第19話 過去視
部屋に向かう二人は無言だった。語るべき言葉も持たず、話すべき理由もない。お互いに隠し事をして進んでいく。
スウェーティは、パトのことをほとんど疑っていない。この少女が考えなしであることは知っているし、彼女の言葉に嘘はないと思っている。ただ、元から信用はしていないだけだ。
「……ここです」
パトにとって、スウェーティは趣味を満たすおもちゃでしかない。意外としぶとく粘ったが、結局のところパトの悪意を見抜けなかったスウェーティの負けである。
スウェーティは、ぼんやりと部屋の中を見た。そこにあるのは、殺風景なベッドと倒れて動かない赤髪の女性だった。
理解できない。説明を求めるようにパトの方を向くと、パトの顔が今まで見たことのないような形に歪んでいく。
「キハハハッ! まんまと騙されましたね、スウェーティさん! 今までの私の行動はぜぇーんぶ! 演技だったんですよ!」
まるで、質の悪い三文芝居を見ているかのようだった。哄笑するパトを前にしても、スウェーティの感情は動かない。もとより、この少女のことを信用も信頼もしていない。
そのことにも気づけずに笑い続ける、少女の方が――よっぽど滑稽だった。
「ここに寝ているのは“埋め込みのレベッカ”です! 私が、私だけの力で捕まえたんです! 悔しいですかぁ!? 惨めですかぁ!?」
煽るように表情を喜悦で歪め、下からスウェーティの顔を覗き込むパト。愛らしく笑っていた顔はすでに面影がなく、醜悪な欲望で嗤う少女がそこにいた。
「なんとか言って下さいよ!」
パトの右足が、スウェーティの太ももを蹴り上げる。体の芯に響くような鈍痛に、スウェーティが足を折る。膝をついた状態でパトの方を見ると、スウェーティの目線とパトの目線がまっすぐにぶつかった。空虚な瞳に見つめられたパトが一瞬怯む。
「っ、なんとか言えって言ってんだよ!」
再び、パトの右足がスウェーティの脇腹を抉る。少女の蹴りなど、大したダメージにもならない。だが、スウェーティは呻き声をあげた。
この胸に開いた、空洞はなんだろう?
「う……うう……!」
「そうだ! 絶望に呻けばいいんですよ、スウェーティさんなんて!」
一方、スウェーティに蹴りを入れているパトもまた、自分の体の異変に戸惑っていた。彼を蹴るたびに、自分の胸が痛む。今まで多くの人間を殺し、不幸に追いやってきた自分が、まるで――
この胸を苛む、痛みはなんだろう?
スウェーティは一切パトのことを信用していなかった。疑っていたわけでもない。ただひたすらに興味がなかった。『パト』という人格を見ていなかった。自分に向けられる尊敬の眼差しの意味も、過去も、理由も、気にしなかった。
パトは、スウェーティのことが嫌いだった。憎んでいたわけではない。ただひたすらに嫌悪していた。『スウェーティ』という男の存在が嫌いだった。その鬱屈とした態度が、女慣れしていない言動が、自分を無視する根性が、気に喰わなかった。
決して交わらないはずの二人だった。スウェーティは他者に興味を失い、パトは自分しか信じていなかった。パトが彼を壊す対象として決めたのは、嫌いだからだ。スウェーティがパトがそばにいることを許したのは、どうでもよかったからだ。
「スウェーティさんなんて……! お前なんて……!」
胸を埋め尽くす嫌悪の感情。痛みは消えず、パトは胸を押さえた。スウェーティという存在が嫌いだ。見ていたくない、聞きたくない、生きていてほしくない――だから、壊すことにした。
「う……ああ……?」
胸に空いた空虚な隙間。何も感じない自分を省みて、スウェーティは頭を抱えた。人間に興味が持てない。関わるな、俺を見るな、何も聞くな、放っておいてくれ――だから、考えるのをやめた。
「「お前がいるから……!」」
2人の声は、ぞっとするほどの悪意に染まって部屋に響いた。2人は、本能として自分の持っている攻撃手段を使う。黄金色の光がパトとスウェーティの体から放たれ、それぞれが『祝福』を身に纏った。
悪意の映像を流し込めるパトと違い、スウェーティの『天眼』に攻撃する力はない。完全に『祝福』を制御しているパトと、強大過ぎる『祝福』を恐れるあまり、いまだにコントロールしきれていないスウェーティ。戦えば、結果は見えている。
