第16話 潜む悪意
「……スウェーティさん、また被害者が……」
「ああ……」
“埋め込みのレベッカ”が殺人を行うペースは徐々に上がっており、先日の殺人で被害者はついに17人となった。最後の被害者は自室で休憩しているところを襲撃されている。障害物をすり抜けることができるレベッカにとって、戸締りなどなんの意味もなさないということだ。
「この間の件で、私たちが調べていることに気づかれたでしょうか……」
怯えたように身を竦ませるパト。その様子を見たスウェーティは、パトの頭に手を置いて乱暴に撫でてやる。お洒落なのだろうか、パトの頭に乗せられていた花が落ちそうになり、パトは慌ててそれを受け止めた。
「ああ、すまん。大丈夫だろ。どうせ、俺らなんて目にも止まってないさ」
撫でられたパトが、くすぐったそうに顔を歪める。歪な笑顔に見えたスウェーティは背筋が凍り付くのを感じながら、その感覚を無視した。パトのその笑顔はほんの一瞬で、スウェーティが感じた嫌な予感も、すぐに洗い流されるように消えていった。
「ありがとうございます、スウェーティさん!」
綺麗な笑顔で告げられた言葉に、スウェーティも思わず笑顔になる。さっきの歪んだ笑顔はきっと見間違いに違いない、と自分に言い聞かせる。
「今日も頑張りましょう、スウェーティさんなら捕まえられます!」
「あ、ああ……そう、だな」
何か、決定的な齟齬を感じながらも、スウェーティは頷いた。なにかがおかしい、何かが合わない。その違和感は、目の前の少女からではなく――自分自身。
果たして俺は――
「ほら、カンナさんも待ってますよ? 私のこと、守ってくださいね?」
笑顔で告げるパトに、スウェーティは考えもせず。
「……ああ」
頷いて見せる。
ズレていく。ズレていく。スウェーティの中で、『自分』がズレていく。毎日少しずつ少しずつ囁かれた言葉によって、スウェーティの性格がほんの少しズレていく。後ろ向きから前向きに。
それは、いい変化なのだろう。
――少女に、悪意がないのであれば。
(もう少し――仕上げはどうしようかなぁ。どこでやるのが一番いいかなぁ)
『その時』を想像して、少女は笑う。頭の中で組み立てている計画を修正し、現実のものとしていく。様々な人物の狙い、性格、行動原理を組み込み、自分の中で動きに予想を立てていく。
『純白』を追うフリート。
“埋め込みのレベッカ”を追う自分とスウェーティ。
先日目的が判明した、殺人を繰り返すレベッカ。
様々な登場人物を操り、動きを予想し、少女は自分の計画を練り直す。自分だけだ。少女が信頼しているのは自分だけ――であれば、ほかの人間には踊ってもらうほかない。少女の思い通りのダンスを踊り、それぞれ滑稽な物語を見せてもらおう。
まずは、目の前のこの男から――
「スウェーティさん、今日はどうしますか?」
「今日も引き続き、巡回するとしよう」
「なるほど、わかりました!」
スウェーティの言葉に、明るく肯定の返事をしたパトは、その心に秘めた悪意をひた隠しながら行動を開始した。
少女の髪には、まるで咲き誇るかのように純白の花が乗っていた。
† † † †
「滅ぼさなければ……全て……」
呟いた言葉は、だれにも届くことなく虚空にほどけて消える。復讐のついでに、再三【警告】を行っているのに、手を出す者があとを断つことはない。砦の『予言者』が意図を察してくれれば協力体制をつくることもできるかもしれなかったが――それでは、彼女の目的を果たせない。
「アレはだめだ……アレは……」
口から洩れる呟きに込められた感情は、憎悪だ。彼女は憎んでいる。故郷と家族をめちゃくちゃにした存在を。故に、封印したはずの自分の『祝福』を使ってまで、その存在を根絶やしにすることに決めたのだ。
手を出した者を殺し、手を出そうとした者を殺し、それでも止まらないから見せしめにして。
