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第伍戦 紫電改

紫電改


 昭和20年3月、神奈川県海軍横須賀飛行場。

 智子、民子、マリアの3人は、使用している零戦を新造の機体と交換するために横須賀へ来ていた。

 通常新しい機体への交換は、長期間使用をして細部に疲労や故障が生じてきた飛行機を最新のものへと交換する歓迎すべきものである。しかし、この時期に生産された飛行機の多くは、動員された学徒の手による粗製乱造のものが多い。熟練工が不足する中、軍から指示された過大なノルマの機数を製造するため新造機には不調、故障が多発し、例えあからさまな欠陥が無いまでも細部において様々な緩みや歪み、不備を含んだ機体が第一線の部隊へ配備されることが常態化していた。その結果、実戦部隊においても額面どおりの性能が出る零戦はもはや3分の1以下とまで言われることもあった。

 そのような中、多摩飛行機の少女達が使用している機体は、源五郎や少女たち自らが整備、調整しているため、カタログスペック以上の性能が出るものが多く、厚木や横須賀のパイロットには、それを使用したいと熱望するものが多かった。もともと多摩飛行機が軍の仕事を手伝い始めたのも、そのような不良な機体を整備し直すことであった。そのため、撫子邀撃隊は、定期的に使用中の機体を返して、未整備の新造の零戦と交換することとなっていた。撫子邀撃隊もB29の迎撃を行う実戦部隊ではあるが、3号爆弾による邀撃に専念し、危険の多い銃撃によるB29への攻撃や敵戦闘機との空戦は自衛の場合を除き禁じられており、その意味では優遇されていた。そのため状態の良い機材を他のパイロット達へ渡すことについては納得をしていた。

 整備の士官との間で機材の引渡しと、新しい機体の受け取りの確認をしている彼女達のところへ、飛行服を着た3人の将校のパイロットが近づいてきた。

 「失礼ですが、多摩飛行機の皆さんですか」

 そのうちの一人が声をかける。

 日に焼けたその顔から、南方の前線から帰還したばかりのことが伺える。端正な顔立ちをしているが、やんちゃで強情そうな鋭い眼をしている。青年である。

 「はい」

 智子が振り返り、相手の目を見つめ返す。

 相手の目をまっすぐ見るのは智子の癖である。多くの相手はその視線に思わず目をそらす。しかし、相手はそれをしっかり受け止めて智子に向かって言う。

 「中尉の原です。お願いがあります。私達と模擬戦をしてください」

 多摩飛行機の少女たちはこれまでもしばしばこのような申し入れを受け、何回か応じたことがあった。しかし相手が敗れたとき、特に相手が士官パイロットであったときに、後味の悪い経験をしたことがあった。そのため、燃料不足のこともあり、撫子邀撃隊を編成してからは他のパイロットとの模擬戦は行っていない。3人の士官パイロットはいずれも若い。西本や三井の様に兵からの叩き上げでなく、海軍兵学校をでたエリートであることが分かる。そのような士官で実戦を経験したものの中には気位ばかりが高い者が時々いる。

 少女達は正義感が強い。模擬戦でわざと相手に勝ちを譲ることや、手加減を加えるということが出来ない。

 「私どもは、もともとアクロバット飛行などをやってきたものです。対戦闘機戦も殆ど経験していません。模擬戦をしましても、皆様のご参考にはならないと思います」

 智子はやんわりと断る。

 「力試しの模擬戦を挑んで負けた連中が、皆さんを逆恨みをして嫌がらせをした話は聞いています。ただ、私たちは個人的な興味でお願いしているのではありません」

 相手は智子の顔を正視しながら続ける。

 「新型機の紫電改を集中配備した戦闘機部隊が今度編成されます。この部隊は、アメリカの戦闘機に対する劣勢を挽回するための切り札となる部隊です。私どもはそれを率いることになっています」

太平洋戦争の後半、日本はアメリカ軍圧倒され、特にマリアナ沖海戦以降は一方的な敗北が続いていた。このような状況に、当時大本営付の海軍参謀を務めていた平田大佐が、「日本軍が負けるのは制空権が無いから、制空権が無いのは日本の戦闘機がアメリカの戦闘機に負けるから」「最新鋭の機材と腕利きのパイロットを集めた部隊を編成し、アメリカの戦闘機を圧倒して局地的にであっても制空権を確保する。そしてそれを拡大することで戦局を挽回する」と提案、海軍の新鋭戦闘機、紫電改を優先的に集約した部隊を作り、そこへ各部隊から腕利きのパイロットを引き抜いて集め、強力な戦闘機集団を編成しすることなった。平田は当事珍しかった戦闘機乗り上がりの将官であり、その希少性と強気な性格により海軍省の中でも強い発言権を持っていた。劣勢の戦局の中においてこのようなことを強引に進められるのが平田の力であった。

