも知らない彼女のことを、どんどん興味をそそられてしまう。
なんだか、照れてしまった彼女が口数が少なくなってしまった。
何か話題がないか、と思っていると少年はまだ彼女の名前を聞いていなかったことに気が付いた。
「そうだ、君の名前は?」
「なまえ……ですか?」
まるで、考えもしなかった。とでもいうように、少女は困った顔を見せる。
「ごめんなさい。私、教えるなって言われてて……」
「そっか……」
「ねぇ、それじゃあ私に名前を付けてくれないでしょうか?」
「え?」
「私、ここの人達には番号でしか呼ばれたことなくて……。今まで、誰かに買われたこともなかったので――」
あ、そうだ。と、少女は手を合わせて良いことを思いついた、とでも言いたげに口元をほころばせる。
「よろしければ考えて頂いてもよろしいですか?」
「え、な、なにを考えるの?」
「私の名前を、です。このまま名前を呼び合わないでお会いになるなんて、寂しいじゃありませんか? 仮初めの名前でよいのです。よろしければ考えていただけないかな、と」
「僕が?」
「ほかに誰か?」
「えっと……」
少年は困ってしまった。
人に名前はおろか、名前というものに特別意識をしたことがなかった少年は人の名前を考える、という行為も初めてだったのである。
小首をかしげる少女。
ふと、そんな少女を見ていると、自然と自分の喉から言葉が出てくるような気がした。
「イキシア! イキシアなんてどう……かな?」
「イキシア――」
「なんとなく思い継いだんだけど……き、気に入ってくれた?」
「えぇ……えぇ、とても。イキシア、イキシア!」
少女が、イキシア、という言葉を、まるで覚えたての子供のように連呼をする。
無邪気にその名前口にする少女は、とても嬉しそうに見えて……。
少年は彼女の役に立てたのだ、と思った。
「よかった」
「あなたの……」
「え?」
「あなたのお名前は?」
「僕、の?」
「はい、ぜひ教えてください。私、気になってしまいます。このままでは一人の夜を寂しく過ごす、なんてこと出来ません。せめて、お名前を……」
なぜか、少年は嫌な予感を覚えてしまった。
彼女に自分を知ってもらいたい。彼女に名前を教えてしまいたい。
そう思ってしまっている自分自身が居ることに、少年はなにか違和感を覚えたからだ。
黙ってしまっている少年の顔に、少女が顔を近づける。
「どう、したのですか?」
「ち、近いよ。それに何でもないから、気にしなくても大丈夫」
「では――」
「でも、ごめん。僕の父親が有名な人だから、あんまりこういうところに来てるってばれたらまずいって思って……」
とても、下手な言い訳だ。
少年は自分でもそう思っていたのだが、少女はあっさりと引き下がった。
「ああ、申し訳ありません。私ごときが出すぎた真似を……」
「い、いやそう言うわけじゃないんだけど――」
ごめん。そう謝ろうとした少年に、少女は自分の唇に人差し指を当てて止める。
「謝らないでください」
「え?」
「いま、謝ろうとしましたよね?」
「えっと……」
そうだ、とは言い辛い少年の手を取り、イキシアが少年の手を両手で包む。
「謝る、という行為は自分の罪を認める行為……。何も悪くないのに謝るのは間違っていると思います。今のは、私が配慮せずに聞いてしまったからです」
段々と、喋るうちに少女の顔を近くへと寄って来る。
そして、気のせいだろうか。彼女の言葉が、段々と強くなってきているようにも感じられた。
「ぁ、うん」
少年は意味も分からずに了承すると、少女は頷いた。
そして慌てたように手を離した。
「も、申し訳ありません。こんなになれなれしく……」
「だ、大丈夫だよ。うん」
「……私、もう戻らないといけません」
「そっか。僕は一度お父様の元に戻らないと」
「はい、私も折に戻らないといけませんし……」
「……ねぇ、きみは――イキシアはこの場所から逃げよう、って思わないの?」
「逃げる……ですか」
少女は真顔に近い表情のまま少年を見つめ、首をかしげた。
まるで、少年の言っている言葉の意味が分からないとでも言いたげに。
やがて「ああ……」と何かに気が付いたかのように息を漏らすと、
「私は、一人で逃げるなんて許されてないんです」
悲しそうに、微笑んだ。