ある意味、今この時が、二人が初めて出会った時なのかもしれなかった。パトは本当の自分をさらけ出してスウェーティに迫り、スウェーティは感情のままに拒絶の意思を示した。
互いに目の前の不快な存在を消し去ろうと、目に力を込めて相手を睨みつける。スウェーティの『天眼』が持ち主の強い意思に反応して輝きを強めていく。一方、黄金色の輝きを完全に体内に収めたパトは、恐怖で意識を奪おうと、スウェーティに手を伸ばし――
2人の体が触れあった。
† † † †
スウェーティの生まれは、ちょっとした町だった。村と言うほどに狭くはなく、名が知れていると聞かれればそんなことはない――ただの宿場町だ。少しひねくれているところもあるが、優しい少年としてスウェーティは成長していた。
そんなある日のこと、スウェーティの『天眼』が開眼した。遥か遠くの風景を見通せるようになったスウェーティは、その力を笑いながら使っていた。無邪気な少年であった彼は、何の感慨もなくその力で町中を覗いていたのだ。
偶然だった。偶然、彼は町のなかで窃盗の瞬間を目撃してしまった。犯人はとっくに逃げており、街中で噂になっていた。誰も目撃者がおらず、犯人は見つかることはないと思われていた。平和な宿場町に訪れた、ちょっとした不幸――そうして、何も起きずに事件は忘れ去られるはずだった。
だが、優しい少年であったスウェーティは、自分が目撃していたことを隠していられなかった。正直に犯人を見たことを打ち明け、どちらに逃げていったのかも明かした。行き詰っていた捜査はみるみる進み、やがて犯人は捕まった。そして、スウェーティは褒められた。
スウェーティは、『天眼』を除けば普通の少年だった。多くの大人に褒められる、という体験が、彼を歪めた。『天眼』での観察は、やがて犯罪を探し、悪事を暴くための調査に変わった。まだまだ『天眼』は制御できていなかったが、好きな場所を見ることができる『天眼』があれば、不正の証拠を見つけ出すことなんて簡単だった。横領や密会に賄賂――ありとあらゆる犯罪の現場を目撃した。
そして、スウェーティはそれを嬉々として大人に報告した。まずは両親に、犯罪の現場を見たことを伝えた。褒められたかった。自分の存在を認めてほしかったのだ。
最初はお手柄だ、と言っていた大人たちも、やがてスウェーティに疑いの目を向けるようになる。いくらなんでも、都合が良すぎる。そう何度も、運よく犯罪の現場に居合わせるはずがない――そうした町の人間の疑いを晴らすために、両親は息子であるスウェーティを問い詰めた。そして、スウェーティはまさか疑われているとは思っていなかったため、顔面を蒼白にしながら己の『祝福』を打ち明けた。
ある意味、スウェーティの両親は素晴らしい教育を息子に施していたと言えるだろう。心優しい少年は、善悪の区別がついていた。そして、そのうえで人間は善であると信じていたのだ。自分は正しいことをしている――そう信じていたスウェーティは、人間の悪を知らなかった。
迫害は静かに始まった。スウェーティが持つ『天眼』という力は、あまりにも強い脅威だった。どんな些細な悪事も、くだらないごまかしも、スウェーティが見ているかもしれないという恐怖が、町を支配した。
間の悪いことに、スウェーティはそのとき思春期に入っていた。十代の健全な男子ともなれば、好きな相手の一人や二人はできるもの。そして、好きな相手のことは、知りたいと思うものだ。まだ制御ができていない『天眼』は暴走し、スウェーティは罪悪感からその罪を告白した。優しい少年であったからこそ、スウェーティを見る周囲の目は一瞬で変わった。
やがて、町中を覆うスウェーティへの不信感は、嫌がらせという形でスウェーティを襲った。外に出れば目を逸らされ、仲の良かった友人たちはまるで波が引くようにスウェーティから離れていった。やがて両親すらもスウェーティを避けるようになり、スウェーティは町を出た。
当時、スウェーティはまだ11歳だった。
「これは……」
「いったい何が……?」
幼いスウェーティが、涙を零しながら町を出ていく様子を、二人の人間が見つめていた。外にハネた桃色の髪を持つ少女――パト。そしてもう一人は、大人になったスウェーティだ。茶髪の少年が涙を流しながら町を去っていく様子を、二人は言葉もなく見ていた。
