第9話 希望の反撃者
「なるほどね。すぐに防衛の準備をしよう」
フリートとセルデがオーデルトに伝えると、オーデルトは即座に魔獣の群れに対応するための準備を始めた。基本は大暴走の時と変わりはない。人を集め、物を集め、来るべき襲撃の日に備える。
だが、大暴走と違う点が、ひとつだけある。それは、今までの大暴走が小型の魔獣を含めて数百頭だったのに対し、今回の襲撃は中から大型の魔獣で一千頭近いということだ。
「早期発見できてよかったよ。やはり、君は使えるね。『無音』のフリート」
「いや……偶然です。先に見つけたのはセルデですし」
「その魔獣の群れを視認して、生きてここまで帰ってこれたのは間違いなく君の実力だ……もっと誇っていいと思うけどね」
まあいいけれど、とオーデルトは呟き、指示を出す。
「ああ、食料と給金に関してはミリのところに頼むよ。なに? 矢が足りない? 家を作ってる大工たちをこっちに徴収して構わない――住民からの反発? 僕の名前を出してねじ伏せろ。現在、このギベルの町は戦時下にあるということを思い出してもらえ」
「建築系の『祝福』持ちを連れてきてくれ。今回は砦の外に出撃待機場所を作りたい――指揮を執るのはチヨちゃんがいいな。彼女のなんだっけな、クルワ、の考えは理に適っているから、今回の作戦には最適だろう。ああ、余裕があれば堀も作ってもらうとしようか」
「なに? 水が足りない? それならそこの『剛腕』を連れていくといい。数人分は一気に運べるだろう。すまないセルデ、頼めるかい?」
「いいってことよ」
緊急事態を知らせる鐘が鳴ったことで、砦の中はやたらと忙しくなっていた。ひっきりなしにオーデルトの元に兵士や冒険者が訪れ、指示を仰ぎ、また去っていく。セルデにも仕事がうまれ、少し心配そうな顔をフリートに向けながらも、水運びのために冒険者と一緒に去っていった。
「――さて、鍵を閉めてもらえるかい」
フリートは、オーデルトに言われた通り、鍵を閉めた。
「防音性能がよくないからね、小声で頼むよ。――何を見たんだい?」
見抜かれている――というより、フリートは自分が見たものに関しては、一切隠し事をするつもりはなかった。『話がある』と目でオーデルトに訴えかけつづければ、この『軍神』は必ず意図を見抜く。その確信があったからこそ、フリートはこうしてオーデルトに伝える時間を得ることができた。
「魔人が関わっている」
「――詳しく聞こうじゃないか」
『軍神』オーデルトが居住まいを正す。一言に魔族、魔人といえども、その数はそう多くはない。人間に対して敵対行動をとってくる魔人の数は限られている。“龍鬼”かはたまた“狼王”か。それとも、“闇騎士”か。オーデルトが脳内にいくつかの選択肢をあげるが、フリートの言葉を聞いて思いっきり顔をしかめた。
「“道化”だ。関わっているのは魔人、“道化”のシギー」
「よりにもよってそいつかぁ……!」
『軍神』オーデルトが頭を抱えて呻く。勇者が魔王を倒すための旅をしていたころ、各地で魔人や魔獣が暴れていた時期がある。オーデルトも、『勇者が負けたときの保険』のために、ひっそりと旅をしていたのだが――そのときに、数人の魔人と交戦した経験があるのだ。
「……戦ったことが?」
「ああ、ある。あるとも。最悪だ……僕はあいつだけは苦手なんだ……」
人類最後の希望とも言うべき、『軍神』オーデルト。その彼がはっきりと『苦手』という相手――それが“道化”のシギーだ。もっとも、オーデルトとフリートの戦った感想は一致している。すなわち、『あいつの相手が得意なヤツなどいない』、という一点だ。
“道化”の恐ろしさは、『何を考えているのかわからない』という一点に尽きる。
“龍鬼”なら強敵を、“狼王”なら復讐を、“闇騎士”なら弱点を狙ってくる。狙いがわかる。目的がわかる。
だが、“道化”のシギーにはそれがない。いや、目的はあるのだろうが――それはおそらく、彼にしか理解できない目的で、彼にしか思いつかない手段で目的に向けてアプローチをしてくるのだ。
