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第壱戦 3号爆弾

3号爆弾


 昭和20年1月、海軍横須賀飛行場。

 横須賀航空隊副司令官の山田は、ピスト(飛行場指揮所)の窓から冬晴れの空を旋回する2機の零戦を見ていた。その山田の背中を飛行服の少女が見つめている。少女は、切れ長の目と整った顔立ちをし、身に着けた飛行服は海軍のものでも陸軍のものでもなかった。山田はゆっくりと振り返り、穏やかに、しかし、力をこめて言う。

 「ならぬものはならぬ」

 少女は山田の目をまっすぐに見ながら答える。

 「婦女子を前戦に出せないという副司令のご配慮には感謝しています。しかし今は本土上空が戦場です。私たちでもお役に立つことは出来ると思います」

 山田は軽くため息をつきながら諭すように話す。

 「智子君。君たちの操縦技術が海軍の教官パイロットたちをも凌ぐ技量であることは承知している。しかし君達は民間人であり、女子だ。君たちに戦闘をさせることは出来ない」

 山田は、ふたたび空を飛ぶ零戦へ視線を移しながら言う。

 「君たちは既にテストパイロットとして十分に海軍のために役に立ってくれている。情けない話だが今や海軍はテストパイロットにも事欠くありさまだ。むしろ君たちを戦闘で失うことの方が損失は大きい。私は海軍のためを思って言っている」

 山田は智子へ視線を戻す。智子は山田の目を見つめ返す。

 そのとき、ピストの部屋の戸がノックされる。

 「橋本です。入ります」

 大尉の階級章をつけた参謀が、一人のパイロットを連れて入ってきた。

 「多摩飛行機さんのことでお話をしたいことがあります」

 連れられたパイロットの顔を見て、山田が驚きの表情を見せた。

 「西本か。」


 横須賀飛行場の上空を飛ぶ2機の零戦は、ぴたりと編隊を組んで旋回を繰り返す。慣らし運転を終えた後、前の零戦の風防が開きパイロットが合図をする。指をくるくると回し、3本指を立てる。左斜め後ろの零戦のパイロットが親指を立てて返事をする。パイロットの口元に笑みが浮かぶ。2機の零戦は速度を上げる。そして、空へ大きなループを描き始める。

 地上の整備員たちが空を見上げる。

 「ほー」

 ため息とも歓声ともつかぬ声が上がる。

 2機の零戦は綺麗な編隊宙返りを3回繰り返す。そして大きく旋回をしながら高度を下げ、基地の滑走路へと滑り込む。

 整備員たちがいる格納庫の前まで零戦がゆっくりと滑走してくる。整備士が車輪止めを入れる。パイロットがエンジンを切る。

 「ありがとうございます。よろしくお願いします」

 パイロットが零戦から降りて、機体をあずけた整備員へ頭をぺこりと下げる。

 整備員たちの中にいる初老の男を見つけ、飛行帽とゴーグルを外しながら駆け寄って来る。

 「源さん、源さんが治した零戦、すごい調子がいい。思ったとおりに飛んでくれる」

 パイロットは目がクリクリっとした童顔の少女である。満面の笑みである。

 「民子ちゃん、きれいな宙返りだったね」

 源さんと呼ばれた男も笑いながら応える。

 2機目の零戦から降りたパイロットも少女である。栗色の髪をし、眼は灰色がかっている。西洋人の血の入った顔だちをしている。少しそばかすがある。源さんと民子の方へ歩いてくる。

 源さんが尋ねる。

 「マリアちゃん。そっちの零戦はどうだったね」

 マリアと呼ばれた少女は、少しはにかんだような表情をしながら言った。

 「高速のときは驚くほど安定してるんだけど、低速のときに機体が揺れるの。離陸や着陸のときに少し怖いかな」

 「うーん、やっぱりバランスが悪かったか。重りで調整すればなんとかなるんだけれど、そうすると機体が重くなるしね」

 少し顔を曇らせて話す源さんに、横から民子が首を突っ込む。

 「そのままでいいんじゃない。戦闘機なんだよ、高速のときに調子が良ければそれで充分だよ。離着陸なんて慣れれば大丈夫。私、そんな飛行機の方が好きだなあ」

 「玄人好みのじゃじゃ馬戦闘機ってこと。そんなのが好きなのは民ちゃんだけよ」

 マリアが笑う。

 周囲の整備員たちもつられて笑う。整備員の彼女たちを見る目は暖かい。

 機体の引渡しについて整備員と話し込む彼女たちのところへ人が走ってくる。

 「多摩飛行機さん、副司令がお呼びです。ピストへ来てください。」

 急に呼ばれて、怪訝な表情をしながら、民子とマリアがピストへ向かう。源さんも後を追う。


 ピストでは、副司令の山田と智子、参謀の橋本、そして少尉の階級章をつけたパイロットが待っていた。

 パイロットは、この時節にはめずらしく髪を伸ばして七三に分けている。

 民子とマリア、そして源さんが揃ったところで橋本が声をかける。

 「多摩飛行機さん、どうぞ、椅子におかけください。」

 「それでは、私の方から改めて説明をさせていただきます。」

 皆が席に着いたことを確認して橋本が話を始める。

 「これからお話することは、室園司令から了解をいただいています。」

 その言葉に山田副指令は苦い表情をする。

 橋本は続ける。

 「11月から始まったB29の帝都への爆撃は既に10回を超えました。海軍、陸軍の航空隊が全力を挙げて迎撃していますが、残念ながらそれを阻止することも、十分な戦果をあげることも出来ていません」

 昭和19年6月アメリカ軍は大本営が「絶対防衛圏」と設定したサイパン島への上陸を開始。日本海軍は「あ号作戦」を発動し、連合艦隊の総力を挙げてアメリカ艦隊をマリアナ沖で迎え撃った。しかし、連合艦隊は3隻の航空母艦と400機の艦載機を失って惨敗、サイパン島の日本軍守備隊も圧倒的なアメリカ軍を相手に懸命の防戦を行うが、一般住民をも巻き込んだ悲惨な戦闘の末に玉砕をした。

 サイパン島から東京までは2500キロメートル。サイパン島に飛行場を整備したアメリカ軍はここへ新型の重爆撃機B29スーパーフォートレスの大部隊を配置し、11月より東京をはじめとする日本本土への本格的な爆撃を開始した。高度一万メートルを高速で飛翔するB29に対し、過給機スーパーチャージャー)を持たない日本軍の戦闘機はこれを捉えることが出来ず、日本軍の防空戦は困難を極めていた。

 橋本は続ける。

 「ただ、我々にとって悪くない話もあります。現在、帝都へのB29爆撃の多くは、中島飛行機、立川飛行機をはじめとした多摩の飛行機工場が標的になっています。しかし、高々度からの軍需工場への爆撃の命中率は低く、そのためこれまでは深刻な被害には至っていません」

 これは決して強がりでなく事実である。この時期、アメリカ軍のB29の東京における第一の攻撃目標は、東京の多摩地区にある飛行機工場であり、市街地への爆撃は工場への爆撃ができない場合の第2目標とされていた。しかし、橋本が言う通り、冬の強い偏西風と天気の影響で、爆撃目標の工場上空へ到達できるB29は半分程度、また、高度1万メートルからのB29の爆撃による工場の300メートル以内への着弾率は1%にも満たなかった。そのため、後にアメリカ軍は爆撃による攻撃目標を工場などの重要施設から市街地への無差別焼夷弾爆撃へと変更するのであるが、それはまだ先のことであった。

 「ところが、先日の空襲で、一部のB29が高度3,000メートルで侵入し、府中にある工場に大きな損害が出ました。高射砲と戦闘機により相応の戦果は上げることが出来ましたが阻止するにはいたらず、今後も同様の戦術がとられる公算が大であります」

 「そこで、次に低空でB29が侵入してきた時は、投弾直前の敵機を3号爆弾で叩くことを考えています」

 橋本は話を主題へと進める。

 3号爆弾とは、1つの親爆弾の中に多数の弾子と呼ばれる子爆弾を内蔵している爆弾である。空中で爆発をし、その際に弾子は半径100メートルもの範囲に広がる。その広がり方がタコの足のようであることから日本のパイロットの間では「タコ爆弾」とも呼ばれていた。もともと飛行場攻撃や舟艇攻撃に用いるためのものであったが、ラバウルやトラック島では、零戦や複座戦闘機の月光に3号爆弾を搭載し、重爆撃機のB24への攻撃へ使用して成果を挙げていた。ただし、近接信管の技術を持たない日本軍において、飛行する敵機への3号爆弾の投下は相手の未来位置を予測しながらのパイロットの目測による投下となり、戦果をあげるためには高度な技能が必要とされた。


