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終末に抗ってみよう。  作者: 夜野 織人
第5章 -信頼の絆ー
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第9話 砦の内実

「……ミリか」

「……おはようございます、『軍神』」


 目が覚めたオーデルトを出迎えたのは、何か苦痛に耐えるように表情を歪める少女の姿だった。『純白ホワイトアウト』の対応や対策で忙しいだろうに、わざわざ彼の目覚めを待っていたらしい。


「すまない、ミリ。私は……君との約束を破ってしまった」


 オーデルトの言葉に、ミリは静かに首を横に振った。わかっていたことだった。もちろん、彼がオーデルトをやめて、完全に『軍神』に成る可能性はあった。それは『未来予測』を用いても変わらなかった。


 だが、オーデルトは人として生きる道を選んだ。歯車でいることを良しとせず、人類が滅んででも自分が人間でいることを選んだ。そのことは、目を覚ましたオーデルトの瞳と、表情を見れば容易にわかった。


「理解、できません。あなたは間違っています……」

「そうかもしれない……いや、そうなんだろうな」


 『正解』と『間違い』。それはいったいどこの誰が決めているのだろう。当たり前のことだが、誰かにとっての正解は別の誰かにとっては間違いだ。


 今この状況で、『予言者』ミリが告げる『間違い』とは、『人類にとって』の『間違い』だ。


「どちらが正しいのか、僕にはわからない」

「……なら、私の言う通りにしてください。私なら、人類を正解に導けます」


 『正解』に導く――そう言っていた少女が、縋るようにオーデルトの手を取る。まだ幼さの残る顔立ちだ、とオーデルトは考えても仕方のない感想を抱く。『軍神』であったときは、全く思いもしなかったが、これほどの重荷を1人の少女に背負わせることの、なんと罪深いことか。


「ミリ……すまない。私では、君の期待に応えられない。ここに、神は――『軍神』はいないのだ」


 どこまでも非情な突き放し。彼が戻ってこれたのは、影の女神ベレシスその人のおかげなのだが、彼自身はそのことを知らない。その言葉を聞いたミリは、静かにオーデルトの手を離した。


「そう、ですか」

「約束を違えたことを、許してくれとは思わない。恨んでくれと言うのも筋違いだろう。君には、『予言者』として人類に仇なす裏切者である私を、処断する権利がある」


 オーデルトは目を閉じる。人類を守護する歯車として、『軍神』としてこの力を貸す。その約定を交わしたのはほかならぬオーデルトであり、その約束を破ったのも、オーデルトである。得られるはずだった安定を放棄して、『軍神』ではなく『オーデルト』として目覚めたのだ。『軍神』としての力を計算に入れていた『予言者』からすれば、とんだ裏切りだろう。


「……やめて、おきます。まだ――利用価値が、ありますから」


 少女が漏らした呟きに、オーデルトは胸を痛めた。それは、自分が彼女の横を歩く“戦友”ではなく、ただ利用されるだけの“駒”に成り下がってしまったことを嘆くものだった。


 

 歯車は、歯車同士を組み合わせないと回らない。歯車と手を組もうとしても、回り続ける歯車は手を傷つけるだけであり、歯車は人間と手を結ぶことはできないのだ。


「で、あるならば。行ってください、オーデルト。あなたの言葉と覚悟を待っているのは、私ではないはずです」


 何か、熱い塊を胸元に抱え込んでいるかのように。熱っぽい吐息を繰り返し吐き出す少女に、オーデルトは頭を下げる。そして、勢いよく扉を開けて、外へと駆け出していった。


「……すまない」


 去り際に彼が残した謝罪が、少女の心を折る。体のうちから沸き上がるような恐怖と不安に、一気に呼吸が荒くなる。


「はっ……! はっ……!」


 まるで犬のようだな、と自分の様子を客観的に見て嗤う。謝罪など必要なかった。いっそのこと開き直られたほうがマシだった。自分の頭に居座る『祝福ギフテッド』、『未来予測』は依然として予測と計算を弾きだしており、彼の足音や向かうときの様子で彼が『戦乙女』のもとに向かったのは予想がついている。だが、問題はそんなことではない。