 その戦闘機集団は、3つの紫電改の戦闘機隊により構成され、その戦闘機隊の隊長に任命されたのが目の前にいる3人、原以下20歳台半ばの青年士官達であった。

 当時日本海軍のパイロットには、海軍兵学校出身の士官パイロットと予科練出身の下士官パイロットの2種類があった。下士官のパイロットは、西本や三井の様な一部の撃墜王などを除き通常は将校になれない。一方兵学校出の士官パイロット達は、配属の時点で将校となり、指揮官として下士官パイロットを率いて戦うのが基本であった。恵まれてはいるが、指揮官として戦う彼らは責任が大きい分危険も多い。今度の大戦では多くの士官パイロットが戦死してしまい、腕利きの下士官のパイロット達を指揮して戦える士官パイロットが海軍からは枯渇してしまっていた。

 原ら3名は資質に恵まれ、運よく厳しい実戦の中で生き残り経験を積むことが出来、若くはあるが、戦闘技量抜群、戦術眼もあると開戦からのベテラン下士官パイロット達からも一目置かれる、数少ない士官パイロットとなっていた。そのため司令官の平田は若い彼らを抜擢し海軍航空隊の最後の切札となる部隊の隊長へ指名したのである。

 特に原は気が強くて勇猛果敢、暴れん坊として知られていた。練習生時代は限界を超えた飛行を試み何度も飛行機を壊してデストロイヤーと呼ばれ、任官し隊長になってからも飲んで騒いでいた時に文句を言って来た憲兵隊の将校を殴り倒した逸話もある。

 しかし、日本の命運を懸ける部隊を率いることについては、その彼にしてさえ戸惑いがあった。他の2人、山口、森についても同様。彼らは、自分達にその資格があるかと、自己の技量と紫電改の戦闘力を試したいと思っていた。

 自分たちの立場と想いを率直に話す原に智子は好感を持った。民子とマリアも前線で戦ってきたパイロット達の話を聞くのは嫌いではない。

 「では、ブリーフィングをしましょう」

 智子が提案する。

 ブリーフィングは多摩飛行機倶楽部の中ではしばしば行われていた飛行前の認識あわせであったが、海軍では耳慣れない言葉であった。しかしその言葉の意味を聞いて原たちも同意をする。このようなフラットな議論をパイロット同士ですることは当事の海軍では行われておらず、彼らには新鮮なものであった。

 模擬戦を前に、紫電改がどのような性能を持った戦闘機であり、新しい部隊がどのような戦い方をするのかを原、山口、森と智子、民子、マリア達は話し合った。

 それまでの日本軍の3機編隊による空戦方式を改め、常に2機でチームを組み、その2機のチーム2組の4機で小隊を組んで戦う「ロッテ方式」を全面的に採用すること、改良された通信機を使用して常に連携しながら空戦をすることなどを彼らは話した。

 このロッテ方式は既にアメリカ軍やドイツ軍では、3機編隊方式より優れたものとして採用されていた。

 「では、3対3の編隊戦で模擬戦をしませんか」

 智子が言う。

 2機2組のロッテではないが、編隊戦の方がより実戦に近い形で原たちの力を試すことが出来る。

 「ありがとう」

 原が手を伸ばして握手を求める。これも海軍には無い行為である。一瞬戸惑ってから智子は手を握る。握り返す原の手には感謝の力がこもっていた。

 零戦へ向かう智子の頬が少し赤らんでいる。

 実は智子は結構面食いで惚れっぽい。特に原の様に端正な顔立ちの相手に弱い。そのことは、民子もマリアも知っている。二人は何も言わないが、智子の様子に気づいてニヤニヤしている。二人の態度に智子も気づいているがそ知らぬふりをしている。