たぐいまれなる軍略の才能を持つ『軍神』オーデルトですら、何を仕掛けてくるのか予測できない相手――それが、“道化”のシギーだ。あらゆる国家の策士、軍師の予測を欺いて、単身で一国を攻め滅ぼした魔人。誰もが、『まさかそこは狙わないだろう』と考えていた場所を、一夜で落として見せた最悪の魔人。
なにより厄介なところは、本人が欺いたつもりが一切ないところだ。『面白そうだから』――そんな理由で攻める場所を決められては、理と計算によって戦略を組み立てる『軍神』オーデルトにとってはたまったものではない。
「いや……正直嫌になってきたね。だけど、今回はヤツの存在は無視する」
「……無視?」
対策を立てない、と宣言したオーデルトに、フリートは訝し気な目線を向ける。
「予測できないし、対策の立てようがない。下手に備えて動けなくなるよりは、余裕を持っておいて、最善の対策ではなく次善の対応を狙うほうがいいかな、と思うのさ」
「なるほど……」
「ま、僕もできる限りのパターンを考えておくよ。とはいえ、かの魔人にどれだけ通じるか……テッタ公国を壊滅に追い込んだのも彼だしね……」
「……」
テッタ公国――フリートは、かろうじてその名前に反応せずに、無表情を保った。“道化”のシギーの話をするのであれば、間違いなく話題に上るだろう名前であるため、心の準備を整えておいたのだ。“道化”のシギーによって滅ぼされたテッタ公国には、碌な生き残りがいない。小国だったとはいえ、たった一人で国を滅ぼした魔人に、世界中が恐怖した瞬間だった。
それでも、当時はまだ『勇者』という希望があった。だが勇者は死に、魔王は生きている。そして、人類に再び“道化”のシギーという強敵が立ちふさがろうとしていた。
「ありがとう、『無音』のフリート。君のおかげで、迎撃準備が整えられそうだ。【石化の凶鳥】とかがいるとなると、今回ばかりは治癒士にも出張ってもらわないとね……」
魔獣によって引き起こされる特殊な状態異常――石化、特殊マヒ、呪いなどは、専門の治癒士の魔法が必要となる。人間が治癒魔法について学ぶとき、かならず一つに絞らないと成功させる可能性が低くなると言われており、基本的には1人につき1種類の状態異常しか治せない。そのため、敵に状態異常を使ってくる敵が複数いる場合、治癒士を片っ端から集める必要があるのだ。だが、中には特殊な『祝福』で複数の治癒魔法を扱う者も存在する。その数少ない例外が――
「『聖医』は?」
「ああ、彼はリリーティア嬢――『聖女』様から離れないからね。なんだっけな、僕も魔法は専門外だからよくわからないんだけど、彼女《結界》を張ってる間は常に状態異常に陥るんだって。それを定期的に治療してあげなきゃいけないらしい」
戦争に使えないコマに興味はない、と言いたげな表情でオーデルトが返す。『聖女』リリーティアは、今現在このギベルの町と砦を覆う《結界》を維持している。悪霊の発生を抑え、亡霊の類が忍び込まないようにする結界だ。物理攻撃が一切効かない彼らを、これだけの広域に渡って排除できるのは彼女くらいのもの。死者が増えたため、常に悪霊発生の危険があるのだ。その仕事に手を抜かせるわけにはいかず、『聖女』リリーティアがいる『祈りの間』は砦でも最高水準の生活環境が整えられている。
そんな彼女、『聖女』リリーティアを神聖視して付き従うのが『聖医』クロケット。麻痺、石化など、複数の状態異常を治療できる治癒士のエキスパートである。二人はカロシル教の聖地である、『天の丘』を中心としていたカローリア聖王国の出身だ。今は、魔獣に滅ぼされ、もう存在しない。
「英雄、っていうのは、どいつもこいつもわがままでね」
「……難儀なことですね」
「……」
じっと見つめてくるオーデルトの視線を受けて、フリートは無言で視線を逸らした。散々遊撃隊への誘いを断り続けたのに、ひょっこり就職をしたのはフリートも申し訳ないと思ってはいる。思っているだけだし、自分が英雄と呼ばれるような存在ではないということを知っている。
英雄というのは、不可能に挑むような者のことを言うのだ。
あえなく散ったが、強大な存在である魔王に挑んだ、勇者サーチス=ブランダーのように。
