第10話 花売りの少女
スウェーティは、再び朝に食堂でパトと落ち合い、町へと繰り出していた。今回は過去の事件現場ではなく、パトロールという名目でぶらつくだけだ。やる気に満ち溢れているパトと違い、スウェーティには全くやる気がない。むしろ、命の危険があるだけ、レベッカへの調査は控えるべきとすら思っていた。
「護衛が来たらもっと踏み込んだ調査ができるのに……!」
「そうだなー」
依頼した張本人である『予言者』ミリすら、レベッカよりも『純白』を優先させているとはつゆ知らず、パトが憤りに拳を震わせる。見る者が見れば妙に演技臭い彼女の違和感に気づけたかもしれないが、そもそもパトの実情や過去に全く興味のないスウェーティは、気づかない。
違和感を覚えることは何度かあったが、そもそもスウェーティに追及する気がないのだから当然だ。他者に興味の持てない男は、ただただ日々を無為に生きていく。
「……げほっ、げほっ!」
「あっ、何スウェーティさん煙草吸おうとしてるんですか! だめですよ、煙草は体に良くないらしいですから!」
またスウェーティが思い立って気まぐれに買った煙草だったが、結局うまく吸い込めずに吐き出した。『凄腕の諜報員』といえば煙草を咥えているイメージがあるスウェーティだったが――残念ながら、煙草を吸うことはできなかった。相変わらず、煙が喉を通る瞬間に拒絶反応が出る。
「……お?」
道を歩くスウェーティが目をとめたのは、1人の少女だった。店の前でウロウロと彷徨い、明らかに挙動不審である。念のため髪の色を確認するが、くすんだ茶髪だった。『転写』で見たレベッカの赤髪とは似ても似つかない。
「あれ? あの娘……」
遅れて、パトも気づく。二人が注目したのは、彼女が挙動不審だったから、だけではない。彼女の顔に、見覚えがあったからだ。
「こんにちは。今日は、お花はいいの?」
「ひえっ? あ、は、はい……! あ、この間の……?」
物怖じせず話しかけたパトに、花売りの少女は驚いたようだが、すぐに先日花を売った二人組だと気づいたようだ。スウェーティは我関せずとそっぽを向き、少女は困ったように微笑んでからパトに向き直った。
「この間は、お買い上げいただいて……」
「あ、普通に喋っていいよ。たぶん同い年くらいだし」
「え、あ、そうですか……?」
「それよりさ、ちょっと話さない? せっかくだし!」
「え? え?」
「いいですよね、スウェーティさん!」
「……別にいいが」
あっという間にペースに巻き込んだパトは、少女の右手を掴んで引っ張っていく。スウェーティはパトのおせっかいな性格に溜息をつきつつも、それに付き合うことにした。もとより、今日は特に急いでいたわけでもない。花売りの少女が入るのを躊躇っていた店――それは、いわゆるただの喫茶店だったが、少女のように明らかにスラム育ちの人間が入るのを、店の人間は良い顔をしないだろう。今も、みすぼらしい少女の身なりを見て、店員が眉をしかめている。
「お金なら払うわよ。何か文句があるの?」
委縮してしまった少女を庇うように前に立ったパトが、堂々と店員を睨みつける。その態度に店員は怯み、スウェーティは溜息をつく。いったいどこからその正義感が――と思うが、おそらくはあの『予言者』から影響されたのだろう。スウェーティは革袋の中から銀貨を3枚取り出し、店員に渡す。無駄にことを荒立てたくはなかった。
このパトという少女が垣間見せる傍若無人さ……天真爛漫な態度に隠された、女王然としたふるまい。スウェーティは一瞬、その態度の理由について考えるが、すぐに興味を失った。どうでもいいことだ。
「こ、こちらへどうぞ」
少し怯えたように席へと案内する店員についていく。物珍しいのか、花売りの少女が周囲を見渡しているが、スウェーティから見ても特に変わった店には見えなかった。シンプルに造られた、シンプルな休憩所だ。昼になれば軽食を求めて客も増えるのだろうが、今は朝と昼のちょうど中間の時間帯。中は空いていた。
「オススメを3つで頼む」
「はい」
席に座ったスウェーティたちは、少しの間無言だったが、店員が離れないのでスウェーティが注文した。生まれてこの方、喫茶店に入ったことなど数えるほどしかない。何が飲めるのかよくわからないが、とりあえず酒はないだろう、とスウェーティは少し気落ちする。そんな男をよそに、少女二人は話し始めていた。
「私、パトっていうの。貴女は?」
「え、あ、ネフィって言います……?」
「ネフィね。いい名前じゃない。今日はどうしたの? いつもの花売りは?」
「えっと、しばらく休業なんです……」