 膝を折り、地面に座り込む。そして、先ほどまでオーデルトが寝ていたベッドに顔を埋めた。薄い布と無骨な部屋では、少女の泣き声を覆い隠すことはできない。


「う……うあああっ……!」


 大声で泣いているわけではない。感情の昂りを噛み殺し、ひたすらに感情を制御する。『予言者ミリ』は、歯車として人類を内側から支え続けていた。そしてそれは、『軍神オーデルト』も同じであると、信じていた。


 『予言者』としてのミリは、『軍神』がただのオーデルトになってしまう可能性を危惧していた。


 しかし、ただの少女としてのミリは、彼が私を裏切るはずがないと、どこかで信じようとしていた。



 その齟齬が、歯車に罅を入れる。



 人目を憚って泣き声を漏らすミリ。その声は計算されていて、決して誰にも聞こえることはない、見ることもない。この部屋周辺の人払いはすんでおり、誰かが近づいてきても足音でわかる自信があった。だから、『ミリ』としての弱音は、決して誰にもバレないはずだった。当然だ。人類を守護する守護者の1人、『予言者ミリ』は弱音を吐かない。『正解』を選び続ける『完璧な為政者』に、“戦友”など必要ない。




「酷いことになってんな」

「……相変わらず、最低な男ですね」



 足音は聞こえていた。しかし、泣き声は既に聞かれているだろうし、何より泣き顔を全く取り繕う気が起きなかった。ここで起きた一部始終は、見られていたのだ。

 扉を開けて姿を現した男を睨みつける。どこかふてぶてしくなったその男の名前は――


「『覗き屋』。その面目躍如、といったところですか?」

「おう。まあそーなるな、覗かせてもらったぜ」


 目を見開く。これまでの『覗き屋』スウェーティという男は権力に弱く、言われたことに従う男だったはずだ。反抗の気概を見せはしても、決して実行には移せない小心者。勝手に『祝福ギフテッド』を使うなど、そんなことはできるはずがなかった。


 彼は手に持っていた資料を一式、ミリに投げ渡す。


「朗報だ。『純白ホワイトアウト』と、“埋め込みのレベッカ”の一件に肩がついた。『無音』がうまいことやったんだよ」

「……それは、本当ですか」


 渡された資料を読み込んでいく。そこには『無音』のフリートが『風』を使ってうまいこと『純白ホワイトアウト』の生産地を明かしたこと、レベッカと交戦して取引を行ったことなどが記されていた。


「なるほど……これであれば……」


 資料を読み耽る『予言者』ミリの前で、スウェーティはこれ見よがしにパイプを取り出して火をつけた。


「……煙草を?」

「直では吸えないんでね。こんな時代遅れのものを贈られちまったよ」


 口から煙を吐き出すスウェーティは、ボロボロの服と相まって完全に浮浪者そのものだった。この男は食事や女には口を出すが、基本的に身なりはどうでもよいと思っているようだ。しかし、それが妙に似合う。様になっていることが、ミリを苛つかせた。


「それはまた、いい身分で。報告ご苦労、下がっていいですよ。パトとはうまくやれてるんですか?」


 うまくやれているはずもない、とたかをくくって質問を投げかけるミリ。傍目に見ても、2人の人間性は水と油であり、どう考えてもうまく付き合えるはずがない。この場合、何にでも染まれるパトが水で、液体であれば何でも弾く油がスウェーティである。


 案の定、煙と一緒に溜息を吐き出すスウェーティ。


「それがよ、全然うまくやれねぇんだわ。なにせ友人なんていたことないんでね――」

「は?」


 今、この男はなんと言った? ……友人?


「いや、昔はそれっぽいのもいたな。けど、最近とんと縁がなくて……」

「ま、待ちなさいスウェーティ。友人? 友人と言ったのですか?」

「あ? そうだが」


 友人? パトと、この男が?