 模擬戦で定めたルールは、高度4000メートルで旋回をしながら、合図をしたら開始する3対3の同高位戦。相手に後ろに付かれた機は撃墜されたものとして離脱、安全のため2000メートル以下には高度は下げない。それ以下の高度へ降りた場合も、「地上に墜ちた」として空戦から離れることし、3機が全滅するまで戦うというものであった。

 搭乗機に向かいながらそれぞれ3人はどのような方式で戦うか事前に作戦会議、このような模擬戦は原たちにとって初めてのものであり、今まで経験したことの無い高揚感を感じている。相手が少女であることがより一層彼らの気持ちを高めていることも間違いない。戦局が悪化してから戦線に参加し、以来厳しい戦いをしてきた彼らにとっては久しぶりに楽しい気持ちで飛行機へ乗る。

 少女たちは使い慣れた零戦で空に上がる。

 「一切手加減はしないで下さい」

原たちは言ったが、はなから彼女たちは負ける気はない。少女たち3人性格は違うが、負けん気が強いことは一致している。原に胸がときめいた智子であるが、だからこそ自分が原を撃墜して自分の力を見せたいと思っている。少女としては少し変わっている。

 原たちは、より実戦に近い状態で模擬戦をするために、全装備の状態の紫電改に搭乗する。紫電改は、全装備を行うと900発の20ミリ機銃弾を搭載できる重武装高速の重戦闘機であり、零戦とは戦い方も大きく異なる。

 高度4000メートル、横須賀基地上空を大きく左回りに旋回しながら零戦と紫電改が飛んでいる。話を聞いて下からパイロット、整備士、兵、手が空いた者たちは全員で空を見上げている。これで敗れるようなことがあった場合、原たちは完全に面目を失うことになりかねないが、そのようなリスクを恐れないことが彼らの勇敢さであった。ここで彼女達に負けて失うような面目なら、さっさと失ってしまってしまった方が良い。日本の最後の砦となることを決心した彼らの覚悟である。

 原が翼を振って合図する、智子も翼を振って了解の合図をする。それぞれの3機が一斉に加速し優位に付こうと高度を上げる。その時、民子の零戦が急旋回して2機から離れる。

 「俺に任せろ」

 山口の紫電改が民子を追う。

 一対一の格闘戦ならば旋回性能の良い零戦の方が有利である。民子は相手をひきつけた上で、捻り込みでかわして後ろへつこうとする。捻りこみは熟練の零戦パイロットが身につけている格闘戦でのテクニックである。民子は特にこれが得意で、それにより教官クラスのパイロットとの模擬戦で何度も勝利を収めている。しかし捻りこみは山口も充分承知をしている。小回りの効く零戦に格闘戦を挑むことなく、距離をつめずに大きく早く旋回をしながら、包むように追い込んでいく。山口は理詰めの空戦をするたちである。民子の誘いには乗らない。じわじわと追いつめて民子があせってミスを犯すのを待つ。焦れた民子が一気に加速して振り切ろうとする。しかし、優速の紫電改相手に零戦がそのような飛び方をするのは自殺行為である。零戦の旋回性能は中速では機能するが高速になると一気に低下する。そこで無理に旋回しようとすると空中分解することもある。

 「よし」

 得たりとばかりに山口が一気に後ろに付く。

 「山口。後ろを見ろ」

 山口の無線機のレシーバーに原の叫び声が入る。

 とっさに後ろを振り返る山口の目に、直ぐ後ろに飛ぶ智子とマリアの零戦の姿が見える。

 「いつの間に」

 すっとんきょうな山口の声に、原と森が呆れる。

 山口は民子におびき寄せられて、智子とマリアの前に自ら飛び込んでいったのだ。もちろん山口はいつも後ろを注意しながら飛んでいる。これは実戦を経験したものにとって鉄則である。しかし、相手を追い込む最後の一瞬は誰でも追っている相手に集中する。ましてや民子は、智子とマリアの零戦が山口の死角になるような位置取りをしていた。通常はペアを組む僚機がそれをカバーする。それが紫電改の新部隊が採用するロッテ戦法である。しかし、今回は3対3の戦いであり、こちらが2機と1機に分かれれば相手も2機と1機に分かれると踏んで、彼女たちが仕掛けた罠である。山口は見事にそれに引っかかったのである

