第4話 戦乙女として
聖騎士トーマンという男がいた。
勇者よりも前の時代に、人々の信仰となっていた男だ。カロシル教の敬虔な信徒であった彼の『祝福』は、『万全』と呼ばれていた。『どんな状況であろうと常に最高のコンディションで戦える』という、一般人が手にしてもあまり強くはない『祝福』だ。だが、聖騎士であった彼は弛まぬ研鑽と努力によって、当時人類最強と呼ばれていた。
技術。体力。そして、他者の追随を許さない鋭い観察眼。その実力は神格化され、カロシル教徒にとって『英雄』と言えば彼を指す。聖騎士トーマンを題材にしたおとぎ話や昔話は事欠かない。絵本を読む家庭であれば、だれだって聖騎士トーマンの話を聞いたことがある。
そして、そんな英雄であるトーマンの再来と謳われたのが、『戦乙女』シャルヴィリアだった。
『信仰の強度に応じて身体能力を向上させる』という『祝福』は、ある意味トーマンの真逆を行く能力だ。人類の限界を極めて戦うトーマンと、人類の限界を超えて戦うシャルヴィリア。戦闘能力、という点ではシャルヴィリアに軍配があがるだろうが、シャルヴィリアの『祝福』は不安定だ。さらに時間制限もある。
もし、トーマンとシャルヴィリアが戦ったらどっちが勝つのか? すでに故人ゆえに実現することはないが、その予測はカロシル教徒の間ではよく話題になっていた。
「そもそも、私がトーマン様と戦うわけがないですが……」
聖騎士トーマンは英雄だ。シャルヴィリアにしても、幼少期は聖騎士トーマンの冒険譚を聞かされて育っている。憧れと尊敬の念を抱く、大先輩である。
「……いけません。弱気になっているわ」
『戦乙女』シャルヴィリア。名高き人類の守護者。圧倒的な戦闘力で多くの魔獣を蹴散らす人類の切り札であり、そして、ただの女性でもある。
英雄とは何か?
シャルヴィリアは、よくそんなことを考える。英雄と認識されるには何が必要か? 知名度か? 戦闘力か? 意志の強さか?
「乗り越える、力……」
困難にぶつかったとき、自分にはどうしようもない壁にぶつかったとき。彼らは諦めるのだろうか? 膝を折るのだろうか?
答えは、否だ。
彼らは諦めない。たった1つの可能性を信じて突き進むことができる人間――それが英雄だ。
「私は……トーマン様のようになれるだろうか……?」
人々を救い、魔獣を倒し、多くの人間から尊敬されていた聖騎士トーマン。精緻を極める剣技と、豪快な戦いぶりから、熱狂的な信者も数多くいたという。いまだにトーマンの物語を世に出している人間がいることからも、彼の人気ぶりがうかがえる。
「オーデルト様……」
人間は生き物だ。歯車ではない。しかし、歯車になろうとしている人間を見た。それが正しいことなのか、間違っていることなのか、シャルヴィリアにはわからない。だが、それはとても――悲しいことだとは思う。
「奴は、何も求めないと言っていた……」
魔人“教徒”。漆黒の翼を持つ魔人は、『神に何も求めない』と言っていた。『ただそこに在ることだけが神』だとも。神はなにもしてくれない。
いくら祈っても、神は直接彼らを救うことはない。
「この『祝福』は……なんのために……?」
人類を守るためだと思っていた。弱者を救う剣だと思っていた。
だが、答えはなかった。いくら選んでも、正解を教えてくれる人間はいなかった。だから――せめて、間違えない人間を、新たな信仰の対象に選んだのだろう。
シャルヴィリアは笑う。あまりにも愚かな人類を、あまりにも悲しい人々を。
「話しあってみよう。まだ、それができるはず」
執務室から遠ざかっていた足を戻す。言葉ではなく剣で語り合うことが多かった人生だが、それでもまだ言葉を喋ることはできる。自分の想いを伝えることはできる。
「トロー……私は、お前のようにはなれそうもないよ」
確固たる自我を持ち、自らの行いに一点の悩みもなかった男だ。ただ穏やかに笑いながら、時には真剣に、自分の信じる道を突き進んでいた男。
彼は迷わなかったのだろうか? 正解を選び続けて、一度たりとも選択を間違えなかったのだろうか? それは、シャルヴィリアにはわからない。
「――さて、行くか」
シャルヴィリアは決意で目を光らせて、来た道を戻る。靴が石畳を叩く音が廊下に反響し、やけに自分の足音がうるさく聞こえる。緊張しているからだろうか、とシャルヴィリアは自分に問いかけ、その質問に是と答える。こんなに緊張するのは、教皇に謁見し剣を賜ったとき以来だ。
「……シャルヴィリアです」
「入ってくれ」
ノックをして名乗ると、中から男の声が返ってきた。穏やかな声色だが、その口調のなかに少しだけ面倒くさそうな響きが混じっている。感情を捨てて歯車になろうとしている男でも、全ての感情を捨てきることができないのだろう。そのこぼれた感情が喜びや愛しさではなく、自分と会うのを煩わしく感じる感情だったことに、悲しみを覚える。