 ミリの脳裏を、手を繋いで楽しそうに買い物に出かける2人が映った。ないない、それはない。大方、スウェーティがパトの調子のよい相槌に騙されているのだろう、幸せなことだ。


「おい、なんだその生暖かい視線は――っと、噂をすればか」


 カツカツ、と石畳を叩く音が響く。それが誰かの足音であることは明白であり、そしてスウェーティの発言から考えればその足音の主が誰なのか予想もつくというもの。


「パト……」

「……お久しぶりです、予言者様」


 ――どのような心境の変化だろうか。こちらを煙に巻き、決して本意を見せようとしなかった少女が今、真面目な表情でミリと相対していた。そしてその変化を見れば、スウェーティの言葉が全くの嘘と断じるわけにはいかなかった。

 今までのパトは適当なことを嘯き、調子のいい言葉を吐く、それでも成果だけはきっちりと持ち帰る有能な少女であったのだが。今、その少女の態度は変わってしまっていた。


「目が覚めました、というのもおかしな話なのですが……」

「正直、信じがたくはあるけれど……いいでしょう、認めましょう」

「は? なにを?」


 われ関せずと煙をくゆらせていたスウェーティに向き直り、『予言者』ミリは口を開いた。寸前、鼻を啜りあげたのはスウェーティとパトに優しくスルーされる。


「『覗き屋』……いえ、『天眼』スウェーティ。あなたのその『眼』を、自由に使いなさい」

「……は? こりゃいったいどういう風の吹き回しです……?」


 飄々としていたスウェーティが、瞳に露骨な警戒の色を浮かべて真意を問う。『未来予測』の『祝福ギフテッド』に必要なのは、なによりも膨大な量の情報だ。それを贖う手段のひとつである『天眼』の使用権利を、そう易々と手放すはずがない。

 だが、実際のところ。スウェーティの心配は杞憂であった。そもそも『予言者』ミリにとって、局所的にしか見ることができず、しかも一日の使用制限がある『天眼』はさほど重要な情報収集手段ではない。質ももちろん大事だが、どちらかというと量に重きを置いている『予言者』にとって、わずかな情報しか集められない『天眼』は、そもそもそう重要度の高い『祝福ギフテッド』ではないのだ。


 もちろん、成長の末に『天眼』が『過去視』の力まで手に入れていると知れば評価は一変しただろう。とはいえ、スウェーティもあの『過去視』の力をうまく使いこなせておらず、せいぜいが丸一日の過去を遡るのが限界。くわえて、ただでさえ過剰気味のこの力をことさらに吹聴するつもりもないのだった。


「私は……貴方自身は全く評価していません、といつか。言いましたね」

「あ、ああ。そういや、言ってたな」

「その意味がわかりますか?」


 スウェーティは記憶を辿る。あれは確か、“埋め込みのレベッカ”の調査費用を受け取ったときのことだったか。彼女は、『スウェーティを評価はしないが、『天眼』という『祝福ギフテッド』は高く評価している』と言っていた。今更な話だったので、スウェーティは身構える。


「なんだよ。あの時俺は手を出してないぞ」

「……その卑屈さはもういっそのこと清々しいですが、あなたを脅そうとしているのではありません」

「……じゃあなんだよ」

「察しの悪さも一級品ですが、答え合わせをしてあげましょう」


 ミリが顔を上げる。


「あの時のあなたは、評価ができない存在だったのですよ。なにせ、自分から何かをしたことは一度もなかったのですから」

「っ……!」


 言われた言葉の意味を理解し、スウェーティの顔が気色ばむ。赤くなったスウェーティのことを無視して、ミリは――スウェーティに言っているのか、自分に言っているのかわからないように、言葉をつぶやく。その瞳はいつしか閉じられ、独白のように言葉を垂れ流す。


「一度たりとて、あなたは自分の意思で何かを成し遂げたことがなかった。いいえ、何かを成そうと思ったこともなかったでしょう。『天眼』は確かに有能な『祝福ギフテッド』ですが、それに付随するあなたはさほど価値のない――」