 「山口さん撃墜ー」

 民子が嬉しそうに叫ぶ。

 「あっち行っていろ」

 原に言われて山口がとぼとぼと空戦域の外へ出る。

 2対3の戦いとなるが、原たちはまだ負けたとは思っていない。

 優速な紫電改は、零戦に追い詰められても振り切って逃げることが出来る。それを生かせば彼女達の零戦を圧倒できると確信している。もちろん彼女達もこれからの方がより厳しい戦いになることを理解している。


 そのときである、緊急の無線が入る。

 「こちら横須賀基地。相模湾より敵艦載機が侵入。基地上空の各機はただちへ北へ退避せよ」

 模擬戦をしている紫電改と多摩飛行機の零戦に緊張が走る。地上でも空襲警報のサイレンが鳴り各員が一斉に持ち場へ走る。

 原が地上に無線で返答する。

 「こちら上空の紫電改、原。これより敵艦載機の迎撃を行う。敵機の情報を教えよ」

 「こちら飛行長の芳賀だ。原、無理するな。貴様らは紫電改の部隊を率いる身だ。今日は自重しろ」

 横須賀航空隊の飛行長の芳賀が無線で命令する。芳賀は原たちが多摩飛行機の少女達と模擬戦をすると聞き、無茶をしそうになったら直ぐに止めに入れるよう無線室へ詰めていた。そんな最中に敵艦載機侵入の報を聞いたのである。

 「ここでやられるようならば我々には紫電改の部隊を指揮する資格がありません。自分達の力を試します。以上」

 原が断言する。

 彼らはけして猪突猛進ではない。この後、紫電改の部隊の編成中でまだ訓練が不十分な時は、敵機来襲があってもあえて出撃せず、他の部隊の陰口を受けても耐えることもあった。しかしこの時は、自分たちに紫電改の部隊を率いる力があるのか、この一戦で試そうと決意していた。原の左右に山口と森が並び迎撃のための編隊が組まれる。無言の決意が地上へも伝わる。芳賀も覚悟を決めて、情報を与える。

 「グラマン(F6F)の編隊が複数、高度3000から4000で入ってきている。無理はするな」

 「了解。感謝する」

 地上へ返信した原が少女達へ言う。

 「多摩飛行機さん、我々はこれから迎撃戦を行います。退避をしてください」

 「紫電改、私たちは皆さんの後ろを護ります。存分に戦ってください」

 智子は退避するつもりは無い。彼らは日本の空を護るために自分の全てを懸ける覚悟している。その彼らを護る。彼女はそう決意をしていた。その気持ちは民子やマリアにも伝わる。

 「ありがとう、多摩飛行機」

 原たちにも中途半端な感傷は無い。彼女達が心強い援軍であることは充分感じている。素直な気持ちで感謝をする。地上からも次々に連絡が来る。グラマンが飛来すると思われる方向を皆が凝視をする。

 民子が微かな煌めきを視認する。集中する。一瞬見えてまた見えなくなる。しかし、彼女の頭には一瞬見えた機影のイメージが残っている。

 「2時の方向、16機。高度4000。誘導をする。ついてきて」

 民子の零戦が方向を変えて上昇をする。原たちは2時の方向を凝視するが何も見えない。一瞬躊躇をする。

 「民子の眼はずば抜けています。信じて」

 智子が無線で紫電改へ伝える。

 「了解、誘導を頼む」

 紫電改が民子の零戦の後を追う。そのさらに後ろを智子とマリアの零戦が飛ぶ。

 民子は敵機の方向とは異なる方向へ飛ぶ。その疑問へ答えるかのように民子の声が飛ぶ。

 「この先の雲を迂回して敵機の上に出る」

 民子は立体感覚が鋭い。智子やマリアはそれを知っている。しかし、原たちは見えない相手に対してそのようなことが出来るのか戸惑う。

 マリアからの無線が入る。

 「敵機の無線を傍受。相手は2個中隊。まだこちらに気がついていない。直ぐ近くには他の編隊はいない」

 このような時、相手を捉えて誘導するのが民子、相手の無線を傍受するのがマリア、全体を見渡し指示をするのが智子と役割分担が自然と彼女達の間にはできている。彼女達と初めて戦う原達は、驚きながらその交信を聞いている。

