第六戦 P51ムスタング
P51ムスタング
「情報、敵大型機100機、駿河湾より東へ転進、帝都へ進行中、高度4000」
4月7日午前9時50分、緊急発進した各隊へ地上から無線が入る。
「ナデシコ一番、八王子上空4000、高度を上げて待機する」
智子は横須賀基地へ返信し、さらに高度を上げる。
――相手の高度が低い。
智子たちが緊張をする。
B29による東京への昼間爆撃は、日本軍の邀撃機や高射砲の届かない1万メートルを超える高々度から行なわれるのが常であった。これまで何度か低空からの多摩地区の軍需工場への精密爆撃が試みられたが、それらは撫子邀撃隊を含む陸海軍の戦闘機による迎撃により低空進攻を行なったB29部隊へ対して多大なる被害を与えたことより、多摩地区の軍需工場への空襲は、戦果は少ないがより安全な昼間高々度爆撃か、夜間爆撃による攻撃が主体となっていた。今日のようなB29による日中時間帯の大規模な低空爆撃は初めてのことである。
少女たちは咄嗟に思った。
――米軍に護衛の戦闘機がいる。
昭和20年3月、アメリカ軍は東京の南方1200キロメートルの位置にある硫黄島を奪取、飛行場を整備した。この島はB29の発進基地であるサイパン島、グァム島と東京の中間点にあり、本土爆撃に対する日本側の早期警戒の前進基地となるとともに、時にはB29の基地のあるサイパン島、グァム島への日本軍航空機による奇襲攻撃の発進拠点にもなっていた。ここを手に入れることでアメリカ軍は日本側の防御システムを破壊するとともに、損傷したB29爆撃機の不時着場所を確保し、またB29を護衛する戦闘機の出撃拠点としても活用することが可能となった。
硫黄島は東西8キロ、南北4キロの小島である。しかし、日本軍硫黄島守備隊の頑強な抵抗により、アメリカ軍はこの島の攻略のために、死者6800人余、負傷者2万2千人という未曾有の損害を出すことになったが、日本本土への戦略爆撃を遂行する上ではそれを大きく上回る利益をもたらすものとなった。
彼女らは、横須賀基地で硫黄島がアメリカの手に落ちたために、そこから護衛の戦闘機が来る可能性があることを知らされていた。横須賀のパイロット達の間では、P38が来るのではという話が出ていた。P38は双発双胴の特徴ある機体を持つアメリカ陸軍の戦闘機で、高速と重武装、そして長い航続距離で知られていた。零戦と同じく太平洋戦争の初期からこの時期まで、息の長い活躍をしている戦闘機である。日本軍のパイロット達はその特異な形状から「目刺し」と呼んでいた。開戦当初は零戦に格闘戦を挑んで撃墜されることが多く、腕利きの零戦パイロットたちからは、「すぐ喰えるペロ38」などども呼ばれていたが、特長の高速と重武装を生かした一撃離脱攻撃に専念するようになってからは形勢が逆転し、零戦や陸軍の一式戦(隼)ばかりでなく、四式戦や紫電といった日本陸海軍の新戦闘機をも圧倒する難敵となっていた。
なでしこ達の零戦は、八王子上空を旋回しながら高度を上げていく。
マリアが人差し指と中指を水平に、親指を垂直に立てて合図をする。米軍の護衛機、直援機のしるしである。直援機がいるかもしれないと警告をしている。智子と民子が親指を立てて頷いて了解の合図を返す。空中では基地との交信や緊急の場合以外は、無線機があっても使用しないで指の合図でコミュニケーションを取りあう。周囲には陸軍の二式複戦(屠龍)、三式戦(飛燕)、そして、ずんぐりとした二式戦(鍾馗)が上がってきていた。これらは陸軍調布飛行場の邀撃隊である。南の方には、厚木からと思われる海軍の零戦が見える。さらに、複座戦闘機の月光も上がってくる。横須賀基地からは最新鋭の紫電改が新型のロケット弾を積んでやってくる予定にもなっている。
