第18話 悪意
「お前の頭に指していた、白い花……シラリエの花を、どこで手に入れた」
対峙した相手は見た目に似合わない低い声でパトを問い詰めた。髪に巻き付けた布がはらり、とほどけ、地面に落ちるが……侵入者はそれを見もしない。薄暗い部屋の中でもわかるほど鮮やかに色づいた赤髪が広がる。
“埋め込みのレベッカ”。
町を騒がす殺人鬼が、ありったけの憎悪を込めた瞳でパトを睨んでいた。
(問答無用で殺すわけには、いかないわよね?)
死の間際であった男から『転写』によって情報を抜き取ったパトは、レベッカの目的を見抜いていた。彼女の放つ感情は、憎悪だ。そして『純白』の販売に関わった人間や使用した人間を殺して回っているということも、見抜いていた。ポケットを探っていたのは、『純白』を回収していたのだ。
彼女の目的が『純白』の根絶であるのはわかっていた。であれば、原料であるシラリエの花を持っている少女を見逃すはずがない――。
「答えてもいいけれど、私の質問にも答えてくれる?」
「……お前は勘違いをしている」
ゆっくりとレベッカから距離を取るパト。逃げ切ることは不可能だろうが、もとよりパトは彼女に殺される理由がない。なにせ、『純白』の製造や販売に関わった記憶などないのだから。
だが、こうして目撃した以上は彼女はパトを殺しにかかるだろう。目撃者をわざわざ生かしておく理由もまた、存在しないのだから。
「お前がいくら距離をとっても、この部屋の中なら逃げ場はない……」
陰鬱な声がレベッカから洩れる。黄金色の光がこぼれ、彼女が戦闘態勢に入ったのがわかった。
「貴女、それだけの力があるなら、『予言者』様の部下になればよかったじゃない? そうすれば、もっと正当に『純白』を追いかけられたのに」
「……それはできない」
にやり、とパトは内心笑う。たった一人で孤独に戦い続けられるほど、人間の心は弱くない。この女性も、認めてほしいのだ。自分の行為と正当性を。でなければ、こうしてパトの質問に答える理由などない。
「私の戦いは私だけのものだ。疑わしい奴も殺し、疑わしくない奴も情報を持っているなら脅して引き出す。『予言者』の元については、怪しいというだけで殺すことなどできない……」
それは、そうだろう。『予言者』ミリは、そんな過激な方法を許可しないだろう。ならば最初から、犯罪者になってでも『純白』を根絶させる……それが、彼女の考え。利己的な理由によって、殺人鬼となった復讐鬼。
「お前に交渉権などない。シラリエの花をどこで入手したか答えろ……答えないのであれば、殺す」
右手を持ち上げ、黄金色の光を迸らせるレベッカに、パトは怯えた。あの手で掴まれれば、そのまま壁の中に埋め込まれてしまうだろう。怯えの表情を作ったパトは、その表情のまま口を開く。
「わ、私は、ネフィっていう花売りの子から買いました……! それ以外は知らないんですっ! 本当です、殺さないで……!」
ガタガタと震えながら命乞いをするパト。その表情は誰がどう見ても怯えの色に染まっている。それが嘘で演技であると見抜いた人間は、今まで誰一人としていなかった。
誰だって騙せる――パトにとって、人間は操りやすい駒でしかなかった。そして、レベッカの性格を考えれば、彼女が取る行動だって簡単に予測できた。
「そうか、では――死ね」
予想通りの言葉を吐いてきたレベッカに、パトは笑いそうになるのを堪えながら顔を上げた。その表情を驚愕と絶望で彩って。
「ど、どうして? 教えた、教えたじゃない……!」
「教えなければ殺すとは言ったが……教えれば殺さないとは言ってないな」
顔を歪めるパト。それは演技ではなく、本気の怒りによって歪んだ顔だった。
(屁理屈こねてんじゃないわよクソ女……はっ、復讐のために『純白』の根絶を目指す殺人鬼? 冗談じゃないわ、善でも悪でもない中途半端な存在が、私は一番嫌いなのよ!)
(悪者になり切れない程度の屑が……!)