 速度と高度を上げながら雲に沿って旋回する。

 「この雲を抜けると下にグラマンがいるよー」

 民子が指示を出す。

 雲が切れる。

 「ドンピシャ」

 眼下に8機と8機、2つのグラマンの編隊が浮いている。紫電改と零戦は、太陽を背にした位置にいる。

 「突っ込め、紫電改」

 民子が叫ぶ。

 「オウ」

 原、山口、森の紫電改が後方の8機の編隊へ向けてダイブする。

 紫電改の強力な4門の20ミリ機関砲の一撃を受けて、一度に3機のグラマンが火を噴く。


 一瞬のことで、グラマンのパイロットは何が起きたかがとっさに判らない。

 「頭上にジャップ。降下して逃げろ」

 一瞬遅れて一斉にグラマンが降下をして退避をする。


 グラマンF6Fは、グラマンF4Fの後継のアメリカ海軍の新鋭機である。頑丈な機体と装甲を持った優秀機で、零戦では、急降下して退避するグラマンに振り切られて追撃をすることは出来ない。しかし、紫電改は易々とそのグラマンに追いつく。優位に立った紫電改が上からグラマンを追い詰める。その最中、前方の8機のグラマンの編隊が高度を上げて反撃に出ようとする。紫電改とグラマンの戦いを上空で見ていた智子が叫ぶ。

 「民子、マリア、前のグラマンの頭を抑えて。上に出させないで」

 「了」

 民子とマリアの零戦が前方の編隊の頭上へダッシュする。

 タタタタタタタタ・・・

 民子の零戦の機銃が火を噴く。

 「民ちゃん、深追いしない」

 マリアが怒鳴る。

 「大丈夫、威嚇射撃」

 民子が答える。

 民子は敵機を直接狙わず、その頭上に向けて7・7ミリ機銃を連射する。彼女達が乗っている零戦には7・7ミリ機銃と20ミリ重機関砲が搭載されている。7・7ミリ機銃は破壊力に劣るが、射程距離も長く搭載している機銃弾は1400発もある。撃ち続けてもすぐには無くならない。

 通常7・7ミリ機銃では、強力な防弾装備の施されたグラマンF6Fを墜とすことは難しい。しかし、頭の上に機銃の曳光弾が飛んでくれば、降下して退避しないわけには行かない。前方の8機のグラマン達は地表まで降下をしながら、空戦域の外へ退避をして行く。

 「ジャップ30機。奇襲を受けた。現在退避中」

 逃げながらグラマンの1機は無線で救援を求める。不利な状況では敵の数は多く見える。僅か6機による邀撃であったが、逃げるグラマンのパイロットの目には常に頭上にいる日本軍の戦闘機たちを見て、自分達の倍の敵がいるように映っていた。

 このとき複数のグラマンの編隊が帝都上空に飛来していたが、その報告を聞いて極めて有力な日本軍戦闘機の部隊がいると判断、高度を下げずに周囲を警戒する態勢を取った。そのため、低空に追い詰められたグラマンとそれも襲う紫電改の空戦域へ入ってくる敵機はいなかった。

 原、山口、森とも勇猛果敢な戦いぶりが評価されて選ばれた3人である。眼下にいるグラマンを全て落とそうと追い詰めていく。戦いながらも上空を見ると常に多摩飛行機の零戦が背中を護ってくれている。そのたびに力づけけられて敵機へ向かう。紫電改には4門合計で900発もの20ミリ砲の弾丸が載まれている。弾丸には事欠かない。頭を抑えられたグラマンは、1機、また1機と火を吹く。原はグラマンを墜とす度に後ろを振り返る。常に智子の零戦がいる。その刹那、胸が熱く燃える。次のグラマンを追う。

 最後の1機のグラマンが煙を噴く。パイロットは機を捨ててパラシュートで降下をする。そのグラマンが地上に激突をしたところで空戦が終る。

 撃墜8機、自軍の損失無し。完勝である。3機の紫電改と零戦は、首都圏へ侵入した艦載機が引き上げたことを地上からの無線で確認するまで横須賀基地上空の警戒を続け、やがて1機ずる基地へ降り立つ。

 原たちはピスト(飛行場指揮所)へ報告に向かい、智子たちは空戦で使用した零戦を整備の人間へ引き渡すために格納庫へと向かう。

 地上は大喜びであった。

 基地の地上にいた他の戦闘機の多くは時間が無かったため、飛び立って北へ退避するのがやっとであった。充分な高度を取れないままバラバラでグラマンの編隊へ立ち向かっても喰われるだけである。そんな中、基地上空に侵入してきたグラマンの編隊を原達の紫電改と多摩飛行機の零戦が強襲し、しかも8機を叩き落したのである。地上で見ていた漁師出身の整備兵は、