眼に見えるだけでも日本軍の戦闘機は数十機、このように味方が多数飛んでいる空域での邀撃戦は初めてである。
――友軍機に気をつけなくてはいけない。
3号爆弾を使用するときに味方を巻きもまないように注意が必要になる。今までにない緊張が走る。
智子が指で指示する。民子が周囲と後方を警戒、マリアと自分でB29が侵入してくる西側を集中的に索敵するよう指示する。いつもとは逆である。普通は目の良い民子がB29の侵入経路を担当する。今回は米軍に護衛の戦闘機がいることを想定し、民子に周囲の警戒をさせることで、なでしこの僚機にいっそうの注意を促す。
智子はこの相手を待つ時間が邀撃戦では一番緊張する。胸がキリキリと痛む。むしろ、敵機を見てからの方が気持ちが落ち着く。
ふと子供の頃を思い出す。多摩の野猿街道を3人でお使いに出かけたときのことだ。野猿街道は、その名のごとく昭和の始めまで時々猿が現れた。猿たちは大人の男には手を出さないが、相手が子供だと見るとちょっかいを出してくる。3人は手に石を持ち、智子が前、マリアが左右、民子が後ろに気をつけながら親戚の叔母の家まで行った。結局、野猿街道で猿にあうことは無かったが、叔母の家の前まで来て、ほっとして見上げた塀の上に猿がいた。3人がびっくりして大声を上げると、猿もびっくりして逃げていった。小さかった頃のことを思い出してふと気が和む。そして再び西の空を凝視すると微かに銀色の光のようなものが煌めいたのが見えた。
――来た。B29だ。
智子が思った瞬間に、民子の声が無線から飛び込んでくる。
「南の単戦8機、水冷型、動きがおかしい。9時の方向」
切羽詰った声に、智子もマリアも南を見る。
南方9時の方向に、8機の機首が尖った単発エンジンの戦闘機が高速で飛んでいる。
銀色に輝いている。
邀撃に上がる日本軍の戦闘機は多くが空冷エンジンを積んでいる。機首が尖っている水冷エンジンを搭載したタイプは、陸軍の三式戦の飛燕と海軍の艦上爆撃機の彗星の改造型しかないが、民子が警告した戦闘機はそのどちらでもない。
「P51、ムスタング。気をつけて。」
飛行機の機種に詳しいマリアが叫ぶ。
P51ムスタングは、「第2次大戦の最優秀戦闘機」とまで呼ばれたアメリカ軍の戦闘機である。時速700キロの高速と軽快な運動性、3000キロにも及ぶ長い航続距離をもっている。そして、製造や整備のし易さが特長の名機である。日本軍も中国戦線や東南アジアの前線でこの戦闘機と戦い、その存在を知っていたが、単発単座のP51戦闘機が3000キロメートルを超える長い航続距離を持っていることまでは把握していなかった。
P51は、急旋回をしながら陸軍の二式複戦へ襲いかかる。二式複戦はP51を友軍の三式戦と見誤ったのか回避行動を取らない。少女たちが叫ぶような目で見つめる中、空中で火を噴く。陸軍機と海軍機では使用する無線の周波数が違う。なでしこ達は咄嗟には陸軍機に警告を伝えることが出来ない。
日本軍の邀撃戦闘機達が一斉に動きを変える。退避するもの、P51との空戦に入るもの、八王子上空は突然の乱戦になる。P51の編隊がさらに2組、南から進入してくる。
「いったん北へ回避。」
智子は退避を命じる。
「アメリカはいくらでもやってくる。邀撃戦では、無理だと思ったら逃げて生き残ることが最大の戦果だ」。
西本が繰り返し、なでしこ達に教えた言葉である。
