第1話 崩壊の足音
時は少し遡る。
まだスウェーティとパトがカンナと組まず、二人で街中を歩き回っているころ。約束であった衣服を大量に買ってもらったリクルは、難しい表情をして目の前のカップを睨んでいた。
「むー……」
いや、より正確に言うのであれば、湯気を立てる2つの木彫りのカップを見て、だ。茶、というものを淹れた経験はリクルにはない。存在自体は知っていたが、そもそも高級な嗜好品である茶を飲む機会などそうそうない。普段から飲むようなものではないし、なにより茶色や緑色の見た目が、リクルはあまり好きではない。
ではなぜ、目の前に2つの茶が入ったカップがあるのか。
「誰なのあの人は……なんだかどこかで見た気もするけど……」
フリートが客人が来ると言うから受け入れたのだが、現れたのは妙齢の美女だった。フリートよりも少し年上に見えるが、そう年は離れていないように見える。
「とりあえず、言われた通りに淹れてみたけど……」
フリートから、『味にうるさい奴なんだ、これを使ってくれ』と言われていなければ、いつものように白湯を出して終わっていただろう。フリートに茶の淹れ方を聞き、四苦八苦しながら出来上がったものをカップに移した。
カップをお盆に乗せたリクルは、居間に盆を持っていく。
「……聞か……くないというのはつまり……」
「ああ、だから……が、人類の……ってわけだ……」
「あの~フリートさん? お茶ができましたよ……?」
「ありがとう、リクル。入ってくれ」
何かを話していたのは聞こえたが、その詳しい内容までは聞き取れない。仕方なく外側から声をかけると、フリートがドアを開いて顔をのぞかせた。いつものようなやんわりとした笑顔ではなく、真剣な表情をしていた。あまり見ない表情に心臓が脈打つのを感じつつ、リクルはなんとかお茶を2つテーブルに乗せた。
(グルガンさんの店であれだけやっておいて、お茶を落としましたなんて笑えないわ……!)
ふと、美女と視線が合う。紫の瞳を興味深そうに細めた女性は、腕を組む。胸が強調され、リクルの中で彼女に対する引け目の感情がプラスされた。
「ありがとう」
「いっ、いえ!」
お礼を言ってほほ笑む美女。その美貌に、言われたリクルは慌てた。何も言わないと冷徹そうな印象を受けるが、笑うと一気に雰囲気が柔らかくなる女性だ。やはりどこかで見たことがあるような気がしながらも、思い出せないリクルは頭を下げてキッチンへと逃げ込む。
「うう……誰なの……?」
リクルは逃げ出してしまった自分に後悔しながら、頭を抱えて悩む。誰、と言葉にしたが、その言葉は正確ではない。今リクルが一番気になっているのはーー
「フリートさんとどういう関係なの……?」
――つまるところ、恋敵かどうか、という点なのである。
キッチンの床に座り込むリクルは、ふと何か音が鳴ったような気がして顔をあげた。
「え? え、ええなんで!?」
先ほどお茶を淹れるのに使ったティーポットの持ち手部分が壊れていた。
「うう……買ったばっかりだったのに……買ったのフリートさんだけど……」
茶葉と一緒に急遽購入されたティーポットはまだ新品だったはずだ。そう簡単に壊れるようなことはないはずだが、もとより割れ物だ。目に見えないヒビでも入っていたのだろう、とリクルは思う。
「ついてない……」
割れてしまったことをフリートに報告することを思い、憂鬱になるリクルだった。
† † † †
「やれやれ、驚いたよ。彼女が例のリクルちゃんなんだね?」
「ああ。ていうか、お前も一度会ってるだろ」
手慣れた仕草でお茶を楽しみながら、『魔女』ベネルフィは嫣然とほほ笑んだ。先ほどのリクルに向けた優しげな微笑ではなく、見る者の背中を泡立たせる不穏な笑い方だ。彼女がこのような笑い方をするときは、ろくなことを考えていない――そのことを知っているフリートは、内心面倒に思う。
「そうだね。君が“貴婦人”を倒したあと、一応顔は見ている。とはいえ、彼女の『祝福』の詳細を聞くまでは、そんなに興味もなかったのだが……」
苦虫をかみつぶしたような顔になるフリート。一体どこでどう知ったのか、『魔女』ベネルフィは、リクルの『祝福』の詳細を知っていた。『絶対的な決別』、とリクルが呼んでいるその『祝福』の内容は、『触れたもの全てに終末をもたらす』という凶悪極まりないものだ。
「とある老人が教えてくれてね。彼女こそが、彼女だけが人類の希望であるということを。魔王を滅ぼせる唯一の『祝福』ともなれば、私も興味が湧くさ」
お茶をすすり、何かを考え込むように目を伏せるベネルフィ。その姿にフリートは違和感を覚え、その疑問を素直に口に出した。
「どこか……変わったか?」
「そういう君の方こそ、見ない間にずいぶんと変わったものだね。まさか私にタメ口を利くようになるとは」
「いや、それは……」
昔のベネルフィは、どこか近寄りがたいというか、何かを達観した様子があった。だが今のベネルフィからは、そういった壁のようなものが薄くなり、距離が縮まったように感じる。
「まあ、私も変わったからね。おかげで、人類の滅亡を回避する、なんて面倒な仕事が増えてしまったよ。戦う理由ができてしまった、とも言うがね」
「……『烈脚』、ですか」