 「巻き網漁を見ているようだった」と言った。

 多摩飛行機の3機が大きく円を描きながら獲物のグラマンを追い込んで行く。そしてその大きな渦の中で紫電改が果敢な突撃を繰り返してグラマンを墜して行く。まさに空中戦はこうすべきともいえる会心の戦いであった。

 ピストで報告をした原たちが司令部へ向かう途中で智子たちと出会う。

 智子たちが敬礼をして道を譲ろうとすると彼女達の方へ向かい立ち止まる。

 「皆さんのおかげで紫電改部隊の初陣をすばらしい勝利で飾ることが出来ました。ありがとうございます」

 ふたたび原が智子に握手を求める。智子は少し頬を染めてその手を握る。

 「中尉の突撃の迫力、感服いたしました。龍が炎を噴いているように見えました」

 大げさな表現であったが素直に感じた言葉が其のまま口から出た。強く手を握り返されて智子は小さく喘ぐ。

 森が民子へ話しかける。

 「お前、すごい目がいいな。俺には全然見えなかったよ。しかも雲を迂回してドンピシャ、よくそんなところへ誘導できたな」

 山口もマリアに尋ねる。

 「無線の傍受、どうやって周波数を合わせたんだ」

 原、山口、森には彼女達へ聞きたいこと、話したいことが山のように浮かんで来る。

 「士官食堂で話しませんか。南方からよいコーヒーが届いているそうです」

 原が勧める。

 「ゴクリ」

 智子の喉がなる。はしたないと思わず取り繕う。

智子はコーヒーが大の好物である。不二の家では、戦前、午後のお茶の時間にコーヒーを飲むことがあった。智子は子供の頃からコーヒーを気に入り、毎回ねだって飲んでいた。民子やマリアは苦いとコーヒーではなく、ミルクの入った紅茶を好んだ。しかし、 太平洋戦争が始まると一番初めに手に入らなくなったのがコーヒーのような嗜好品である。智子は何年もコーヒーを飲んでいない。

 原が目敏くその表情を読み取り重ねて誘う。

 「我々はさっきの空戦の反省会をこれから食堂でしますので、是非皆さんも参加してください」

 「ご相伴させていただきます」

 智子が答える。

 参加させていただきますと言うつもりがつい本音が出て、ご相伴と言ってしまってから顔を赤くする。原が微笑む。皆で士官食堂へ向かう。

 横須賀基地の仕官食堂は豪奢である。電燈には装飾が施され壁には絵画がある。多摩飛行機の少女達は横須賀基地では出入りの民間人、軍属の扱いなので、士官食堂へは近づいたことも無い。

 「銀座のレストランみたい」

 思わず民子がつぶやく。

 「お前は銀座のレストランへ行ったことがあるのか」

 森が聞き返す。

 「彼女たちは多摩飛行機のお嬢さんだぞ。世が世ならば俺たちが口をきく事さえ出来ない世界の人たちだぜ」

 山口が笑う。

 「そんなんじゃないですよ。多摩じゃ鶏を飼ったり、牛の乳を搾ったりしています」

 「じゃあ、俺の家と同じじゃないか」

 森も笑う。

 入り口から入ったところでひと悶着がある。

 「そのお格好でお入りになるのですか」

 ウェイターを務める兵が訊く。この士官食堂は第二種以上の軍服着用が不文律である。飛行服等の戦闘服で入れる場所でない。

 「これは俺たちの礼服だ」

 兵を睨み付けて原はそのまま押し通る。中には何人かの将校たちもおり苦い顔をしているが無視をする。智子は会釈をして原に続く。このような時の智子の仕草は堂々としている。背筋が伸び気品がある。飛行服を着ていて気品がある少女、智子の姿は原の威圧的な態度以上にウェイターの兵を怯ませる。

 少女達は、ウェイターの兵が椅子を引くのを待って席に着く。さりげないが仕種は洗練されている。戦争が始まるまでは、不二の家にはやってくる外国人も多く、小さい頃からテーブルマナーも身に付けされている。

