第14話 転機
悲鳴が響いた。それはスウェーティ達がパトロールを始めて5日経ったときのことだった。その5日間で、さらに二人の人間がレベッカの犠牲になったが、三人目でついにスウェーティ達は現場の近くに居合わせることができたのだ。
壁に埋め込まれた遺体と、壁に溶け込むように消えていく赤毛の女。その寸前に、赤毛の女の右手が掠めるように被害者の服を通り抜けていった。
「――マジで、出やがった!」
「追いましょうスウェーティさん!」
「任せたまえ」
走り出す3人。
「斬り開く」
カンナが刀を抜き、縦に振るう。耳障りな音を立てて、土で出来た壁が真っ二つに切り裂かれる。さらにもう一度刀を振るったカンナは、ぐらつく壁を蹴倒した。奥にちらりと見えた赤毛を追う。さらに家の壁に溶け込むように消えていき、その家の壁もカンナが斬り捨てる。被害者を助ける余裕はなかった――ここで奴を捕らえることができれば、それが最良。しかし――
「ちっ、パトがいない……」
足手まといになることを恐れたのか、それともついてこれなくなったのか。スウェーティが後ろを振り返ると、そこにパトの姿はなかった。ともあれ、今はカンナのそばにいるほうが安全である――そう判断したスウェーティは次々と家や道路を破壊しながらレベッカに迫るカンナを追いかけた。
走るスピードは、カンナの方が速い。だが、障害物を斬って進む行為に時間がかかる。徐々に、引き離されつつある。
「全ての秘密を暴け――『天眼』!」
一瞬だけ『天眼』を発動させたスウェーティは、自分の先にいるだろうレベッカを視線で追う。次々と視界が切り替わり、赤毛の女の存在を探す。できればこんな街中で『天眼』を使いたくはなかったが――一度捕捉すれば、どこまでも視界を広げられるスウェーティの『天眼』から逃げ切ることは不可能だ。とはいえ、それも時間制限付きだ。制限時間を超えて逃げ回られてしまえば、スウェーティに見つけ出す手段はない。
「そうか、『覗き屋』……その手があったか」
「……捉えた!」
止まってスウェーティの様子を窺うカンナに、スウェーティが告げる。スウェーティの視界は素早くレベッカの前に回り込もうとするが、常に前進して障害物の中に溶けるように移動するレベッカの正面を捉えきれない。次々と視界を切り替えるが、逃走経路が予測できないため、スウェーティは舌打ちした。想定していた以上に厄介な『祝福』だ。
「ちっ、顔は確認できないが……」
見失わないように『天眼』を維持し、視界のみでレベッカを後ろから追いかける。スウェーティとカンナはすでに立ち止まり、今やスウェーティの『天眼』だけがレベッカを追っている状態だ。
「家の中を抜けて……通りに出た。7番通りだな、周囲に人影は少ししかない……」
それを聞いたカンナが、スウェーティを肩の上に抱え上げた。スウェーティは、見えないながらにその感触を感じ取り、驚いて顔を歪めた。
「おい! なにすんだ!」
「それを発動している間は周囲が見えないんだろう? お前が指示を出せ、私が走る」
「……ちっ!」
盛大に舌打ちしたスウェーティは、それでもそれが正しい判断であることを認識した。『予言者』ミリから言われたことは、レベッカの寝床を探ることだったが、寝床に戻るまで『天眼』が持つかどうかはわからない。今は、できる限りレベッカに近づいておいたほうがいい。
「行くぞ」
風を切る音と風圧を感じながら、スウェーティはカンナに指示を出す。すでにレベッカは7番通りを抜けてその先に向かっている。
「家を抜けて、4番通りか……? くそ、この町構造が複雑すぎる……」
普通の犯罪者であれば、スウェーティにも一度『天眼』を解除する余裕がある。一本道などに入れば、とりあえずそのどちらかを見回せばいるはずだからだ。だが、レベッカは突然脇にある家の中に侵入する可能性があり、ひと時たりとも目を離すわけにはいかなかった。