西本は、開戦当初に日本軍が敵を圧倒していた時期ではなく、劣勢のラバウル防空戦から前線へ出て、常に数倍の相手と戦いながらスコアを増やして撃墜王となったパイロットである。その彼が実戦へ出る彼女たちへ何よりも優先して伝えようとしたことが無理をしないことである。
西に見えるB29の上にも、よく見るとP51の編隊がいる。馬鹿正直に突っ込めば全滅する。B29の編隊はいくつにも分かれて進入してくる。全部が守られているわけではない。敵を真正面から止める事はできなくても、隙をついて攻撃をできる機会はあるはずである。
智子はいったん空戦域から離脱する。
体勢を立て直した日本の迎撃戦闘機の多くは、B29ではなくP51との空中戦に入る。戦闘機と戦いたい、これは戦闘機乗りの本能である。しかし、次々と日本側の戦闘機が墜とされていく。
――あー、やられちゃう。
民子が悲鳴を上げるが智子は無視をする。
智子は闘争心が旺盛で攻撃的な性格であるが、それは無闇に危険な選択をすることではない。智子にはそれを判断できる聡明さが有り、それを知っているからこそ、民子もマリアもリーダーは智子だと信頼している。
日本軍の戦闘機たちがP51と格闘している横を次々とB29の編隊が通り過ぎていく。B29は10機程度で編隊を組んで続いてやってくる。敵も味方も戦闘機は格闘戦をすると自然と高度が下がる。中盤以降のB29の編隊の上にはP51が見えない。北へ退避しながら高度を稼いだ撫子隊が反撃に移る。
「11時の方向のB29の編隊10機、これをやる」
「了」
「了」
智子の指示に2人が応える。左へ反転、高度差を生かして降下をしながら一気に加速する、加速した零戦と高速のB29は一気に距離を縮める。周囲を見回すが撫子たちを捕捉できる位置にP51はいない。しかし近づく速度が速すぎる。B29の正面に回りこむ前に通過してしまう。
「斜めから突っ込む。民子前、2番智子、3番マリア」
智子は民子の空間感覚の高さを買っている。民子はこれを立体感覚といっているが、上下左右が著しく入れ替わる空中において、民子は瞬間的に相手と自分の間合いを把握する能力に長けている。3号爆弾による攻撃は相手と自分の間合いの取り方が難しい。特に正面からでなく斜めからの接敵はそれをさらに困難にする。智子は強がらない。ここはより優れた能力を持っている民子に任す。民子はその指示があることを予測したかのように一気に前へ出る。彼女は普段は3機編隊の一番後ろにつくが、突っ込むときは一番前を担当することが多く、3人の少女の中では常に一番速い速度が出る機体を任されることになっている。
B29の編隊の前方上空1000メートルを左30度の角度で3機の零戦が通過する。すり抜け際に3号爆弾を投下する。数秒して閃光が煌めき、白い煙の筋が蛸足のように広がる。
――燐爆弾だ。
米軍は日本軍の3号爆弾のことをそう呼んでいる。B29たちはその煙の束を回避するために舵を切る。そのためこの編隊は、中島飛行機武蔵野工場への正確な投弾は出来なくなる。1機が煙の束を避けきれず通過、煙を引く。
北から南へ突き抜けて通過した智子は周囲を見る。P51の姿は見えない。今回、100機のB29を護衛するために80機のP51を帯同しているが、それに近い数の日本軍戦闘機もこの空域で迎撃に上がっている。P51の側にも、個々のB29について護衛するだけの余裕はない。
――日本の戦闘機たちがP51を引きつけている間に、1機でも多くのB29を止めなくてはいけない。
撫子邀撃隊が今飛んでいる位置は、B29たちの編隊の1000メートル上空、紫電改部隊の原大尉から聞いた逆落としをするには絶妙の位置取りだ。
「B29に逆落としをする」
「智ちゃん、私が1番をやる」
