第七戦 四式戦
四式戦
「うわー本物のムスタングだ」
民子が声を上げる。
目の前に、オレンジ色に塗装されたP51ムスタングがある。
日本陸軍立川飛行場、ここは太平洋戦争が終わるまで、陸軍航空工廠、陸軍航空技術研究所、陸軍航空技術学校が配置され、周囲には立川飛行機や東亜航空機、千代田飛行機といった航空機メーカーの工場が併設された飛行場で、海軍の横須賀飛 行場に当たる陸軍航空兵器開発の一大拠点であった。多摩飛行機倶楽部との関係も深い。源五郎、智子、民子、マリアたちは、陸軍から呼ばれてここへ来ている。
「陸軍大尉の黒木です」
陸軍軍人には珍しく、穏やかな口調で飛行服を着た士官が自己紹介をした。
「このP51を修理できるかを見ていただきたくて、横須賀の山田中佐にお願いして皆さんへおいでいただきました」
「とてもきれいに整備されていて、壊れているようには見えませんが」
源五郎が聞く。
「先日までは飛行できたのですが、エンジンがかからなくなってしまいました。整備の人間は発火プラグの障害と言っていますが、交換の部品も無く陸軍の整備では手に負えません。多摩飛行機さんは海外製の機体をいろいろと扱ってこられたと聞きましたので、部品やお知恵があれば是非お借りしたいと思っています」
「この機体はどうされたのですか」
智子が尋ねる。
黒木が丁寧に答える。
「中国大陸で鹵獲した米軍のP51です。立川に持ってきて調査をした後、陸軍の操縦士の訓練のために、模擬戦の相手として使ってきました」
「陸軍のパイロットの方は、P51との模擬戦をされていたのですか」
海軍横須賀基地でも聞いたことの無い話のため、智子も驚いて聞き返した。
「はい。極秘事項ですが、私がこれに乗って、日本の戦闘機と何度も模擬の空中戦をやっています。P51はすばらしい戦闘機です。一式戦(隼)や三式戦(飛燕)では相手になりません。四式戦(疾風)だとやっとなんとか戦えるといったところです」
「実は本気を出すと、相手のパイロットが自信を失いますので、模擬戦のときは、いつもこいつの力を抑えてやっています」
黒木は笑いながら答える。
「それは黒木さんが乗っているからでしょう。黒木さんが乗ったら九七戦(陸軍の旧式の戦闘機、ノモンハン事変で活躍した)でも勝てる人はいないでしょう」
源五郎が笑いながらいう。源五郎は黒木の評判を良く知っている。
黒木は高い操縦技術と人柄で多くの操縦者から敬愛されている陸軍の仕官パイロットである。昭和18年から19年にかけては南方へも出て大いに活躍をしたが、日本陸軍航空隊を背負って行く幹部候補として内地に呼び戻され、今は立川基地で研究と育成に任じている。その操縦技術は派手ではないが正確であり、大戦中期の不利な状況のビルマ戦線において10機以上の敵機を撃墜してきたと言われている。
調査用、研究用の飛行機は目立つように黄色やオレンジ色に彩色されている。
オレンジ色のP51をしげしげと見ながら民子が言う。
「私、これあんまり好きじゃないな。冷たい感じがする」
「えー、無駄が無くて良い飛行機と思うけど」
美しい飛行機が好きな民子と、製造や整備のし易さが第一と考えるマリアでは好みが合わない。
「まずは、エンジンを見せていただいていいですか」
源五郎がエンジンカバーを開ける。マリアが手伝う。
「ロールスロイスのエンジンですか。うちにもロールスロイスの発火プラグの予備はあるけれど、このエンジンで使えるものかどうか」
源五郎の言葉に、民子が驚く。
「すごーい、源さん、見ただけでロールスロイスって分かるの」
「いや、エンジンのここにロールスロイスって刻印されているからね」
「・・・・」
智子と民子は黒木の許可をもらってP51の操縦席や計器を確認する。源五郎とマリアはエンジンの様子を見て、故障していると思われる発火プラグと取り外す。
「とりあえずこれを持ち帰って変わりに使えそうな発火プラグを探してきます」
源五郎の申し出に黒木が礼を言い、その上でさらなる依頼をする。
「厚かましいお願いなのですが、四式戦の複操を作っていただけませんでしょうか」