「……追いつくのは無理そうだな。言葉で現在地がわからなければどうしようもない」
「……そうだな。俺の『天眼』も、そう長くは持たない」
追いかけっこを続けているうちに、『天眼』のタイムリミットが近づいていた。それでも限界までレベッカを追ってみたが――結局、寝床につくまでは持たなかった。解けるようにスウェーティの『天眼』が解除され、スウェーティの視界が戻ってくる。
「今日の分は、打ち止めだ」
「惜しかったな」
スウェーティを地面に降ろし、手を払うカンナ。その態度に苛立ちを覚えるスウェーティだったが、それを飲み込む。護衛であるカンナとぶつかることは得策ではない。家や壁を易々と切り裂くその力は、スウェーティに向けられれば何も抵抗できずに殺されるほどの力だ。逆らうなんてことはできない。
「戻るか……」
「ああ」
スウェーティとカンナは、レベッカが消えていった方角を見やり、踵を返す。スウェーティとしては、逃げられた悔しさよりも生き延びた安堵の方が大きかった。スウェーティの『天眼』は、見られている側の人間は気づかない。つまり、レベッカに敵として認識された可能性は低いはずだ。
二人が、カンナが最初に斬り倒した壁のところまで戻ってくると、薄気味悪そうに周囲の人間は立ち去っていた。遺体のそばにはパトが佇んでおり、近づいてきた二人を見る。静かに首を横に振ったカンナを見て、パトが遺体に視線を落とす。
「……何か情報が取れるかと思って、『転写』を試してみましたが……何も。彼も、レベッカの顔は見ていないようです」
死に際に、犯人の顔を思い浮かべる――それは大いにあり得ることだ。あのままパトがスウェーティ達についてきていたとしても、何もならない。その判断は正解ではあったが、残念ながら有力な情報には結びつかなかったようだ。
つまり、レベッカに完璧に逃げ切られたということになる。
「周囲の人にも聞いてみましたが、犯行現場を見ていたのはごく少数。気付けばこの男性が壁に埋め込まれており、赤毛の女はポケットを探ったあとに去っていった、と……」
ポケット。何かを探しているのだろうか、もしくはただの強盗なのだろうか。しかし、あらゆる障害物をすり抜けることができるのであれば、わざわざ人を殺す必要はない。金など盗み放題だろうし、やはり殺しにはなんらかの目的があるとみるべきだ。
怨恨の線はない。ならば、やはりただの――快楽殺人者、なのだろうか? 好き好んで人を殺しているのか?
今のところ、新たに起きた3件の殺害は、いずれも人通りが多い場所で行われている。それはスウェーティとパトの予想を裏付けるものだったが、これから先もそうであるとは限らない。
結局のところ、彼らは千載一遇のチャンスに遭遇したのに、なんら成果を持ち帰ることはできなかったのだ。
† † † †
嘘を吐いた。
「……仕方ない、よね」
目的を察した。その方法も、理由も。だがそれを告げるわけにはいかなかった。特にあの男に、それがわかったことを伝えるわけにはいかなかった。
誰も信じない。誰も頼らない。誰も救えない。
「あはは。あははは。あはははは……」
落ちた雫を振り払うように、少女は俯いて笑う。その笑顔は、だれがどう見ても幸せそうな笑顔で、だからこそ、瞳から滴り落ちる涙の異様さが際立った。
完璧に偽装された笑顔。誰も見抜けないだろう、その裏に存在する少女の真意を。
「ちょっと、油断してたかな」
仮面をかぶる。希望と善意の仮面を付け直し、悪意と憎悪を覆って隠す。とはいえ、そんなことはずっと前からやってきた。人畜無害なフリをして騙し、考えなしのように見せかけて油断させ、懐に入り込んで寝首を掻く。目的を果たした今でこそ、昔ほどの計算高い計画は立てていない。