「んー、まあそうだね。彼がいなければ私は今生きていない。けど、命を救われたから、なんて単純な理由じゃないのは確かだ。これを語るには、私自身まだまだ分析が足りていない。分析すべきじゃない、とすら思える。『魔女』ベネルフィが、この気持ちはこのまま大事に抱え込んでおきたいと思っているのさ。笑える話だ」
どこからか取り出した煙草に火を点け、煙を吐き出すベネルフィ。そのままフリートに勧めるように一本差し出すが、首を横に振ったフリートを見て残念そうに箱に戻す。
「――君には、ひとつ宿題を出していたね」
「……ああ」
――魔人とは? 魔獣とは? いったいなんなのか、という問いだ。いまだに、フリートは答えを見つけ出せていない。
「……私には予想がついてしまった。“狼王”を倒したあと、私は信仰の森の中にあった神殿に入った。私は個人的にあそこを『不変の神殿』と呼んでいるが、そこにあったものは筆舌に尽くしがたいよ。傷つけられない床、持ち出せない物、そして壁に刻まれた予言めいた言葉たち。聖王国の連中が、やっきになって隠そうとしていたのも無理はない。壊すことができない――いや、違うか。変化させることができない神殿なんて、下手すればそこで新たな信仰が起きてもおかしくはない」
フリートは、黙ってベネルフィの言葉を聞いていた。突然『話しがある』と押しかけてきた以上、彼女なりに重要な話があるのだろう。それがリクルに関わる話である可能性がある以上、フリートとしては聞かざるを得ない。
「そして私は、不変の神殿とかつての賢者への問いかけで、ひとつの答えを得た」
もったいつけるように、煙を吐き出すベネルフィ。黙って耳を傾けるフリートを見て、ベネルフィは真面目な表情で呟く。
「それは、魔王の正体だ。彼――男か女か知らないので、便宜上彼と言うことにするが、彼の『不死』の理由も、その正体も、わかってしまった。そして、そこまでわかればおのずと目的にも予想がつく」
フリートは押し黙ったままだ。口を挟もうにも、ベネルフィが出している情報が少なすぎて、予想も何もできない。予言めいた言葉とは? 『不死』の理由?
魔王の目的……?
「……彼の目的はひどく人間的で、だからこそ私はその予想を信頼している。だが結局のところ、人類は彼を、魔王を滅ぼす必要がある。魔王が滅びるか、人類が滅びるか。そして、滅ぼせない『不死』である魔王がいる以上、滅びるのは人類――」
空中に浮かんだ水に煙草を突っ込んで消火したベネルフィは、お茶を一口飲む。そうでもしなければ、口に広がる乾きで喋れない、とでもいうかのように。
「――そのはずだった。だが、彼女がその運命をひっくり返すかもしれない。そう、リクルちゃんさ。魔王を滅ぼす可能性を持つ人間は、今まで一人だって見つかってなかった。そして、私は人類を滅亡から救うつもりだ。これは覆らない」
「……何が、言いたい?」
『魔女』ベネルフィの言葉に、フリートは息が詰まるような閉塞感を覚えながら問いかけた。ベネルフィの言葉は、半分も理解できない。理解できないが、間違いなく自分にとって致命的な言葉が告げられようとしている――そのことは、直感的に感じ取っていた。
「私は彼女が魔王討伐に向かうことを望んでいる。無理強いしてまで、とは思わないが――」
ベネルフィが、木製のカップを置く。中に入っていたお茶は既に飲み干されているが、フリートには一瞬、そのカップの表面を黒い靄が走ったように見えた。
「――彼女、力を制御できてないぞ。このままではマズいだろうな」
ベネルフィが言い切った瞬間。誰も触れていないのに、机の上にあったカップが真っ二つに割れた。
カランカラン、と乾いた音を立てて転がるカップを、フリートは呆然と見つめる。
「偶然……だろう」
「自分が信じてもいない言葉を口に出すのはやめたまえ。君が頭の中でそう思うのは勝手だがね」
ベネルフィは面白くなさそうに呟くと、席を立った。
「私が研究しても、彼女の力を止めることは不可能。『全てを崩壊させる』なんて、まるで神様のような力だからね、どんな封印や抵抗を施そうが、いずれ表面化するだろう。私が彼女の力に名前をつけるなら、そうだな――」
フリートに背を向け、新たに取り出した煙草から紫煙を立ち昇らせながら、ベネルフィは告げる。
「――『終末』、とかかな」
呆然と空中を見つめるフリートを放置して、ベネルフィは家を出る。
「さて、どうなるか……制御できるならそれはそれでよし、できないならば……」
誰も気づいていないことに気づいた『魔女』ベネルフィは、その明晰な頭脳と、予測や仮説に基づいて自分の策を組み上げていく。
「強引にでも魔王にぶつけるしかないか? しかしそれで成功する確率は低いな……」
危機感を煽るためにフリートの前ではああ言ったが、ベネルフィとしてはリクルがあの力を制御できるようになってくれることを望んでいる。『全てを崩壊させる力』なんてものが暴走するのは恐怖でしかない。できればきちんと制御したうえで魔王を滅ぼしてもらいたい。
「魔王の『不死』……彼女の『終末』……」
頭を掻き、ポケットからガラスの小瓶を取り出したベネルフィは、それをくるくると手で弄び始める。それは彼女が、深い思考を始めるときの癖だ。
「まだ時間はある。だが、急がないと手遅れになるぞ……?」
まるで全てを見通しているかのように呟いた『魔女』ベネルフィは、砦にある研究室へと戻っていった。
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