 「コーヒーを6つ」

 「あっ、私はとマリアは紅茶が」

 民子に言われて言い直す。

 「コーヒー4つ、紅茶2つ」

 民子達の何気ない仕種にも男たちは新鮮さを感じる。

 会話の口火を切ったのは原である。

 初っ端から空戦に関する話である。女性に対する話題ではない。

 「皆さんは3号爆弾でのB29邀撃で戦果を上げているそうですね。私がヤップ島でコンソリ(B24重爆撃機)を邀撃したときは、3号爆弾を当てる事が全然できませんでした」

 少女達は、西本から学んだ邀撃方法を話し、彼女たちが作った「3号爆弾による重爆撃機邀撃要綱」を示しながら説明した。この冊子は持ち歩いている雑嚢袋にいつも入れている。

 「すごい教本だ。これを君たちが書いたのか」

 「日本軍には、第一線のパイロット達の技術や経験を共有する仕組みが無い。俺たちはこういったことから直していかないといかんな」

 山口が感嘆する。

 「原中尉はどのようにB24を迎撃したのですか」

 智子が尋ねる。

 「3号爆弾は当たらない、後ろ上方から攻めてもB24の防御砲火で味方が墜とされる、だから直上攻撃を考え出しました。自分はそれを逆落としと名づけました」

 原がとった逆落としは、敵重爆撃機より1000メートルぐらいの高度差をとり前方から近づき、敵上空で機体を背面にして垂直に突っ込むものである。飛行機には主翼による揚力が働くので、軽量の零戦で急角度で降下しようとしても機体が浮き上がってしまう。しかし背面になれば話は別である。宙返りの軌跡の中で、丁度下向きに垂直になる部分へ敵の重爆撃機を持ってくるように飛ぶことでそれを実現することができる。重爆撃機の機関銃も真上は撃てない。またこの方法ならば、敵に直援の戦闘機がいてもその攻撃を躱すことが出来る。しかし、この戦法で敵機に弾を当てるためには相手の機体をかすめるぐらいでなくてはならず、きわめて危険でもある。実際、原はB24の主翼の後ろと尾翼の前の間をすり抜けるぐらいのつもりで突っ込んでいく。暴れん坊の原ならではの捨て身の戦法である。

 「待て、原。一歩間違えれば体当たりだ。そんな命を粗末にするような戦法を部下に強要できるか」

 珍しく、森が原に真っ向から反対する。

 「いや、むしろ正攻法のほうが危ない。まともに行けば敵に喰われるだけだ。逆落としのほうがよっぽど安全だ」

 第一線で戦ってきた若手の指揮官の言い合いを少女達は興味深く聞いている。撃墜王の西本や三井と違い、原や森、山口が部下の命を考えながら戦法について言い合うのが新鮮だった。


 「原、森、山口。すばらしい勝利じゃないか」

 突然の声に3人が振り返る。

 彼らと紫電改の新部隊を創設する司令官の平田大佐であった。この厳しい戦況にあって、精鋭のパイロットを各部隊から引き抜き、新型機の紫電改を独占して最強部隊を創る、海軍省随一の政治力と豪腕を持った司令官である。3名は立ち上がって敬礼をする。多摩飛行機の少女たちも立ち上がって姿勢を正す。

 「話は聞いた。グラマンは全滅、味方は弾一発受けずに全機無事。紫電改の力が証明されたな。俺もその空戦を見たかったぞ」

 「この勝利は多摩飛行機のパイロットの援護のおかげです。我々だけの戦果ではありません」

 「謙遜するな。グラマンを墜としたのは全部お前達だと聞いている」

 「司令、私達は失礼させていただきます。中尉、本日はありがとうございました」

 智子達は姿勢を正して挨拶をし頭を下げてから席を外す。軍人ではないので、手を頭に添える敬礼を司令に対してはしない。

 「うん、君たちもご苦労だった」

 平田は鷹揚に頷く。

 多摩飛行機の少女たちとまだ話したいことがあった原達は、少し心残りげに彼女達を見送る。

 「司令、謙遜ではなく本当に彼女たちの力のおかげで今回勝つことが出来ました。今回、彼女たちからは多くのことを教わりました。われわれも見習わなくてはなりません」

 山口が言う。戦闘技術だけではなく、ブリーフィングや教本の作成など、今後自分たちの部隊を運営する上でのいろいろなことを学んだと率直に思っている。

 「ほう、そんなにあの娘たちが気に入ったか。だったらあいつらも連れて行くか。操縦の腕も立つということだから、そばへ置いておけば昼も夜も使えて便利かもしれないな」

 平田がにやりと笑う。

 3人が戸惑った表情をする。


 夜、平田から褒賞として貰った角瓶のウィスキーを3人で飲む。一人に1本ずつあるので量は十分だ。肴には酒保から持ってこさせた牛缶や佃煮をつまむ。仲がよく普段陽気な3人にしては静かな酒である。