前を飛ぶ民子が右へ旋回、一気に後続のB29の前へ出る。
B29の前方1000メートル、高度差1000メートル、民子の零戦が反転、裏返しになって降下する。裏返しになった民子は編隊の先頭、隊長機のB29の斜め上から20ミリ機関砲を放つ。旋回しながら撃つ20ミリ機関砲の弾は慣性と重力でまっすぐ飛ばない。しかし、まれにその弾の曲がりを予想して撃つ、「曲撃ち」ができるパイロットがまれにいる。空間感覚に良い民子はこの曲撃ちを得意としている。斜めに飛ぶ弾丸がB29を捉え、左翼で破片が飛び散る。燃料が噴出し白い筋を引く。民子の零戦はB29の左主翼と尾翼の間をかすめるかの様にすり抜ける。
斜め前から突入した民子と異なり、智子はB29の真正面に位置取りをして逆落としをかける。智子はぎりぎりまで接近して、まさにぶつからんばかりの距離から撃つことを西本から教わっている。B29のパイロットからは日本機が正面から体当たりを仕掛けて来たように見える。恐怖を感じて舵を右へ切って避ける。智子の20ミリ弾が逸れる。逆落としの中で智子は機首の向きを変えB29を追う。辛うじて2,3発が装甲のある機体の背中に当たる。本来は致命的な打撃ではないがその火花が白い筋を引いていた燃料へ引火する。隊長機が舵を切ったため、B29の編隊が乱れる。この編隊も工場への精密爆撃が出来なくなる。智子もB29の左を突き抜ける。
逆落としをかけた智子の零戦が機体を水平にする。その後ろを2機のP51が追躡する。少女たちは常に周囲に気を付けて空戦をしている。しかし、そのP51は、日本の戦闘機との空戦で高度を下げて、B29の下を飛んでいたため撫子たちからは見えなかったのだ。
「智ちゃんの後ろ、P51」
民子が無線で叫ぶ。
智子は咄嗟に反転、P51の射軸から機体を外し寸でのところで銃撃を回避する。しかし、2機のP51に完全に頭を押さえられる。
マリアが突っ込んでくる。P51へ向かって急降下しながら機銃を発射する。遠間からの射撃である。撃墜するためでなく威嚇して智子を逃がすための援護射撃である。
マリアの射撃を受けたP51は急降下して回避、P51の急降下へ追いつける日本軍機はいない。彼らは日本軍機に後ろを取られたらそうやって避ける戦術を徹底している。それにより智子は危機を脱する。しかし、マリアはB29の目の前を通過したため、B29の編隊からの集中射撃を受ける。横を通過する戦闘機へ対する爆撃機の旋回機銃からの射撃の命中率は極めて低い。マリアもそれを知っていて突っ込んでいる。しかし、10機のB29の何十門という機銃の弾幕の中、偶然の数発がマリアの零戦を捉える。 マリアの零戦のエンジンが火を噴く。
「マリア」
智子が叫ぶ。
マリアは降下をして火を消そうとするが火勢は衰えない。機体を捨ててのパラシュート降下を覚悟する。安全ベルトを外し、風防を開く。風防を空けた瞬間に炎が顔の右側を舐める。
「やっちゃった。でもゴーグルがあるから右目は大丈夫」
非常事態でも妙に落ち着いているな、そう思いながらマリアは脱出する。
この時代、パラシュートが開かない事故が頻発した。しかし多摩飛行機では、日ごろより地上でのパラシュート降下の訓練を行い、パラシュートの点検や畳み直しも欠かしていない。飛行機からの降下訓練こそしたことは無いが、手順は体に叩き込んである。 マリアのパラシュートは無事に開く。
しかし、パラシュートで降下中のパイロットが敵機に撃たれて落命することがしばしば起きている。太平洋戦争の初期は互いにパラシュート降下をするパイロットには手を出さないという騎士道的な不文律もあった。しかし、戦いが激しくなったこの時期は積極的に相手パイロットの命を奪うことが指示されていた。腕の良いパイロットこそが、最大の兵器であることが互いに認識されて来たからである。