 3号爆弾について手短に説明をした上で、橋本は話を続ける。

 「3号爆弾は、敵機に肉薄する必要が無いので迎撃する戦闘機の搭乗員の危険が少ないという利点があります。また、爆弾投下直前の敵機を3号爆弾で攻撃をすることで、例え撃墜が出来なくても敵の照準を妨げて正確な爆撃を困難とする効果が期待されます。ただ、飛行する相手に3号爆弾で狙いをつけるのは容易でなく、パイロットに高度の技量が無いと戦果が挙げられません」

 「そこで今回、ラバウルとトラックで、3号爆弾で多くの戦果を挙げた西本少尉と、高い操縦技術を持つ多摩飛行機の皆さんで邀撃隊を組んでいただきたいと考えています。このことは西本少尉にも既に話をしています」

 一緒に話を聞いていたパイロットは、ラバウルのエース(撃墜王)として名を馳せた西本である。階級こそ橋本の方が上であるが、橋本の話ぶりには西本への遠慮が入っている。

 橋本に促されて西本が話し始める。

 「最初この話を聞いたときはなんかの冗談かと思った。たださっきのお前たちの宙返りには驚いた。あんな綺麗な編隊宙返りを見たのは久しぶりだった」

 多摩飛行機の少女達へ向けて、西本が話しはじめる。階級が上の者の聞いている前での物の言いかたではなかったが、西本のような激戦を生き延びてきた一部の叩き上げのエースたちには許される特権であった。

 「戦いたいって言うのは本当にお前たちの意思なのか。誰かにそそのかされてその気になっったのじゃないのか」

 「自分たちで考えて志願したことです」

 智子が代表して答える。

 源さんは、それを心配そうな表情で見ている。

 西本が続けて尋ねる。

 「何でお前たちは女のくせに自ら戦いたいんだ」

 少し目配せをし合った後、民子が口を開く。

 「東京や多摩をB29から護るためです。私たちは多摩や東京に親戚や友達がたくさんいます。お世話になった飛行機会社の方たちもたくさんいます。そんな多摩の街や工場が爆撃で焼かれて、死人もたくさん出ています。私たちはB29から多摩の空を護りたいんです」

 当事東京都下の多摩には、中島飛行機、立川飛行ををはじめとした多数の航空機制作会社の工場があった。飛行場も立川、調布、福生、所沢へ設置され、ピーク時にはそこで従事する人々の数が10万人にも及ぶ日本における航空機生産の一大拠点として、空都多摩とも呼ばれていた。従って当初のB29の東京地区への爆撃はこの多摩地区へ集中し、大きな被害が出ていた。

 感情の豊かな民子は話しながらすでに目を潤ませはじめている。

 皮肉っぽい溜息をついてから西本が話す。

 「俺は、アメリカのパイロットを殺すために戦っている」

 西本の尖った言葉に少女たちの表情が変わる。   

 「アメリカは、日本の10倍の飛行機を作れるそうだ」

 「でも、アメリカの男の数は日本人の2倍だ。10倍の飛行を墜とすのは無理でも、2倍のパイロットを殺すことだったらできるかもしれねえ」

 「そう思って戦ってきた。でも、最近は死ぬのは日本人ばかりだがな」

 自嘲ぎみに言った後、少女たちに聞く。

 「お前たちに人を殺す覚悟はあるのか」

 少しの沈黙の後に、智子が答える。

 「太平洋での戦争が始まってから私たちは軍の仕事を手伝っています。戦争が人の殺し合いだというのならば、軍に協力している私たちは既に人殺しです。引き鉄を自分で引いたかどうかは関係ありません」

 この時代、国のために戦うことは何の疑いもない正義であった。少女たちはその常識の中で生きている。

 智子は話をするときいつも相手をまっすぐに見つめる。その表情は美しい。

 西本が苦笑する。納得したのか、3号爆弾を使用した戦闘方法の説明を始める。彼の説明は具体的で率直だった。

 3号爆弾を使用した重爆撃機への攻撃は、相手の爆撃機と並行して飛行して3号爆弾を落す同行戦と、正面からすれ違いざまに投弾する反行戦がある。本来は同行戦が教本にある戦法であるが、高速のB29を相手に零戦が同行戦を行うのはきわめて難しい。そのため、反行戦が取りうる唯一の戦術であること、そしてそのチャンスは一度きりで一瞬あること、そのためには位置取りが全てであることを西本が話す。高度差1000メートル、距離2000メートルで編隊を組んだ零戦が一斉に投弾することがもっとも有効である。どのように接敵し、相手がどう見えた時に投弾するか、詳細に話す。

 少女たちはノートを取りながら西本の話を集中して聞いている。そのノートの取り方が三人三様である。智子は西本の言葉を適確に記していく。マリアのノートには図が多い。目標のB29の位置と零戦の位置、距離の書き込みがある図に説明や重力加速度の数式なども書き加えている。民子は絵を描いている。前方から向かってくるB29の編隊、それに向かっていく零戦、B29のさらに向こうには富士山とその手前の多摩の山々が見える。東京や多摩に侵入してくるB29は駿河湾を北上し、富士山上空で向きを変え偏西風を利用して高速で侵入してくることが多い。そのB29への投弾の時に見える風景をイメージしながら描いている。

 智子が尋ねる。

 「B29が高々度から来たときはどうするでしょうか。3号爆弾を搭載した零戦では一万メートルを飛ぶB29を捕捉することは出来ないと思います」

 「それは、私が答えます」橋本が質問を受取る。

 「高々度から侵入するB29には別の部隊が対応します。君たちの部隊はは低空からの精密爆撃をするB29を3号爆弾で止めてもらうことに専念して下さい。これも決して簡単な任務ではありませんが、西本少尉はこれまでに何十機ものB24を撃破してきた3号爆弾の名手です。西本少尉と君たちの邀撃隊ならば必ずやB29を止められると信じています」

 マリアが手を挙げる。

 「西本少尉は3号爆弾でB24を何機も墜とされたとのことですが、B29はB24よりも、速度が100キロ以上を速いと聞いています。それについてはどうお考えですか」

 彼女の鋭い質問に西本が気を悪くしないかと橋本が慌てる。士官の間では西本は気難しいパイロットと思われている。

 気にせず西本は答える。

 「実を言うと俺も1000メートルとか2000メートルとか測って3号爆弾を落としている訳じゃない。見て感じた時に落としているだけだ。B29はB24より3割がたデカイ。だから今度も同じ大きさに見えた時に落とそうと思っている。そうすれば丁度いいんじゃないかと考えている」

 マリアがノートの上で素早く計算をする。にっこりと微笑む。

 「解りました。そのとおりと思います」

 その後もいろいろな質問と確認がされる。

 四発の大型爆撃機は非常に大きく見えるため距離感を見誤ること、3号爆弾の投下から爆発までの時間が速度や高度で異なること、西本がそれをどのようにコントロールしているか、敵の戦闘機がいたらどうするか。初対面とは思えない遠慮の無さでパイロット同士の会話が続く。物怖じしない少女たちにあの西本が心地よさそうに応じている。山田と橋本は目を見張る。

 説明と打ち合わせが終る。

 「じゃあ早速訓練飛行の準備に入ってください。皆さんのための機体は既に用意できています」

 促す橋本に、山田が割り込む。

 「智子君、社長は、御祖母様の瀧子さんはこのことを何と言っている」

 「祖母は、私たちの思うとおりにして良いと言っています」智子は答える。

 山田は小さくため息をついて、西本を振り返る。

 「西本、彼女たちのことをよろしく頼む」


 彼女たちが西本と行った訓練飛行は、このときの日本軍としては贅沢なものであった。横須賀飛行場にある二式大艇(日本海軍の大型飛行艇。第二次大戦における世界最高の飛行艇と評価され、米軍の重爆撃機と同等の大きさであった)の試験飛行にあわせて行われ、空中で大型爆撃機がどのように見えるかを実体験しながら模擬の3号爆弾の投下訓練を行うことができた。