海軍には、練習生のパイロットと教官の2人が搭乗可能で、しかもそのどちらもが操縦できるよう両方の座席に操縦桿のついた複操の零戦がある。しかし、陸軍には実戦用の戦闘機をそのように改造した練習機が無い。黒木はかねてから四式戦の複操タイプの練習機が必要と考えていた。しかし、航空機の設計者や技術者が払拭しており、実戦機優先の中、そのような訓練のための機体を設計や改造してくれる余裕が陸軍にも飛行機会社にも無かったため、源五郎たちのいる多摩飛行機に依頼したいと考えていた。これについては横須賀基地の山田からも了解を取っており、事前に話がされていた。元々多摩飛行機倶楽部は立川飛行機をはじめとした多摩の陸軍の飛行機会社との関係が強い。多摩飛行機倶楽部の会員であった山田との縁で海軍の仕事をするようになったが、山田としても陸軍へ負い目がある。断りきれなかったというのが実情である。
「うーん、誉エンジン(四式戦や紫電改、偵察機の彩雲で使用している高馬力エンジン)は彩雲で慣れているし、機材を提供していただければ、2週間ぐらいあれば何とかなると思いますけど」
「本当ですか。そんなに早く出来ますか」
源五郎の言葉に黒木が喜ぶ。すぐに必要な機材を手配し、多摩飛行機倶楽部へ搬送の指示をする。
喜んだのは黒木ばかりではない。
多摩飛行機の少女たちも、陸軍の最新戦闘機が家に来ると聞いて思わず微笑む。やはり、パイロットの本能として新型機に触れることは嬉しい。部品はトラックで届けられ、機体本体は黒木が自ら多摩飛行機の飛行場まで操縦して運んできた。多摩飛行機の離れでブリーフィングを持ち、改造の方針について認識あわせをする。
源五郎を中心に改造作業が始まり、少女たちも、待機の任務に影響が出ない範囲で源五郎を手伝った。特に、機械好きのマリアは、連絡将校の津田が苦い顔をするくらいに熱心だった。
四式戦は、零戦や一式戦(隼)より、時速100キロ近く速度が速く、また20ミリ機銃と13ミリ機銃を搭載する重武装にもかかわらず旋回性や操縦性も良い。陸軍では「大東亜決戦機」と呼ばれる期待の新型機であった。しかし、マリアを喜ばせたのは、その構造のシンプルさとバランスの良さであった。三菱製の零戦に比べ部品数も大幅に少なく、量産向きで整備もしやすい。量産する戦闘機は、性能と同じようにコストや生産性も優れていなくてはいけないという中島飛行機の理念を体現した飛行機であった。ドイツ人の父の血のせいか、マリアはそのような合理的な機体が好きだ。
予定より早く、10日余りで四式戦の複操化の改造が終わる。翌日少女たちが順番に地上滑走を行い、改造箇所の確認をする。その上で実際に飛行を行い、前席、後席の操縦性を確認して微調整をする。
複操にするための改造作業そのものはけして難しいものではない。しかし、何の計算も無く改造をするとひどくバランスの欠ける飛行機となってしまう。そのため、綿密な計算の上再設計を行って改造は行われる。しかし、その難しい工程を源五郎と多摩飛行機の少女たちはこなすことのできるスキルと経験を持っている。
源五郎の指示の元、大きな方針は皆で話し合い、設計図をマリアが引く。計算は智子が手伝う。それら全体を源五郎が確認する。民子は、「野生の勘」係である。このような作業の場合、計算では求められない、「違和感」や「感性」がじつは大きな意味を持つ。その感性が民子には備わっている。
四式戦の微調整が終わったその日、横須賀基地から連絡がある。対戦闘機戦用に配置された零戦が不足してきたことより、多摩飛行機に配置されている零戦2機を横須賀飛行場へ引き上げ、新造の零戦2機と交換することとなった。
新造の機体へ切り替えることは、通常歓迎すべきことであるが、太平洋戦争末期の飛行機は粗製乱造のものが多く新造機にはそのまま実戦で使えないものが多い。一方、源五郎や少女たちが整備した飛行機の評判は、パイロットたちの間で非常に高い。 彼女たちが整備して使用している飛行機を定期的に引き上げ、程度の悪い機体を多摩飛行機へ回す運用は、少女たちが十分な成果を上げるようになってからも変わらない。
翌朝、夜明けと同時に2機の零戦を智子と民子が横須賀へ運ぶ。その足で新造の零戦を受け取って帰ってくる段取りになっている。マリアは調整の終わった複操の四式戦を立川基地へ空中輸送するための最後の確認をしている。最近では、昼間にP51だけの編隊が東京上空へ侵入し、飛行している日本機を撃墜するとともに、基地や鉄道、民間の施設までも銃撃するようになっている。そのため、航空機の輸送は極力早朝に行うようにしている。