黄金色の光だけを残して、レベッカの姿が消える。彼女としては、パトがレベッカの『祝福』の秘密を暴いていることに気づいてはいないだろう。
そもそもがおかしいのだ。いくら物質を透過する『祝福』があっても、成人男性を掴んで壁に埋め込むにはとんでもない膂力が必要だ。有無を言わさず、抵抗も許さず、壁まで引きずっていく力が。殺されそうになって抵抗しない人間などいない。
であるならば、レベッカの『祝福』には相手に抵抗を許さない何かがあるか――
(もしくは――そもそも、『祝福』の中身をそっくりそのまま勘違いしてるか、ね!)
姿を消したレベッカが、パトの眼前に姿を現した。それは瞬き程度の時間だった。ほんの一瞬で、二人の距離は詰められたのだ。それは走ったとか、跳んだとか、そんな単純なものではない。
「死ね」
短距離限定の空間転移――それこそが、レベッカが持つ『祝福』の力だ。自分自身や身に着けているもの、そして手で触れている者を強制的に転移に巻き込む『祝福』。その内容の詳細まではわからないまでも、パトはその力に予測をつけていた。とはいえ、どんな力であろうと――発動するためには対象に『触れている』必要があるのは確定だった。それを、パトは2度の『転写』によって確信していた。
相手から触れてくるのであれば何も問題はない。
パトは目の前のレベッカから一瞬たりとも目を離さなかったし、一瞬たりとも気を抜かなかった。あとは、どっちの『祝福』が速いか。それだけの戦いだった。
レベッカの右手が伸び、パトの肩に触れた。
奇しくも、二人の『祝福』の発動条件は同じ――相手に触れていること。
だが、触れてから能力を発動させる必要があるレベッカと違い、パトの『祝福』は常時垂れ流しにすることができる。レベッカの右手がパトの体に触れた瞬間、パトの体を包んでいた黄金色の光が膨張し――レベッカは、パトを飛び越えて襲い掛かってくる魔獣の姿を視た。
大口を開けて涎を垂らし、こちらに迫りくる巨大な魔獣を前に、レベッカの思考が止まる。それはパトが『転写』によって送り込んだ偽りの映像だったが、急に現実と切り替わった映像に、レベッカの思考は吹き飛ばされた。
「う、うわああああッ……!?」
せめて頭だけでも守ろうと、両腕を上げてガードする。残酷な殺人鬼である彼女は、しかし戦士ではなかった。目の前の敵を相手にして、自ら視界を遮るなど愚の骨頂。がら空きになった足、脛の部分に強烈な少女の蹴りが炸裂した。予想していなかった場所から襲い掛かってくる激痛に、レベッカは呻く。
そして、蹴られた場所は前であるにも関わらず、脳裏に浮かんだ背後から襲われる予想図に従って後ろを振り向いて目を開く――
当然、背後には誰もいない。
「――っ!?」
混乱状態にあるレベッカの膝裏に、もう一度強烈な蹴りが入れられる。人体の構造として、膝を折ったレベッカの襟首をひっつかんだパトは、優雅に嗤った。
「――おやすみなさい」
小部屋に、鈍い音が響く。勢いよく引きずり倒されたレベッカは、後頭部を床に打ち付けて気を失った。距離を取り、レベッカの様子を窺ったパトは、数秒レベッカを観察して安堵の溜息をついた。
相性は悪くなかったとはいえ、一瞬でも相手に攻撃を許せばその時点で負けていた。尤も、むちゃくちゃに暴力を振り回す『戦乙女』やら、対人戦最強の『魔女』、暗殺を得意とする『無音』あたりが相手ではこうはいかなかっただろうが……。
自身も含めて、触れた相手を短距離とはいえ転移させる『祝福』。恐ろしく強力な『祝福』だが、強力ゆえに使い方は稚拙なものだった。生まれたときから能力を使わされ、強くもない『転写』で生き延びてきたパトにとって、レベッカの戦い方は子供を見ているようなものだった。どれほど強力な『祝福』を持っていようと、使い方を理解しなければ足元を掬われるだけだ。
(とはいえ、ギリギリだったかな……)
気を失ってくれたのは僥倖だった。これで意識があれば、もう少し長い間ぎりぎりの戦いを繰り広げることになっていただろう。