 海軍横須賀飛行場は通常の基地ではない。海軍の航空隊要員の教育・練成、新型機の実用実験、各機種の戦技研究を担当する航空部隊が配置された特別な基地であり、海軍航空技術廠や航空整備学校、航空機試験施設も併設された海軍航空兵器開発の一大拠点であった。多摩飛行機の少女と西本に下された3号爆弾によるB29迎撃の指令の中には、戦闘をすることに加えて3号爆弾による迎撃方法の研究と教本の作成が含まれている。 燃料不足のため、二式大艇を使用した訓練飛行は1回だけであったが、それでも彼女たちには大きな経験となった。


 少女たちが横須賀飛行場に待機して3日目、天気は快晴、風も凪いでいる。爆撃には絶好の天気である。朝、東京上空をF13(偵察型のB29)が飛んだ。こういう日こそB29の爆撃がある。

 少女たちの待機場所は格納庫横の隙間だらけの小部屋。民間人である彼女達には士官パイロットのように居心地の良い部屋は用意されていない。ストーブは燃えているが、1月の横須賀はけして暖かくは無い。

 突如サイレンが鳴り出す、「カンカンカン」と鐘が鳴る。少女たちは飛行場横の指揮所へ走る。西本も既に来ている。飛行長がパイロットたちへ指示を出す。

 「B29、約100機、駿河湾を北上中。行き先はわからないが、東へ方向を変えれば20分で帝都上空へ到達する。警急隊員は直ちに離陸、帝都西方、八王子上空で待機せよ」

 「よし、行くぞ。」

 西本の言葉に娘たちは格納庫前のの飛行機に駆ける。

 整備員たちが既にイナーシャーを回して準備をしている。少女たちと西本は零戦に飛び乗るとすぐにエンジンを起動する。4人とも一発でエンジンを起動させる。少女たちは待機の間、自分たちが乗る零戦の整備を自らしていた。エンジンと機体のコンディションはは良い。プロペラが回転速度を増す。

 車輪の車止めが外される。

 西本の零戦が滑走路へ向けて走り出す。智子、民子、マリアの順番で後へ続く。4機の両翼の下へは、今朝のうちに3号爆弾が装着されている。

 滑走路へ出た零戦は、ブレーキを踏んだままエンジンの回転を上げる。僅かな時間内に舵の動作、計器、エンジンの音に違和感が無いかを確認する。西本がブレーキを緩め滑走を始める。一気に加速して離陸する。少女たちがそれへ続く。横須賀飛行場の滑走路は広くない。我先に離陸しようとする戦闘機の中で少女たちが真っ先に飛び立つ。

 上昇しながら4機は編隊を組む。旋回もせずに上昇しながら編隊を組むのは空母航空隊でも難しいものであるが4機は難なくやってのける。

 「こちら西本、聞こえるか」

 上空で無線機の確認する。3人が短く応える。

 「2番智子、感よし、明よし」

 「3番民子、感、明、よし」

 「4番マリア、感、明、よし」

 「感」は感度、「明」は明瞭度のことだ。

 機械オタクのマリアが調整した無線機は感度が良く、明瞭に聞こえる。日本軍の空中無線機は質が悪く、太平洋戦争初期は機体を軽くするために無線機を外してしまう戦闘機パイロットが多かったが、この時期になるとかなり改善がされている。

 智子が無線機で話す。

 「多摩の空は私たちの方が慣れています。八王子上空までは先導します」

 「了解、頼む」

 西本が応じる。訓練飛行で一緒に飛んで彼女達の腕を信じている。任すところは任す。八王子上空、高度5千メートルで左旋回をして敵を待つ。民子は眼が良い。最初にB29の編隊を見つける。

 「11時の方向B29、高度1万、編隊が続いています」

 1万メートル以上の高々度を10機程度の編隊のB29が次々と、間隔を置きながらやってくる。

 西本が少女達の前へ出る。

 「良く見張れ、敵は前からだけとは限らないぞ」

 眼の良い民子が前、マリアが後ろを重点的に見て、智子は全体を見る。事前に話し合って決めている。

 「8時の方向、同高度、零戦4機が上がっていきます」

 マリアが声を上げる。厚木基地の零戦であろう。高々度のB29へ向けて上がっていく。

 「高度6000、14時の方向、三式戦3機、上がっていきます」

 智子が伝える。調布基地の陸軍戦闘機隊が上がっていく。

 陸軍、海軍の迎撃戦闘機が次々に上がってくる。西本達は5000メートルの高度を維持して待機する。

 民子が叫ぶ。

 「高尾山の上、高度4000にB29、9機編隊」

 高々度を進むB29に混ざって、低空から侵入してくる編隊がある。飛行機工場へ低空からの精密爆撃を行う目的と思われる。既に日本軍の高射砲部隊の位置は米軍の偵察で補足されている。高射砲陣地の上空を通らない経路でやってくる。

 ――我々が止めなくてはならない。

 4機は低空のB29の方向へ舵を切る。

 再び民子が叫ぶ。

 「B29の上、500。戦闘機がいる。8機。F4Uコルセア」

 F4Uコルセアは、逆ガル翼を持ったアメリカ海軍の高速戦闘機である。

 民子にとって初めて見るF4Uコルセアであるが、特徴のある機体は話で聞いてよく知っている。そのデザインは民子のお気に入りである。これから戦闘に入るという緊張と裏腹に、本物のF4Uコルセアが実際に飛んでいる姿を見て民子は高揚する。

 「くっ」西本が呻く。

 米軍は低空爆撃を行うB29を守るために艦載機を直援のために送ってきた。この時期、日本の本土近海に米軍の航空母艦が入るのはそれなりの危険を伴う。にもかかわらず艦載機が直援をしているということは、米軍が今回の多摩の航空機工場の攻撃に高い意義を見出しているということであろう。B29の直上に直援機がいるということは、別の艦載機もいるかもしれない。

 「このまま突っ込むと喰われる。距離をとれ」

 西本が指示をする。

 「周りを良く探せ。味方がコルセアに絡んだときに突っ込む。他にもコルセアはいるかもしれない。よく探せ」

 必死に回りを見るが、あたりには敵も味方も現れない。日本軍の迎撃機は、高々度のB29を目指しているために、低空の一隊に気づかない。

 西本達は、B29の前方距離を取ったまま同方向に飛んでいる。

 マリアがF4Uコルセアの無線を傍聴している。マリアはドイツ人の父と不二正蔵の娘の由貴の間に生まれたハーフであり海外で生活をしたこともある。英語は堪能である。

 「相手の通信を傍受。こっちへ気づいている。でも直援優先、コルセアはB29のそばを離れない。他の直援機との通信はない」

 マリアが僚機に伝える。

 「チッ」西本が苦い顔をする。一番手出しが難しいパターンだ。

 正直に突っ込めば餌食になる。  

 「この先、後3分で中島飛行機武蔵野工場」

 智子が伝える。

 周囲を見るが、他の日本軍の迎撃機は姿を見せない。

 「後2分」

 智子が伝える。

 「隊長、武蔵野工場には友達が沢山いるよ」

 民子が叫ぶ。少女たちの友達の多くが、学徒動員により武蔵野工場で働いている。

 「友達は防空壕に入っている。どっち道、B29を全部は止められない」

 西本が叫び返す。

 その時、智子が方向を変える。

 敵の直援機に向かっていく。

 「やめろ、智子」

 西本が叫ぶ。

 「3号爆弾で直援機を蹴散らします。B29を頼みます」

 智子が叫び返す。

 F4Uコルセアは近寄る零戦を見て速度を上げながら左右へ蛇行をし始める。空戦を有利に進めるために十分な速度を得ながら、4機ずつ2組で蛇行することでB29の前に出過ぎないようにして智子の零戦を待ち受ける。1小隊が引き付けて、もう1小隊が墜すフォーメーションだ。相手は闘いをしなれている。

 距離2000メートル、智子が3号爆弾を投下する。空中に火の玉が光り、蛸足状に広がった炎の束がF4Uの前方を遮る。不意を突かれ驚いたF4Uコルセアたちは左右へ開いて降下して避ける。すばやい戦闘機たちは、3号爆弾の弾子を回避する。しかし、B29の上空がぽっかりと空く。

