第21話 幸せへの旅路
赤髪を垂らし、レベッカが起き上がる。その様子を、スウェーティとパトはただ眺めていた。殺人鬼が起きたということは、顔を見ている二人は口封じのために狙われるということでもある。何らかの対策を考えなければならないのに、二人の脳内は今それどころではなかった。次々と変遷していく状況に、思考がついてきていない。
「……殺す」
一方、素早く状況を把握したらしいレベッカは、殺意にぎらつく瞳で二人を見据えた。その姿が黄金色の光とともに掻き消え、パトの眼前に出現する。
短距離とはいえ、空間の転移を可能にする『祝福』――条件として、『出現場所を視認していること』もしくは、『具体的なイメージが思い浮かぶ場所』が指定されているとはいえ、その能力は強力無比。物理的な拘束は全く意味をなさない、恐るべき殺人鬼だ。
だが。
「――状況はよくわからないが。よくわからない以上、止めないといけないよな?」
パトに向かって伸ばした手が凍り付く。いつの間に現れたのか――その場にいる3人に、全く勘付かれることなく、1人の暗殺者がその姿を現していた。一切の音を立てず、気配すら掴ませず、二つ名の通り、静かに。
「貴様……! 『無音』か!?」
「御名答」
喉元に突き付けられた剣を見て、レベッカが体から黄金色の光を放つ。フリートはとっさに左手を伸ばし、レベッカの右手を掴む。二人の姿が瞬時に掻き消え、部屋の外から足音が響き渡る。逃げるつもりだと判断したフリートが、逃がさないためにレベッカの体を掴んだ結果、二人は同じ場所に転移したのだが――短距離で転移を繰り返すレベッカと、『祝福』を全開にして追うフリート。
「やれやれ。家庭内の問題もあるから、おとなしく捕まってくれないか?」
「誰が!」
「いや、娘が反抗期で……」
「そういう意味じゃない!」
いまいち緊張感に欠ける怒号が、部屋の外から聞こえてくる。やがて遠ざかっていく声を確認したスウェーティは、安堵の息をついた。まさかレベッカが起きるとは思わなかったし、『無音』のフリートに助けられるとは思ってもいなかったが、ともあれ一命はとりとめたようだ。
「俺の言いたいことは一つだ、パト」
「……っ」
肩を跳ねさせるパト。それを静かに見つめたスウェーティは、あまりの馬鹿らしさに自嘲の笑みを浮かべた。自分はどこをどう見ても負け組で、ろくでなしで、どうしようもない男だが――せめて、人生の先輩として。自分と同じ道を辿ろうとしている後輩に、道を諭すくらいはしてやってもいいだろう。
むしろ、スウェーティが偉そうに道を諭してやれるのなんて、全く同じ失敗をしようとしている者だけだ。それ以外の人間にとって、スウェーティの助言なんてものは有難迷惑でしかないだろう。
「――お前は俺のようにはなるな」
そしてパトもまた――スウェーティの助言だけを、受け入れることができた。彼女にとって、スウェーティだけが特別だった。いつかそうなるであろう未来、そうなってしまうだろう自分の姿。自分の人生を辿ったかのような人生の先輩が言う言葉だからこそ、その言葉はパトの胸に落ちた。
疲れた顔をして、静かに笑う男を前にして、パトの胸を埋め尽くした感情は――やはり、嫌悪なのだ。
「……スウェーティさんみたいに、なりたくない」
「ああ、そうだろうさ。俺もこうなりたくはなかったんだ」
「……お前のことが嫌いだ」
「そりゃ俺もだ。俺も自分のことが嫌いで嫌いで仕方ない」
「私は、やり直せるのかな……?」
「それは知らん。でも、たぶん大丈夫だろ。俺はやったことないから知らないけど」
その無責任な言葉に、パトはくすりと笑った。目の前の男は、自分の未来の姿。無精ひげを蓄え、腹は中年太りをして、自信なさげに視線を彷徨わせ、今の自分が嫌いで嫌いで仕方がない――どうしようもない大人の姿だ。
そしてパトは、そうなってしまう自分が想像できた。肥え太り、周囲の人間を信用せず、自信のなさを尊大な態度で隠し、他人の人生を壊すことでしか自分を認められない――そんな自分に、なりたいのだろうか?