「マリアいいなー、四式戦を最後まで操縦できて」
前日から民子が何度もぼやいていた。民子も四式戦を気に入っている。しかし、マリアがもっとも熱心に今回の改造を進めたので、最後の搬送はマリアに任すと決めていた。四式戦の準備が終わる。
「横須賀基地から連絡がありました。先ほど智子さんたちがこちらへ向かったそうで。そろそろ着くかもしてません」
連絡将校の津田が源五郎とマリアへ伝える。
「じゃあ、民ちゃんが羨ましがるから早く行ったほうがいいわね」
マリアが微笑む。
「この飛行機、燃料が30分飛べる分ぐらいかしか積んでいないから気をつけて」
源五郎が注意する。
「大丈夫、立川までなら飛び上がったら5分もかからないから」
「でも、源さんのおかげで本当に良い飛行機に仕上がったから、黒木大尉も喜ぶかな」
「マリアちゃんは、黒木大尉がお気に入りかい」
「うん、エース(撃墜王、5機以上の撃墜スコアがあるパイロットのことをそう呼ぶ)の人って、きつい性格の人が多いけれど、黒木大尉は普通に優しいから」
「黒木さんはマリアちゃんと10歳ちがいぐらいかな。もう少ししたら手が届かない齢の差じゃないね」
「いやー、源さん、そんなじゃないんだから」
マリアは声を上げて笑う。少女たちは最近笑うことが減っている。源五郎は少しほっとする。
「智子ちゃんや民子ちゃんはどうなのかな。好きな人とかいるのかな」
「うーん、智ちゃんは意外と面食いなの。ハンサムな人に会うとすぐに好きになっちゃう。民ちゃんは英雄豪傑好きなの。武勇談を持っている人から話しを聞くのが大好きなの。まるで男の子みたい」
久しぶりに屈託の無いマリアの笑顔をみた源五郎は少しほっとしてマリアを送り出す。
四式戦は快調なエンジン音を響かせて離陸をする。車輪を格納し西へと進路を取る。
その刹那、鋭いエンジン音が源五郎たちの耳へ聞こえる。
その方向を見ると4機のP51が現れる。多摩飛行場の上を通過して行く。四式戦を追っているのが分かる。
「マリア、P51が4機、追っている、気をつけろ」
飛行場横の仮設の指揮所に飛び込んで津田が無線で警告をする。
マリアは注意深い。離陸前、離陸後の周囲の警戒は怠らない。既にP51には気づいている。無線へ答える。
「マリア、了。P51の位置を把握。回避行動を取る」
P51は完全にマリアの四式戦を捕捉している。高度を上げると餌食になる。地上ぎりぎりの低空を飛びながら、相手があきらめるまで逃げ回るしかない。
同時に智子からの通信が飛び込む。
「こちら智子と民子、町田上空、マリアを支援に行く」
今まさに、多摩飛行場へ戻ってきた智子たちの零戦からの声が飛び込む。
「智子、相手は4機、高度は500、多摩飛行場の上を西へ向かっていった、気をつけろ」
津田が答える。
智子と民子は零戦を加速させてマリアの飛行方向へ先回りをする。
二人が乗っている横須賀基地で受領した零戦には機関銃の弾が積んでいない。しかし、智子は気にしていない。弾を撃たなくても零戦が追ってくれば、P51は回避行動を取らなくてはならない。相手をかき回し、マリアの逃げ道をつくることは出来ると思っている。
マリアは、多摩の丘陵地帯を這うように飛んでP51の銃撃を回避する。戦闘機は固定機銃を積んでいる。低空にいる相手を銃撃するときに深追いをすると自分自身が地面に激突してしまうのでうかつには攻撃が出来ない。特にP51は高速である分、低空を飛んでいる飛行機を攻撃するのは難しい。しかし、この4機のP51は、腕利きを集めたタスクフォースである。米軍戦闘機の来襲を恐れて日本軍が飛行機の移動を早朝に行っていることを米軍も把握していた。そのため、それを狙って撃墜することを目的としたプラトーン(小隊)を編成、夜明け前に硫黄島を出撃して日本上空へやってきていた。隊長はヨーロッパ戦線でドイツ空軍を相手に活躍をしたベテランで、2番機は射撃の名人と呼ばれたエース、3番機、4番機も腕利きでかためてある。
地を這うように飛ぶマリアの四式戦に2番機が的確な射撃を行ってくる。隊長機はその後ろをカバーしている。さらにその上を3番機、4番機が警戒、他の日本軍機が現れても対処できるフォーメーションでマリアを追い込んでくる。
――正直にまっすぐ飛んでいると危ない