 「来い、民子、マリア」

 西本が突っ込む。民子とマリアが左右に開く。

 B29まで距離2000メートル、高度差1000メートル、絶妙の間合い。西本が投弾すると同時に民子とマリアも3号爆弾を落とす。

 3号爆弾が炸裂し、飛翔するB29の前に弾子のカーテンが出来る。B29達は舵を切って避ける。もはや工場へ爆弾を投下する進路を維持することは出来ない。しかし、数機のB29は避けきれずにその中に突っ込む。

 ―――こいつら、教えてもいないのに左右へ開いて壁を作りやがった。西本が舌を巻く。

 西本が呼ぶ、

 「北に抜けて編隊を組む。もたもたすると直援機に喰われるぞ。」

 狭山の上空まで逃れて4機の編隊を組む。

 3号爆弾の攻撃は、攻撃を行った飛行機からは戦果を確認することが難しい。しかし、全員が手ごたえを感じている。

 ―――工場を護ることが出来たかもしれない。

 どんぴしゃのタイミングで投弾が出来たことで、智子も民子もマリアも高揚している。

 西本が引き締める。

 「空戦っていうのは敵を喰った後が一番危ない。周りに気をつけろ。」


 攻撃を行った4機はいったん北へ退避、その後横須賀基地へ着陸をする。

 副指令の山田の部屋へ呼ばれて、そこで橋本から戦果の説明を受ける。

 「今回は、約100機のB29による空襲で、7割が高々度からの中島飛行機武蔵野工場への爆撃を行いました。また、爆撃位置に到達できなかったと見られる残りの3割は東京都市部へ爆弾を投下しました。それとは別に9機が低空からの精密爆撃を行いましたが、それは皆さんへ阻止されました」

 「大戦果です。低空爆撃を試みたB29の内、少なくても4機が3号爆弾で煙を吹いていました。1機は館山の沖へ墜ちました。残りの3機もサイパン島にまで帰れない可能性が大きいです」

 橋本は興奮をしながら話す。

 「3号爆弾の攻撃で照準がずれたおかげで、低空爆撃の爆弾は全て近くの大根畑へ落ちました。高々度からの爆撃も工場施設への着弾は少なく、被害は限定的です。工場の人的被害も僅少です」

 「良かった。でも大根さんかわいそう」

 民子の言葉に少女たちが笑う。

 西本が言う。

 「コンソリ(B24)なら、その場で2、3機は墜ちていた。煙を吹いただけってことは、B29はかなり頑丈ってことか」

 「ところで、館山沖に落ちたB29のパイロットはどうなった。」

 「全員がアメリカの潜水艦へ救助されました。」

 橋本が答える。

 「なんだ、館山基地の目と鼻の先だろう。一人も捕虜に出来なかったのか」

 西本が呆れる。

 「上空をF4Uが援護していたため、手出しをすることが出来ませんでした」

 「直援機たちがきちんと仕事をしたと言うことですね」

 智子が言う。

 「あいつら(米軍)は、何よりもパイロットの命を大切にしやがる。俺たちとは正反対だ」

 西本が皮肉をこめて言う。そして、智子の方を向いて鋭い目で睨む。

 「智子、もう2度とあんな無茶をするんじゃねぇぞ」

 「アメリカは馬鹿じゃねぇ。次に来るときは3号爆弾を持った零戦がいることをちゃんと憶えてやってくるからな。次に同じことをしたら、お前は確実に死ぬぞ」

 「分かりました。ありがとうございます」

 姿勢を正して智子が答える。言葉はきついが少女たちを心配する西本の気持ちが伝わってくる。感謝の気持ちで胸が微かに疼く。

 最後に、橋本が皆に伝える。

 「今回の戦果は、横須賀航空隊だけでなく、海軍としても非常に高く評価をしています。皆さんの部隊に名前がつけられました。正式名称は横須賀航空隊多摩支隊、通称は、「撫子邀撃隊」となります。支隊となることで、物資や要員の手配もより円滑に出来るようになると思います」

 「撫子だって、俺の居場所がなさそうな名前だな」

 西本が苦笑する。


 撫子邀撃隊の正式名称が横須賀航空隊多摩支隊となったのには理由があった。

 海軍の横須賀飛行場は、もともと研究、教育の施設であったところへ、さらに帝都防空の部隊を置いたため手狭である。そのため、撫子邀撃隊は通常時は多摩にある、多摩飛行機倶楽部所有の飛行場の施設へ配置されることとなった。翌日整備を終えた、西本、智子、民子、マリアの乗った4機の零戦は横須賀基地を飛び立ち、50キロ北西にある多摩飛行機倶楽部の飛行場へと降り立った。

 多摩飛行機の飛行場には800メートルの滑走路があり、零戦での離着陸には十分な長さであった。日本の飛行場にはめずらしく芝の滑走路で、着陸の際に飛行機の車輪が接触するあたりには補強の金網が地面に敷かれている。滑走路脇のハンガー(格納庫)には、4機の零戦を収納するだけの十分な広さがあり、整備用の施設やエンジンの修理設備もそろっている。

 事前に連絡が行っており、着陸後に多摩飛行機倶楽部の社長の龍子が西本のところへ挨拶に来る。龍子は先代の社長、多摩飛行機倶楽部創始者の不二正蔵の妻であり、智子、民子、マリアの祖母でもある。

 飛行場近くの屋敷の離れに西本の宿舎が用意される。不二の家の屋敷は江戸時代からの日本家屋であるが、離れは洋館であり以前は多摩飛行機倶楽部の倶楽部ハウスとして使用されていた。

 多摩飛行場が横須賀航空隊の多摩支隊と位置付けられたことで、ここを統括する連絡将校の中尉の津田も既に待機をしていた。横須賀基地と連絡を取り合うための専用の電話も敷設される。無線設備は既に多摩飛行機のものがあるのでそれを転用することとなった。昼過ぎ、神奈川にある海軍厚木基地から3台のトラックが到着をする。トラックには3号爆弾や燃料が搭載されている。そのトラックに同乗して、整備士の篠原もやって来た。そのほかにも飛行場設備の整備をするために海軍設営隊の工兵が派遣され、飛行場の灯火や吹流し設置を進めている。多摩飛行場には元からそれらの設備はあった。ただ、しばらく使われていなかったため修理や交換が必要となっているものが多い。しかし、細々と整備をしていたため僅か半日の作業で飛行場設備は使用可能となった。

 西本は不機嫌そうに、源五郎へ聞いた。

 「いったいここは何なんだ。腕利きの娘のパイロットがいて、贅沢な芝生の滑走路があって、設備も海軍の前線基地よりはよっぽどましだ。どんな魔法を使っているんだ」

 源五郎が答える。

 「ここは多摩飛行機倶楽部、この戦争が始まる前までは、飛行機好きが趣味で飛行機を楽しむために作った会社ですよ。趣味といったって馬鹿にしちゃいけない。外国の飛行機レースに出たり、アクロバット飛行をやったり、ここで飛行機を飛ばす人たちは軍人さんに負けない技量を身につけた人ばかりでした。横須賀の副指令の山田さんもこの倶楽部の会員さんでしたよ。」

 西本が訝しげな顔をする。

 この多摩飛行機倶楽部は、先代の社長の不二正蔵がヨーロッパ遊学中に見た飛行機を日本にも広めようとして作った倶楽部形式の会社である。不二家は、以前は多摩飛行場がから高幡不動まで他人の土地を歩かずに行けると言われたほどの大地主であり、明治天皇が多摩に行幸した時には、不二の家の屋敷を休息所に使ったこともある多摩のお大尽である。先祖は戦国北条家に使えた多摩の有力武士であり、徳川家康の江戸入りの際に帰農した。一説には、関東に根拠を持っていた風魔忍者の家系との伝説もある。その先代当主の正蔵が、身上を犠牲にして金に糸目をつけずに機材を買い、設備を整えて作ったのがこの飛行場である。

 倶楽部の目的は単に飛行機を楽しむためのものでなく、海外の飛行機レースに勝つことやアクロバット飛行の研究も目指す本格的なもので、「タマ・エアスポーツ」の名前でヨーロッパやアメリカの飛行機愛好家の間でも知られていた。