自分の存在が、住民に恐怖を与えていることは知っていた。だが、清く正しく生きていれば、自分の殺害の対象になることはない。名高い『予言者』であれば気づくかと思ったが――どうやら、彼女を追っている存在からすると、気づいてはいないようだ。情報不足なのか、それとも気づいていないふりをしているのか、そこまでは彼女にはわからない。
「鬱陶しい……」
自分を探っている二人組――最近3人組になった人間たちのことは、知っている。だが、彼らは殺害の対象ではない。自分が殺人鬼と呼ばれ、追いかけまわされるのは仕方ない。やるべきことを果たしたら、自首でもなんでもしてやるが、果たすべきことを果たすまでは捕まるわけにはいかない。
「……一応、確認はしておこうか」
どんなことになっても、逃げきれる。それができるだけの力を、彼女の『祝福』は持っている。かつては『透過』と呼ばれていた『祝福』で、本来の能力は、物質をすり抜けることなどではない。間違いというわけでもないので、彼女は特に指摘もしなかったが、本来の使い方はもっと危険なものだ。彼女も自分に与えられた『祝福』がどれだけ危険かを理解していたため、勘違いを正すようなことはしなかった。
レベッカは薄汚れてしまった灰色の布で自分の髪を隠すと、町へと出かけた。殺害するときは布を外して赤髪を見せ、普段は隠している。目立つ特徴のひとつであり、すでに『レベッカは赤髪である』という情報が広まっている以上、赤髪で出かける理由はなかった。
「……っ!?」
ひっそりと、それでいて大胆に歩いていくレベッカは、『あるもの』を見つけて目を見開いた。気取られないように通り過ぎ、家の影から覗いて確認する。
(やはり……! なぜ、あれがあんなところに……? あの女、わかって……?)
その光景を確認したレベッカは混乱した。もし、あれの価値を知っていてそうしているのであれば、それは囮だ。エサだ。そして、エサのつもりであるならば、レベッカの目的は完全にばれていると判断すべきだろう。目的がわかっていなければ、アレはエサにはなり得ないのだから。
(罠か……? いや、しかし……)
数日彼らを観察したが、特に脅威は感じなかった。あの刀を持つ女性――『斬鉄』と呼ばれている冒険者は危険だが、逃げ切ろうと思えば悠々と逃げ切れる。であるならば……殺すかどうかはともかくとして、その入手経路は確認しなければならないだろう。
レベッカは脳内で計画を修正しながら、歩き始めた。
† † † †
「君、ちょっといいかな?」
「は、はいっ!?」
声をかけたフリートが驚くほどの勢いで振り返った少女。みすぼらしい恰好に、背中まで伸びた薄紫の髪はボサボサで、少女がスラム街の住人であることが見て取れる。フリートは少し懐かしさを感じながら、少女――ネフィ、と呼ばれている少女に話しかける。
「ある人に君のことを聞いたんだけど、君の名前はネフィで合ってるかな?」
「は、はい。私はネフィですけど……?」
訝し気に答えを返したネフィは、ハッと何かに気付いた様子で周囲に目線を走らせた。道路の端によって話しているが、逃げ場は塞いでいる。もちろん少女の脚で逃げ切れるような甘い追跡者ではないのだが、とっさに逃げ道を探したのだろう。
「……」
その様子を観察して、フリートは内心で首を傾げる。これすらも演技だとしたら大したものだが――あまりにも、お粗末すぎる。逃げ場がない場所に移動するまでフリートが待ったとはいえ、それまでのネフィに周囲を警戒する様子は一切なかった。こうして話しかけられて初めて逃げ道を探すというのは、悪事を働いているというよりも……
「わ、私を襲うつもりですかっ!? こ、こんな昼間からっ!?」
(ああ、なるほど)
スラム街の住人である、ということをすっかり忘れていた。いきなり話しかけてきた見知らぬ男性ともなれば、警戒するのも無理はない。最近、顔が有名になってきたのでフリート自身も忘れていたが、本来のフリートは非常に胡散臭い男なのだ。
「ああ、いや。怪しい者じゃない――と言っても、信用は無理か。いくつか聞きたいことがあるだけなんだ」
ビクビクと警戒されていては、聞きたいことも聞き出せない。もしこの少女が白なのだとしたら、余計な情報や恐怖心は与えたくない。