答えは、否だ。
誰かを信じ、誰かに恋をして、誰かを愛して、子を育み、時に笑い、時に悲しむ。そんな幸せを願うのは、今のパトにはとても甘美な夢に思えた。
「私は……幸せになっても、いいのかな?」
「いや、だめだろ。いったい何人の人間を不幸にしてきた?」
パトはその言葉を聞いて、背中に冷たい汗が噴き出すのを感じた。そうだ、自分が幸せになっていいはずがない。これまで多くの人間を不幸に陥れてきたのだ。自分だけまっとうな人間の幸せを掴もうなど、そんな――そんな――
「でもよ、俺は1つだけ知ってる真実があるんだ」
「……なに?」
スウェーティがノロノロと右手を伸ばし、パトの頭に手を置いた。
「子供ってのはな、わがままなんだよ。幸せになるのがダメだからって、諦めるのか? 俺の眼は未来は見えねぇけど、お前が幸せになる未来は想像できるぜ……」
ゆっくりとパトの頭を撫でながら、スウェーティは言葉を続ける。
「誰にだって、幸せを願う権利がある。誰にだって、なりたい自分を目指す権利がある。それを資格がねぇだの、責任をとれだの、グダグダ抜かす奴は無視だ、無視! 何も聖人になりたいってわけじゃないんだから、開き直って生きていけ!」
スウェーティのやけくそ気味な言葉を聞いたパトは、ぽかんと口を開けた。あまりに乱暴で、答えにもなっていない。パトの過去の罪は贖えない。拭い去ることも不可能だし、パトはその罪を忘れることはできないだろう。
「ははは……なにそれ、最後の最後で……無茶苦茶でしょ……」
『天眼』の入れ物として、生かされ続けてきた男。
『転写』を使いこなし、生き延びてきた少女。
2人は長い間迷い、そしてようやく――初めて。『祝福』を見ていない、お互いの個を見てくれる存在に出会えたのだ。打算ではない、純粋な『パト』と『スウェーティ』として、1人の人間として、自分を見てくれる存在に出会えたのだ。
それがたとえ、嫌悪でも。無関心でも。
「ところで、スウェーティさん」
「……なんだ」
「私のこと、嫌いですか?」
パトの質問に、スウェーティが狼狽える。見るからに動揺したスウェーティを見て、パトがクスクスと楽しげに笑った。
「私、決めました。幸せになります」
「あ、ああ、そうしろそうしろ。できれば俺の見えないところでな」
笑われたと感じたスウェーティが、ふてくされたように返す。娘のような歳の少女に、あまりにも大人げない態度だが、それを見たパトは再び笑う。
「でも、大変そうなので道連れが欲しいんですよね。そう、例えば、私の過去のことを知っていて、それでも幸せを目指していいって言ってくれた男の人とか素敵ですよね?」
「……お前、俺のこと嫌いなんじゃなかったのか」
楽し気に笑いながら告げたパトを、スウェーティは半眼で睨みつけた。
「今のスウェーティさんは嫌いですよ? でも私をその気にさせておいて、本人は幸せを目指す気がないって、ちょっと酷いですよね。私と一緒に苦しみません?」
それは、人を思い通りに操ってきた少女の、精いっぱいの告白。声は震えてるし、目はあらぬ方向に逸らされている。それを見ながらスウェーティは、重い溜息を吐いた。その音が聞こえたのか、パトの肩が跳ねる。慌てたように言葉を続ける。
「い、今ならなんと、私の便利な『祝福』もついてきま――」
「――馬鹿、やめろ。痛々しくて見てらんねぇよ。お前の『転写』より俺の『天眼』の方が便利だし」
パトの怯えた表情が、真顔に変わった。
「――は? ただの覗き見野郎が随分偉そうな口利きますね? 私の『転写』の方が便利に決まってるじゃないですか」
「は? 誰かに触んないと発動しない『転写』より、どこでも見れる『天眼』の方が便利に決まってんだろ?」
お互い、人生をともにしてきた『祝福』だ。譲りあう気配は微塵もなかった。最初はどちらの『祝福』が便利か、という話だったはずなのに、気づけば2人の会話は罵りあいに移行していた。
「どうせそれで女のひとの着替えとか覗いてきたんでしょ? スウェーティさん最低ですもんね!」