 倶楽部の会員には、華族や財閥、高級軍人たちの子息も多くいたが、庶民の飛行好きも多く、また、婦女子のパイロットも少なくなかった。源五郎はそんな時代に、先代の社長の正蔵から乞われて多摩飛行機倶楽部へ招かれた腕利きの整備士であった。

 先代の社長が亡くなった後、その妻である龍子が後を継いだが、彼女自身ももとは子爵家のじゃじゃ馬娘、女性パイロットでもあり、気風のよさでは先代以上と言われている。

 源五郎が話を続ける。

 「智子ちゃんも、民子ちゃんも、マリアちゃんもそんな中で育ちましたからね。小さい頃から飛行機に乗せられていましたし、10才を超えたころには実際に飛行機を運転していましたよ。子供は恐怖感が少ないんですね。宙返りなんかもあっという間に覚えていました」

 「でも、あの娘たちは零戦を思いのままに操縦しているぞ。遊びで乗る飛行機と戦闘機はものが違うだろう」

 西本の問いに、源五郎は首筋を掻きながら答える。

 「今度の戦争で資材や燃料が入って来なくなりましてね、倶楽部は開店休業、4,5機あった飛行機も陸軍に供出っていうことになりました。操縦士や整備も若くて元気の良いのはみんな軍に連れていかれて、残ったのは私みたいな老いぼれとあの子たちだけです。ただ、海軍の山田さんから使い古した艦戦や艦爆を訓練用の複操に改造してくれないかって話が来ましてね、それがきっかけでした」

 複操とは教官用と生徒用の座席を持ち、その両方の座席から操縦ができる訓練用の飛行機である。短期間でパイロットを養成することが必要となった海軍は、それまでの練習機ではなく、より実践的な訓練が出来る複操の実戦機を必要としていた。しかし、 三菱、中島をはじめとした飛行機製造会社の工場は新しい飛行機の増産に手一杯なため、設備があった多摩飛行機倶楽部に、複操の飛行機への改造の仕事を依頼することとなった。

 現役整備士が全て徴用された多摩飛行機ではあったが、源五郎は智子、民子、マリアの手伝いをもらって複操の零戦や99式艦爆を作成した。ところが使い古しの機体を改造した多摩飛行機の複操の零戦が、メーカーが作ったものよりずっと程度が良いと評判になり、その後も依頼が続くようになった。

 飛行機の改造は主として設備のある多摩飛行場のハンガーで行われたが、完成した複操の零戦は、横須賀か厚木の基地からパイロットが来て多摩飛行場で試験飛行をしてから横須賀飛行場へ持ち帰った。パイロットたちは複操の飛行機を飛ばすときに、重りのかわりに智子、民子、マリアたちを飛行機の前席(練習生席)へ乗せて飛んだが、そのうち面白半分に彼女たちに操縦をさせてみるようになり、そこで驚くこととなった。彼女たちが海軍の現役パイロットにも劣らない操縦技術を持っていたからである。彼女達が操縦をしてくれると、一度に練習生席と教官席の両方の操縦確認が取れるので手間が半分になる。複操の零戦を操りながら、彼女達はどんどん零戦の操縦技術を身に着けていった。

 あるとき、冗談好きのベテランパイロットが彼女たちを乗せたまま横須賀まで飛んで行き、そこで教官のパイロットと模擬戦を行った。ベテランパイロットに教わりながら空中戦を行った彼女たちは教官相手に勝ちをおさめ、負けた教官パイロットは最後まで操縦をしていたのはベテランのパイロットだと信じていた。それ以降、複操の零戦を受け取りに来るパイロットは彼女たちに操縦をさせて、ますます彼女たちの技量は磨かれていった。

 そして太平洋戦争の後半、海軍はテストパイロットに事欠いていた。テストパイロットというと、試作機や新型機をテストするパイロットの様に思われるが、実際の仕事は新造機や修理をした飛行機のテストをする地味な仕事が大部分である。

 この時期、飛行機の増産に伴い、高度な技能を持った職人が不足し、生産は動員された学徒が担うようになっていった。完成機の品質はひどく低下し、新造された飛行機のうちそのまま実戦で使用できるものは3分の1程度、速度計や燃料計が正しく動かないものはまだましな方で、中には補助翼が逆さについているなどまともに飛ぶことも出来ない機体が多数あった。修理についても同様、多くの整備員が南方に送り出されて技術の優れた整備員が不足する中、修理したての飛行機に乗ることをパイロットが嫌うようになり、飛行機不足が深刻な状態であるにも拘らず、製造、修理をされて引き取られないままの機体が工場へ山積みされる事態へとなっていた。そのため、完成機や修理した機体をテストするパイロットが必要となるが、ベテランのパイロットは不足し、技量が劣るパイロットには危険で任せられない仕事である。そこで、高い操縦技術を持ち、自らも飛行機の修理や改造を行って整備技術にも精通した多摩飛行機の少女たちへ白羽の矢が立ち、テストパイロットの仕事を引き受けるようになっていった。

 実戦で使用される機体の操縦をし、また、海軍の現場のパイロットたちの話を聞く機会も増え、彼女たちの技量はどんどん向上して行った。


 源五郎の話を聞いた西本はもう一つ尋ねる。

 「そう言えば源五郎さん、整備の連中はあんたのことを整備の神様と呼んでいたけどあんたも何者だい」

 源五郎は照れながら応じる。

 「いやだね神様だなんて。あたしぐらいの歳で飛行機の整備をやっていた人間が少ないからね。歳ばっかり喰っちまったもんだから若い連中に持ち上げられているだけですよ」

 「昔、立川の飛行機会社で整備の手伝いをしていてね、そのとき先代の不二社長に誘われて多摩飛行機に来たんですよ。先代の社長は世界に負けない飛行機倶楽部にしたいって言ってね、あたしは勉強にアメリカにまで行かせてもらいました。あっちで世話になった人たちは皆、気のいい人ばかりでね。その人たちの国と今戦争をしているなんて複雑な気持ちですね」

 「向こうじゃどんな暮らしをしていたんだい」

 「カーチスの下請け会社のオーナーの家に世話になってね、その人は飛行機会社を経営するだけでなく自分で飛行機と飛行場まで持っていてね、朝から晩まで飛行機をいじりながらいろいろなことを教えてもらいましてたよ。気に入って貰えたみたいで最後 には娘の婿にどうだとまで言われましたよ」

 「そのまんま婿さんになっちまえば良かったのに」

 「不二の社長にわざわざアメリカにまで勉強に行かしてもらって帰らないわけには行かないでしょう。それに少し気になることもありましてね」

 「気になることって」

 「向こうじゃオーナー親父さんにも家族の人にも、『お前は違う』って常々言われました」

 「違う?」

 「他の日本人とは違うってことです」

 「向こうにも日本人とか中国人はいましたけれどね。東洋の人たちは見下されているって言うか、差別されていましてね。そのオーナーの家族になるってことは自分も日本人を見下す立場になるのかと思うと萎えるものがありましてね」

 「実際そういう人もいました。東洋の人で白人の仲間に入って優遇されて、自分たちの仲間にきつく当たる人たちがね。自分はそうはなりたくないって思ってね」

 「ただ、オーナーさんたちは、皆さん本当に良い人たちでした。全て包み隠さずいろいろと教わってきました」

 源五郎の話を聞きながら西本はタバコをふかす。

 冬の早い夕暮れの中、二人は宿舎の不二の屋敷へと歩く。


 夕方、智子が西本を呼びに来る。

 「隊長、夕食の支度が出来ました。お部屋にお持ちすることも出来ますが、ご一緒していただけないかと祖母が言っております」

 西本は軽く応じて、着替えてから屋敷の広間へ向かう。

 広間には食事の用意がされ、連絡将校の津田、整備の篠原、源五郎。そして社長の龍子と少女たちが既に待っていた。1月の多摩は寒いがストーブが炊かれ、部屋の中は暖かい。

 膳の上には肉も魚もたっぷりあり、西本や男衆の席には酒もある。

 「今日は、海軍さんから隊長さんのためにとお酒も食べ物もたくさん届いています。私達もご相伴させていただきますので、どうぞお召し上がりください」

 龍子が勧める。

 初めて顔を合わせるもの同士、はじめは少しぎこちなかったが、男衆たちも酒も進みくつろいでくる。不二の家の食事は賑やかである。龍子は快活でよく話す。多摩飛行機倶楽部のこと、不二の家のこと、先代の社長の正蔵のことなど、西本たちが知りたがっている事を身振り手振りも交えながら面白おかしく話す。