場面が切り替わる。
新しい町に着いたスウェーティは、飢えていた。そもそも生きていく術など何も持たない少年だった。庇護者もいない彼は、必死に町を生き延びていたが、すぐに限界が訪れた。スラムの住人も、よそ者で体格のいいスウェーティに冷たかった。スウェーティは封印していた『天眼』を開放させ、その詳しい能力をならず者たちに教えた。その有用性を知ったスラムの長は、切り札としてスウェーティを飼い始めた。
個人の弱みを握ったならず者たちは、その町で急速に勢力を広げ始めた。本来治安を守るための部隊である憲兵たちも、スウェーティの力によって弱みを握られている状態だった。『自分ではない誰かが止めてくれる』――そう考えた多くの人々によって、町の治安は一気に悪化した。
それを、スウェーティは何の感慨もなく見ていた。
誰にだって後ろ暗い闇がある。他人に明かされたくない過去がある。
スウェーティの『天眼』はそれを暴き、白日の下に晒す。
やがて肥大化した組織は、隣の領地を治める貴族の私兵によって丸ごと滅ぼされた。結局のところ、組織は調子に乗り過ぎたのだ。そのころになると、『覗き屋』スウェーティの噂も巡るようになっていた。
いわく、全てを見通す天の瞳。
『天眼』、という名前がスウェーティの『祝福』につけられたのもこのころだ。貴族は組織を滅ぼしたが、それは決して義憤からではなかった。
「君の力、私のために使ってくれるね?」
――結局、スウェーティは『天眼』としての能力を見込まれて貴族の家で暮らすようになった。食事もなにもかも不自由しない生活だったが、それは飼い殺しに過ぎなかった。貴族の人間が言う相手を観察し、失脚につながりそうなネタを伝えるだけでよかった。貴族なんて生き物は、街中の人間よりもよっぽど後ろ暗いことを抱えているものだ――毎日のように観察し、スウェーティを従えた貴族は、敵対する貴族をことごとく失脚させた。
しかし、その勢いをよく思わなかった者たちがいた。王族である。罪をでっちあげられた貴族は、断頭台のもとに処刑され、スウェーティは王族に『保護』された。
そこでも、同じことの繰り返しだった。王族に頼まれ、スウェーティは再び『天眼』の力を行使した。死んだような瞳で他者の不正を暴きたて、密告し、知らぬところで犠牲者が増える。
「俺は……間違っていたんだろう」
その光景を眺めるスウェーティから、呟きがこぼれる。
「だけど、それならどうすればよかったんだ……?」
小国に過ぎない王国もまた――滅ぼされた。粛清に次ぐ粛清で、王族の求心力が落ちていたところを、他国に侵略されたのだ。王族を恐怖していた貴族は手のひらを返すように王族を裏切り、王国は滅びた。そして、スウェーティは王国を滅ぼした将軍の軍師という立場に収まった。
不意打ちや奇襲を防ぐ意味で、偵察兵としてのスウェーティは貴重な存在だった。伏兵も罠も、スウェーティが見ればそれだけで無為と化す。将軍が率いる軍は、連戦連勝とはいかなかったが、事前に情報を把握できるぶんだけ、生き延びることが増え、気づけば歴戦の古強者ばかりが揃っていた。
この軍は最強だ――そんな将軍の自信も、若き才能に敗れることとなる。とある国に侵攻した際に、徹底的にあしらわれ、打ち払われたのだ。自分の行動の全てを先読みされ、ムキになった将軍は無茶な攻勢を仕掛け――殺された。指揮官を失った軍はまるで雪崩を打つように崩壊し、逃げる気力も湧かなかったスウェーティは戦場に置き去りにされた。
「――君が、噂の『覗き屋』かな?」
のちに『軍神』と呼ばれることになる、若き天才。当時は、『戦の申し子』と呼ばれていたオーデルトとの出会いだった。
風景が壊れていく。黄金色の光が噴出し、スウェーティの過去を塗りつぶしていく。その様子をぼんやりと眺めながら、スウェーティは呟いた。
「俺が間違っていた、っていうのはわかるんだ……」
パトが、スウェーティの方を見る。
「でも、どうすれば正解だったかは、いまだに分からないままなんだ」
呟きすらも黄金色の光が飲み込み――
「私、は……」
全てが黄金色に染まった。