「お前、互いに過去を見てきたんだから知ってんだろ! それ言い始めたら戦争だぞお前。お前だって体売ったりしてんだろうが!」
「うわっ、女性の過去をほじくり返す男、かっこ悪ーい。最低ー」
「うっせぇ、最低な人間は強いぞ? なにせもう失うものがないからな!」
思いつくがままに罵声を浴びせあう二人。
「スウェーティさんチラチラ道の女性の胸見てたの、私気づいてましたからね」
「だったらどうした。俺は頭空っぽのフリしてたお前のこと覚えてるからな」
「『まあ、俺がいればなんとかなる』とかなんとか言ってましたっけ?」
「『ねぇスウェーティさん! 今度外に遊びに行きましょう!』とかなんとか言ってたよなお前」
「……まだ言い足りないんですけど」
「……奇遇だな、俺もだ」
「こうなったらとことん文句言ってやります!」
「上等だこら、かかってこいや!」
お互いに、言いたいことが溜まっていたのか――小部屋で、相手を言い負かそうとひたすらに言葉を重ねる。相手の言葉を聞いているのかいないのか、それすらもわからずにひたすらに不満と愚痴を吐き出し続ける。
幸か不幸か、彼らの愚痴を聞きとがめる者は誰もいなかったが、もし誰かが見ていたら、『この二人、似た者同士だ』という感想を抱いただろう。
いったいどれだけの時間語り尽くしたのか――二人が一度言葉を止めたのは、言いたいことを言い尽くしたからではなく、荒げた息を整えるためだった。肩で息をする二人は、同時に目線を上げて、どちらからともなく笑いだした。
「は、はっははっ、はははは……! す、スウェーティさん、酷い顔……! あ、元からか」
「て、てめぇこそ……泣きながら笑ったから、目、腫れてんぞ……! おい、失礼だろクソガキ」
先ほどまでの勢いが嘘のように、小部屋に沈黙が訪れる。誰かが何かを言い出すのを待っている――そんな重苦しい沈黙を先に破ったのは、パトだった。
「ねぇ、スウェーティさん」
「……なんだ」
「私が、もし……『もう『転写』は使わない』って言ったら、どうする?」
「どうもしねぇよ。むしろありがたいな。俺も知られたくない考えとかあるし?」
今まで、あらゆる人間から求められてきた『転写』を封印する――それは、パトにとって禁忌だった。『転写』を封じれば、パトはただのか弱い少女だ。生きる方法など、ほかには知らない。
「でもよ、封印しなくていいんじゃねぇか?」
「……え?」
パトは、『祝福』を抜きにして、言いたいことを言い合ったのは初めてだった。妙な達成感と、心地よさがあった。このまま、『転写』を捨ててもいいかもしれない――そんなことを考えていたのだが。
「お前と一緒に苦しんでやる。どうも、今の俺は嫌われてるらしいからな……少しは、『好かれる努力』ってやつをしてみるかってな」
「スウェーティさん……」
「いや、少しだけだぞ? 俺、努力とか死ぬほど嫌いだからな」
「……私、今まで自分のためだけに使ってたんですけど、これからはスウェーティさんのためにも『転写』を使います。役に立ちますから……!」
それは、パトの中に産まれた恐怖だった。今までの人生では感じることがなかったその恐怖は、『友人を失いたくない』という感情。感情に耐えきれず、すがるような言葉を吐きだしてしまう。
「馬鹿」
「いたっ」
おでこを弾かれる。
「『祝福』があってもなくても変わんないっての。まあ、その、なんだ……」
照れくさそうに顔を逸らすスウェーティを、パトの視線が追いかける。スウェーティは何度か言葉にしようとして失敗し、散々パトを待たせたあげく。
「俺は、お前のことがそんなに嫌いじゃない……と思う。だから、これからもよろしく……いや、違うな」
右手を、パトに向かって差し出す。
「初めまして、だ。これからよろしくな、パト」
パトは呆然と、差し出された右手を見た。そして、まるで逃げてしまうのを恐れるかのように、勢いよく両手でスウェーティの右手を包み込んだ。
「はい! よろしくお願いします!」