 民子は西本の武勇談を聞きたくてうずうずしている。西本はラバウルで敵機を落とすたびに桜の撃墜マークを機体へ描いた。数多くの敵機を墜した結果、西本が乗る零戦が撃墜マークで桜色になったという逸話を民子は横須賀で聞いている。頃合を見計らって西本に話をせがむ。

 しかし、その話をするときの西本は醒めていた。

 「俺がたくさん墜すことが出来たのは死ななかったからさ。死にさえしなければ撃墜の数なんて勝手に増えて行く。空中戦は剣道の試合なんかと違って、勝てば勝つほど強いやつが出てくるなんてことは無いんだ。生き残ったもの勝ちさ」

 「腕自慢のやつに限って最初の空中戦で死んでいる。お前たちの操縦技術はたいしたものだが生き残るための技っていうのは別物だ。大切なのは状況判断だ。今のうちの俺が叩き込んでやるから、絶対に死ぬんじゃないぞ」

 西本の言葉に、3人の表情が引きしまる。

 西本は、体験の中から生き残るために必要なことを3人へ向けて話す。中国戦線や太平洋戦争の初期の空戦では、日本のパイロットは有利な条件の中で戦い、技量と撃墜のスコアを上げることが出来た。しかし戦局は逆転、米軍は飛行機の数でも性能でも、そしてパイロットの技量でも日本を圧倒し、特にラバウルからの撤退以降は、ごく部分的な勝利を除き、日本軍は空戦で米軍へ破れ続けている。新人のパイロットは、圧倒的な敵の前に経験を積む余裕もなく次々に死んでいく。数少なくなったベテランは酷使され、疲れてまた一人また一人と減っていく。そのような中で、西本の考えがどう考え、どう生き延びてきたかを赤裸々に話す。席にいるものはその率直さに驚く。

 勝ち目の無い相手とは空戦を避けて生き残る。そして敵の隙をついて、1機でも2機でも撃墜をして打撃を与える。西本ほどのパイロットにとってもそうするしかないほど前線の戦局は悪化している。他の部隊の経験の少ない指揮官が無謀な空戦を挑んだときに、助けに行かず見捨てたこともある。巻き込まれれば自分たちの部隊も手痛い損害を受ける。そのような戦いを続けて100機を超える撃墜のスコアを稼いだ西本のことを卑怯者と陰で言うものもいる。しかし1回の空戦で死んでしまったらそれでお終いである。卑怯と言われても生き延びて敵に打撃を与え続けることがお国のためと言い西本は戦ってきた。そんな西本を精神が強い人間というものもいれば、気難しく傲慢と評するものもいる。しかし、話を聞いていて智子は、西本が繊細な心を持っており、重圧の中で辛うじて自分を支えながら戦い続けているのではないかと感じる。

 ひとしきり話して、悪酔いしそうだからと話を打ち切る。

 西本は酒好きである。それからは、頭を空にして酒を楽しむ。B29の夜間の空襲があるかもしれないが、それは撫子邀撃隊と別の部隊が対応する。多摩の山の中へ爆弾が落とされることもない。休めるときは休み、遊べるときには遊ぶのが激戦の中生き延びてきた西本の考えである。

 民子は話好きである。西本の苛烈な話を聞いた後でも、少したつとまたおしゃべりを始める。

 「智ちゃん、智ちゃんは何のためにB29と戦うの」

 横須賀で西本とした会話を蒸し返す。

 「私は負けるのが嫌いだから」

 民子を相手に、智子は口を尖らせて応える。智子は気が強い。

 「女の裸の絵が描いているようなB29に乗ってきてさ、そんなふざけたやつが多摩の空を我がもの顔に飛んでいるのよ。そんなやつを黙って見ているのが悔しいじゃない」

 当時、B29の機首の横には、ノーズアートと呼ばれる絵が描かれているものがあった。それらにはミッキーマウスの絵などもあったが、裸体やセクシーな女性のものが多くあった。そして、高々度を飛ぶこれらのB29を日本軍の迎撃隊はなかなか捉えることができなかった。

 多摩の名家の不二の家に育った智子の中には、単に悔しい以上の想いがある。でもそれは言わない。もちろん民子もそれを知っていて聞いている。

 民子はマリアにも尋ねる。

 マリアは笑いながら答える。

 「民ちゃんと智ちゃんを守るためよ」

 「智ちゃんはいつも強気すぎるし、民ちゃんは行くと決めたら後先考えないし、仕方ないから私が二人を守ってあげるの」

 智子と民子とマリアは従姉妹同士である。

 智子が17歳、民子とマリアは16歳。民子の方が生まれは半年生早い。しかし3人の中では年下のマリアが一番落ち着いており、母親役のような存在でもある。マリアは微笑みながら言う。

 「私はハーフでしょ。小さい頃、いじめられた時に智ちゃんと民ちゃんがいつも守ってくれたから。だから今度は私が二人を守ってあげようと思っているの」

 マリアは、ドイツ人の父と日本人の母の間の子供である。母は、不二正蔵と龍子の娘、ドイツ人の父は、ヨーロッパで第二次大戦が始まり、ドイツとソ連が開戦する前の1940年にマリアを龍子へあずけてシベリア経由で帰国した。そのときには既にマリアの母は亡くなっていた。

 マリアの話を聞いて智子が目の色を変える。

 「何言っているのよ、そのいじめっ子をボコボコにして怪我させたのはあんたでしょ、マリア」

 民子も言う。

 「そうだよ、私たちは守ってあげたんじゃなく、一緒に謝ってあげたんでしょ」

 「勝手に話を美化させないでくれる」

 マリアが苦笑する。

 小さい頃、ハーフのマリアをお人形のようだと思った男の子が、照れ隠しに繰り返しマリアへ意地悪をした。泣いて返ってきたマリアを見た智子と民子がマリアを連れて相手の家へ乗り込む。するとその家の前で、アザだらけの顔をした男の子がマリアたちの顔を見て驚いて家の中へ逃げ込む。意外な展開に智子と民子が戸惑う。家のお母さんが出てくる。そこで初めて、意地悪をされたマリアがその男の子を殴ってボコボコにしたことを知る。多摩のお母さんたちは気風がいい。話を知ったお母さんは息子を叱る。

 「女の子ってのは守ってあげるものでしょ。男のお前が意地悪してどうするの」

 どうして良いか分からなくなった智子と民子に、男の子のお母さんは笑って答える。

 「いいのよ。多少殴られた方があの馬鹿の頭もよくなるかもしれないから」

 家に帰って今度はマリアが自分の母に叱られる。

 しかしマリアは自分が悪いんじゃないと言い張る。マリアが切れたのは、少年が外国人と結婚したマリアの母親を侮辱する言葉を言ったからである。彼に悪気は無かったが周りの大人が陰で言っていたことを真似して言ったのである。マリアは自分のことだったら我慢できる。でもお母さんを悪く言う相手は許せない。でもそれを母にはいえない。マリアは、頑な自分は悪くないと言い張る。

 母はマリアを嗜める。

 「でもあなたは、その男の子に怪我をさせました。今度その子に会ったときにきちんとあなたの口から誤りなさい」

 しかし、幼かったマリアは納得しない、

 「マリアだって怪我したもん」

 口ごたえをする。

 「どこを怪我したの」

 少し驚いて母が尋ねるとはマリアが手の甲を見せる。手の甲が傷だらけ、拳が傷だらけになるほどマリアは本気で男の子を殴っていたのだ。智子と民子は大笑い、お母さんも苦笑した。マリアは穴に入りたいような気分だった。でもその後小学校に入ったとき、その男の子はマリアのことをハーフとからかう子達から彼女を庇ってくれた。

 「でも、智ちゃんと民ちゃんが一緒に行こうって言ってくれて本当に嬉しかったんだから」

 マリアははにかみながら微笑む。

 他愛のない会話が続く。初めての実戦、予想以上の戦果、高揚する3人はいつになく饒舌である。しかし全ては始まったばかり、そしてこれから多くことが待つであろうことを知っていた。