――谷へ追い込まれて高度を上げたらやられる。
左右に不規則に蛇行させながらも位置取りを考える。多摩の丘陵地帯の地形はマリアの頭へ入っている。その点が今の彼女にとって数少ないアドバンテージである。
畑の上を飛ぶ。P51が銃撃をする。低空にいるため、銃撃は一撃しか出来ない。機体を横滑りさせてかわす。畦道にいたお百姓さんの近くへ土煙が上がる。百姓さんが驚いて畑の中に飛び込む。
――街の上は飛べない
マリアは思う。
目の前に多摩川が見える。左へ旋回し多摩川の上を飛ぶ。
――川面の上を素直に飛ぶと狙い撃ちにされる
河川敷を広く使いながら不規則に蛇行させて射撃を避ける。
燃料計を見る。
針が0を指している。
さっきからエンジンを全開で回している。燃料の消費が激しい。
正面に日野橋が見えてくる。
後ろを振り向く。
P51はぴたりとマリアを追っている。射撃体勢には入っていない。
――橋を越えるために高度を上げたところを狙い打ちにするつもりだ。
左右を見る。どちらへ抜けても街の上を飛ぶことになる。
――街中に墜される訳にはいかない
覚悟を決める。
複葉機の頃、日野橋の下を飛行機でくぐったパイロットがいるという伝説が陸軍の立川基地には残っている。しかし、マリアが操縦しているのは重戦闘機の四式戦である。橋の下の空間の高さは15メートルしかない。しかし、他の選択肢は無い。
多摩川の水面ぎりぎりまで高度を下げる。
――大丈夫、グランド・エフェクトがある
飛行機が地面や水面のすぐ上を飛ぶとき、翼と地上の間の空気流の変化により揚力が増す。マリアはそれを知っている。
四式戦のプロペラの先端が多摩川の水面をかすめる。白い航跡が川の上を走る。かすかな振動でプロペラの先が水面に触れていることをマリアも感じる。恐怖感とともに不思議な高揚感が体の中を走る。時速500キロでの飛翔である。たとえ水面であっても接触をすれば飛行機はばらばらに吹き飛ぶ。
――中途半端なほうが危ない
マリアはさらに加速する。
四式戦が日野橋の下を潜る。
「!」
「こいつ、橋の下を通りやがった」
後ろのP51が動揺する。
しかしパイロットは腕利きである。気を取り直して次に備える。
「レッド2、無理するな」
隊長機が注意する。
「了解、このジャップは腕利きだ。今殺っておかないと後で必ず災いになる」
マリアの四式戦を追うレッド2が答える。レッド2とは2番機のコードネームである。
日野橋のすぐまた先に中央線の鉄橋がある。
マリアはその橋も潜ることを覚悟する。
しかし、レッド2はそれを許さない。高度を上げて、その橋桁の下へ向けて見込みの銃撃を始める。銃弾があったった中央線の橋げたの破片が飛び散る。多摩川の水面に水柱が上がる。
このままでは、橋の下を行っても橋の上を飛び越えても、1度はその弾幕をくぐることになる。
――何発かは撃たれることを覚悟しなくてはならない
――この四式戦は練習用の複操に改造するので操縦席の後ろの防弾板ははずしてある
その何発かが体に当たったらその時はお終い。エンジンに受けても同じ
確率は・・どうでも良いか、それしかないんだから
マリアは弾幕を突きぬけて橋の上を越える覚悟を決める
そのとき、鉄橋の上に何か光る。
零戦だ。多摩川の川上から地上すれすれに飛んできた零戦が中央線の鉄橋を超えて飛び出してくる。
マリアの四式戦の横をかすめて追ってくるP51へ正面から突っ込む。反行して近づく零戦とP51の相対速度は時速1,000キロメートル以上、P51は機体を横滑りさせて避けるのが精一杯である。その零戦はレッド2とすれ違うや否や、機首と上げて後ろを フォローする隊長機のP51へ向きを変える。
「カミカゼアタック」
隊長機も大きく舵を切ってそれを避ける。
――民ちゃんだ
あんな思いっきりの良い飛び方が出来るのは民子だけだ。マリアは一瞬で悟る。空間感覚の優れている民子は、マリアを追うP51とその後ろの両方をマリアから引き離す飛行経路を一瞬で描いて飛び込んできた。
その隙を逃さずにマリアは右旋回をして高度を稼ぐ。多摩川の川面の上を這うように飛びながらもマリアは四式戦の速度を上げ続けていた。その速度が高度を上げるために必要な余力を貯めていた。
その刹那、智子の声が飛び込んでくる。
「立川基地北へ集合。立川の高射砲部隊に話をつけてある」
