第3話 予言者として
今の人類を語るとき、『予言者』ミリという少女の存在は欠かせない。彼女は大陸の遥か南にある、ゼレッチ帝国という場所で、宰相の一人娘として生まれた。皇帝が独裁的な権力を持つゼレッチ帝国で、唯一皇帝に意見できる立場が、宰相という存在だった。すなわち、宰相というのは国で最も賢い者としての称号である。ミリの父親であるクーロは、優秀な宰相だった。皇帝を支え、時に諫め、国を幸福に導いていた。
そんな宰相の娘に産まれたミリは、生まれたときから英才教育を叩き込まれた。国のこと。民のこと。人のこと。金のこと。敵のこと。魔獣のこと――。
ありとあらゆる知識を詰め込まれたミリは、その知識を見事に吸収していった。まだミリが『祝福』に目覚める前の話であり、そのときのミリは間違いなく神童と呼ばれるにふさわしい才覚を持っていた。そして、10を超えるころには、大人を相手に議論を交わせるほどの知識と思考を身に着けていた。だが、帝国の神童ミリを、大陸中に名を轟かせる『予言者』としたのは、『祝福』の力だった。
宰相の娘であるミリのもとには、ありとあらゆる情報が集まった。その情報を記憶し、推察し、違和感を見つけ出すのも宰相の仕事だ。ミリは、『出来事には必ず原因と予兆があり、気づきこそが人間の強みである』――亡くなった父親が言っていた言葉を、よく思い出す。
『祝福』――『未来予測』が発現したのは、12歳を超えたときだった。いつものように、父に上げるべき情報を精査していたミリは、自分の体から黄金色の光が漏れ出ていることに気づく。そして、集めた情報をかき集め、思いつくがままに資料から推測される事実を導き出す。
天候のこと。収穫量のこと。内乱の時期。反乱軍の決起時期。魔獣の氾濫期。
気温、気配、天候などといった曖昧なものから、物資、金、人の動きから予測される答え。ミリは、次々とその答えを生み出していった。そして、そのことごとくが的中した。
ミリは狂喜した。『未来予知』にも等しいこの『未来予測』があれば、完璧な統治が可能だと。予想外のことは何一つ起こらず、全てが計算通りに進んでいく、理想の国ができあがる。
父も喜んでくれた。だが、その喜び方は、ミリが望んでいたものではなかった。
「ミリ。お前はまだ幼い……お前の予測は完璧かもしれない。だが、完璧なだけでは救えないものもある……」
哀しそうに首を横に振る父親の言葉の意味を、幼いミリは理解できなかった。いや、理解はしていても納得はしていなかったというべきか。なにより、尊敬する父親が苦しむ、予測不能の飢饉や洪水を、予測することができるようになったのだ。
ゼレッチ帝国の躍進は間違いないはずだった。
ミリが作り出した『予言書』は、そのほとんどが的中した。反乱を起こす時期、起こされる場所、その規模――数字は誤魔化せない。もとより、帝国は長年反乱に苦しまされてきた。あちらを立てればこちらがたたずといった具合に、毎年どこかの地方貴族が反乱しているような国だった。
だが、ミリの予言書によって反乱は即座に鎮圧され、いくつかは起きる前に察知されて潰された。嵐が来る前に作物は収穫され、飢饉が来るときには国庫の食料が解放された。
『予言者』ミリの名前が大陸中に響き渡るのも無理はなかった。誰よりも正確に未来を予測し、的確に対処方法を生み出す。あらゆる情報に触れられる宰相の娘であるミリが手にしたからこそ、『未来予測』の『祝福』は十全にその力を発揮させていた。
最初に外れた歯車は、勇者の敗北だった。
ミリの予測では、魔王に勝つはずだった――否、勝たなければならなかった勇者が敗北した。勇者が負けた以上、魔王や魔人を止められる存在は少ない。『健壁』と謳われた冒険者でも、圧倒的な力を誇る魔人たちを止められなかった。大陸中央を食い破るように、次々と国を滅ぼしていく魔人や魔獣たち。
どの魔人も恐ろしいほどに強かったが、中でも最強の力を誇ったのが“狼王”ディーネだ。まるで紙を引き裂くかのように鎧を引き裂き、放たれた矢を見もせずに避け、ようやく当たった剣は体毛を切断することもできない。まるで一つの嵐のように、縦横無尽に戦場を暴れまわる魔人の姿を見て、人類はようやく認識した。
かの暴力の化身の前では、逃げることしかできないのだ、と。
崩壊は早かった。多くの国々が滅ぼされ、ゼレッチ帝国もまた、例外ではなかった。逃げ出す民衆は後を絶たなかったが、逃げ出したからといって助かる保証があるわけでもない。そして常に命を脅かされる環境というのは、人々から冷静な判断力を奪う。
皇帝が糾弾された。古い歴史を持つゼレッチ帝国でも、前例がない事態だった。絶対的な権力者である皇帝に歯向かうことは、本来あり得ない。だが、皇帝の威光も、現実の魔人の脅威には無力だった。民を守れない王に意味なし。前例のない事態に混乱した皇帝は、宰相であるクーロの進言を無視して粛清を始めた。今までほとんどの発言を肯定され、だれからも尊敬されて生きてきた皇帝にとって、糾弾される意味も理由もわからなかった。一方的に民が悪いと決めつけ、自分を批難する人間を処断した。
ゼレッチ帝国の最期は、魔人によって滅ぼされた国の中でも最も惨いと言ってもよかった。内乱がはじまり、帝国は内側から滅んだ。国を奪い取った革命軍が、魔人に国を捧げて生き延びようとして虐殺されたのは、悲劇と嘆くべきか、喜劇と笑うべきか。
そして――宰相であるクーロも、革命軍からは逃げきれなかった。皇帝もろとも処断され、ミリは独りになった。『軍神』オーデルトにスカウトされなければ、そのままどこかで魔獣のエサになっていただろう。その『予言者』としての力を買われたミリは、考え続けるのをやめなかった。
――いったい何が悪かったのだろう。
――なぜ帝国が、そして敬愛する父が殺されなければならなかったのか?