 前回の出撃から10日間、B29の大規模爆撃は、名古屋、大阪に向けて行われ、天候の悪かった東京地区への来襲はなかった。その間少女たちは、西本に話を聞きながら3号爆弾による対B29攻撃要領を執筆する。横須賀航空隊に属する撫子邀撃隊に与えられた任務はB29の迎撃戦とともに、その攻撃要領を作ることでもあった。智子は文章がうまい。連絡将校の津田は予備学生出身のインテリであるが、その彼が驚くほど彼女の文書は洗練されていた。

 マリアは図と数式を担当する。戦闘気乗りというと豪快な英雄やスポーツマンが想像されるかもしれないが、彼らは精密機械を操る技術者でもある。パイロットになるための教育には、数学や工学も含まれている。それらのパイトッロ達が納得できるように必要な情報が追記される。

 民子の担当は挿絵である。パイロットにとっての挿絵は実は重要なものである。現在の航空機を使用した戦闘においても、事前のパイロットのブリーフィングでは絵を使用して説明が行うことが多い。1981年、イスラエル空軍のF16戦闘爆撃機により、イラクで建設中の原子力発電所の爆撃が行われた。この時イスラエルの爆撃隊のリーダーは、事前のブリーフィングの時に自分で描いた「パイロットの視点」という絵を用いて隊員へ説明をしている。その絵にはイラクのチグリス、ユーフラテス川、目標の原子力発電所、そして自分の前を飛ぶ仲間の戦闘機の姿が描き込まれ、この風景が見えたら急降下して爆撃を行うことになると説明した。人の目は焦点を合わせたところが強調され、周囲の映像は省略されて見える。空気の薄い空の上ではそれがさらに強まる。パイロットの目には写真や映像とは異なる世界が見えている。民子は戦闘の時に見えたB29の姿や風景を記憶し、描くことの出来る才能がある。少女たちの作成した、「三号爆弾による重爆撃機邀撃要綱」は、後に伝説の教本と言われるまでの出来ばえとなったが、中でも好評を受けたのがこの挿絵であった。

 1月下旬、関東地区へ冬晴れが広がり、再度のB29の大規模爆撃への警戒がされた。八丈島のレーダーが機影を捉え、多摩飛行場へも一報が入る。零戦のエンジンの暖機運転を開始、その後B29が駿河湾上空で東へ方向転換したとの連絡を受けて、八王子上空、高度6000メートルで待ち構える。真っ白な富士山が美しい。

その富士山の右上に点々とB29の編隊が見え始める。前と同じく、高度1万メートルを、8機、ないし、9機の編隊で次々に飛んでくる。そのような中、一段と低い、高度4000メートルを飛ぶB29の編隊が2つ見える。西本は片方に攻撃を集中するか、両方を攻撃するかを決めないまま待ち受ける。空戦には流れがあり、その流れの中で判断をすることの重要さを西本は知っている。

 民子が叫ぶ。

 「直援機。2組。5500、5000、F4Uコルセア。8機、8機。2コ中隊」

 今回も低空のB29を援護するための戦闘機が同行している。他の3人には、微かな染みの様にしか見えない直援機の機種と数を民子は正確に見切る。

 「見つかると面倒だ、一度北へ離れる」

 西本が北へ方向を向ける。

 相手は戦爆連合の大編隊、こちらは4機小隊、普通はこちらの方が先に相手を発見できる。空戦において少数側が持つ数少ないアドバンテージである。

 しかし撫子達は既に敵に補足されていた。高々度を先行する別のB29の編隊により発見され、その位置が後続のB29やF4Uコルセアの直援機たちへ連絡がされていた。前回の3号爆弾での損害を受け、アメリカ軍は十分な準備をしてきていた。

 3号爆弾によるB29への攻撃は難しく、殆ど効果をあげることが出来なかったという話もよく言われるが、米軍側の公式記録には大きな脅威であったとの記述があり、「燐爆弾」、「空対空爆弾」、「火の玉」といった言葉で、3号爆弾のことが度々報告されている。

 一コ中隊、8機が加速し、高度を上げながら撫子たちの方へ向かってくる。残りの8機は、B29の直掩を続ける。

 「コルセア8機、こっちへ向かってくる」

 民子が警告する。

 8機のコルセアは4機ずつ2隊へ分かれる。1隊が撫子たちを追いかけ、1隊は前方へ回り込もうとする。速度はF4Uコルセアの方が速い。振り切って逃げることは出来ない。

 「聞け、引き寄せてかわす、ついて来い、遅れるな」

 西本は追い込まれながらも3号爆弾を捨てて逃げるということをしない。彼はけして卑怯な男ではない。不利な空戦を避けるのは、無駄な犠牲を避けて敵の隙が見つかるまで待って打撃を与えるためであり、それが出来るからこそ撃墜王になれたのだ。

 「了」

 3人が応える。少女たちにも西本の意図が伝わっている。

 早くかわすと相手が対応して捕捉される。しかし少しでも遅れると銃弾を浴びる。その一瞬の間合いを捉えなくてはならない。西本も緊張をする。自分ひとりなら引き付けてかわすことはできる。しかし3人全員がついてこれるか。

コルセア隊も巧妙である。2組で追い込むことで例え一隊の攻撃をかわしてもすぐにもう一隊が攻撃できる位置につけようとしている。追い込まれて撫子たちは自然自然と縦一列の縦隊へ変わっている。西本を先頭に智子、マリア、そして一番後ろへ民子が位置取りをしている。民子が後ろの編隊を、智子が左の編隊との間合いを測る。後ろの4機はなかなか仕掛けてこない。もう4機が撫子たちの左上に位置取りするのを待っている。しかし、撫子達は仕掛けてくるのを待つことしか出来ない。智子は胸の間を汗が一筋流れるのを感じる。じりじりとした時間が続く。左上のコルセアの翼端が微かに傾く。

 ――来る、智子が感じる。

 「バーン」

 その瞬間、左上を飛ぶ4機のコルセアの先頭の1機が突然火を噴く。銀色の光が矢のように真上から通り過ぎる。海軍の新型戦闘機、横須賀航空隊の紫電改だ。紫電改はその降下速度を生かして急上昇、再びコルセアに攻撃が出来る位置取りをする。

 ――巧い、智子は目を見張る。

 残った3機が動揺して急降下、回避行動に入る。

 無線に声が飛び込んでくる。

 「こちら横須賀、佐藤、撫子散らすな、コルセア叩け」

 それに呼応するかのようにさらに3機の紫電改が遠間から機銃を打ちながら突っ込んでくる。後方のコルセアも撫子の後ろから離れる。

 西本はただ逃げているように見せながらもB29との距離を保ちながら、友軍機が来るまで時間を稼いでいた。撃墜王となるようなパイロットと凡庸なパイロットとの差は、操縦技能の差ではなく、このような判断能力やインテリジェンスの違いにある。コルセアたちは巧妙に追い込んでいるつもりで必要以上に時間をかけすぎて逆に追い込まれていた。

 別の零戦隊がもう8機の直掩のF4Uコルセアに絡む。

 「こちら厚木、高橋一番、撫子ガンバレ」

 既に撫子邀撃隊のことは海軍の横須賀、厚木の航空隊の間で有名になっていた。撫子邀撃隊を鼓舞する通信をして来る。

 少女たちの闘志が高まる。

 「智子は俺と前、民子とマリアは後ろ。落ち着いていけ」

 西本は2隊あるB29の編隊の両方を攻撃することを選ぶ。

 B29が爆撃の照準を与える直前の位置、高度差1500メートル、西本に率いられ、撫子達は絶妙の位置にいる。

 西本と智子の零戦が高度を下げながら加速する。

 「こちら民子、智ちゃん、後ろを護る。集中して」

 「了」

 智子が短く応える。

 距離が詰まる。西本の後ろへぴたりと智子がつける。西本と智子が投弾する。

 3号爆弾が炸裂しB29の前面に広がる。それを避けるためにB29の編隊が乱れる。これでは工場への精密爆撃は出来ない。

 後ろ上方にいた民子とマリアが降下をしながら速度を上げ後ろのB29の編隊へ向かう。西本と智子の横をこえて行く。今度は西本と智子が高度を上げて後ろを護る位置につく。

 民子の頭には、前回の投弾のイメージが残っている。挿絵に描いた通りの風景が目の前に広がる、マリアは前回と速度が同じことを確認している。マリアは民子の後ろへつける。投弾のタイミングは民子へ任そうと決めている。民子が投弾し、続けてマリアが落とす。続く一隊も3号爆弾の弾子を避けるために編隊が乱れる。2隊20機のB29による低高度の精密爆撃を撫子邀撃隊が阻止する。何機かのB29は3号爆弾の弾子を回避しきれずに煙を引く。

