第5話 終わりの力
薄暗くて、今にも雨が降りそうな朝だった。居間に集まった2人は、フリートの言葉に顔を上げる。
「冷静に、聞いてほしいんだ」
日常の崩壊は、そんな言葉から始まった。ベネルフィがフリート達の家を訪問してから、数日の時が経過していた。最近なぜか、リクルの周囲で物が壊れているが、そのことを除けば平穏な日々を過ごせていた。しかし、リクルは薄々と予感はしていたし、フリートもまた、このままではいけないと気づいていた。
「リクル。君は、自分の『祝福』を制御できていない」
その言葉を聞いたリクルは、息を呑みこみ……母親であるテテリは、深い溜息を吐いた。
「……やっぱり、というべきかしら」
テテリが呟いた言葉に、フリートは反応する。
「やっぱり、というのは?」
「……リクル。こうなった以上、全てを話すしかないわよ」
「う……」
テテリに見つめられたリクルは、怯えたように縮こまった。視線をあちこちに飛ばし、両手をそわそわと動かすその様子は、まるで逃げ場を探している小動物のようだった。
「落ち着きなさい、リクル。あれは事故だった……私はそう思っているし、貴女がそこまで気に病むことはないわ」
「で……でも……」
母親に諭されてなお、リクルは躊躇うように声を上げる。その様子を見ていたフリートは、口を開く。
「リクル、嫌なら無理にとは――」
「フリートさん。それはだめです。ここで甘やかすのはこの子のためになりません」
フリートが上げた声は、凛としたテテリの声に封殺される。
「話しなさい、リクル。これから先も、胸を張って生きていきたいのなら、フリートさんには聞いてもらわなければいけないわ」
テテリの言葉に、視線を下に落とすリクル。フリートとテテリが見守る中、リクルがゆっくりと顔を上げた。その瞳には決意の光が輝いていた。
「――私は、人殺しなんです」
力強く、それでいて寂しげに、リクルが最初の一言を発した。
† † † †
リクルに父親はいない。
それは、元からいなかったのではなく、いなかったことにされたのだ。
「ねーねー、お母さん」
「ん?」
編み物をしていた母親に、リクルが問いかける。勇者が魔王に敗北する前は、彼ら2人は違う都市でそれなりに幸せに暮らしていた。
「どうして、私にはお父さんがいないの?」
問われたテテリは、少しだけ悲しそうに目を伏せた。そして、いつものように優しくリクルの頭を撫でる。心地よさげに目を細めるリクルを前に、テテリは語りかけた。
「お父さんはね。遠くに行ってしまったの」
「帰ってくる?」
無邪気な子供の問いかけに、テテリはゆっくりと首を横に振った。
「もう、帰ってこれないほど遠くに行ってしまったの」
幼いリクルは、母親の言うことを素直に信じていた。だが、成長するにつれて違和感を覚えるようになる。
――母親は美人で気立てもいい。
――悪い男に騙されて逃げられた?
――いいや。そんな母親ではない。
ではなぜ、自分に父親がいないのか――?
考えるにつれて、リクルは自分の記憶に疑問を持つようになっていった。
そして――7歳より前の記憶がないことに、気づいた。そのことに気づいたのは、リクルが13歳の時だ。いくらなんでも、7歳より前の記憶が全く思い出せないのはおかしい。
覚えているのは。
薄暗い部屋と。
気味の悪い老婆と。
不気味な呪詛のような声と。
頭に乗せられた、しわくちゃの手。
それが、リクルが覚えている一番古い記憶だった。昔の記憶は忘れるものだ――そんなことは、リクルもわかっている。だが、全く何も思い出せないというのは、不自然に過ぎる。リクルは周囲の人間に色々と聞いて回ったが、どうやら記憶がなくなってから母親とリクルは住居を変えていたらしく、わかったことは、自分が8歳のころにこの町――王都に引っ越してきたということだけだった。
そのころのテテリは、編み物で生計を立てていた。後日聞いたところによると、監視と護衛の名目で、リクルの周囲には王国の人間が張り付いており、そのうえで援助金も貰っていたらしい。だが当時のリクルは、そんなことにも気づかずに、ひたすら自分の記憶を探っていた。
だが隠蔽は完璧だった。リクルはどうやっても真実にたどり着くことができなかった。
残った解決方法はたった一つだ。自分の母親であるテテリに聞いて、真実を突き止める。
このころのリクルは、疑心暗鬼に陥っていた。そもそも、テテリが自分の本当の母親かどうかすら疑わしい、と……どこかから、自分を浚ってきた誘拐犯である可能性も考えていた。
「お母さん」
「……」
「私は、誰なの? お父さんは、どうなったの?」
予想はしていたが――テテリが、リクルに真実を話すことはなかった。嘘はつかなかったが、娘であるはずのリクルの問いかけに、テテリは黙って首を横に振るだけだったのだ。
リクルは、母親に対する疑心の念をさらに強めながら、再び自分の記憶を探し始めた。思い出したくもない老婆の姿と声を必死に思い出した。
『ひっひ、いいんだねぇ?』
『これをやれば、解除する方法は1つきりだし、解除後どうなるかわからないよぉ?』
『絶対に解除できないように、か……じゃあ、長めに設定しておくかねぇ……』
自分の耳元で囁かれる言葉と、部屋を満たす何かのお香の匂い。呪詛のように囁かれていく言葉を必死に思い出す。