零戦ではP51には勝てない。立川基地上空で高射砲部隊に地上から援護してもらいながら時間を稼ぎ相手があきらめるのを待つ。1,000キロメートル離れた硫黄島からやってきたP51である。長くは日本上空に居られない。智子が咄嗟に考えた作戦であった。こういう判断は智子に勝るものは無い。
「民子、了」
「マリア、了」
二人は返事をして立川基地へ向かう。
P51の隊長機は、民子の零戦が自分の横をかすめた直後に気がついていた。
――この零戦、体当たりする気になれば体当たりできていた。2機のP51を引き離すために俺たちの横を計算ずくでかすめやがった。コケにされた。
隊長のエイデン少佐は的確な空中指揮で評価されてきた指揮官である。自分も十分に撃墜スコアを稼げる技量を持ちながらも、部下に撃墜経験をさせることを優先し、今も2番機の腕利きのマイケルに撃墜は任せて自分はフォローと指揮に徹していた。しかし、元は熱い男である。瞬間感じた恐怖感の裏返しでいつもになく熱くなった。
「ウィリアム、マシュー、あの生意気なゼロを墜せ」
いつもはコードネームのレッド3、レッド4で3番機と4番機を呼ぶところをパイロットの名前で指示を出す。
「レッド3、了解」
ウィリアムが冷静に応答し、民子の零戦を追う。
マリアの目の前に立川基地が見えて来る。
――逃げ切れるか
そうマリアが思った瞬間にエンジンが「ガスッ」と音を立てる、回転が一気に落ちる。燃料切れだ。
――このまま滑空して立川基地着陸するしかない
マリアは着陸フラップを出し、車輪を出す。エンジンが止まった状態での着陸の経験は無いが、机上では何度も説明を受けて頭に叩き込んである。まずは速度を維持して失速をさせないこと。そのために通常時より深い角度で降下しながら着陸をしなくてはならない。幸いなことに、立川基地の滑走路は多摩飛行機の滑走路よりは倍近く長い。操縦している四式戦は武装を外し、燃料も無いので機体は「四式戦」にしては軽い。
――なんとかなる。
周囲を見渡す。
一度は振り切ったP51が後方から距離を詰めてくるのが見える。
エンジンが止まった今、逃げることも旋回をして避けることも出来ない。
――チャンスは一瞬、一回だけ
ぎりぎりまでひきつけて、撃たれる瞬間に飛行機を滑らして弾を避ける。そして相手をやり過ごす。早すぎてもだめ、速すぎてもだめ。
迫ってくるP51を見ながら、マリアはじりじりとした時間を耐える。
そのとき、真横から零戦がP51へ向かって突っ込んでくる。
智子の零戦だ。
智子は民子のように紙一重でかすめるといったことは考えない。
端から本気でぶつけるつもりで突っ込んでくる。殺気が違う。
「こいつは本気だ」
レッド2、マイクも手練のパイロットである。それを直感で気づく。必死に機首を下げて避ける。
P51は高速で重い。かわした後の低空での引き起こしが間に合わずに、立川基地の滑走路の横の芝地へ突っ込む。しかし、最後のところで機体を操作する。激突を避けてすべるように接地する。それでも高速での不時着である。機体はバラバラに大破する。
そしてそのP51と並んで着陸するかの様に、マリアの四式戦も滑走路へ接地、無事着陸をする。
隊長機のエイデンは目の前でマイクが地上に落ちたのを見て激怒する。智子の零戦へ狙いをつけて降下する。智子は立川基地北の砂川の高射砲陣地の上を低空で旋回する。エイデンは照準器の中へ智子の零戦が捉えられる。智子の口元が微笑む。
「撃ち方用意」
地上では、高射機関銃の部隊が銃口をP51へ向けて待ち構えている。
「テー」
地上の機銃が火を噴く。エイデンは咄嗟に旋回をして射撃を避けるが一弾がラジエーターを直撃する。ここはP51の弱点である。エンジンが力を失う。もはや硫黄島へは戻れない。帰路の途中の海上で待機している米軍の潜水艦の上空までも到達することは出来ないであろう。エイデンは機体を捨てて、パラシュートで降下をする。
民子の零戦は、2機のP51に追われながら逃げ回っていた。
今は狭山の上空、追われながらもじりじりと立川基地の上空へと迫っている。
――立川基地の上空へ逃げ込むか、燃料が少なくなったP51が諦めるか、そのどちらかまで逃げ切れれば自分の勝ち。