智子は大きく旋回をしながら、マリアのパラシュートへ近づく敵戦闘機がいないかを警戒する。そしてその智子の上空を、民子が見張る。ずっと一緒にすごしてきた同士、このあたりは阿吽の呼吸がある。
幸い、彼女たちに近寄ってくるP51は無い。しかし、智子は次の不安を感じる。パラシュートで降下した横須賀基地のパイロットが地上でアメリカ人のパイロットと間違われて竹槍で刺し殺された事件が起こっている。マリアはハーフである。しかも女である。地上でどんな誤解をされ、どんな扱いを受けるか分からない。特にパラシュートで降下するようなパイロットは何らかのダメージを受けていて、受け答えも出来ない状態であることも多い。マリアのパラシュートは多摩川沿いの河川敷へと降りていく。
「多摩飛行場、こちら智子、マリアの零戦が被弾、パラシュート降下、多摩川、拝島近く、軍と警察、病院へ連絡、すぐに迎えをよこして」
「多摩飛行場、了解、連絡をする。こちらからも向かえを出す」
連絡将校の津田が答える。
智子は高度を下げて、地上に降りたマリアのパラシュートの上を過ぎる。マリアは動かない。土手の上を複数の男たちが走るのが見える。多摩飛行機のパイロットの飛行服の肩には誤解されないように日の丸が付けてあるが、先般の事件でも確認する前に日本人パイロットが刺し殺されている。男たちは手に手に棒のようなものを持っているのが見える。
――日本刀と竹槍だ。
智子の血が逆流する。
マリアは多摩川沿いの川砂の上に降りている。多摩川の川砂は戦後の高度経済成長期にコンクリート建築の材料として掘り尽くされてしまうが、この時期は多摩川の河川敷のいたるところに見られた。智子は川砂の河川敷の上に着陸することを決める。
零戦は機体が軽い。平坦な土地であれば川砂や海岸の砂の上にも着陸、離陸することができる。初期の中国戦線では敵地へ不時着した仲間の搭乗員を、僚機が地上へ着陸して救った話も多く残っている。智子は機体を丁寧に扱うのがうまい。失速直前まで速度を落としふんわりと接地する。マリアのパラシュートの近くまで機体を運ぶ。目の前に零戦が降りてきて唖然とする自警団の男たちを前に、風防を空けて飛行機から降りてマリアへ向かって駆ける。機体はプロペラが低速で回ったままである。
「マリア」
川砂の上に横たわったマリアへ声をかめる。
マリアが目を開く。当時のパラシュートは、着地の時に2階の屋根から飛び降りたぐらいの衝撃がある。マリアは軽い脳震盪を起こしている。
「智ちゃんだめだよ、勝手に零戦降りちゃ」
マリアの顔の右半分が赤く腫れている。風防を開けて降下をする際に炎を浴びたのだ。
――痕が残るかもしれない。
智子は咄嗟に思うが口に出さない。雑嚢袋の中から馬の脂を取り出しガーゼにに浸す。
「マリア、右目つぶって、包帯巻くから」
ガーゼをあてて包帯で固定する。この辺の智子の手際はとても良い。
そっとマリアの頭を地面へ下ろす。後ろで遠巻きに見ている男たちへ顔を向ける。
男たちの目をまっすぐに見つめ、凛とした通る声で言う。
「私たちは海軍のものです。この負傷したパイロットを至急病院へ搬送してください」
男たちは突然のことへ驚きながらも頷く。その表情からは何で女のパイロットがいるのかという戸惑いの表情が見て取れる。
「私たちのことは軍の機密です。けして口外しないように」
智子の声には彼らを圧倒する威厳がある。
「分かりました。けして話しません」