これは趣味だ。どうしようもなく性癖に刻み込まれた悪意だ。
仕方ないよね、と少女は自分の悪意を肯定する。あんな環境で育ち、あんな事件に巻き込まれ、善良であったかもしれない自分の精神は歪んでしまった。復讐のために『祝福』を利用した自分は、きっと地獄に落ちるだろう。遥か天上に存在するという、女神カロシルの住まう場所には、連れて行ってもらえないに違いない。
「ああ……」
熱っぽい吐息を吐き出し、少女は自分の体を抱きしめた。あの男のことを考えると体が火照る。向こうは自分のことをさっぱり理解していないようだが、少女は男の本質をいち早く見抜いていた。見抜いていたからこそ近づいたし、興味があるからこそ声をかけたのだから。
あの男は、クズだ。少女とて人のことを言えた義理ではないが、それでも自分のやっていることには正当性がある、と少女は考えている。幼少期に父親に犯され、奴隷として非合法に売られ、そのうえ違法賭博の賭けの対象にされ――思い出したくもない。
正当性がある。正当性がある。自分の悪意には正義がある。
許される。許されなければならない。奪われたものを取り返さなければならない。あれだけの不幸を背負ったのだから、せめてこれからの人生はシアワセでなければならない。
そのために、悪意を振るおう。あの男に恨みなどない。憎しみなどない。
ただ、なんとなく――クズだから、壊してもいいかな、と。そう思っただけだ。
「きははっ」
いつからだろう。自分の悪意に正直になったのは。良心が痛まなくなったのは。いや、元から良心なんてものはなかったのかもしれない。
真の意味で少女は『悪』だったのか? その答えを、少女はいまだ見出してはいない。
父親はクズだった。母親もクズだった。
だから壊した。復讐を果たした。積もり積もった恨みと憎悪で復讐を果たした少女には、悪意だけが残った。誰かの人生を滅茶苦茶にすることを、『楽しい』と思う自分がいた。
だからこの『祝福』を使おう。女性に産まれた利点は生かそう。自分の外見すらも性格すらも利用してみせよう。持っているモノはなんでも使う。人道から外れようと、人々に白い眼で見られようと、少女は自分の享楽のためにすべてを使う。
「もう少し……もう少しで……」
片鱗はある。あの男は、少なからず変質してきている。不相応な夢を抱き、身の丈知らずな自信を持ち、理由なき希望を意識し始めた。
その崩壊の時を想うと自然に笑みがこぼれる。他者の不幸を目の当たりにしたときが、少女にとって最もシアワセな瞬間である。その不幸を演出するのは、少女の力をもってすればそう難しいことではなかった。
薄暗い部屋で少女は笑う。ただ自らがシアワセに浸る瞬間を夢見て、美しく笑う。
その笑顔はとても綺麗で、純粋で――だからこそ恐ろしい。
目を覚ますべきだ。『予言者』、『軍神』、『無音』、『剛腕』、『魔女』……多くの英雄たちがいる。多くの善なる者たちが集う人類最後の町。
そこで芽吹いたのが、真なる悪意だということを。今の敵は魔人でも魔王でも魔獣でもなく――人類の中にいるということを。
目覚めなければ。もしくは、目覚めても対処を誤れば。
人類は人類の手によって、欲望によって滅び去る。群より個を優先させる悪意を止めるのは、決して正義でも善でもない。悪と対立する運命にある英雄たちでは、決して悪を滅ぼすことはできない。
悪は潰えない。悪は滅びない。
善なる者が潰えないように、悪なる者も決していなくなりはしない。
だが、この人類最後の町に巣食う『悪』は、全ての人類の中から選出された真の『悪』だ。
英雄たちが、人類の中から選出された善であるように、悪もまた濃度を増して芽吹いた。
英雄たちは、その悪意に気づけない。
なぜなら。
人類が滅んででも己の快楽を優先する者がいるなど――想像の埒外であるがゆえに。