だが彼から人間らしい感情を引き出せたことに、喜びも覚える。誰に対しても同じように振る舞う彼が、ほとんど唯一感情を揺らす相手が、自分であるという優越感。
「失礼します……『予言者』様は?」
「今は席を離れている。色々と忙しそうでね」
シャルヴィリアにとって『予言者』ミリがいないのは都合がよかった。もしミリがいたら離れていてもらうように頼むつもりでいたが、それが無事に受け入れられていたかどうかはわからない。
「……お話があります。オーデルト様」
真剣な瞳で見据えられ、オーデルトが怯む。この男が動揺する姿は珍しく、シャルヴィリアはその反応でどれだけ自分が厳しい目つきをしているのかを自覚した。
覚悟はできた。
決意もできた。
失うのであれば――それはそれで、いいだろう。
「……聞こうか」
オーデルトが口元を引き締める。優しげな微笑が、真剣で真面目な表情へと変わる。その変貌を見ながら、シャルヴィリアは微笑んだ。
たとえ向かう先が破滅でも、いつまでも止まったままでいるわけにはいかない。足踏みをしているだけの人間に、未来は回ってこない。
(ああ――)
困難を乗り越える力が、英雄の資格であるならば。今を変えようとする意思もまた、英雄の資格と言えるのではないだろうか。
万人が認める英雄である『戦乙女』は、今初めて自分の判断に誇りを持つことができた。自分の判断が正解なのか、間違っているのかはわからない。けれど、今自分の心の中にある気持ちは本物だ。
(私は、今から……)
わからない。
自分がどうすべきなのかは、何もわからない。
だが、ひとつ確かなことがあるとすれば――今、『戦乙女』ではない『シャルヴィリア』はこうしたい、ということだけ。
この町に集った多くの英雄たち。その中でも、生まれたときより英雄であった者たちだ。
『祝福』がなくても天性のセンスで戦を操る『軍神』。
『祝福』が強力すぎても、道を踏み外さなかった『戦乙女』。
『祝福』を使いこなし、人類を守護し続けた『予言者』。
思考を放棄した元暗殺者でもなく、魔法を極めた異世界人でもなく、『祝福』を使いこなせない嘘つきたちでもなく、『祝福』の重荷に耐えきれなかった魔法使いでもなく、英雄に憧れた一般人でもなく、勇者の敗北とともに役目を放棄した少女でもなく、終焉を告げる力を持つ少女でもなく――
正しく、『英雄』である者たち。
人類が思い浮かべる、最高峰の『英雄』たちだ。自分を殺し、欲望を諦め、ただひたすらに人類を生き延びさせることだけに力を注いできた3人。
『軍神』。『予言者』。『戦乙女』。
人ならざる力を用いて、万人が想像する『英雄』であれ、と自分を制してきた者たちだ。
シャルヴィリアは気づいてしまった。気づかなければよかったのかもしれない。知らないふりをする選択肢だってあった。
『軍神』と『予言者』の完璧さはあり得ない。人間はそこまで非情にはなれないし、感情と思考を持つ生き物だ。どうあったって、歯車にはなり得ないのだ。無理をしたところは、必ず傷となって残り続ける。
そして、傷つき、傷ついたことにすら気づけない歯車になりかけの人間は――決定的な場面で、砕けるのだ。
「オーデルト。貴方が、好きです」
まっすぐに前を見据えたシャルヴィリアの言葉は、オーデルトに届いたのだろうか。
オーデルトは一瞬虚を突かれた顔をしたが、すぐに優し気な微笑を浮かべる。
「ありがとう、シャルヴィリア。だけど今は――」
「答えを聞きたいのです、オーデルト。人類とか、魔獣とか、魔人とか、魔王とか――」
息を吸い込む。
「そんなものは、どうでもいい」
「どうでもいい……?」
オーデルトの顔つきが変わる。微笑から、苛立ちの混じった怒りの表情に。誰だって苛立つことはあるし、怒ることもあるだろう。けれど、シャルヴィリアは彼の怒りの表情を見るのは初めてだった。
「どうでもいいんです、オーデルト。私は貴方が好きです。貴方は私のことをどう思っているのですか?」
稚拙な、あまりにも稚拙な問いかけだった。子供でもしないような、まっすぐで誠実な問いかけ。シャルヴィリアに恋愛経験はない。全てを剣と女神に捧げてきた。
恋の駆け引きなんて知らない。人との駆け引き、騙しあいなんて苦手だ。だから、正面突破する。
「私は――『軍神』だ」
「いいえ、違います。『戦乙女』として『軍神』に聞いているのではなく、シャルヴィリアとしてオーデルト――貴方に聞いているのです」
背筋を伸ばし、まるで剣を突き付けるように言葉を投げかけるシャルヴィリア。その姿は、まさに『戦乙女』と評されるにふさわしいたたずまいだった。
「私は……」
『軍神』の仮面が剥がれる。
うまくいっていたときはよかったのだ。大暴走を退け、人類を守っていたときは、彼は『軍神』でいることができた。だが“貴婦人”の襲撃を防げなかったこと、今町を襲っている『純白』に対して有効な手を打てないことが、彼の自信に罅をいれていた。
――私は、本当に人類を守り切れるのか?