男たちのリーダー格の男が答え、周りの男衆を指示して竹槍を使ってマリアを乗せる簡易担架を作り始める。
「よろしくお願いします」
智子は海軍指揮の敬礼をして零戦へ搭乗しエンジンを回して機首を反転させる。そして十分に回転を上げてからブレーキを解除して加速、川砂の上を離陸する。
上空では民子が警戒しながら待機している。2機は合流し、横須賀基地へ向かう。撫子邀撃隊は出撃をして交戦を行った場合は、多摩飛行場へ戻らず横須賀基地へ着陸して、副指令の山田へ直接報告を行う。
山田は日頃より多摩飛行機の少女たちが戦闘を行うことをり良しとしていない。それだけに今回の山田はいつも以上に不機嫌な顔で報告を聞く。
「智子君、君の蛮勇が貴重な零戦を1機失わせ、また、マリア君の命をも失いかねない事態を招いた」
「君たちの任務は3号爆弾によるB29の邀撃であり、自分たちの身を守る為に必要な場合を除き空戦は極力回避をするよう指示を受けている。今回の君たちの行為は明白な命令違反である」
「今回君たちが行ったB29への勝手な反復攻撃、多摩川の川原への着陸、これらのことについての処分については改めて連絡をする。それまでは多摩飛行場へ待機、指示があるまでは出撃を禁止する」
山田は厳しく言い放つ。
「はい、承りました」
智子は答えて副司令室を出る。
この日、80機のP51に援護された100余機のB29の低空爆撃で、それまで多くの被害を出しながらも操業を継続していた中島飛行機武蔵野工場は完全に破壊され、その機能を失った。迎撃に向かった陸海軍戦闘機隊の被害は20機、多くの戦闘機と貴重なパイロットが失われることとなった。
米軍側の損失は僅かにB29が3機、P51が4機。しかし、日本側は一方的に破れたわけではない。実に69機、70%近いB29が何らかの損傷を受けて、直接サイパン島まで戻れず、中継基地の硫黄島へ着陸をしている。しかし、この損害は、常時1000機以上のB29をサイパン周辺の基地へ配置している米軍にとっては深刻なものではかった。P51の護衛を受けたB29による昼間低空爆撃は、この後恒常的なものとなっていく。これ以降日本の本土上空を護る陸海軍の邀撃隊は、敵戦闘機がいる中で迎撃を行わなくてはならないこととなり、海軍の月光、陸軍の屠龍といった複座戦闘機は、昼間の迎撃戦では使用することが出来なくなり、夜間の邀撃の専念することとなる。
横須賀基地の副指令の山田は、この空戦を機会に多摩飛行機の少女たちの邀撃戦への参加を止めさせようとしたが、厳しい戦局の中で、彼女たちは貴重な戦力として評価されるようになっていた。結局今回の空戦で行った独断での銃撃戦と多摩川河川敷への着陸は不問とされることになった。
マリアはパラシュートでの着地の際に頭を打って脳震盪を起こしていたが銃弾による負傷は無く、顔の火傷も智子の応急処置のおかげで順調に回復していく。1週間後、失われたマリアの零戦の補充機が準備されたとの連絡があると、周囲の心配をよそに、自ら多摩飛行場まで空中輸送を行ってた。
「まだ無理しないほうがいいよ」という声には、
「馬から落ちたときってまたすぐ馬へ乗らないと馬が怖くなるって言うでしょ。早いうちに一度乗っておきたいの」と笑顔で答えた。
頬の火傷はまだ治っておらずガーゼは貼ったままである。しかし、彼女は痕が残ることよりも自分がいない間の戦闘で智子や民子を喪うようなことが起こることを懼れている。
「いつも私たち一緒だったから。一人だけ味噌っかすは嫌なの」と言っているが、智子も民子もマリアの気持ちは良く分かっている。
日本を取り巻く戦況、そして彼女達を取り巻く環境は日々悪化していた。