だがもしも黒で、『純白』の件に関わっているのだとしたら、ここで逃がすわけにはいかない。
「は、はぁ……聞きたいこと……?」
警戒の色は解けないが、それでも一応話を聞いてくれるようだ。この時点で、フリートはこの少女は白のような気がしてきていた。警戒の姿勢が露骨すぎる、本気で逃げようとしたら警戒していることすら気づかれないように振る舞うはずだ。少女の言動からは、犯罪者特有のうしろめたさが感じられない。
「君が花売りだってことは知ってるんだが、どんな花を売っている? そう、例えば――白い花、とか」
「――っ!?」
ほんのわずかな反応も見逃すまい、と目を凝らしていたフリートは、ネフィの微かな動揺を見抜いた。白い花、と聞いた瞬間、確かにネフィは体を震わせた。
『黒』か、とフリートが姿を隠している『風』に合図を送ろうとした瞬間。
「最近、白い花流行ってるんですか?」
「……ん?」
すんでのところで合図を送るのを止める。ネフィはクスクスと笑い、フリートに向かって話しかける。必要であれば自分で捕縛できるように警戒するフリートに対し、ネフィは笑いながら話す。
「つい最近、同じようなことを聞かれたんです。ああでも、白い花とは言わなかったかな? シラリエの花について、栽培方法を――」
シラリエの花。
その名前が出たこと、そして目の前の少女の様子から、フリートは確信した。
この少女は、黒ではないが白でもないのだ。
何も知らぬままに利用されている。
「でも、あの花は日照時間が長くないと花が咲かないので、山に囲まれているこの場所じゃ無理なんです。私のお父さんの『祝福』で、光を当ててあげないと……」
楽しそうに植物の話を続けるネフィ。彼女は本当に花が好きなのだろう。そしておそらく、その父親も。
「君にシラリエの花の栽培方法を聞いたのは、どんな人だった?」
「え? 普通の女の子でしたよ? 名前はパトっていうんですけど、桃色の髪をした女の子です」
「そうか、ありがとう」
パト――桃色の髪をした女の子。それだけ聞けば、フリートにも予想がつく。『予言者』ミリの子飼いにして、諜報員として活躍している『転写』のパトだ。見た目とは裏腹に、多くの成果を上げている、一流と言ってもいい諜報員だ。今はスウェーティという男と“埋め込みのレベッカ”の調査をしていると聞いていたが……
「ありがとう。これはお礼だ、とっといてくれ」
「え、え?」
フリートはネフィに銀貨を握らせると、彼女が動揺している隙に姿を消した。気配を薄めて路地裏へと移動し、『風』と合流する。
「どうされますか?」
「話した感じ、彼女は『白』だ。だが、見失うのはマズい。尾行して、父親の場所を確認してほしい。花の栽培をしているのであれば、そうそう拠点を移すことはできないはずだからな」
「了解しました。『無音』殿はどうされます?」
少し考えて、フリートは結論を出す。
「『転写』のパトの名前が出た。彼女が調査の途中で『純白』の情報に引っかかっただけなのか、それとも別の意図があってネフィに接触していたのかどうかがわからない。尋問に行く」
「……それは、気になりますね。『予言者』様から、『転写』が『純白』の情報を得たという話は聞いていません。つまり、『転写』はそれを報告していないということになります」
『風』の言葉を聞いて、フリートはさらにパトへの疑念を深めた。もし一流の諜報員でもある彼女が『純白』の密売と栽培に関わっているのだとしたら、とんだ一大事だ。人類の守護者である『予言者』直属の部下が、麻薬の密売をしていたなど笑い話にもならない。
「それと、『転写』のパトの出身地は……アルディヤ国です」
「……急いで話を聞く必要があるな」
かつて『純白』の生産地であり大量消費国だった、大陸中央に位置するアルディヤ国。そこの出身であるならば、シラリエの花が『純白』の材料であることを知っている可能性が高い。さらには、その精製方法も。
フリートはネフィを『風』に任せ、急いで砦に向かった。
日は沈みかけ、夜が訪れようとしていた――。