 「大勝利だな」

 「ああ」

 「俺たちが前線に出たのは昭和19年。いつも負けてばかりだったな」

 「ああ」

 「こんな大勝利初めてだな」

 「ああ」

 「でもあんまり嬉しくないな」

 森と山口が話す。原は黙って聞いている。

 「この空戦は俺たちの力で勝てたんじゃない。多摩飛行機の娘たちが勝たせてくれたんだ」

 森が自嘲気味に言う。

 「後ろを見るといつも娘たちの零戦が護ってくれていた。気がつくと俺たちの前にグラマンを追い込んでくれていた。こんな楽な空戦初めてだった。猪突猛進することしか能がない俺たちには出来ない戦い方だった」

 少女たちにとっても、真っ向からの対戦闘機戦は初めての経験であった。しかし、撃墜王と言われた三井や西本達の話を聞きながら、少女たちの頭の中には空戦の勝ち方のイメージが明確に出来ていた。常に相手の上位を占め、相手に反撃の機会を与えないように集団で追い込んでいく、中国戦線や太平洋戦争初期には、空中無線も無い状態の中でそれをやってのける手錬のパイロット達が日本軍には揃っていた。しかし、原たちが実戦に参加したときの日本軍は、飛行機の数でも、性能でも相手に圧倒され、熟練したパイロットも減り、そのような「勝ち戦」を経験することなくこれまで戦ってきた。

 「やっぱり、平田司令に頼んで彼女たちを連れてきてもらうか。俺たちの『指揮官』になってもらうために」

 森が自嘲気味に笑いながら言う。

 そのとき、ずっと黙っていた原が言う。

 「駄目だ。隊長相手にチンポが勃っていたら戦争にならん」

 山口が弾けた様に笑って言う。

 「原、とうとう本音を吐いたな。お前の目当ては智子だろう。見え見えだったぞ」

 「うるせー」

 原がウィスキーを呷る。

 「でも気がついていたか。民子は子供みたいな顔しているけど胸も尻もすごくでかかったぞ」

 「マリアはドイツ人とのハーフだろう。西洋人形みたいな顔してたまらんよな」

 森が言い、山口が続く。口に出せないでいたことを酒の勢いで話し始めて一気に場が和む。3人の娘のどれが良いかを言い合った後、しばし会話が切れる。

 原がつぶやく。

 「多摩飛行機倶楽部か。あんな娘達と一緒に平和な空を飛んだら楽しかろうな」

 「それは無理だろう。俺たちは部下も仲間もたくさん死なせてきた。俺たちだけが生き残ることは出来ない」

 山口が答える。

 「分かっている。生まれ変わったときのお楽しみだな」

 原の言葉に森が応じる。

 「原、貴様のモットーは七生報国じゃないのか」

 「うるせー、8回目の話だ」

 3人は笑いあう。

 山口が真顔で話す。

 「原、貴様嫁を貰って子供を残したいと言っていただろう。今なら間に合うかも知れんぞ。あっちだって満更じゃない様子だったぞ。智子はいい子だ」

 「分かっている。だから駄目なんだ。あんなの貰ったら死ねなくなっちまう」

 笑いながら原はコップのウィスキーを一気に呷る。


 翌週、3人は四国の基地へ移動、そこで紫電改部隊の陣容を整えて米軍との戦いに臨む。

 数少なくなった手錬のパイロットと最新鋭の紫電改を集約した精鋭部隊は、呉軍港の防空戦で米軍へ大打撃を与え、その後終戦まで奮戦をする。当初は70機もの紫電改を備え、真っ向からの勝負で米軍戦闘機隊を圧倒した彼らも、十分な補給が無い中での戦いに徐々に戦力を失い、大戦末期には正面からの空戦を避けて少数機でゲリラ戦的に相手に損害を与える戦法を取るようになって行く。

 部隊を率いる彼らも一人、また一人と欠けて行き、終戦を目前とした8月に原も戦死。3人は平和な空を飛ぶことなく散っていった。

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