それに比べれば、二度の絶望の前に膝を屈した自分など、取りに足りない小者に過ぎない。フリートはそう思っていたし、それは世間一般的に見ても正しかった。『無音』のフリートは、凄腕の冒険者ではあるが――国を背負って立てる人物ではない。
「……本当はもう少し、君と話したかったんだけどね。どうやら時間のようだ」
耳を澄ませるまでもない。オーデルトの部屋の外に、伝令である兵士たちの数がたまってきていた。報告事項は山のようにあり、オーデルトはこれから忙殺されるだろう。フリートのような一冒険者の報告を聞くために、わざわざ時間を取ったのが異様なのだ。
「君は待機だ。待機だが、砦に詰める必要はない……一度拠点に戻って、戦う準備と心構えを整えてきてくれ。なにせ君は、僕の予想が正しければ今回の戦いに関して切り札になり得る――いや、やめておこうか。憶測にすぎないからね。貴重な報告をありがとう」
「……はい。では」
フリートは意味ありげに呟くオーデルトに背を向けると、部屋の鍵を開けてドアを開いた。すると、外から待ちかねたように兵士が、冒険者が、忙しない足取りで乱入してくる。その足音に気を取られたフリートは、オーデルトの最後の呟きを聞き逃した。
「――テッタ公国の『惨殺鬼』……情報が正しいならば」
フリートは数日後、今回の戦いの意味を……“道化”のシギーの恐ろしさと、『軍神』オーデルトの本当の力を思い知ることになる。
† † † †
時刻は夕暮れ近く。フリートは一度あくび亭に戻ってきていた。今回の戦いはいつもの大暴走とは違う――生きて帰れる保証はどこにもなかった。
「どうした、フリート。辛気臭い顔して」
あくび亭に戻ったフリートを出迎えたのはグルガンだった。いつものように屈強な肉体を持って佇み、それでいてフリートのささやかな表情の変化にも気づく、見た目に似合わず細やかな男だ。フリート自身はいつも通りの態度で戻って来たつもりだったため、グルガンの言葉に少々面喰らった。
「なんか、亡霊にでも会ったような顔してるぜ。大丈夫か?」
「……亡霊、か。ああちょっと、過去に色々あったヤツと出会っちまってな」
乾いた笑いを浮かべてフリートは答える。そうして答えて初めて、フリートは今の自分の状態と感情を冷静に見つめることができた。
手足は震えていない、笑うこともできる。戦うのになんの支障もないが――フリートは恐れていた。“道化”のシギーという存在を。今や勇者に代わって人類の守護者である『軍神』オーデルトに、『あいつだけは苦手だ』と言わせしめる魔人。
故郷を滅ぼされたことに怒りはない。恨みも、憎しみもない。ただどこまでも深い穴のような、絶望だけがある。仇が生きているのに、憎悪も憤怒もわいてこない。それは、フリートとしては死んでいった仲間たちに対する裏切りのように感じられた。
(……仲間、か)
果たして、そんな存在がフリートにいただろうか?
たった一人、彼女ならば仲間と言えなくもないかもしれないが――彼女との関係性は仲間というよりも……。
考え込むフリートの耳が、笑い声を聞いた。こちらを嘲るような、それでいて恨みをぶつけるような、もしくはこちらにおいでよ、と誘うような――そんな楽しそうで憎々し気で、好意と悪意に塗れた笑い声が――
「おい、本当に大丈夫か? 顔色悪いぞフリート?」
自分の内側に潜りそうになっていたフリートは、グルガンの声で現実に引き戻された。目を開けば、目の前に心配そうにこちらを覗き込む強面が存在し、フリートは思わず一歩下がった。ここまで近づかれても考えに耽っていた自分が情けない。
「……大丈夫だ」
そのはずだ。
「ところでグルガン、また大暴走だ」
「なに!? この間起きたばっかりだろ!?」
「と、俺に言われてもな。ああ、今起きているわけじゃない。魔獣の群れが確認されて、大暴走が近いと判断されたんだ。たぶん、数日中には来る」
「そ、そうか。だから俺のところまで情報が来なかったんだな」