その疑問は毒のように体に沁み込み、自分の感情を押し殺していた鎖を腐らせていく。不安と恐怖が心を飲み込み、彼を1人の人間に戻していく。
「私、は……!」
「オーデルト。貴方の気持ちを教えてください」
静かなシャルヴィリアの言葉に、オーデルトが口を開く。オーデルト自身、自分が何を言おうとしているのかわからなかった。だが、今目の前で、曇りのない瞳で自分を見つめている女を言い負かさなければ、まるで自分が消えてしまいそうな恐怖を覚える。
目の前の女、『戦乙女』シャルヴィリアは――今を壊そうとする敵だ。
「私は……!」
「――そこまでです。シャルヴィリア、オーデルト」
決壊しそうだった堤防が、ぎりぎりのところで保たれる。再び鎖が力を取り戻し、彼の人としての心を封じ込めた。何重にも、何重にも心をしばりつけ、そのうえから皮をかぶせる。『軍神』としての、皮を。
「『軍神』。少し、眠ったほうがいいかと」
「……ああ。そうだな、柄にもなく感情的になってしまった。申し訳ないが、シャルヴィリア。返答はまた今度の機会にするよ」
「……はい。わかりました」
フラフラと、執務室をあとにするオーデルトを見送り、二人の女性は向かい合った。
「なぜ起こそうとするのです、『戦乙女』」
「どうしてあのままにするの、『予言者』」
金色の髪を持つ、魔獣を蹴散らす人類の守護者――『戦乙女』シャルヴィリアと、未来を見通す頭脳を持つ、冷徹な『予言者』ミリが言葉を投げる。
「貴女がやろうとしていることは、人類に一切のメリットがありません。『軍神』である彼を人間に戻すことは許されません」
「それは貴女が許さないの、『予言者』さん」
シャルヴィリアの問いかけに、『予言者』が応える。まるで、感情を全て失くしてしまったかのように、無機質な声と顔で。
「そうです。彼が人間に戻ることで、人類の生存確立は14パーセントも低下します。彼の類まれなる戦術センスは、人類が生き延びるために必要です」
「……そう。『予言者』さんの予言は、絶対だものね」
「十分な情報があれば、という前提条件はありますが。これに関しては、『祝福』を使うまでもありません。とはいえ、私の『祝福』は情報が出揃えば常に予測を行ってしまうので、使わないなんていう選択肢はないですけどね」
ピクリとも笑わず、ミリは言い切る。
「考えるまでもないことです。何百人もの命を背負い、何十人もの人間を死地に送り込み、采配ひとつに人類という種の存亡がかかっている。そんな重圧は人間では背負えません。それこそ、『軍神』と呼ばれる怪物でなければ、背負えるものではないのです」
ミリの言葉に隠された、悲しみと同情。その片鱗を感じ取り、シャルヴィリアは言葉を紡ぐ。
「それは、『予言者』さんも同じじゃないかな」
「――私には責任があります。必ず、人類を『正解』に導いてみせます」
何百人もの命を背負っているのは、『軍神』だけではない。生活を支える『予言者』もまた、抱えきれない重圧を背負っている。それでもなお、彼女は『正解』を目指す。
決して間違えない為政者。少女が目指す理想は遠い。
「私は、頭がよくないからよくわからないし、もしかしたら間違ってるのかもしれないけど」
「……貴女の行動は間違っています」
断言したミリに向けて、シャルヴィリアが笑う。
「正解じゃなくても、間違えていても、進んでみようって思ったから」
「……今の人類に、失敗は許されません」
「そうかな……私は、そうは思わないけどね」
『戦乙女』と『予言者』は、互いに視線を交わし――その後は、一言もしゃべらずに別れた。
誰もいなくなった執務室に、少女の呟きがこぼれる。
「どうして……私は、間違っていないはずなのに……」
完璧なだけでは救えないものもある――偉大な父の残した言葉が、少女の耳に反響して消えた。
第4章の22話のあとがきに、頂いたファンアートを掲載しました。
スウェーティとパトの二人組になります。とても素敵なイラストなので、ぜひご覧ください。これからも終末に抗ってみよう。をよろしくお願いします。