「そこまでだよ、予言者さま」


 はっ、とミリが自分の口を閉じる。目を開ければ、黄金色の光を纏った少女の右腕が、目の前に迫っていた。


「私の友人へのそれ以上の侮辱は許さない。いくら、予言者さまでもね」

「おい、やめろパト」

「馬鹿は黙ってて」

「お前俺のこと本当に友人だと思ってるか?」


 くだらないやり取りを耳にしたミリは、力なく俯いた。


「……申し訳ありません、スウェーティ、パト。貴方たちを侮辱するつもりはなかったのです」

「おお……あの『予言者』様が弱っている……」


 打ちひしがれるミリは、スウェーティのそんな呟きは耳に届いていない。


「結局、私も同じなんです。『祝福ギフテッド』に振り回されるだけの――確固たる意志を持つこともできない、ただの――」


 自分の信念を持てたらどれほどよかっただろう。周囲の重圧など関係ないと、自分の思うがままに人生を歩めたらどれほど楽だっただろう。


 だが、為政者の娘として生まれついた『予言者』には見えてしまうのだ。人類の行く末が。滅びへの道筋が。いとも簡単に、あちこちに用意されている終末の未来が。


「『完璧なだけでは救えないものもある』――お二人は、この言葉の意味がわかりますか?」


 ミリの問いかけに、スウェーティとパトは顔を見合わせた。そして2人そろって顎に手を当てて、天井を見上げる。パトはともかく、スウェーティに対して期待はしていなかった。長年考え続けてきた難問に、あっさりと解を出されてはたまらない。せめて、参考にしようくらいのつもりだったが。


「よくわからんが……」

「……完璧なだけでは救えないものもある、ねぇ」


 パトが呟き、スウェーティは言葉を選びながら口を開く。



「なんというか、なんとなくだが、言ってもいいか?」

「……どうぞ」




「完璧って、満ち足りてることだと思うんだよな。例えば、コップに水が満タンの状態。これって完璧だよな?」

「……意見の分かれるところではありますが、まあおおむねそうかと」


 可愛くねーガキだな、と嘯いてからスウェーティは続きを話し出す。


「上から落ちてきた雫は、どうすればいい?」

「……それは」


 言葉に詰まる。


「例えば、どこかに人間に興味の持てない嘘つきと、他人を全く信用せず自分の事ばかり優先しわがままでなんでも言えば通ると思っていて脅しつければいいと思っているガキがいるとしよう」

「……やけに具体的ですね、スウェーティさん……?」

「いるとしよう! この2人は、完璧か?」


 ミリは首を横に振る。完璧であるはずがない。首を横に振るミリに、スウェーティは優しく微笑んだ。ミリはそのあまりの気味悪さに一歩引いた。


「傷つくわ……。けど、その2人は欠けているがゆえに、組み合わせることができる。水が入ったコップも同じだ。満タンに、完璧にしなくたって、少しだけ欠けていたほうが……そうだな、余裕ってヤツができるんじゃないか?」

「――っ、なるほど……参考に、します」


 ミリは、予想外に深い答えを返してきたスウェーティに動揺しつつ、言葉を返す。そして、また新たな思案事に頭を悩ませる。とりあえず『純白ホワイトアウト』と“埋め込みのレベッカ”の件が片付いた今、少し考えたいこともあった。また『軍神』と『戦乙女』の間で何かしら問題が起きそうな気配はするが、とりあえず放置だ。『予言者』とて、自分の悩みごとがないわけではない。


「欠ける……組み合わせる……スウェーティさん、夜伽が欲しいなら素直にそういえばいいのに。きゃっ」

「お前の思考回路どうなってんの? 頭おかしいの?」

「……すみません、友人同士の丁々発止の掛け合いというものに憧れを抱きまして。試しにやってみようかと」

「ああ、そういう。まあ試してみれば?」

「私を抱いてみます?」

「そっち方面はなしでお願いできる?」


 仲良さげな2人の掛け合いは、だれの耳にも届かなかった。

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