民子に悲壮感はない。しかし、上を飛ぶP51のパイロットの技量は高く、簡単には逃がさない。一機が民子の頭の上を押さえ、もう一機が後ろから迫ってこる。民子がその両方を気にしながら避ける間合いを計っている。
その時突然、頭の上のP51が火を噴く。
四式戦である。矢のように降下してきた四式戦が上空の一機を撃墜すると即座にもう1機のP51の後ろへ回り込む。
――うまーい
民子が思わず目を見張る。
黒木の四式戦である。
この日、黒木は複操の四式戦が届くと連絡を受け、立川基地の飛行場で待機をしていた。その時、多摩飛行場から連絡があり少女たちがP51と交戦中であることを知った。黒木は直ちに飛行場にあった四式戦へ飛び乗り、援護のために出撃したのである。
P51は優速を生かして黒木の四式戦を振り切ろうとしたが振り切れない。最高速度はP51の方が速いが、低速からの加速は四式戦の方が良い。黒木はP51の特徴を熟知している。
――P51といえども、低空で四式戦へ上を取られたら逃げることは出来ない
黒木は、P51の上空を飛びながらじわじわと追い詰める。P51は蛇行をしながら逃げ回らざるをえないため、速度を上げることができない。全力で逃げ回るため燃料はどんどん減っていく。しかも、硫黄島のある海の方でなく、内陸へ内陸へと追い込まれていく。P51は咄嗟に旋回し黒木との距離を稼ぐ。そして風防を開けてパラシュートで降下をする。パラシュートは開き、また、パイロットを失ったP51はバランスを崩して落下、地上へ激突して炎を上げる。
少女たちの空戦は終わりを告げる。
後日、源五郎と少女たちが立川基地に呼ばれる。
複操の四式戦、そして、オレンジ色に塗られた鹵獲のP51を前に、黒木が礼を言う。
「すばらしい複操の四式戦を作っていただいてありがとうございます。乗っていて実戦機と比べてもぜんぜん違和感がありません。こんな短期間にさすが多摩飛行機さんです。正直驚きました」
「お役に立てて光栄です」
智子が答える。
「その上、多摩飛行機さんには、P51の発火プラグまで持ってきていただきました。立川基地へ不時着したP51のエンジンから発火プラグを回収して、鹵獲機がまた飛べるようになりました」
笑いながら黒木が言う。
少女たちは顔を見合わせて微笑みあう。
「マリアさんは日野橋の下をくぐったそうですね。驚きました」
「あんなにたくさん撃たれたのに機体にはかすり傷ひとつつかずに、よくがんばりましたね。どうやって飛んだのですか」
マリアが頬を染めて答える。
「四式戦を傷つけずに黒木大尉へお届けしようと夢中でした。実はどう飛んだのか良く覚えていません」
智子と民子が目配せをし合って含み笑いをする。
黒木がマリアのお気に入りであることを知っている。
和やかに話をした後、黒木が真顔になる。
「皆さんと空戦をしたP51のパイロットたちが、基地の陸軍病院に収容されています。彼らは空戦をした日本のパイロットと会いたいと話しているそうです。私が会いに行く予定ですが、皆さんもお会いしますか」
少女たちが驚く。
民子は一瞬、赤鬼さんのことを思い浮かべる。
「なぜ、米軍のパイロットたちは私たちに会いたいといっているのですか」
智子が尋ねる。
「あの4人のパイロットたちは、腕利きばかりを集めた精鋭部隊だそうです。その自分たちを破った日本のパイロットたちがどんな相手なのか会ってみたいとのことです」
「4人ということは、米軍のパイロットは全員助かったのですか」
智子が聞く。
「はい、大怪我をした人もいますが、命には別状ありません」
「良かったですね」
民子が素直に無事を喜ぶ。
智子は、「俺は米軍のパイロットを殺すために戦っている」との西本の言葉を思い出し、一瞬胸が疼く。
「私も彼らがどんなパイロットなのか興味を持っています。皆さんも、自分が闘っている相手を知っていても悪くは無いのではと思っています」
昔の戦闘機乗りたちの間には、好敵手をたたえあうスポーツマンシップのような意識があったことを少女たちも知っている。しかし、過酷な太平洋戦争の中でそのような風習は急速に姿をひそめつつあった。でも、心の底にはそのようなことを好む感情が皆の胸の中にある。
源五郎が心配して言う。
「この子達が米軍相手に戦っているということを話したら、戦争が終わった後まずいことになりませんかね」