「さて、と……」
転移できるのであれば、拘束する意味はない。しかし、とりあえずしばらくは起きそうになかったので、パトは部屋にレベッカを放置して廊下へと出た。月は雲に隠れているが、夜目が利くパトには問題ない。
「醜く壊れてくださいね、スウェーティさん♪」
スキップでも始めそうなほどウキウキとした声色で、おぞましい自らの欲望を囁く少女。その右手には、今日市場で買った、スウェーティへの贈り物が握られていた。
スウェーティの部屋にたどり着いたパトは、息を荒げてスウェーティの部屋をノックした。
「……誰だ?」
「私です、スウェーティさん! 今、ちょっと困ってて……! 助けてください!」
面倒臭そうな声色に気づきながらも、パトはそれを無視して話しかけた。今までのスウェーティであれば、少女を見捨てて引きこもっていたかもしれない。しかし、パトは確信していた。この自己中心的で欲望の塊で見栄っ張りな男には、少しずつ少しずつ『自分が認められる喜び』を埋め込んだ。であれば、肯定者である自分を見捨てたりはできない――。
「入れ」
「あ、ありがとうございます! でも、私の部屋に来てくれませんか……?」
潤んだ瞳でスウェーティを見上げるパト。男が、唾を呑む気配が伝わった。内心で嘲笑いながら、パトは畳みかける。
「誰にも聞かれたくないんです……私の部屋なら、今誰もいませんから……!」
大嘘だ。気絶したレベッカが置かれているが、スウェーティにそれを知る手段はない――いや、手段はある。『天眼』で見ればいい話なのだが、今のスウェーティにまともな判断力なんて残されていない。
「……ここで話せないのか?」
この甲斐性なしが、と内心で毒づくパト。どう言い繕っても、目の前の男が自分に欲情していることは間違いないのに、この期に及んで自己保身しか頭にないらしい。男なら男らしく襲い掛かればいいものを――思考を広げ、この男を自室へ誘導する方法を考える。
「……夜は、不安なんです。嫌なことを思い出すから……だから、スウェーティさんにそばにいてほしいんです……お願いします……」
「……」
スウェーティの瞳に浮かんだのは、欲情の獣の光ではなかった。パトを見定めるような、疑いの瞳だ。いったいどんな人生を送れば、ここまで荒んだ瞳ができるのだろうか。誰も信じず、誰にも頼らず、自分すら信じていないような――腐り、濁り切った瞳だ。
パトは気づかない。二人の瞳が、似通っていることに。人間の欲望を見続けた二人は、とっくの昔に人間なんて生き物を信用しなくなっていた。
「……えへへ。私、怪しいですか? そうですよね、夜中にこんなこと頼むなんて、おかしいですよね……」
俯いて、笑う。スウェーティが動揺したのが伝わってきた。
「これだけ、受け取ってください。スウェーティさん……」
「これ、は……?」
丁寧にリボンが巻かれたそれは、パトからスウェーティへの贈り物。渋い茶色に光るそれは、いまや持っている者はほとんどいない。
「パイプ……?」
「はい。煙草、吸うの苦手そうだったので……」
パトからの贈り物は、パイプだった。受け取ったスウェーティは、その重みを感じながら色々といじくりまわしてみる。先端の筒の部分に煙草の草を詰めて、火をつけることで煙草と同じように煙を吸える構造になっている。
「……ありがとう、パト。そして、疑って悪かったな」
本当だ。そして嘘だ。感謝しているのは本当でも、疑って悪かったとは思っていない。こんな少女を疑ってしまう自分への自己嫌悪はあっても、少女に対して悪かったとは思っていない。徹底的に自分を中心に考える。それが、スウェーティという男のどうしようもない本質だ。
「部屋に、来てくれますか?」
「ああ。俺でよければ、話を聞くよ」
白々しい会話だった。お互いに、話をするつもりなど一切ないし、互いへの気遣いなどもない。ただ、己の欲望に忠実に――醜い二人が、それでも表面上は綺麗に笑って見せた。