『思い出すことはないと思うがねぇ……』
『記憶力がいい? それにしたって、7歳の時に聞いた言葉を、一言一句覚えるなんて無理さ……』
『わかったわかった。そんなに言うなら、もう1行追加しよう……』
老婆は誰かと会話をし、ぶつぶつよ呟きながらリクルにまじないのような言葉を囁いていく。
ああ、確かに彼女の言う通り。一言一句覚えることはできなかった。けれど、それは、覚えることができないだけで。
切れ切れの単語から、予想していくことはできた。
「――全ての物語……終焉……者……?」
「日は昇り、落ちる――その果てに、終わりを見守る者……」
「終わりはなく、巡り廻った末に、摩耗し……」
老婆が設定した解除用のキーワードを予想していく。時間はあった。有り余るほどの時間と情熱を注ぎ込み、リクルは自分の記憶を取り戻すための孤独な戦いを続けていた。
そして、1年の歳月をかけて、彼女は正解にたどり着いた。
老婆の失敗は、リクルの目の前でキーワードを設定したことだ。耳にした言葉は覚えきれなくても、連続で動いていた唇の動きを、リクルは記憶していた。
記憶力がいい、というのは、よく言われていた。だから辛うじて、思い出せた。
「――全ての物語に、終焉をもたらす者」
「日は昇り、やがて落ちる――その果てにて、終わりを見守る者」
「流れる時に終わりはなく、巡り廻った末に、摩耗し枯れ果てる者」
空地で、静かに、囁くように言葉を紡ぐリクル。これで間違いがないという確信があった。人気を避けたのは、何が起きるのかわからないのと、ぶつぶつと呟く姿を人に見られたくないという理由からだった。
自分の過去を知りたい。何も知らない『今』を壊したい。過去の記憶がない自分と決別したい――。
黄金色の光が漏れる。ゆっくりと自分の周囲を覆い始めた光の内側に、怖気を誘う黒い靄が漂う。まるで、全てを飲み込むかのように蠢く黒い靄と黄金色の光が火花を散らす。
「今ここから、終末を始めましょう――」
そして、光が溢れた。砂利で埋め尽くされていたただの空き地が、膨大な量の光に塗りつぶされた。誕生に怯えるように、復活を祝福するように、黄金色の光が周囲を埋め尽くし、リクルは意識を失った。
† † † †
「封印を解いた私に、記憶は戻りました……幸い、そのときは周囲に人がいなかったのと、解除が完璧ではなかったので、人的被害はありませんでした」
訥々と喋るリクルの話に、黙って耳を傾けるフリート。この先の話の流れに予想はつくが、その部分はリクル自身が語らないと意味がない。
「……お父さんは。私の……『祝福』によって、すでに……亡くなっていました」
身を切るように、言葉を絞り出すリクル。
「私が……殺したん、です」
フリートが外を見れば、静かに雨が降り始めていた。
「きっかけは、些細なことでした。私が、楽しみにしていたお土産を、父が買ってこなかったとか、そういう……理由だったと思います。私は父と喧嘩しました。そして、激情に任せて、父を叩きました」
雨が落ちる音と同じように、ぽつぽつと話すリクル。
「父は……静かに、崩れ落ちました。そして、2度と――動くことはなかったんです」
己の罪を語り、目線を下に落とすリクル。フリートの胸に渦巻く感情は、納得だ。彼女に父親がいない理由。なぜ、教養もそれなりにある二人が、スラムで生活していたのか。父親という安定した収入源を喪った二人は、国からの援助で生活していた。そして、勇者の敗北によって国が崩壊した以上、援助を受けられない二人はスラムに身を落とすしかなかったのだろう。
「私の『祝福』……制御しきれて、いないんですね」
「……ああ。最近、家のものが壊れるのはそういう理由だろう」
ここまで黙っていたテテリが口を開く。
「……リクル。貴女は、どうしたいの」
どこまでも娘の意思を尊重する母親の問いかけに、リクルは唇を引き結んだ。どうしたいのかなんて、決まっている。
「制御できるようになりたい……お母さんと、フリートさんと、まだ生きていたいよ……!」
このままでは、取り返しのつかないことになる。リクルの力が意図せずフリートやテテリに発動すれば、それだけで二人が死ぬ可能性がある。さらに言えば、リクルの力を『軍神』や『予言者』に知られるわけにはいかなかった。
知られてしまえば、おそらくありとあらゆる手段を使って、リクルを魔王の元へと向かわせようとするだろう。
『全てに終末を与える力』――神に等しいその力があれば、魔王の『不死』すらも葬ることができるはずだ。
そう考えるのは自然なことだし、無理もない。そして、そのことはリクルもわかっている。
「……制御できるようになるかどうかは、正直賭けだが……やるしかないか」
「……よ、よろしく、お願いします……」
本来の『祝福』は、持ち主が成人するころには安定し、制御が可能となる。理由は不明だが、精神が成熟し、落ち着きを持つからではないかと言われている。感情的になって暴発していた『祝福』も、持ち主の成長とともに落ち着くということだ。
「つまり、必要なのは……」
「……大人の、落ち着き?」
フリートとテテリは顔を見合わせ、リクルを見る。不安げに首を傾げた少女を見て、二人はこっそりと唾を飲み込んだ。
――無理かもしれない、と。