源五郎の質問はかなり際どい。この戦争に日本が勝てば彼女たちのことは何の問題にもならない。源五郎の言葉は、暗に日本が敗れることを前提に話されている。
しかし、黒木は咎めることも無く素直に受け答える。
「その通りです。だから会わない方が良いかもしれません。ただ、相手のエースパイロットと直接話が出来るという機会はめったあることではありません。一期一会ということもあります」
智子は黒木が言わんとすることが理解できた。
黒木も智子たちも戦争が終わるまで生きている保証は無い。そのような中でパイロットはその時その時を精一杯大切にして生きていくしかない。
「ご一緒させていただきます」
智子が即答する。
「彼女たちは民間のテストパイロットと紹介します。幸い、今回皆さんは戦闘で1発も弾を撃っていません」
心配げな源五郎に黒木は笑いながら言うが、いざとなったらそんな言い訳は何の役にも立たない。もちろん黒木も承知で言っている。
立川基地陸軍病院。
奥の一室に米兵が3名、二人は軽症であるが一人は重症、足は天井から吊るされベッドへ固定されている。部屋の外には警護の兵が1名常時立っているが、監禁されている体ではない。逃げたところで行き先が無いことは米兵も良く心得ている。
部屋の扉がノックされる。
ドアが開けられると日本兵へ促されて1名の米兵が入ってくる。
3名の米兵の表情に一様に驚きが浮かぶが、次に微妙な含み笑いが浮かぶ。
ドアが閉められると米兵の一人が立ち上がり、入ってきた米兵を抱きしめる。
「マシュー、生きていたのか、良かった」
「ウィリアム、お前も無事だったのか。お前の飛行機が火を噴いたときはだめだと思ったよ」
マシューがウィリアムを強く抱き返す。
マシューは所沢郊外で捕虜となり、所沢基地に一度収監されてから他のパイロットが収容されている立川へと送られて来た。
隊長のエイデンがニヤッと笑いながら言う。
「これでみんな揃ったな」
ベッドで横たわったままのマイケルがぼやく。
「ここでみんなが揃ったってことは最低の結果ってことか。それとも最高ってことか」
「全員が生きているってことは最良の結果だ。とりあえずは神に感謝しよう。明日はどうなるかは分からないけどな」
エイデンがウィンクをする。自分たちがどうなるのか彼らはまったく聞かされていない。
「どうでもいいけど、コーヒーもタバコも無いのは参るな」
陽気なマイケルはベッドの上で愚痴る。
ドアがノックされる。
米兵たちの会話が止まる。
警護の日本兵に続いて黒木たちが入ってくる。
士官と思われる軍人が1人と少女が3人、米兵たちは奇妙な組み合わせの来客へ戸惑う。
「私たちは、あなた方が空中戦を行った日本人パイロットと会いたいといったのでここへ来ました」
黒木が英語で話す。
「あなたが?、彼女たちは?」
エイデンが聞き返す。
「あなた方が撃墜をしようとした飛行機を操縦していたのは、この少女たちです」
米兵は目を丸くする。
「橋をくぐったパイロットは誰だ」
ベッドの上でマイケルが尋ねる。
「私です」
遠慮気味にマリアが手を顔の横へ上げる。
「オー」
米兵のパイロット達が驚きの声を上げる。
「じゃあ橋の上飛び越えてきて俺たちをコケにしたのは」
「それは私です」
民子が答える。
「オー」
再び声が上がる。
「じゃあ、飛行場の上で俺に体当たりを仕掛けたのはお前か」
マイケルが智子を指差す。
「はい、私です」
智子はマイケルの目をまっすぐに見ながら答える。
「お前、本気で俺にぶつかるつもりだっただろう」
「はい、でもあなたによけられてしまいました」
3人の少女をしげしげと見たマイケルは、顔を手で覆って言う。
「勘弁してくれよ、ママ。もう俺は二度と女の子とは喧嘩しないよ」
他の3人も笑い出す。笑ってはいるが目には驚嘆の色が浮かんでいる。
「日本軍は女性もパイロットに使っているのか」
エイデンが真顔で黒木へ尋ねる。ソ連では女性パイロットがドイツとの戦いに参加しているが、日本に女性のパイロットがいるという話を彼らは聞いたことが無い。
「いいえ、彼女たちは民間のパイロットです。飛行機の輸送を手伝ってもらっていました。皆さんと空戦をしたときに、彼女たちの飛行機には弾をつんでいませんでした」
「では、ウィリアムとマシューを撃墜したのは」
「それは私です」
黒木が答える。
「そうか、君はすばらしい腕前だ」