 4機の零戦は加速して高度を上げる。

 「お前ら北へ退避。俺は味方の戦闘機を援護する」

 撫子たちをB29へ向かわせるためにF4Uコルセアへ戦いを挑んだ日本軍の戦闘機たちは苦戦をしている。飛行機の数も性能もF4Uの方が勝っている。西本は仲間を助けようと戦闘機同士の空戦域へ機首を向ける。その西本の後ろ上方に少女たちの3機の零戦もついて来る。

 「もどれ、馬鹿ヤロー。お前らには無理だ。思い上がるな」

 「戦闘はしません。隊長の後ろを守ります。思う存分やってください」

 智子が応える。

 苦笑しながら西本が前を向く。

 「よし、蹴散らすぞ」

 西本は高度を稼ぎながら加速する。零戦を追っている1機のコルセアに目をつける。一気に降下してその腹の下、死角へ滑り込む。そして下から20ミリ機関砲を撃ちながら突き上げる。コルセアが一瞬で火だるまになる。

 それを見届けた智子達は遠間から機銃を打ちながら突っ込んでいく。F4Uを落とすつもりはない。かき回して戦闘機同士の戦いを終らせようとしている。頭の上に新手の零戦隊が現れたことに気づいたF4Uは日本軍の戦闘機との戦闘を切り上げる。直援機は、守るべき爆撃機の爆撃が終わればそれ以上は戦う必要はない。不利と感じたら優速を生かして南へ離脱して行く。

 この後少女たちは、直接空戦に参加せず、空戦域の上空を遊弋することで敵戦闘機の戦意を挫くのを支援する。この日の戦闘で少女たちは、空戦とは頭脳を使い、状況判断力で戦うもので、操縦技術を競うものではないと学んだ。

 B29の編隊が通り過ぎた後、迎撃をした日本の戦闘機は、三々五々、それぞれの基地へ戻って行く。撫子邀撃隊は、戦闘を行ったときは直接多摩飛行場へ戻らず、一旦横須賀飛行場へ着陸して報告することになっている。西本はこのようなときの米軍の「送り狼」戦法を用心して、暫く横須賀飛行場の上を旋回する。米軍は、戦闘終了後にホッとして帰還する日本軍機を狙う「送り狼」部隊をしばしば送ってくる。F4Uが直援にいるということは、別に「送り狼」が来ていてもおかしくない。このような相手から日本軍機を護るために西本の判断で撫子達は30分上空へ待機した。待機中、南に機影が見えたが確認する前に去っていった。その後少女達の零戦を先に下ろしてから最後に西本が基地へ着陸する。

 横須賀基地では先に降りたパイロット達、そして地上勤務の兵や整備員が撫子達の着陸を待っていた。撫子達が3号爆弾で打撃を与えたB29を別の戦闘機たちが追撃、2機を撃墜し、さらに多くのB29を撃破し、低空爆撃を行ったB29の過半に何らかの損害を与えていた。

 F4Uコルセアと空戦をした戦闘機隊は苦戦をしたが、西本達が助けに入ったおかげで撃墜されたものはいなかった。横須賀の基地は前回に勝る戦果に沸いていた。撫子達は着陸後、機体を滑走させピスト前に4機を整列させる。ぴたりと並んだ様に、見ていた者たちの間でどよめきが上がる。

 西本がゆっくりとピスト前に進み、待っていた飛行長と室園司令のへ報告をする。

 司令の室園は撫子達の戦果を大いに褒め称え、第二、第三の3号爆弾による邀撃隊編成の指示を出した。撫子迎撃隊を進言した橋本は、司令の室園に褒められ面目を上げていた。副指令の山田のみが少し不機嫌な顔をしていた。

 報告を終えた後、他のパイロット達が集まってきて声をかける。

 B29を撃破した彼女たちの攻撃を賞賛した声も多かったが、ベテラン、腕利きのパイロット達は、F4Uの追撃に耐えた彼女達を褒めた。

 「お前たち、コルセアに追われてよく我慢したな。偉かったぞ」

 「普通はああやって追い回されるとバラバラにされて喰われて行くんだ」

 少女たちは気がつかなかったが、多くの友軍のベテランパイロット達が空戦中に自分たちを見守ってくれていたことを知る。


 「私たちは西本隊長へついて行っただけです」

 智子が応えると、別のパイロットが笑いながら言う。

 「お前ら、西本へついていくのは空戦の時だけにしろよ。他の時に付いて行くと何されるか分からんからな」

 「こいつの女癖の悪さは筋金入りだからな」

 次々に言われて、西本も苦笑いをする。

 「俺は女もパイロットも玄人が好きなんだ。素人の餓鬼には興味は無い」

 そして智子達を振り返って言う。

 「ただ、パイロットとしてのお前らは見所がある。今日の結果で思い上るな。用心深く戦え。生き延びることが出来れば大したものになれるからな」

 「ありがとうございます」

 面と向かって誉められた誉められた智子は少し頬を染めて返事をする。


 少女達は、酒保のアンパンを箱いっぱい持たされて多摩飛行場へ帰還した。社長の龍子は食べきれないとそれをご近所へ配る。近所では多摩飛行機の娘さんたちが、アメリカ墜してアンパンとって来たと評判になった。


 続けて損害を受けたアメリカ軍は、B29による低空爆撃を当面見送ることとした。その後の2回の東京への爆撃では低空の侵入はなく、撫子邀撃隊は上空待機のみで、接敵することは無かった。

 そして2月、西本が多摩飛行機を離れることとなった。日本の現状は、西本のような腕利きをいつまでも撫子邀撃隊へ貼り付けておくわけには行かなかった。龍子や少女達は、西本にお礼の宴席を用意しようとしたが、それを西本は断った。

 「これ以上いろいろしてもらったら、里心がついて戦が出来なくなっちまう。今夜は立川へ行って、妓あげて遊んでくる。荷物は直接横須賀へ送るから、もうここへは戻らない」

 「だったら私たちも立川までついていく」

 「馬鹿野郎、お前たちがついてきたら俺が遊べないだろう」

 涙を流しながらついていこうとする民子は追い返された。

 「隊長、これドイツの伯母さんからもらったお守りです。お持ちください」

 マリアは小さな豚のお守りを渡す。はにかみながら頭を下げて、本当にありがとうございましたと礼を言う。

 智子は彼女の癖で、相手の目をまっすぐ見つめながら話す。

 「ご武運を祈っています。必ず無事にお戻りください」

 目が少し赤い。

 西本が言う。

 「お前らは、三人揃うと本当に無敵だ。こんなすごい連中見たことが無い」

 「だが、お前らは三人そろっていて一人前だ。もし、一人でも欠けたらすぐに残りの二人も死ぬぞ。だから一人も死ぬな。もし、一人でも死んだら戦闘はやめろ。いいな」

 「じゃあな」

 西本は、背を向けて源五郎が運転する車に向かう。車には、源五郎以外が乗ることを断っていた。背を向けた西本は一度も振り返らなかった。立川へ着くまでの間、源五郎とも一言も話さなかった。

 車を降りるとき、源五郎は言った。

 「絶対に生きて返ってきて下さいね。あんたの腕ならどんな苦戦でも生き残れますから」

 西本は笑いながら手を振り、街へと消えていく。

 その後、西本は立川で遊んでから横須賀基地へ向かい九州へ転戦、九州地区の防空戦や特攻隊の直援を務め戦後まで生き延びることとなる。

 しかし、戦後も西本は多摩飛行機へ顔を出すことは無かった。

 多摩飛行機を離れるとき、西本は何かを切り捨てていったのかもしれない。

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