大暴走の原理はよくわかっていないことが多い。いったい彼ら魔獣は、何を求めてこのギベルに押し寄せてくるのか。獣に理など求めても仕方ない、という者もいる。原因があるのならば、解決すれば大暴走の被害を抑えられる、という者もいる。
そもそも、大暴走という現象は世界が正常であったころ――すなわち魔王と呼ばれる存在がいなかったころからあった現象だ。そのころの大暴走は強力な魔獣の出現によって住処を追われた魔獣たちが引き起こすと言われていたが、現状魔獣たちの支配する領域は広い。ほぼ大陸全土を支配しているというのに、住む場所を追われるはずがない。
もしくは、大陸中が魔獣に埋め尽くされているのか――全く別の原因で引き起こされているのか、だ。
「なんだか町が騒がしいとは思ってたがよぉ。そうか、砦で迎え撃つ準備が始まったんだな……」
「そういうことだ。リクルは?」
「部屋にいると思うが……」
「そうか。これ、渡しておく」
フリートは懐から銀貨を10枚取り出すと、グルガンに手渡した。グルガンはそれを見つめ、真意を確かめるようにフリートの顔を覗き込む。
「これが尽きるまでは面倒見てやってくれ、リクルにもある程度は渡しておくが……」
「――受け取れねぇな」
フリートの言葉が、グルガンの声に遮られた。腕を組んでこちらを見据えるグルガンは、厳しい表情でフリートを見ていた。もはや睨んでいると言ってもいい力強い視線に、フリートが怯む。
「なぜだ、グルガン。大暴走は危険だ、俺が死ぬ可能性もある。リクル達が路頭に迷ってもいいというのか?」
フリートの問いかけに、グルガンがあきれたように溜息を吐いた。その様子に、フリートの頭に血が上る。感情のままに言い返そうとしたフリートだったが、それより先にグルガンの口が開いた。
「甘えてんじゃねぇよクソガキ」
「なっ……!?」
見た目に似合わず心優しいグルガンらしからぬ暴言が飛び出た。フリートを見据える視線は鋭く、かつて凄腕の冒険者であったことが伝わってくる。
「お前、金渡せば解決するとでも思ってるのか?」
「……」
「リクルちゃんには、お前と母親が必要なんだよ。いつまでも自分の問題抱え込んでんじゃねぇ」
「……っ!」
何も知らないくせに、と叫ぶのは簡単だった。しかし、それを認めない自分がいた。
「ちょっとは変わったかと思えば逆戻りか。いいか、お前は今、冒険者でもなんでもねぇ。冒険者ってのはな!」
胸倉を掴みあげられ、フリートの眼をまっすぐにグルガンの瞳が射抜く。かつて魔獣の群れをたった一人で押し留めたという、南の英雄――『健壁』のグルガンの眼光が、フリートを睨みつけていた。
「死ぬかもしれない場所に飛び込むが、決して命を粗末に扱わない奴のことだ! 今のお前に、冒険者を名乗る資格はねえよ。名乗りたかったら――死ぬ気で生き残れ」
「――は」
投げ捨てられたフリートは無様に尻もちをつく。28にもなって、俺は何をやってるのか――フリートは自分が滑稽で仕方なかった。思わず、乾いた笑いがこぼれる。
「ハハハハハ! むちゃくちゃだぞ、グルガン。死ぬ気で生き残れって……」
「けっ、知ったことか。俺はあんまり口がうまくねえんだ。あの二人の面倒見るって決めたなら、しっかり最後まで面倒見やがれ。俺に押し付けんな。俺は宿屋の主人で、お前は客だ。それ以上でもそれ以下でもねぇ。あの二人の面倒見るために、戻って来い」
背を向けたグルガンに、フリートは笑いかける。
「はは、客に暴力振るうなんてひっでぇ主人だな。おまけにクソガキ呼ばわりだ」
「今にも死にそうな顔してるから喝を入れてやっただけだ。まだたりねぇぞ、今のお前はいいとこ若造どまりだからな」
「はいはい、おっさんには負けますよ、っと。なんせまだ20代なんでね、クソガキ脱却だけでもよしとしますか」
今年40代の後半に突入するグルガンの肩が震えた。
「おい、今おっさんって言ったか?」
「爺のほうがいいか?」
「上等だこの野郎。お前に、今日の夕食はない」
「は? おい、それは卑怯だろ!」
「知ったことか。台所を預かる人間に喧嘩を売るからだ」
「お前が売ったんだろ!」
二人の言い争いは、声を聞きつけたリクルが2階から降りてくるまで続いた。