会話を始めた二人は、すぐ前に飲み物が置かれたことにも気づかないほど熱中していた。最初の方は不安げに視線を彷徨わていた花売りの少女――ネフィとやらも、明るく話しかけてくるパトに警戒心が薄らいだのか、控えめだが笑顔が見え始めた。
スウェーティは少女二人に気づかれないように溜息をつくと、その会話から意識を外した。延々と続く、理解できないガールズトークに付き合う理由はなかった。いったいネフィの何が気に入ったのか、もしくは気になったのかわからないが、パトはネフィを相手に雑談を続けている。
「へー休業?」
「今売りに出せるのは全部売れちゃったので、次のお花が咲くのを待ってるんです」
「そうなの? 紫とか赤の花とかならわかるけど、黄色いのとか白いのも全部?」
「そうなんです……まとめて全部。たぶん、何かお祝い事に使うんじゃないでしょうか?」
「ね、ギリビエの花とか、クォールの花とかもあるの?」
「……今は、まだ咲いてないですね。あと20日くらい待ってもらわないと……好きな人でもいるんですか?」
「えっ、な、なんで?」
「ギリビエもクォールも、告は――」
「わー! なしなし! 忘れて忘れて!」
「ふふっ……」
始まった桃色のガールズトークから意図的に耳を塞ぎ、スウェーティは目の前の茶色い飲み物に注目した。喫茶店というからにはお茶なのだろうが、見たことのない色だった。警戒しながら口元に運び、一口すする。
「苦い……?」
まずスウェーティの口からこぼれた感想はそれだった。飲みにくいわけではないが、独特な苦さがある。スウェーティはあまり苦いのは好きではないので、少し顔をしかめた。だが、続いて鼻を襲った異変にスウェーティが驚く。
「……っ!」
口の中に残っていた苦味が、一気に清涼感のある風で拭われていったのだ。苦いと感じたのは、どうやら最初の味だけらしい。そのあとは、舌と鼻にひたすら清涼感が残る。何もしていなくても冷たく感じるほどの清涼感に、スウェーティの舌は知らず先ほどの味を求めていた。
すなわち、苦味である。
再びカップを持ち上げ、一口飲んだスウェーティは、一瞬の苦味を感じ、そしてまた広がる清涼感に驚いた。一度苦味を味わうことで、一瞬後味である爽やかな風味が消されるのだ。そのあとにもう一度訪れる清涼感は、病みつきになりそうなほど心地よかった。
「なるほど、これは美味い……」
初めて飲むタイプのお茶だったが、スウェーティはその奥深さに驚いていた。思えば、南の地域に住んでいたスウェーティにとって、最北端のこの大地は未知の物が多い。植生も違えば生態系も違う。何の肉かよくわからない肉も出てくる。
(せっかく町に出てるんだ、楽しまなきゃ損だよな……)
スウェーティは声を上げて店員を呼び、数種類の見覚えのない茶を注文する。
「――シラリエの花は、育てるのが大変で……」
「そっかー、大陸の中央とここだとずいぶん気候も違うもんね……」
「そうなんです、どうも日照時間……あっすいません、太陽の光が当たっている時間が重要みたいで……」
「どうやって管理してるのー?」
「足りない分は、お父さんの『祝福』が……」
スウェーティが種々様々なお茶を楽しんでいる隣で、パトとネフィはいつまでも話し続けていた。ネフィが嬉しそうに花や植物の知識を語り、パトはニコニコと相打ちを打つだけである。スラムの人間ともなれば、普段こういうことを話す相手もいないのだろう。ネフィは嬉々として知識を披露していた。
昼になり、同じ喫茶店で軽く昼食も済ませたスウェーティとパトは、そこでネフィと別れた。二人きりになったスウェーティはパトに尋ねる。
「どういうつもりだ、パト?」
「すみません仕事中なのに……人助けのつもりで……入りたそうにしてたからつい……」
「まあ、怪しい人物には違いなかったからいいけどな」
店の看板をチラ見しながら前を行ったり来たりする行為は、完全に不審者のそれだったが――入ろうとして悩んでいたのであれば納得も行く。
「なんで入りたがってたんだ?」
「店の中にあるお花に興味があったらしいです。ちょっと人見知りでしたが、それ以外は特に不審な言動はありませんでした」
「そうか……問題がなければそれでいいんだ」
スウェーティは自分に言い聞かせるように呟いた。ネフィの言動はともかく、パトの行動には違和感ばかりが募るが、スウェーティはその全てを見なかったことにして無視を決め込む。相手の隠している事情に踏み込むことは、自分も踏み込まれる覚悟をすることだ。スウェーティはパトに自分が『覗き屋』であることを明かすことはできないし、そもそもパトと必要以上に仲良くするつもりはなかった。
お互いの事情と本性を隠した歪な二人組は、ネフィの姿が見えなくなるまでその背中を見ていた。