「ありがとうございます」
黒木は丁寧に応じる。彼の人柄であろう。米兵のパイロットへ対して威圧的な態度はとらない。半信半疑のアメリカ人パイロット達は次々と黒木や少女たちへ質問する。差し支えの無い範囲で答える。黒木たちもいろいろと質問する。お互い軍事秘密に関わりそうなことは聞かない。敵味方のパイロット同士がお互いをたたえあう、古き良き時代といわれた頃のような時間が共有される。
「この結果は我々の慢心が生んだものだ。しかし、我々は運が良かった。彼女たちの飛行機に弾が積んであったら、我々のうちの何人かは命は無かっただろう」
エイデンの言葉に、他の3人も真顔になる。
「この空戦は、我々にとっては最低の結果であったが、このようなかわいい少女たちの命を奪わないですんだことを感謝しよう」
「でも、私のお友達はB29の爆弾でたくさん死んでいるよ」
エイデンに向かって民子が言う。
皆の表情が硬くなる。
エイデンは民子の顔を見る。言葉を選びながらゆっくりと話す。
「少女よ。それが戦争だ」
「私は、ヨーロッパでドイツと戦い、そして日本へやってきた」
この時期、既にドイツは連合軍へ降伏をしていた。今日本は、たった一国で、アメリカ、イギリス、中国を始めとした連合国全体と戦争をしている。
「我々は、日本へ落とした何倍もの爆弾をドイツへ落とした。何万人、何十万人という人が死んだと思う。ドイツは強かった。我々アメリカ人のパイロットも沢山死んだ。何万という数だ。私の友人もたくさん死んだ。それが戦争だ」
エイデンは一つ一つ言葉を切りながら、自分へ向かって話すかのよう続ける。
「ドイツでは、その上に地上戦が行われた。その時の市民の被害は私には想像もつかない。ただ言える事は、私が聞いた悲惨な出来事は、君たち少女にはとても伝えられないような酷いものだと言う事だ」
米兵も少女たちも黙って聞いている。
「私は、そのようなことが日本で起こる前に君たちが闘うことをやめることを祈っている」
エイデンも、少女たちも沖縄戦での市民におきた悲劇は知っていない。
「それについては、私たちは話をする立場にありません」
穏やかに黒木がエイデンの話を遮る。
「そうだったな。私と違って君たちはまだ戦いを続ける義務と権利を持っているのだな」
会話を終えて、挨拶を交わしてから黒木と少女たちは部屋を出る。
歩きながら黒木は話す。
「彼らはけして鬼畜ではなく、祖国と仲間と家族を愛する立派な人たちですね」
「はい」
陸軍病院を出て、少女たちの足取りは重かった。
エイデンたちと話しをして、もはや日本には勝ち目が無いということを改めて自覚した。とっくに分かっていたことであったがずっと考えないようにしてきたことである。
黒木は少女たちの消沈を感じてはいたが、それを悪いこととは捉えていなかった。彼女たちは民間人であり少女である。このまま戦いを続けるのか、彼女たちへもう一度考えてもらいたいと思っていた。彼自身、もう、この戦争を諦めかけていたのかもしれない。
「マリア」
一番後ろを歩くマリアを振り返った民子が声を出す。
マリアは声も出さず、ただ、涙がはらはらと落ちている。
「お父さんや、従妹のハンナやエマはどうしているのかな」
「伯父さんも叔母さんも大丈夫かな」
ドイツへ戻った父からも、ドイツの親戚からも、ここ何年も便りが届いていない。
ずっと我慢してきた感情があふれ出ている。マリアは我慢強い、それだけに溜めて来たものも大きい。
民子が抱きしめる。
「マリア、泣くときは声を出したほうがいいよ。声を出さずに泣くと苦しいよ」
「うん」
民子は腕に力をこめる。民子の胸に顔をうずめてマリアは嗚咽しする。それでも声は出さない。
智子が黒木に向かって挨拶をする。
「私たちは自分で帰れます。今日はありがとうございました」
「こちらこそ本当にありがとうございました」
黒木は礼を言い、静かにその場を立ち去る。
黒木の姿が遠くなったところで智子もマリアと民子を抱きかかえる。
マリアの気が済むまで泣かせた後、智子が声をかける。
「そろそろ帰ろうか」
「うん」
3人して立川の駅へ向かって歩き出す。
「お腹空いたね」
「うん」
この後日本軍は、本土決戦へ向けての戦力温存のため、爆撃機を伴わずにP51だけが来襲したときは迎撃をしない方針を取る事となった。