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盤上の星  作者: 夏雪
5/5

出会い5

青年が本日最大の悪手を打ったことに気が付いたのは、席について大分経ってからだった。

いや、いやな予感はしていたが、まさかこんなことになろうとは。

時は少し前に遡る。


席に着いた二人が看板娘である店員にそれぞれ注文をする。

青年はさきほどのエールと茶豆の炙り。存外にうまかったと見える。

童は羊の香草焼きだ。店内で一番高い品だが、奢ると言った手前青年はピクリと眉を動かすに留めた。

銀2枚の出費よりかは、この童が持つ情報の方が青年の中では比重が置かれた。


「で、少年。わたしは西の村の生まれで、名はネルという。正直な話、君を甘くみてた。すまない。」


「いいよ、いいよ。こうしてご飯も奢ってくれるっていうし。ネルにいちゃんいいヤツだな」


余程飯を奢ってもらえるのが嬉しいのか童は満面の笑みだ。

心なしかそわそわとしているのも可愛いものだ。


「しかも謝ってくれるとか、ちょっと心配になる人の良さだな。気をつけろよネルにいちゃん」


真剣な目をして、テーブルから身を乗り出して言う童にネルは眉をひそめる。


「いや、それを言ったら少年こそ危ないだろう。あのような風に勝負を仕掛けたら、面倒事を呼び寄せる。特にわたしのような旅人には気をつけねばなるまいよ」


「あー、大丈夫。俺もここ一年で学んだから。ちゃんと人は観るよ。最近はほとんどそういうことはなくなった」


あっけらかんと言う少年に、ネルは怒るべきところを呆れてしまい、片手で目を覆い首を振った。

はぁ、と一つため息を吐き、あることに気がつく。そろそろ日が落ちるだろうこの時間にこんな子どもが家に帰らなくて良いものかと。


「一年もこんなことしているのか。あれほどの技を身に着けているのだから、勝負では問題なかろうが、師匠からはなんと言われているんだ?」


「ん? 俺には師匠なんていないよ。強いて言うならこれだけど」


童はそう言うと、懐から紙の束を出した。紙は橙の糸でしっかりと四つ目に綴じられ、表紙には題はなく、左下にちょこんと作者の名前が書かれていた。


『絽の村のタレン』


「これが、俺の師匠。俺の父ちゃんが書いた本。にいちゃんならちょっと読んでもいいぜ」


差し出される本を受け取り、ネルは何ページか捲った。

なるほど、師匠というだけはある。丁寧に描かれた図と達筆な字体は、簡素な言葉で綴られながらも碁という勝負を今までネルの師匠から教えられた数々の言葉よりも雄弁に語っていた。ただ、装丁に使われている紐が何処となくあたらしい。

おそらくは写本であろう。


「すごいな。碁の技や心構えが事細やかに描かれている。作者は相当の実力の持ち主だろう」


思わずつぶやいた一言に、童はさらに笑みを深める。


「だろ! にいちゃんだったらそう言ってくれると思った」


「もう少し読ませてもらっても構わないだろうか」


「いいよ、いいよ。褒められるとやっぱり俺もうれしいしさ」









はっとネルが書物から顔を上げ、手元に視線を戻すと既に来ていたのかエールと炒り豆がおいてあった。

本当にこの書物を書いたものは只者ではなかった。読めば読むほどに、新しく感心する知識や発想がネルの中に息づくのを感じた。エールを口に含み、喉を湿らせる。


ふと童のほうを向き、礼を述べようとするもネルの口から音が発せられることはなかった。

端的にいうと悪夢がそこにあった。

例の羊と香草の料理。童はその料理をこれでもかという勢いでかっ込んでいた。

別にそれは問題ではない。問題はその料理が乗っていたであろう皿が、数枚という規模でなく童の近くに積み重ねられていることにある。


「お、にいちゃん。満足した? 面白いだろう」


さぞかし美味であるのだろう、童は見た目からして膨らんだ腹を隠そうともせずのたまった。

ネルからしてみれば、面白いのはそのパンパンに膨れた腹であるし、


「あ、お客さん。追加の料理の代金が銀16枚になります」


笑えないのが、意味合いは違うであろうが、童に負けないくらいにいい笑顔を伴った看板娘の一言であった。

さすがに一晩で使える金額を超えている。これからしばらくは質素な生活がネルを待っているだろう。


「ネルにいちゃん。俺の名前はサレっていうんだ。ほんと、今日はありがとうな」


まぶしいものを見るように、ネルは普段でも細い目をさらに細めてサレをみる。

ああもう、とエールを一気にあおると、ネルは追加の料金を娘に払い、さらに追加でエールを頼んだ。


ここの近くに滞在している宿もあることだし、おそらくサレもそこの宿であろう。

ややヤケになりながら、ネルは追加できたエールもまた、喉に流しこんだ。



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