――魔人ではなく、魔獣でもなく、なぜ力を合わせるべき人間に殺されたのか?
「……今度は、間違えない」
そして、『予言者』ミリは結論を出した。絶対的な統治、間違えない為政者。個の感情ではなく、群としての理屈を優先させる国。そこに個人の意思が介在する余地はない。感情を殺して、ただひたすらに正解を選び続ける都市。
「それが私の役割。人類を守る、守護者としての私……」
滅びればいいと思うこともあった。すべてを投げ出したくなる時もあった。けどそれでも、『軍神』オーデルトが一緒にこの罪を背負ってくれるのであれば――父親を失った少女ミリではなく、『予言者』ミリとして、この都市を動かす歯車のひとつで在ろう、と。
「大丈夫。うまくいってる」
懸念事項はある。『純白』は早急に対策を練らなければならないだろうし、“埋め込みのレベッカ”に関しても同様だ。間違えない為政者であるためには、町に襲い掛かる脅威は解決しなければならない。
「少しだけ賭けになるけど……『天眼』と『転写』を動かそう」
ミリの『祝福』である『未来予測』は、問答無用で未来を予知する力ではない。膨大な量の情報をもとに、正確な未来を予測する、いわば測定器だ。この力を十全に生かすためには、宰相の娘であるといった情報が十分に集まるための立ち位置が必要になる。さらに詳しい未来予測を行うために、ミリは多くの子飼いの部下を持っていた。『風』、『耳』、『天眼』、『転写』――それ以外にも、十数人の諜報員が町に放たれている。彼らから上がってくる情報をもとに、より正確で詳しい『未来予測』を行う。
「さて、ちょっと忙しくなりそう……かな」
面倒だなという心の声を封殺し、ミリはいつも来ている薄い赤色のコートを羽織る。『ミリは髪の色が暗いから、明るい色の服を着るといい』――そう、父に言われたのはいつだったか。そんなに昔の話ではないはずだが、なぜかその記憶は遠く色あせようとしていた。
「『見た目は大事だ。人は、信じたい人の言葉を信じるからな』……」
一国の宰相であった父親の言葉は、確かな教えとしてミリの中に根付いている。説得の仕方、交渉の仕方、感情の推し量り方――様々な教えがあって、『予言者』という存在を確立させることができた。しかし……
「……わかりません、お父様。なぜ、『完璧なだけでは救えないものもある』のでしょうか」
その言葉が、ミリにはわからない。『予言者』として物流を掌握し、食料問題を解決し、完璧な計算による配分によって、ギベルの町の人間は生きている。
『予言者』は、間違えない。常に最善手を打ち続ける。多くの人間を救った。少なくない数の人生を壊した。
けれど、それは必要な犠牲だった。
「言い訳するつもりは、ありません……」
部屋の床から生えてきた青白い無数の手を振り払うように、目を閉じる。悪霊ではない。自分の弱い心が見せる幻覚だ。地獄から現れた亡者の腕が、彼女も地獄に引きずり込もうと蠢いている。
なんと言おうと、『予言者』としての道を選んだのは自分だ。数多の人間の人生を壊し、より多くの人間が生き延びられるように手を尽くしてきた。少女の両手はとっくに汚れきっており、幸せを掴み取ることなどできないだろう――否、赦されない。
「……わかってます。私も、死んだらそちら側に……」
呟き、ミリは目を開く。視界を埋め尽くしていた青白い手は、とりあえずその言葉で満足したのか、姿を消していた。
歩き出したミリの足取りは、普段よりほんの少しだけ重かった。